十五本目 良い奴らばっかり
◇楓
皆にも話そうと思うと、翔が私に言ってきたのは昨夜のことだ。その時に、夜の闇の中でも仄かに光る青い鱗を見せてくれた。
彼の髪と同じ、少し緑がかった綺麗な青色。敷き詰められた、彼の腕を覆うそれは、まるで繊細な芸術品のように見える。触ると、思いのほか滑らかでスベスベ。いつもなら、こんなに触ってくれないのにって、翔は少し拗ねた。
そして今朝は、皆を従業員控え室に集めて、御披露目会?……じゃなかった、暴露会を開催中だ。
「かっこイイですね!! これからは兄貴って呼ばせてください!!」
中でも、礼くんは特に興奮気味だ。以前、腕に竜の鱗のような入れ墨を入れようとしたところ、お姉さんに止められたという過去があるため、なおさら憧れてしまうとのこと。
「よくここまで、バレずに隠してこれたわね。ただの偉そうで変なガキんちょかと思ってたけど、竜だっただなんて……」
巴ちゃんは、手を口元に当てて、驚いている。気づいていなかったのが私だけではないと分かって、内心ほっとした。
「もしかして、口から火を吐いたりするのか?」
忍くんは、私を背に、翔の前に立ちはだかった。彼が危険だと思ったのだろうか。でも、今更じゃない?
「口から火は無理だけど、爪から突風を繰り出したり、手の平から強い光は出せるよ」
え?! それ、私、初耳なんだけど?! 一方、忍くんは「なるほど、だから苦無の飛ばし方があんなに鋭いのか」などと呟きながら頷いている。
潤くんは、必死に新たな情報をタブレット型端末に書き込んでいた。随分と使い慣れてきたようで、フリック入力がめちゃめちゃ早い。負けてられないぞ!!
「分かりました! 実家に帰ったら『青い髪の男性の正体は竜』っていうことを両親に伝えます!!」
相変わらず勘違いをこじらせているのは、椿さん。これは、翔だけだからね? 髪が青けりゃ皆が竜だなんて、そんなわけないじゃん。それに、こっそり翔の腕から鱗を剥がそうとしているけど、やめてあげて。なんか、痛そうだから。
その時、粋くんがこんなことを言い出した。
「で、他にも隠してることあるんですよね?」
え? 何なに?! 私、聞いてないよ? 私は、翔にそれを目で訴えると、彼は少し眉を下げた。
「俺は、前々から、止まり木旅館に不満があった」
切り出しは、こうだった。不満……? そんなのがあれば、こんな場じゃなくて、私に直接言ってくれればいいのに。
「それは……休みがないことだ!」
止まり木旅館は、毎日お客様をお迎えしているわけではない。お客様がいらっしゃらない日は、準備があると言えども、実質的にはほぼ休みだ。だから、翔が言わんとすることが、よく分からない。
「お前ら、有給休暇っていう言葉、知ってるか?」
テレビを見ていたら、たまにドラマとかで聞いたことがあるので、一応知っている。
「有休っていうのはな、勤め先がいつも通りに営業しているにも関わらず、自分はプライベートを満喫できるという優越感に浸れる、大変お得な制度だ。でも、止まり木旅館にはそれが無い! だから、今日、今から、有休制度をここに公布する!!」
「え?! 別にいいけど、なんで? 翔、あまり休めてないってこと?!」
私は、慌てて口を挟んでしまった。
「いや、ちょっと長期で出かけたい所があってな」
長期? 出かける? 仕入れ係ではなくなった彼が向かうことができるのは、時の狭間の中にある残り4軒のお宿ぐらい。でも、交流なんてあるのだろうか?
