妹の愛が重たすぎる
東条瑠璃子は裕福な家庭に育った美しい少女であった。
小さい頃から成績は優秀で人当りもよく、何不自由ない生活を送ってきた。しかし彼女は一つの「闇」を抱えていた。実の兄である慶太に慕情を抱いていたのだ。
どうしようもなく兄を愛していた彼女だが、実兄である慶太に素直にその気持ちを伝えられない。そんな彼女の気持ちは時に歪んだ愛情表現となって慶太を降りかかった。
ある時は4tトラックで轢いたり、ある時はノンパラシュートの兄を飛行機から突き落としたりした。
身に危険を感じた慶太は瑠璃子に内緒で大学卒業を期に、兵庫から新潟へと引っ越してしまった。しかしそんな事で瑠璃子は止まらない。探偵を使って兄の家を調べ上げ、兄の家に転がり込んでしまったのだ。
***
瑠璃子はキッチンのテーブルに頬杖を付き、今日退院するはずの慶太が帰りを待っていた。兄が居ないこの2日間はとても退屈でつまらないものであり、よほど自分の腕を折って兄の隣のベッドに入らせてもらおうかと思ったほどだった。
その時玄関のドアがガラガラと開く音がして「ただいま」という慶太の声が聞こえた。
瑠璃子は喜びのあまり飛び上がり、急いで玄関へと向かう。
「お兄様、お帰りなさい」
浅黒い健康的な肌、瑠璃子を包み込むような優しい笑顔、上半身は裸で下半身には黒いブーメランパンツ。そしてそのパンツから真っ直ぐ伸びたアヒルの首は瑠璃子の方を向いている。
瑠璃子が見慣れたいつもの慶太の姿だった。
慶太は2日前、瑠璃子に けし掛けられたベンガルトラに噛みつかれて重傷を負っていたのだが、もう傷の跡は見当たらない。
「お兄様、もうお体は大丈夫ですの?」
「ああ。全身100針を縫うケガをしたけどもう大丈夫だよ」
「それは良かったですわ!」
「いや良くないんだよ。いくら俺がなかなか起きないからと言って猛獣をけし掛けるのは勘弁してくれ。そのまま永眠しかけたじゃないか」
慶太は玄関の扉を閉め、アヒルの首を左右に揺らしながら廊下に上がった。
「ええ、ごめんなさい。今度から気を付けますわ」
瑠璃子は長い黒髪をかきあげながら言った。
二人はリビングに移動し、向かいあってテーブルに腰掛けた。
「ところで」
と慶太が外をしきりに気にしながら切り出す。
「俺が育てていたトウモロコシが無くなっているんだが」
「ああ、それなら私が食べてしまいましたわ」
平然と返す瑠璃子。しかしこれくらいなら慶太も驚かない。
「食べたのか」
「食べました」
「1ヘクタール分 全部?」
「食べました」
「そんなにお腹空いてたの?」
すると瑠璃子は下を向き、肩を小刻みに揺らし始めた。
――笑っているのだ。
「だってお兄様!」
ポップコーンが弾けるような勢いで顔を上げた瑠璃子の目は大きく見開かれていて、口は不自然に吊り上がっている。
「だってお兄様! トウモロコシの手入れをしている間は私に構ってくれないじゃないですか! だから私は思ったのですわ。この女どもを殺せばお兄様は私の事だけを見ていてくれる! って」
ああ始まった、と慶太は思った。瑠璃子は慶太が関わる全てのモノに異常なまでの嫉妬心を燃やし、それが人であれ、植物であれ、無機物であっても徹底的に排除しようとするのだ。
「いや、でも本当に1ヘクタール分も一人で食べたの?」
すると瑠璃子はスマートフォンを取り出し、1つの写真ファイルを開いて慶太に見せた。そこには鍋を持つ瑠璃子と、それを取り囲むように町内会の人たちが笑顔で写っていた。
「ふふふ、流石に私一人では食べきれませんわ。だから!」
再びカッと目を見開く瑠璃子。
