7。化学変化
カイトがドアを開けるとみゆが立っていた。
「ただいま~」
ラジオ番組の収録後、みゆは毎回こうしてカイトのマンションに向かう。
「そろそろ始めなきゃな」
みゆは前年の総選挙では44位を獲得した。今年はそれ以上の伸びが期待されていた。
CDを1枚買うごとに1枚の投票券がついており好きなメンバーに投票することができる。16位以上に入ったメンバーは選抜メンバーとしてシングル曲を歌うことができる。メディアからも大きく注目されるのだ。しかしその分ファンは大量のCDを買わねばならず、効果的かつ狂気に彩られた資金計画が必要となる。
カイトは巨大アングラ掲示板『ディーちゃんねる』を開くと濃ゆいファンが集う『深海アイドル板』に書き込んだ。
「俺達のみゆきちを絶対選抜に送り込むぞ!みゆきちの爆発力でグループに化学変化を起こそう!」
「俺達の力で腐りきった国民的アイドルグループをぶっ壊してやろう!!俺達の狂気見せてやろうぜ!!」
「おう!」「やってやるぜ!」「みゆたん革命だ!」そんな書き込みが続いた。
カイトは更に投票権つきCDの効果的な買い方、オークションサイトの使い方などをベテランファンを装ってファン達にレクチャーした。これから数ヶ月、最大のイベントである『国民的アイドルグループ総選挙』に向けてファンを煽り、教育していくのである。
「わかりやすい!」「メモメモφ(..)」「あ、忘れてた」
好評だ。みゆのファンは元々の『ドルヲタ』は少ない。アイドルには今まであまり関心がなかったものの、みゆの哲学者キャラ、インテリ清純キャラに惹かれてファンになった『一般層』が多い。国民的アイドルグループ独特の選挙戦には慣れていないのでレクチャーしてやる必要があるのだ。
「へっ、バカどもが。シャバいぜ」
「もう、カイトったら」
みゆはさっそく裸エプロンでカイトに甘えている。
カイトはファンの書き込みのひとつに目を留めた。
『みゆたんのママは大丈夫なのかな?』
「んん?そういえばそういう設定があったな」
カイトは去年みゆが44位のスピーチで壇上に立った時、母親が子宮頸がんであること、本当は卒業しようと思っていたことを発表したことを思い出した。
「ひどいわ。ママはお店に出てるのに」
「かー、お前もシャバいな。そんなの気にすることねえ。ママはお腹痛いっていってたんだろ?」
スピーチはカイトが考えてみゆに練習させたものだ。今年用のスピーチ原案も書き上げてある。
「お陰で東京から通えるようになったじゃん?」
大阪に馴染めないみゆのためにカイトが設定を作ってやった。ママの介護をするためとして、みゆは自宅のある東京から、所属する「チームなにわっ子」の本拠地である大阪まで通うことを運営会社から特別に認められた。
「アル中だけど……」
みゆが俯いた。新幹線代や見舞金も支給されている。これにはみゆも少々胸が痛んでいた。
「大丈夫だよ。運営はみゆの将来性を見込んでるんだ。安い投資だよ。お前は推されてるんだから強気にいけばいい。ママだってみゆが頑張ればきっと立ち直るさ」
「覚えてる?」
「え?何を?」
「卒業したら、その、結婚しよう……って」
「え?ああ、覚えてるさ」
「私、もう学校卒業しちゃった」
「でもアイドルの卒業はまだだろ?」
「いつ卒業できるんだろう?私そろそろ疲れてきた。大阪弁は怖いし、気持ち悪い人達と握手したくない。ダンスは疲れるし、麻雀は眠たくなるし、哲学も飽きてきた。早くカイトと暮らしたい。外を一緒に歩きたい。色んな所に一緒に行きたい。だけどよくわからない方向に、何かが、どんどん大きくなっていって、なんだか……」
「みゆが新聞の1面飾れるスターになったときだよ。スタジアムで卒業ライブするのさ。先輩たちみたいに空を飛んだりしてな。ラッパーや地下ロッカーもたくさん呼ぼう。もう少しの辛抱さ。だから頑張ろう。俺のために、ね?」
「わかった!そのかわりカイトも……」
みゆはカイトにしがみついた。
「わかってるって。俺達は『チームみゆたん』なんだよ。二人で1人の『柊みゆ』なんだ」
「リーノはどう思う?」
東京アキバの「国民的アイドルグループ」総本部オフィスでは運営首脳会議が開かれていた。
『炎上女王』リーノこと指浜莉乃がそこにいた。卓越したプロデュース能力を買われ、メンバーでありながらスタッフ会議に参加し、編成についての意見を求められるようになっていた。
この数年、アイドル界屈指の清純正統派・渡來マーユと炎上女王・指浜リーノとの因縁バトル「イブマユ合戦」が興行のメインとして位置づけられてきた。しかしマーユが女優への本格転身のために卒業の意向を示していること、今年で25歳になるリーノも外仕事へと比重をシフトさせつつあることから、中堅・若手メンバーへの世代交代が編成上の重要課題となっていた。
リーノはテーブルに並べられた次世代メンバーたちのパネルを眺めている。
細村チーフが弱りきった声を出す。
「おととしはタナミナ、去年はハルナが抜けて、今年はいよいよマーユも卒業する。次世代の育成と抜擢が必要なのは重々わかってはいるものの……」
他のスタッフたちも腕を組んで難しい顔をしている。ここ数年、満を持して送り出す本店エース候補がどうにも伸び悩んでいるのだ。
リーノは言った。
「若手たちも育ってきてるし、中堅どころも仕上がってきてる。エース候補達も……。サーヤ姉はまず別格として」
そういってジュリア、サクラン、ミオネ、リッカ……。『国民的アイドルグループ』各チームのエース達、エース候補、そして若手たちのパネルをリーノは並べてみせた。
「現状の実力差はこうだけど」
そしてまた並べ替える。
「でも伸び率からいったらこうなる」
その正確な指摘と分析をスタッフたちは食い入るように聞いている。
「総合すると……。こんな感じ」
そうやってリーノはパネルをグルリと放射状にならべてみせた。そして言った。
「私達が若手の頃はチーム数も少なかったし、ただガムシャラにやればファンの人達もついてきてくれた。だけどこれからはそうはいかない」
一人ひとりは力をつけてきているが、それぞれの個性の強さ故に方向性が散漫となっており、グループとしての大きな方向性を示すことができなくなっていた。
「頑張れば頑張るほど、力が分散して、印象が薄れてしまう。そんな悪循環になってる。だから、エースと若手たちの間、若手と中堅達の間、そこを繋ぐ『誰か』が必要となってくる」
「ふーむ。所属グループを超えて連鎖し合える、化学反応を起こせるメンバーってことか?しかしそんなメンバーがリーノの他にいるのかな?そんなヴィジュアルとMC力を持ったメンバーが……」
「ひとりいるわ。荒削りだし……」
(闇もあるけど)
リーノはパネルをぎゅっと中心に集めるとそこから一枚取り出した。
『柊みゆ』のパネルだった。