翔は、椿さんの方を見た。
「ご両親から返事は来てる?」
「はい。いつでも大歓迎だそうですよ! これで仕事が減りそうだって、喜んでました!」
椿さんは、すごく嬉しそうだ。ちょっと待って? 話が見えない。
「俺は、『木仏金仏石仏』へ1ヶ月ぐらい研修に行ってくる。そのついでに、里帰りさせてほしい。たぶんこれが、最後のチャンスだから」
『木仏金仏石仏』は、異世界ホームステイの斡旋をやっているから、そこの従業員は他の世界に行き放題なのだ。それを使うために、研修っていう形を借りるということなのだろう。
里帰り。つまり、グジャルダンケルか。里帰りなんて言葉を使われたら、引き留められなくなる。今は椿さんがこちらに来ているから、こういう形をとれるけれど、次なんてなかなかチャンスが訪れないだろうし。
うん。行かせてあげよう。
またいなくなるんだって思うと……つらい。けれど、今回はこうやって話してくれているだけマシなのかな。
でも、里帰りしたいのは他の皆も一緒なのではないだろうか? そうなると、止まり木旅館に人がいなくなっちゃう?!
「楓さん、俺はここにいます」
忍くんは、私の背中に手を当てた。すかさず、翔の方から冷たい視線が届いたけれど、これは自業自得でしょ?
「僕も止まり木旅館にいます。もう、戻りませんし、戻れませんから」
そう言った粋くんの瞳は、少し寂しげだった。彼も、悲しい過去があるから、それを思い出したのかもしれない。
「私も、どこにも行きませんよ」
「頼りない姉ちゃんだから、置いていけるわけないよ」
「楓さんの観察は、ライフワークなんです」
皆、口々に私へ声をかけてくれる。
そっか。一緒にいてくれるんだ。私と椿さんだけでお留守番になるのかなって思っちゃった。
「みんな、ありがとう」
「楓、泣くなよ。こんなに良い奴らばっかりだって分かってるから、俺は留守にできるんだ。皆、しっかり頼んだぞ?」
* * *
翔は、すっかり荷造りを済ませていた。翔は、タブレット型端末でグジャルダンケルの写真やビデオを撮影してくると言っていた。本当は、私と一緒に帰りたかったって言ってくれたのが、嬉しかった。
「楓。俺が帰ってくるまでに、あの2人追い出せる?」
「翔も苦手だったんだね」
「お客様の方は特にな」
「あのね、明日から立て続けに合計4名いらっしゃることになってるの。それを椿さんの研修卒業試験にするつもり。だって、ほら、一応研修っていうことになっている以上、彼をそれなりのクオリティまで上げておかなくちゃ、あちらのお宿に顔が立たないでしょ? だから、多少経験積ませてあげたいなと思って。あ、もちろん彼が粗相しないように、私もついてるから!」
「……それって、ほんとに大丈夫?」
「いざとなったら、いつも通りに私がするから、たぶん大丈夫」
翔は、ちょっと安心したように頷くと、私に細長い袋を渡してくれた。何だろう?と想いながら、中を見ると、なんとリコーダーだった。
「どうしても助けが必要な時はこれを吹いて」
「そしたら、翔が戻ってきてくれるの?」
「いや、ちがう。来るのは密さんだ」
「えええ?!」
「導きの神がな、私が行く!とか言い出して、大変だったんだぞ? 結局、密さんと『あっち向いてほい』で勝負して、密さんに決まったんだけど」
翔は、私が知らぬ間に、れいの巻物を使って導きの神とやり取りをしていたようだ。助っ人を準備するという発想は嬉しいけれど、人選がちょっと……。里千代さんと会った日には、何が起こるか分かったもんじゃない。
私は、できるだけこのリコーダーを吹かずに済まそうと心に決めた。
「じゃ、気をつけてね」
翔は、皆から大々的な見送りを受けたくなかったらしい。朝方、私だけに声をかけて、出発した。
「いってきます」
彼は、私の口元にチュッというリップ音を残して、止まり木旅館の門の向こうへと消えていった。
【後書き】
次回は、止まり木旅館ご招待キャンペーン第1弾のお話を掲載します。
お客様は、『赤と金色のシェイル』から、シェイルちゃんです。
どうぞお楽しみに!