十三本目 母の話
◇千景
少し久方振りに、楓からメッセージが届いた。どうやら、ついに翔くんから生い立ちを聞かされたらしい。おそらく、相当びっくりしたにちがいない。
私にとっても、翔くんはとても印象的なお客様だった。
彼は、グジャルダンケルという世界からやってきた竜だ。私が初めてお迎えした人外のお客様である。台帳には、種族が竜だと書いているのに、現れたのは今にも死にそうな小さな人間の男の子。ちょうど彼と変わらない年の娘をもっている母親の身からすると、とても耐えられない程のやつれっぷりだった。私は、彼を目にした瞬間走り寄って、ぎゅっと抱きしめたのを覚えている。
彼は、当時まだ4歳か5歳だったけれど、はきはきしゃべれる賢い子どもだった。彼が元気になってきた頃を見計らって、私は、お帰りに繋がるヒントを探るため、たくさんのおしゃべりをした。すると、彼は、これまでのことを私に話してくれた。
彼は、3人兄弟、もしくは3頭兄弟だった。彼らは、竜でありながら人間に化ける能力をもっていて、兄弟でその練習をしていたそうだ。ところがある日、彼は人間から竜の姿に戻れなくなってしまったらしい。
その後、季節が冬になると、彼の母親は、残りの兄弟を連れて、南の温かな土地へと旅立ってしまった。彼は、出来損ないとして、捨てられてしまったのだ。冬は、食べられる生き物も、植物も無い。また、人間の身では、冬の寒さには耐えられない。もう、死ぬのを待つしかなかった。そんな時、彼は、人間が作った山小屋を見つける。恐る恐る扉を開いてみると……そこは、止まり木旅館の門前だったそうだ。
「家族がほしい」
彼は、こう言った。私はこの時、彼がもう帰れないことを悟った。そして、止まり木旅館初の従業員が誕生したのだ。
彼は、随分前から、楓と家族になることを夢見ていた。
その後、グジャルダンケルからやってきた別のお客様から、竜は一度、番を見つけると、死ぬまで諦めないと話に聞いていたし、翔くんにならば楓を託しても良いと思えたので、私は陰ながら彼を応援し続けている。ある意味、彼も私の息子だからね。
「そっか。じゃぁ、私はどうやっても、翔から逃げられないのね」
タブレット型端末の画面に映るうちの娘は、口を尖らせている。
「他の人とも付き合ったりしてみたいの? それもありかもね」
「母さん、違うの! ちょっと言ってみただけ。私は、翔がいいの」
「じゃぁ、何を迷ってるの? 両思いなんでしょ? 結婚式するなら、ちゃんとオンライン中継で配信してね? 女将業辞めてでも、見守りたいから」
「え?! 母さん?! やめてよ、そんなの。母さんは、自分の結婚、そんな軽いノリで決めちゃったの?」
「そうねぇ。私達は、お互い一目惚れだったし、いろいろ相性が良かったのよ」
「相性って?」
「心と身体の相性」
「…………」
楓、ごめんね。両親のそんな話とか、聞きたくないよね。
でも、勘違いしないでほしい。私はそれまで、常にお客様とは良い意味で一線を置いてきたし、ひたむきに仲居業に勤しんでいて、誰かと付き合うといったことは全くなかった。すごく忙しいかったという理由もあるけれど。
だから、そんな私を変えてくれた彼に、自然と惹かれたんだと思う。
「あ、この人なんだ、って思えたのよ」
「母さんはいいなぁ。相手が神様だと、いろいろ万能だもんね」
「子どもができないかもしれないっていうこと、悩んでるの?」
「翔は好きだけど、でも……」
「ねぇ、楓。翔くんは、竜と『人間では』って言ったのよね? 別に『神と人間のハーフでは』って言われたわけじゃないんでしょ?」
楓は、息を飲んで固まってしまった。忘れていたのでしょうね。自分も生粋の人間ではないことを。
だって考えてもみて? あなたは、導きの神の血を引いているからこそ、これだけのお客様を捌くことができているのよ。知らず知らずのうちに、お客様を悩みや苦しみから解き放ち、存るべき場所へ導いている。誰もができることではない。
「母さん、私……」
「楓。これが解決したからって、迷っていいのよ? ちゃんと自分でよく考えて、自分で選ばないと、絶対に後悔するから。自分の人生に対する責任は、自分でとらなきゃね」
「……そうだね」
「母さんは、もう楓に触れることも、抱きしめてあげることもできない。でもね、いつもいつも、何よりも、大切に思ってるから。愛してるからね。連絡を取れていなかった3年間も、楓のことを考えない日なんて無かったよ。楓。……どうか、幸せを……掴みとってね」
画面の向こうの楓は、俯いてしまった。泣かせるつもりはなかったのだ。でも、あれ? 私も、涙が出てきた。
私たちは、また遠からず話そうと約束して、ビデオ通話を切った。
「また泣いてる」
ふと背中が温かくなった。そのぬくもりの主は、私の頬を伝った涙を掬った。
「誰のせいだと思ってるの?」
私からは、自由に時の狭間に行けないけれど、導きの神は自在に移動できる。時折、こうタイミング良くやってきては、私を慰めてくれるのだ。
「ごめんね」
わざわざ謝ってくれる彼が、好き。あなたが神様である以上、仕方がないということは理解しているの。だから、こんな意地悪を言っても意味がないのだけれど、彼は全部受け止めてくれる。そして、そっと私を包み込むのだ。
「会いたかった」
「今夜は一緒にいよう」
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