15。プロの道
廊下の向こうにホールへの入口が見えてきた。その向うからはリハーサルの音楽と掛け声が聞こえてくる。時折舞台監督の激しい叱責の声、気合を入れるサーヤの掛け声が響く。
「うわー、さすが『なにわっ子』。すごい迫力だ。」
マコがみゆにウィンクしてみせる。ウィンクに理由があるとは思えない。これがアイドルの習性だろう。
「今日は特に気合入ってます。スペシャル!なゲストをお招きしてますからね」
「なんだか震えてきた」
そういいながら体を震わせたダンス名手のマコの頬が上気してゆく。震えは武者震いだ。
マコの体温がグッと上がってくるのが繋いだ手からみゆにも伝わる。
「踊れるっていいっすね」
「みゆだってスジは悪くないよ。研究生期間ナシでゼロから始めたわけだし……」
「ま!スジですって!」
「ん……?ああ、そういうことか。なんでもすぐ下ネタに持っていくんだから!」
「だけど足開きまくって汗かきまくってるとスジもポッチもどうでもよくなりますよね」
公演本番間近のレッスン場ではアイドルたちが怒号をあげ、泣き叫びながら練習を繰り返す。
汗まみれ涙まみれで唾やヨダレを吐きながら床を転がりまわるのである。
ときには理由もなくお互い泣きながらの掴み合いのケンカに発展することもある。
「ファンには見せられない姿だね」
「そういう裏側を観れるのは貴重な経験ですね。アイドルやっててよかったという瞬間ですよ」
「ははは。だけど職業アイドルというのは存在しないんだよね」
マコはそういってクレジットカードを申込んだときの話をした。職業欄になんと書くか?
「自営業なんだよね」
何度申し込んでも審査が通らず、結局親名義の家族カードを発行してもらった。
「自分で部屋も借りられないからね」
マコ達は次世代メンバーとしてメディアに大きく扱われながらも居住するのは所属事務所『KKS』が借り上げたマンションでの共同生活である。
「でもこうしてプロになったんだ。いっぱいギャラ稼いで豪華億ションに住んでやりたいね。でっかい犬と一緒に。お母さんも呼んでみんなで暮らすんだ」
みゆは少々後ろめたい。母親の病気を理由に単身赴任を認められているのである。
「ジュリアさんは高級マンションに一人住まいらしいですね」
『サカエチャーミーズ』のエースであり『国民的アイドルグループ』のみならず、これからのアイドル界を背負って立つ存在である松下ジュリア。名古屋財界のバックアップによって11歳の頃からサカエの一等地にある超高級マンションの他、遠征用に東京都心にもセカンドハウスを与えられている。
「格が違うからね~」
「ジュリアさんは皇帝っすからね、皇帝」
それにしても……、とマコはアイドルスマイルでみゆを見た。みゆは思わず頬を赤らめた。
「みゆがいてくれて助かったよ!」
「いやいや、そんな」
「東京モンの私が『なにわっ子』さんのステージに特別ゲストなんて、全くありがたく恐れ多いことだけど、アウェイ感ハンパないからね」
大阪ナンサン通りを本拠とする『なにわっ子』はプロ野球・京阪ダイアーズの応援団も務めており、東京を本拠とする侍ジャイガンツとは宿命のライバルであるように、東京及び東京モンへの敵愾心は非常に強い。
「いやいや、なにわっ子のメンバーやファンは案外東京モンには優しいですよ。ミワリン先輩やレイミー先輩が先に来て苦労してくださったこともあるし……。」
確かに市原美和や藤野レイミという全国知名度もある中堅スターメンバーが「チーム・レジェンド」から「シャッフル・ユニット」形式で送り込まれており、本場東京のアイドル・スタイルを大阪のファンに伝えたことで「なにわっ子」と「レジェンド」のファンの間には以前ほどの軋轢はなくなっていた。
「だけど問題は……」
みゆとマコは顔を見合わせた。
「大阪VS名古屋、か」
山本サーヤ、柊みゆを初めとして大阪「なにわっ子」は美形ルックスメンバー揃いである。それに対してダンスと本格パフォーマンスを追求してきた名古屋「チャーミーズ」はアイドルとして最も重要な「ルックス」が弱点であると言われてきた。
事の発端や、どちらサイドが先に仕掛けたのかは不明である。
「サカエはブスだらけ!」「ナニワはちっとも踊れてない!」
『ディーちゃんねる』のファン掲示板で始まったイザコザはやがて拡大し、ライブ現場や物販エリアでの罵り合いからの小競り合い、やがては乱闘騒ぎ、双方のトレーディング場所(ファン同士によるグッズ交換会)の荒し合い、襲撃事件へと発展し、メンバーや運営が和解を呼びかけても一向に収まる気配がなかった。
今日の「なにわっ子」のライブには『名古屋の皇帝』こと松下ジュリアが特別参戦する。会場には名古屋からの遠征組、熱狂的ファンも大勢詰めかけているのだ。「皇帝様」ジュリアを盛り立て、「邪悪な大阪モン」たちから守るために決死の覚悟を決めている。既に会場外では開場待ちの大阪陣営と名古屋陣営との間で小競り合いがあったという。警備員もいつもの2倍が配置されている。
みゆは胸元に突っ込んである台本に目を落とした。今日この数時間後、ステージの上でその圧倒的カリスマである松下ジュリアを指差し「こいつバカなんですよ!」と「アドリブで」叫ばなければならないのである。
「バッチリ成功させようね!」
言いながらホールの扉をマコが開ける。ミュージックが二人を包む。
「うん!」
みゆはマコにアイドルスマイルを向けた。
「プロをみせたるでえ!」




