25。ハイスパット
自らのドレッシングルームに戻るとジュリアは衣装の上に更に武士の裃をイメージした特別ステージ衣装を身に着けた。その上にさらに絢爛に黄金ラメがあしらわれたマントを羽織る。
長いハチマキをギュッとシメて大鏡の前に立つ。太刀を構える美少女剣士がそこにいた。
ステップを踏み回転しながら羽織った衣装を脱ぎ捨て、決めのポーズを取る。
投げ上げた太刀を空中で回転させる間に身体をスピンさせながら戦国美剣士から美少女アイドルへと変身するイメージである。
本公演でのハイライトとなる『皇帝』松下ジュリア登場シーンを入念に繰り返した。
「ふぅ……」
ジュリアの辞書には「こんなものか」という言葉は存在しない。出演時間ギリギリまで何度でも納得が行くまでステップを踏み続けるのである。長くつややかな黒髪の一本ずつまで、どのように観客から見えるのか?イメージしながら最終調整を続ける。
「いやはや、至れり尽くせりだねっ!」
「ほんとそうですよね!」
思わずジュリアが口にするとマコも同意する。
「ジュリア先輩が来てから開、こうと、思って……、いたので」
「なぜに口ごもる!?なぜに口ごもる!?」
マコが軽やかに突っ込む。みゆの頬を伝う涙があった。
「おいおい、なぜに涙ぐむ!?どうしたどうした」
ジュリアとマコがポンポンとみゆの肩や背中を叩いた。
「嬉しいっす。企画が、私の企画が、お二人のようなスターに届くと思うと、嬉しくて……」
袋とじの中に綴じ込まれていた『裏台本』には4分20秒からジュリアに対して『タメ口』を使い始めること。そして8分頃に『こいつバカなんですよ!!』と指をさすことなどが書かれており、そこに至るまでの段取りとその意図するところが詳細に説明された。
運営公認の表台本を無視した場合、『査定』の対象となり、つまりは雇い主である運営KKS社に対する造反とみなされ、『干され』へと転落する危険をはらむ。しかし総合プロデューサーであり「いくさ人」である秋長康人は台本通りに演じるメンバーを本心から愛することはない。
「普通の」アイドル達が密かに打ち合わせをするのは表の台本に沿ったストーリーである。
今日柊みゆ達、将来のセンター候補達が打ち合わせたのは表の台本を破壊する「裏の台本」である。
踊りながら瞑想していたジュリアは思う。
「うちらの人生、そのストーリーを決めるのはオトナが書いた台本じゃない。うちら自身だ!この道のどこかで倒れても、私の人生だ!ちっぽけな角砂糖に群れをなすアリにはならない!」
気合とともに目を見開き、ポーズを決めた。
「これだよ、これ!」
ふうっと息を吐き出し汗を拭ったジュリアは再び目を伏せると思った。
(なるほど、あれが……)
他にもう一枚のペーパーが折りたたむようにしまい込まれていた『第三の台本』。
(ハイスパットか……)
『ハイスパット』(ハイスパート)とは「見せ場」を意味する隠語である。転じて見せ場において使う切り札のこと、つまり相手を仕留めるための「必殺技」である。柊みゆが周到に用意し本番で叩き込んでくる『シュート』を超えた『ハイスパット』。
「こっちは『殺し間』に誘われるアリってわけか」
笑みを浮かべてみせたがジュリアは今まで感じたことのない戦慄を拭い去ることができない。
(受けきれるのか……!?)
そしてまたみゆの瞳、そして涙を思い出した。
『これまでの傾向から本公演における行動を予測するに、柊みゆは4分を過ぎたあたりで何らかの「シュート」を仕掛けてくると思われる。』
「わーすー」こと諏訪亜里沙が用意してくれた『柊みゆ対策ノート』。みゆが仕掛けてくると思われる『シュート』、つまり危険なアドリブとそれらへの対応トークが事細かに記載されている。ジュリアのキャラが正確に把握されており、「対応トーク」もユーモラスでありながら決してジュリアのカリスマ性を傷つけない、そんな配慮が行き届いていた。
「さすがわーすーだ」
ジュリアは長年の戦友の観察眼に微笑ましく舌を巻いた。確かに4分20秒からみゆは「シュート」を仕掛ける。しかしそれはみゆ自身の口から語られたことである。『柊みゆ対策ノート』は『裏台本』がジュリアには伏せられ、本番でいきなり「ぶっ込まれる」ことを想定して書かれたものだ。
『クゴナス食らわすぞ!』
「クゴナスって……」
ジュリアは苦笑した。名古屋地方で唐辛子を意味する方言である。
しかしお嬢様女子大に通う諏訪は都市部である金山出身であることを思い出した。
「クゴナス」を使うのは名古屋でも「イナカ」とされる地区、つまりジュリアの出身地周辺だけだ。
「まさかこれって……?」
この「柊みゆ対策ノート」を作ったのは諏訪ではないのだ。
「わーすーが作ったものじゃない?だとすれば……。そしてここまで、こんなにも私のことを……」
では誰が?ジュリアと同じ地域出身でジュリアをここまで知っている人物。
「ヒロシ……」
ノートは灘井浩が夜を徹しながら作成して諏訪亜里沙に託したものだった。
『尚ここで想定する「裏台本」の他に「奴」は『第三の(裏)台本』を仕込んでいる可能性がある。というより「確実」と見るべきだろう。ややもすれば事前に裏台本の存在を明かして油断させながら、本番では『第三の台本』にて密かに用意された何らかの、極めて危険な手段を「ぶっ込んで」くる可能性がある。いや、極めて高い確率で「ある」と見るべきだろう。奴には得体の知れない何かしらの力がある。本職の作家を雇っている可能性も否めない。「奴ら」が何を考えているのかはきっとそのうちわかるだろう。今からその対策を記す。どうかいつものように「いいよそんなの!」と強気にならずにしっかりと読んで欲しい。ジュリア自身とチャーミーズ、関わっている多くの家庭を背負った大人たち、そして我らが名古屋の未来のために』
ジュリアはいつも何かとつきまとい、騒ぎ立てるヒロシを思った。彼は自分の前ではいつも意地を張るジュリアが突き返すと思ったから「対策ノート」を諏訪に託したのだ。
「仕事だからだと、思ってたけど。いや、思おうとしてきたんだ」
胸が苦しい。だけど温かい。その感情は涙となってジュリアの目から溢れ出す。
「私、ヒロシのことが、好……き……、なんだ」
ジュリアは窓に映る自分、その瞳を見た。柊みゆの瞳を思い出した。




