十四本目 アテはあるんだ
◇粋
楓さんによると、次のお客様は、リノイ島のライナ村からお越しになるそうだ。まだ15歳で、駆け出し冒険者の女の子。シェイルさんと言うそうだ。今度こそ、普通の人だったらいいんだけどな。
僕は、シェイルさんの部屋を準備するために、リノイ島の資料を探しに書庫へ向かった。
「あれ?」
珍しいこともあるものだ。書庫には、翔さんが居た。彼が読んでいる資料の表紙には、『グジャルダンケル』の文字が……。
「翔さん! 故郷が懐かしくなったんですか?」
翔さんは、すごく驚いたようだ。途端に重心低めの臨戦態勢になると、手甲からチラリと苦無を覗かせた。
「……なぜ知っている?!」
「そりゃぁ、ここの本、全部読んだことがありますから。その『グジャルダンケル』の本、書いたの翔さんですよね? 筆跡から丸分かりです」
ふふふ。書庫の主を甘く見ないでほしい。『グジャルダンケル』の本は、字が汚いけれど、すごく興味深いのだ。何度も読んでいるから、その中に出てくる『ヨウ』っていう人が翔さんだってことも、結構前から知ってる。そして、その正体も。
翔さんは、苦無を引っ込めて、元の椅子に座り直した。
「もしかして、他の奴も知ってる?」
「いえ、僕だけだと思いますよ。なんか、翔さんは隠してるみたいでしたので、誰にも言ってません」
「そういや、お前、止まり木旅館では数少ない常識人だったな」
「数少ない常識人かつ、数少ない既婚者として、翔さんにアドバイスがあります」
僕は、ここに来る前、幼なじみと結婚して、子どももいて、仕事も順調で、休日には神殿に通って本をたくさん読んで、何もかもがうまくいっていた。でも、ある日、天災に見舞われた。
ちょうどお昼時で、これから近所の屋台に何か美味しいものでも買いに行こうかとしていた時だった。すごい嵐がやってきて、大雨が降り、暴風が吹き荒れた。僕は飛行アイテム『天使の羽』を使って、山手の方へ逃げたけれど、ふと気づいたら、街は灰色の波と渦に飲み込まれていって……。
僕は、『天使の羽』の効力が消えると、森の木によじ登って一夜を過ごした。そして翌朝、目を覚ますと、目の前に広がっていたのは、どこまでも続く灰色の海。生き物の気配は、まるで無かった。
ここには、僕が内装やデザインを手がけた建物がたくさんあって、自宅があって、妻や息子との思い出の場所があって……。全てが、太陽の光を浴びて時折てらてらと光る、灰色の水面の下に沈んでしまった。そして、大切な人達も。
僕は、流されてきたドアフレームを近くで見つけた。ドア本体は、別の所に流されたか、吹き飛んだらしく、大きな木枠だけになっている。よいしょと、ドアフレームを縦にしてみると、何ともなしに、そのフレームをくぐってみた。何でそんなことをしようと思ったのか、今でも分からない。でも、くぐったことで、僕は、止まり木旅館に辿り着いた。
「翔さん。大切な人は、本当に大切にしてください。この次の瞬間にも、その人は、突然損なわれて、消えてしまうかもしれません」
翔さんは、口を結んだまま、こちらを見ていた。これは、大袈裟なことじゃない。本当に有り得ることなのだ。だからこそ……
「最近、何か悩んでますよね? 後悔しない選択、大切な人が泣かなくて済む選択をしてくださいね」
翔さんは、静かに頷いた。
「俺、ちょっと里帰りしてくる」
「仕入れ係じゃないのに行けるんですか?」
「裏の手を思いついた」
「今度は、楓さんや皆に説明してから行ってくださいよ?」
「分かってる。俺のことも……話す。粋は……怖いか?」
翔さんは、着物の袖をすっと捲ると、腕をこちらに向けた。すると見る間に、腕はツヤツヤと光る青い鱗で覆われた。そっか。今でも、少しだけなら、竜化することができるんだね。
「いいえ。まったく」
翔さんが竜であれ、人間であれ、止まり木旅館で一緒に働く仲間に変わりない。それは、きっと、皆も同じだ。だって、うちの客は変なのばっかりだし。人ならざる者は、翔さん1人に限ったことではないのだから、すっかり慣れている。
それに、しっかりしてそうに見えておっちょこちょいな楓さんを支えているのは、いつも翔さんだ。翔さんが何だかんだで凄いっていうことは、うちの従業員全員が実感している。だから、余計な心配するよりも、もうちょっと人を信用した方がいいと思うんだ。
これを話すと、翔さんは、やっといつも通り、にやりと笑った。
「そっか、翔さんが留守にするなら、僕が楓さん狙っちゃおうかなぁ」
「煽ってるつもりか? お前が本気じゃないのは見てたら分かる」
「バレてました? つまんない」
翔さんは、もう読み終わったのか、『グジャルダンケル』の本を書庫の棚に戻した。そして、『赤と金色のシェイル』という本を持ってきてくれた。
「次の客のこと、調べにきたんだろ? これに詳しく載ってる」
こんな本、いつの間に入荷したんだろう? まだ読んだことがない本があっただなんて。僕は、急にわくわくしてきて、表紙を捲った。そして、早速物語に没頭しそうになっていたら、翔さんに肩を叩かれた。
「粋は、結婚した時、奥さんに何か渡したのか?」
「僕の世界では、腕輪が主流でしたよ。でも、千景さんがいる世界では指輪の方が多いと思うので、楓さんにも指輪の方がいいんじゃないですか?」
翔さんは、腕を組んで、少し考え込んでいた。
「翔さん、今回は鱗を使わない方がいいと思いますよ」
翔さんと楓さんが持っているお揃いの飾り玉。あれは、僕が見たところ、硝子製ではない。見た目はとてもよく似ているけれど、触ると少し弾力があるし、光の反射の仕方が特殊なのだ。でも、さっき翔さんの腕を見て、やっと判明した。おそらくあれの素材は……翔さんの鱗だと思う。
またまた、翔さんはびっくりした顔をしていた。やっぱり、当たっていたか。
「自分の一部を渡すのもいいですけど、もっとレアで高価な石でも贈った方がいいですよ」
「ちょっと危険だけど、アテはあるんだ」
もしかして、そのアテを手に入れるために、里帰りするのかな? 無難にダイヤモンドとか、キラキラする石にしとけばいいのに、どうせまた変なものを拾ってくるんだろうな。最低限、楓さんが喜びそうなものにしてあげてよ?
【後書き】
粋:
ところで、この本、オンラインで読めないんですか?
翔:
読めるぞ? 『赤と金色のシェイル −突如あらわれた前世の魂−』だろ?
http://ncode.syosetu.com/n3541dk/
だな。
粋:
ありがとうございます!!
シェイルさんがいらっしゃるのは、次の、そのまた次のお話ですよね?!
翔:
あぁ、そうだ。しっかり予習しとけよ。