表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
諜報部隊A班の調査記録  作者: 山あり谷あり
1/2

初任務の進行過程~其ノ壱

␣は、空白を意味しているものなので、お気になさらず読んで下さいませ

␣窓一つ無い真っ暗な廊下にポツリと浮かぶ緑の非常口マーク。かなり前に設置されたのか、ホコリを被って汚れているその灯りの下には、一つのドアが設置されている。ドアの向こうからは、一向に止まない風の音が微かに聞こえてくるだけ。

␣そんなドアのノブからは、風の音に紛れてカチカチといった別の音が鳴っている。その音は十秒もしないうちに止まり、代わりにドアノブが回る。

␣キィッと金属同士が擦れる音を暗い廊下に響かせながら、ドアが開く。ドアの向こうには、20代程の若い男と、同じく20代程のこちらは女がいた。

␣男は黒髪のショートヘアで顔立ちが良く、一見日本人に見えるが、彼の出身は中東諸国であり、そう言われるとそう見える様な顔立ちだ。

␣一方女性は、明らかに欧米人の顔立ちで、鼻が高く、髪色も金髪なのでモデルに見えてしまう。

␣二人の服装はお互い、黒のパーカー、黒のパンツ、黒のタクティカルブーツ、黒のリュックと黒一色で染まっており、影や灯りの無い場所では殆ど見えないほど。女は金髪を隠す為か、黒のニット帽を被っている。

␣二人は手元にある小型のライトで廊下を照らしながら奥へ入っていく。かなりの速さで歩いているにも関わらず、二人の足音は微塵も聞こえない。

␣かなり進んだ所に、一つの扉があった。今まで通ってきた廊下で見た扉と、なんら変わらない普通の扉。その扉の上には、プレートが貼り付けられており、プレートには黒文字で「機密調査書類保管所」と書かれている。

「It is here.」

␣男はそこで初めて口を開いた。女も同意するように頷く。ドアにはガラス等は無く、中の様子は伺えないが、事前の調査で今日は誰もいない事を確認済だ。

␣女が扉の南京錠の解除に取り掛かる間、男は来た方向の廊下を注視する。安全の確認が取れるまで常に気を配る事を徹底して教えられてきた彼は、常に視線を廊下に集中させる。

␣一分も経たないうちに、後ろからカチリと何かが外れる音がし、次いで

「OK」

␣と女が言葉を発する。男は集中を解いて、素早く保管所に侵入する。

␣そこには、高さ3mはあろう金属製の棚が均等に並んでおり、棚には大量のダンボール箱が敷き詰められていた。このどれかに伝説の傭兵が隠れていそうな気もしないが、彼らがここに来た理由はそれではない。

␣男は背中に背負っていたリュックを下ろし、中からトランシーバーの様な黒くて四角い物を取り出した。それには、スイッチの様なレバーと何かの波長を合わせる為のダイヤルが付いているだけ。

␣男はトランシーバーもどきのスイッチを入れ、ダイヤルを小刻みに回していく。暫く回していると、どこからか音が聞こえてきた。何かを揺らす様な音だ。女もそれに気付いたのか、音の聞こえる方へ歩いていく。男も黙ってそれに付いて行く。

␣歩いて行くにつれ、音が次第に大きくなる。かなり近づいたと思ったその時、女が急に立ち止まり、上を見上げる。

␣音は確かに、女が見上げる棚の方から聞こえてきていた。

「Ladder.」

␣女は男にハシゴを要求。男は黙ってトランシーバーもどきを女に投げ渡すと、元々設置されていた可動式のハシゴをレールに乗せて持ってくる。

␣女は再度、男にトランシーバーもどきを投げ返し、ハシゴを素早く登っていく。

␣暗い倉庫の棚をライトで照らすと、並べられたダンボール箱の一つが小刻みに震えていた。箱の側面を見ると小さな文字で「警察庁裏金調査報告書」と書かれており、事前に受けたミーティングで見たものと同じだと確信した女は、箱を手に取り、下にいる男にライトで二回点滅の合図を出す。

␣それを確認した男は、トランシーバーもどきのスイッチを切り、リュックに戻すと今度は横に長い棒状の物を取り出す。その棒状の物からは一本の配線が付いており、男は配線の先を自らの携帯端末と繋げる。すると棒から同じ長さの赤外線が現れ、起動する。

