34、天使のラッパ
背後のシャッターが閉まっている。
「なんやなんやこれ!なんでこんな静かに人知れず閉まってんねん!?」
「緊張感ないのが逆にヤバイわ~」
「ガラガラガラ――ッ!と閉まるんやったらこっちもピンチーってなるんやけどな」
梨奈が駆け寄ってシャッターを叩く。
「アチャー。10分以内には戻れへん確定やな」
「焦ってもしゃあないわ」
軽やかなサウンドが鳴り響く。
シャットダウンしたはずのヤンチュのスマートフォンだ。
「あ、再起動してしもた」
「消さんでええ」
美留が言った。
「ちょっと貸してみそ」
美留はこのホールを検索にかけた。
「なるほどな」
皆が顔を寄せて覗き込む。
「遠隔操作できるねん」
「通路の形を変えることが!?」
「そうや。通路だけやない。このホールは用途に応じて形を変えられる設計やねん」
「なにげに最新式やなあ」
「そのシステムを誰かがハッキングして好き勝手に操作しとる、というわけか?」
「そんなところやろな」
「てことは、うちらこれ、誘導されてるんちゃうん?」
「てことはなんやねん。この先に悪者が待ち構えてるってことかいな!?」
「誘導つか普通に追い込まれてるやん」
「ヤバなってきたぞオイ!!」
「ドッキリどころちゃうな。どこやカメラ?」
精鋭美少女メンバー達の目はしかし言葉とは裏腹に燃え上がっている。
(悪者どもをしばき倒したる!!)
「あのですね……」
最年少のナナミが言った。
「ネコは犬より、そして女は男より衝動的に行動する、といいますよね?」
「論理的になればなるほど創造性は失われるもんや。自由でええねん。特にこういうときは。言うてみ」
「うちらのユニット名なんですよ。『忍者戦隊』じゃ、ちょっとカッコつかへんのやないかと」
「なるほどな。ここまでの展開は予想してなかったからな」
「美留が結成してんからなんか名前つけーや」
「せやな。ほしたら、うちらのユニット名はな、アイドル戦隊・ゴレンチャーイ!!」
アイドルたちは本能的にポーズを決めた。
「どや?」
「ポーズ決めといてあれやけど、ゴレンチャーイはあかんやろ。なんかダサイわ。お笑いコントみたいやん」
「もっと可愛いのがええわー!!」
「なんとかムーンみたいながええわ」
美少女たちは決戦に相応しいユニット名を考えた。軽快な音が鳴った。
「うおっ、なんやねん」
ヤンチュのスマートファンの呼び出し音だ。
「マネージャーか?モニタールーム?」
「あ、そういえばオトナに救援求めるっていう手もあるわな」
「ほんまやん」
ヤンチュが怪訝な顔で画面を見ている。
「知らん番号……つか、なんやねんこれ?」
電話番号ではなく意味のない記号の羅列がディスプレイされている。
ヤンチュは皆の顔を見回した。メンバーたちは頷いた。
皆にも聞こえるようにしてからヤンチュは通話ボタンをプッシュした。
「もしもし……」
相手はしばらく黙っていたが絞り出すような声だ。
「これ以上進むと……、殺す」
メンバーたちは顔を見合わせた。
「なんやこれ、悪者みたいな声やな」
「帰り道封鎖しといて、それでいて来たら殺すって、なんやねんこれ?」
「テンパっとんちゃうん?」
アイドルたちが口々にツッコミを入れた。ヤンチュが怒鳴った。
「やってみんかいワレエ!!」
通話が切れると同時にディスプレイ表示に「圏外」が表示された。
監督、マネージャー、スタッフ長の三人がまさに額を突き合わせて協議を行った。
周囲ではスタッフたちが見守っている。そして結論に達した。
「しゃあないな。」
「無念ですが」
「みゆは勿論ですが、それ以上に、お客様に万が一があってはいけないですからね」
監督がふうっと息を吐いて絞り出すように言った。
「コンサートは中止や」
「仕方ありませんね」
「やむを得ません」
マネージャーとスタッフ長も悔しさにコブシを握りしめた。
「次の曲でラストにする。メンバー全員ステージ裏に招集してくれ」
囲んでいたスタッフたちの中には涙ぐむ者もいる。監督自ら総合プロデューサー秋長康人に連絡を取ろうとする。しかし秋長は出ない。
「先生捕まったらすぐ回線廻して」
スタッフにそう言ってからホールのリーノに決定事項と今後の流れを伝えた。
「……ということでよろしく頼む」
莉乃は笑顔を崩さない。
「みなさーん!声出していけますかー!!人生は勇気、殺気、元気、そしてドキドキ――ッ!!」
早10分が過ぎ20分に差し掛かろうとする。懸命に場を盛り上げる莉乃が舞台袖に合図を送った。
桃花、真央、サラが飛び出してきた。トークからエンディングに向かわなければならない。アクシデント発生の衝撃を和らげ、希望を見いだせるエンディングへとソフトランディングさせる。それは如何に莉乃といえど1人では無理だ。
「リーノさーん!!」
「久しぶりー!!」
