11。アドリブのリハーサル
「おはようございま―す!!」
入ってきたのはコヒマコこと小比類巻真子だ。
「おはようございます!」
ステージ上の「なにわっ子」の若手たちが元気よく挨拶をする。
午前中から何度かリハを繰り返しているのですっかり汗塗れだ。
「おー!マコちゅあーん」
サーヤ姉ことキャプテン山本サーヤが手をあげるとマコは小走りに駆け寄った。
「おはようございます!今日は宜しくお願いします!」
「おう。次は通しでやりながらマコちゃんにも入ってもらうから」
「はい!オナシャス!」
マコがきょろきょろと見回す。
「ジュリアさんは?」
サーヤがうーんと顔をしかめる。
「どうなん?」と舞台監督の方を見る。
「それがなあ。スケジュールの都合で遅れてるねん。もうすぐ来るとは聞いてるけどな。まぁいまんとこ未定や」
マコはファンたちから「タヌキ」と呼ばれるおっとりした風貌には似つかわしくない凄腕ダンス技術の持ち主である。しかしジュリアの超絶ダンスに対応するにはリハの段階から充分にリズムとタイミングを合わせておく必要があった。
「そうですか。ちょっと不安ですね。あ、それと柊みゆは?ここにもいないようですが楽屋にもいませんでした」
「みゆは給湯室でなんかブツブツゆうてるわ」
給湯室の前で立ち止まるマコにブツブツと何やら繰り返す声が聞こえる。
「えー、本日は国民的アイドルグループ「チームなにわっ子」単独ライブにお越しいただきぃ」
ドアを開けると柊みゆが台本を睨みつけて何度も繰り返し読み上げている。
「おっはよ!」
「うわわっ!マコリン先輩!驚かさないでくださいよ!」
「こっちこそびっくりするわ!なんでこんなところでブツブツ」
「いやぁ、ここが落ち着くんですわ」
みゆの台本にはびっしりと黒字と赤字で書き込みが入っている。
黒字はあくまでも台本に沿って言い回しを崩したパターンが数種類、赤字はアドリブ予定候補のセリフで、これも数種類用意されている。みゆはその全てを暗記しているのである。
「へー、『アドリブのみゆ』『ぶっ込みのみゆ』ってこうやってできるんだ」
「ええ、私はアドリブなんてできませんからね。予想されるセリフを全部作って憶えておかないと。使わないセリフのほうが多いですけどね」
「ほうほう。でさ、ジュリアさんが……」
みゆはガバッと立ち上がった。
「うわわあ!ジュリアさん来られたんですか!ご挨拶行かなきゃ!」
給湯室から走り出そうとするのをマコが止める。
「いや、もうしばらく遅れるって」
「そ、そうっすか。じゃマコリン先輩、ひとつ合わせておきますか」
「そうだね」
「このタイミングで私がこの前の『ディーちゃんねる』の炎上ネタをぶっ込みますから、マコリン先輩は『それやめて、マジでやめて、私マジ聞いてないから!』」
「ここのさ、『台本に書いてないしー!』っていうセリフはわざとらしいよね」
「そうっすよね。カットしましょう。その代わり『さっき楽屋でボソッと私キレたぬきじゃんって言ってましたよね』と私がいいますから」
「それいいね。『いわないよ!』」
「『いい加減にしてよ!』まで入れてガチギレっぽくしましょう」
「『さっき楽屋で言ってましたよね。ボソッと、私キレたぬきじゃん!って』」
「『言わないよ!いい加減にしてよ!チッ』」
「『うわーっ!アイドルがチッって舌打ちしましたよ!』」
狭い給湯室でお互いの息を絡ませながら、みゆとマコはアドリブ(に見せる)トークを繰り返し申し合わせた。
「いいねー。これで会場バカウケだよ!」
「だといいんですが、お客の沸点次第ではプランBが必要かもしんない」
「ほんと徹底してるね~」
「私、芸がないっすからね。マコリン先輩みたいにダンスもできないし……」
「みゆはだけど、色んな分野を開拓して努力してるじゃん。リーノさんも言ってたけど、王道に拘るより未知の分野に進出したほうがチャンスは広がるって」
「明るく楽しく激しい王道アイドルのマコリン先輩から言われると説得力がありますね!」
みゆの軽い皮肉をマコは笑い飛ばす。身体をよじるマコの甘い香水と体臭がみゆのそれらと混じり合う。
「今回の総合MCもリーノさんが推薦してくれたらしいよ」
「ま、マジっすか!」
「それにしてもさ」
マコが改めてみゆの台本をまじまじと眺める。
「この赤ペン、アドリブのタイミング、よくわかるよね。感心するよ」
「あ、ありがとうっす」
カイトが線を入れたところをみゆが赤字でマークし、肉付けしたものだ。
「でもこっちはなんか白くない?」
みゆの台本は、それぞれのページの上に何枚もコピーしたページを更に貼り付けてあり、それぞれに別パターン、起こり得る事態を想定した各セリフやアイデアが書き込んであった。
しかし、その途中に数ページに渡って、袋とじのように上から紙を貼り付けてあるものの、綺麗なままのページ群が存在する。
マコがページに手を伸ばし、めくろうとする。みゆが身体をのけぞらせるようにして台本に触らせない。その顔には笑顔がない。
「なに?どうしたの?」
マコが苦笑いしたあとで独特の「マコリップ」と呼ばれるへの字口になると再度みゆの台本に手を伸ばした。かわしたみゆを丁度マコが壁に押し付ける形になった。
「マコ先輩、いい匂いがしますね」
マコが自分の額をみゆの額に押し付ける。
「熱、あるじゃん」
「大丈夫っすよ」
みゆは荒い息を吐いた。そして少し咳き込んだ。吐き気も止まらない。