「だから! 私はあの女どもを根こそぎすべて引っこ抜いて! コトコトじわじわと煮込んでコーンスープにしてやったのですわ!」
まるで死体を解体したかのような口調であった。
「お兄様の言う通り一人では食べきれませんでしたわ……。だから! 町内会の人たちに振舞ったのですわ!」
「あ、そうなんだ。皆さんの反応はどうだった?」
「アハハ! 傑作でしたわ!」
何が面白いのか分からないがひときわ大きな笑い声をあげる瑠璃子。
「皆さん『美味しい、美味しい』と言ってのんきにスープを啜っていましたわ! そのスープに入っているトウモロコシは お 兄 様 が 大 事 に 育 て て い た も の だ と も 知 ら ず に!」
まるで人体を入れたスープを人に飲ませたかのようなテンションの瑠璃子である。
「いい加減にしろ!」
慶太は立ち上がり、腰を横に振った。すると股間から伸びるアヒルの頭が撓りながら瑠璃子の頬を叩く。
「ゲー」と鳴くアヒル。
瑠璃子は叩かれた頬を抑えながらも、なおも笑みを浮かべて慶太を見つめている。
「うふふ、私、お兄様のPCフォルダを見てしまいましたの」
「……! まさか、あれを!」
「ええ、お兄様の『爪切り』画像フォルダをね……」
妹と言えど異性に見られたのが恥ずかしかったのか、慶太の顔は一気に紅潮した。
「べ、別にいいだろ! 俺は爪切りのフォルムと機能性が好きなんだよ!」
「更に私見てしまいましたの!」
両手を目いっぱいに広げて叫ぶ瑠璃子。
「夜、お兄様が『爪切り』画像を見ながらトウモロコシを頬張っている所を!」
更に顔を紅くする慶太。もはやユデ蛸のようである。
「お、俺だって男だ! 爪切りの画像を見ながらトウモロコシを食べることだってあるさ! でも男なら誰だってあることなんだ!」
「いいえ、そんなことは許しません。お兄様は黙って私だけを見ていれば、私を見ながらトウモロコシを食べれば良いのですわ!」
「……俺の、俺の『爪切り』フォルダを、消したのか」
「もちろん」
「瑠璃子!」
お気に入りの爪切り画像を全て消されたとあっては流石の慶太の怒りも頂点に達した。
「でも代わりにスッポンの卵をお兄様の部屋に置いておきましたわ」
「なら許そう」
それは闇の契約であった。
「……他に俺の物を壊したりバラして売ったりしてないだろうな」
「うふふ、どうかしら」
「お前にはお仕置きが必要だな」
「あら、私に何をなさる気ですの?」
瑠璃子は立ち上がり、再び慶太に顔を近づける。
「お尻ぺんぺんの刑だ」
「まあ素敵」
うっとりとした表情を浮かべる瑠璃子に背を向けた慶太はその場で手をついて四つん這いになり、引き締まった尻を瑠璃子に向かって突き出した。
「さあ叩け!」
瑠璃子はしばらく無言で佇んでいたが、急に慶太の尻を蹴り上げた。
「んほぉ!」
「なぜ私がお兄様が叩かれる側ですの? そしてなぜ私がお兄様のきったねえケツを叩かないといけませんの?」
慶太の尻に足裏を乗せ、グイグイと力を籠める瑠璃子。
「ぬはぁ! だ、だって、瑠璃子が嫌がることをしないとお仕置きにならないだろ!」
「お兄様がお尻を叩いてほしいだけじゃありませんか! この変態!」
「変態はお前だろ!」
この押し問答は小一時間続いた。慶太は形式上怒っていはいたが、けんか相手がいることに有難さを感じてもいた。実は入院生活の間、瑠璃子が居ないことでリラックス出来ていた反面寂しさも感じていたからだ。これからも瑠璃子とは喧嘩をしたり、すれ違ったりすることもあるだろうが、それはそれで幸せなことかもしれない。
そして、今日からまた慶太と瑠璃子の奇妙な同居生活が再開されるのであった。
おわり
お読みいただきありがとうございました!