「いやー、ほんまのサプライズですわー!!リハにもおられませんでしたよね」
「一応サプライズだからね。屋根裏にこっそり待機してましたあ~。みんなのことじーっと見てたからね!こうやって」と覗き見するポーズ。
「いやいや。一緒に待機しましょうよ」
勘のいいファンが推測にかかわらず面白半分に断定してしまうのであるが、真実がもつ重みは往々にして信憑性の確信を大多数に抱かせるものである。
「みゆがいなくなったっぽい」
「それだな」
「リーノが頑張って繋いでる。これスタッフ全力会議中だろう」
「中止だろうな」
ディープなファン用アングラネット掲示板『ディープちゃんねる』の「深海アイドル板」(通称国民的グループアイドル板)にはスレッドが立ち始めた。
「【悲報】柊みゆコンサート中に失踪!!」
「【大悲報】柊みゆコンサート中に拉致監禁される!!【中止待ったなし!】」
「【大悲報】柊みゆコンサート中に拉致監禁される!!part5【金返せ!!】」
「【超悲報】柊みゆコンサート中に拉致監禁される!!part9【解散待ったなし!!】
スレッド消費量が加速していく。当然モニタールームの監督以下、スタッフたちもネットを注視している。
「監督!スレが立ちました!」
監督の額に汗が滲む。想定よりも早い。アナウンスを早めなければならない。御用マスコミには「協力」を要請し、つまりは箝口令を敷いた。
「秋長先生はまだ捕まらない?」
スタッフと今後の工程を協議し、指示を出しながら監督は苛立った調子で言った。秋長康人に報告せずに中止を公式発表することはできない。マネージャーが首を振る。監督は腕を組んでギュッと目をつぶった。声が聞こえる。
「もう少し待ってみてもいいんじゃないかな?」
「あ!?それは山々やけど。万が一があったらどうすんねん。お客さんが巻き込まれたりしたら。悪者達はテロリストかもしれんへんのやぞ!?」
「ボクが責任を取る、といってもかい?」
「責任とれんのかいっ!?グループ全体に関わってくる問題やぞ!……っていうか今の声はだれや!?」
「我々の他には誰もいません」
スタッフたちがざわめいた。またしても何者かの声が響いた。
「だからボクが責任取ると言ってる」
入り口ドアの辺りに誰かが立っている。スタッフたちが一斉に振り返った。
「ああっ!」
巨体を揺すりながらモニタールームに入ってきた男にスタッフたちが一斉に慄き、道を開ける。
監督、そしてチーフマネージャー、スタッフ長が一斉に駆け寄った。
「秋長先生ッ!!」
国民的アイドルグループ総合プロデューサーにして芸能界のゴッドファーザー・秋長康人だった。
「イテッ、いててッ!」
ホールの外で「音漏れ」を楽しんでいたファンたちが一斉に逃げ惑った。突如として空が曇り、雹が降り出したのだ。
「天使がラッパを吹く時、雹と火が生じるという」
秋長が静かに言った。モニタールームの窓にも雹が激突する音が鳴り響く。
「うわっ!」
スタッフの1人が窓に近づいた瞬間雷鳴が轟いた。チェアーにどっかりと腰を下ろすと秋長康人は笑みを浮かべた。
「神様も見たがっている」
そう言って公演パンフレットを手に取った。柊みゆと松下ジュリアのシルエットが描かれていた。
巨大文字で打たれた「激突!」の文字とともに。
「そして第二の天使がラッパを吹く時、海の三分の一は血に変わるという……」
そう言いながら貫禄のある男がドアを開けて入ってきた。
「これはこれは門倉さん。ご無沙汰しております」
振り返った秋長康人が立ち上がって迎えるのは中京ビッグトレイルの門倉本部長だ。中止の報告を聞いて駆けつけてきたのだ。無論ジュリアを無事に連れ帰るためである。
「海の中の若者達を血に溺れさせる訳にはいかない。コンプライアンスの面からも大問題になりかねない」
秋長康人は信念の人ではあるが猪突猛進の人ではない。名古屋を拠点とする世界企業・中京ビッグトレイルはジュリアのスポンサーであるのみならず、国民的アイドルグループの活動全般に渡る資材や人脈をサポートする有力提携先である。門倉本部長は中京グループ総帥・星野大仙社長の側近でもある。その言葉は星野総帥の意見と考えてもいい。
「ううむ……」
さしもの秋長康人も唸った。窓を更に激しく雹が打ち、雷鳴が轟く。
「あちらの窓は荒れ模様だ。こちらの内側の窓は、というと……」
その視線は内側の窓、つまりここ総合司令モニタールームから会場全体、ステージから客席、天空席までを見渡せるパノラマの窓の先を見ている。秋長は立ち上がって窓の側に行くと会場全体を眺めた。呟くように言った。
「ジュリアは、なんと言うのだろう?」
ジュリアがこの公演のために並々ならぬ意欲を燃やしていたことは門倉とて承知している。しかし立場上言わねばならない。
「ジュリアも18歳。もう大人です。秋長君、決断を!」