␣これは携帯型の小型コピー機械で、赤外線で映した物を専用の端末に保存出来るという優れもの。立体的な物にも対応しているが、今回はダンボール箱自体では無くその中身に用があった。

␣一方降りてきた女は、男が小型コピー機をセットしている横でダンボールを開封し、中をまさぐっていた。書類でビッシリと敷き詰められていた中から、一枚の書類を取り出す。それを手際良く男に渡し、男は書類を上から小型コピー機でなぞっていく。携帯端末には赤外線で読み取った部分を鮮明に記録した物が映されている。

␣最後まで読み取ると、携帯端末に「complete」と表示された。男はそれを確認すると、手際良く小型コピー機をリュックにしまう。女も、書類を元あった位置に戻し、もう一度ハシゴを登ってダンボール箱を棚に戻す。その時だった。

␣けたたましいサイレンが、警視庁全体に鳴り響いたのは――。



␣目を覚ますと、そこには見慣れない綺麗な青空が広がっていた。見慣れないというのは、ここ最近までずっと窓をカーテンで隠していた部屋で寝泊まりをしていたのが理由だ。それに、俺の故郷では青空の下に銃弾と煙がとっ散らかっているので、別の意味でもこの青空は珍しかった。

␣何も無い綺麗な空。それをいつまでも見続けていたかったが、今はそれどころではない。

␣まず最初に、何故に俺が青空の下で目を覚ましているのかという状況についてだが、率直に述べると「寝泊りする場所が無い」という事なのだ。

␣ホームレスとかそういう事ではないんだが、以前使用していたセーフハウスは、一昨日の任務の失敗で使用不可になってしまったのが最大の理由。

␣そう、相棒のチュードと共に遂行した「警視庁潜入任務」。

␣目的は、警視庁の横領裏金問題の真相を祖国に持ち帰り、報告すること。つまり、日本の警察機関を意のままに操る材料を揃えることだ、端的に言えば。

␣その為に、俺とチュードの様な潜入捜査員を送りこんだ…のだが。

␣あの日、俺達は任務を失敗した。何が原因かは分からないが、ともかく俺達は失敗したのだ。突然警報装置が作動し、警視庁全体が騒がしくなった。そんな状況の中を掻い潜るのは至難の技で、途中、チュードとは別行動をとり、お互い暫く会わない約束を交わし、チュードと別れたが、これが仇となった。チュードがいないお陰で、任務を開始する寸前まで使用していたワンルームのセーフハウスは、いつ警察が突き止めるが分からない状態なので迂闊に使用出来ない。本来、二人で周囲の監視を交代でしつつ、もう片方が休息を取るのがベストなのだが、別れてしまった以上、一人で使用するのも危険な賭けになる。

␣携帯端末での連絡も取っていない。いつ会話を傍受されるか分からない状況で使用するのも危ないからだ。チュードも同じ考えなのか、連絡を一切寄越してこない。

␣何はともあれ、そういう状況に陥っている俺は仕方無く、公園のベンチで睡眠をとっていた。さすがに全身黒の格好でいるのも不自然なので、パーカーは脱いでいるが、それでも黒のタクティカルブーツと特殊素材のパンツはどう見てもホームレスの形には見えない。

␣それに、日本人からすれば俺は外国人に当たるため、ホームレスと言うよりは不審者に見えてもおかしくない。通報されるのもタチが悪いし、かと言って街中を歩き回るのも危険が伴う。

␣やがて、俺の腹が鳴り出す。そういえば、昨日の夜から何も食べてない事に気付いた俺は、軍資金として渡された日本の金銭を手に、二日間寝泊りした公園を後にした。


␣暫くすると、大通りに出た。朝の通勤時間帯なのか、車やバスが止まることなく走り続けている。こんな光景も、故郷ではなかなか見られない。

␣そう思った時、再びお腹が悲鳴をあげる。とにかく食事だ。確か日本にはコンビニがあると聞いたが、大通りに面した建物はどれもカラフルで、コンビニがどれかなんて俺には分からない。

␣とりあえず、それらしい店を探しながら歩くこと10分。カタカナでコンビニエンスストアと書かれた看板の建物を発見。中に入り、食べ物のコーナーらしい棚を見やる。そこには、日本のおむすびやサンドイッチがずらりと並べられている。だが、俺が目をつけたのはその陳列棚の一番下にある物だった。

「…これが、コンビニ弁当か。」

␣初めて目にするコンビニ弁当。ここ日本に来てからパンしか食べてなかった俺にとって、それは高級食材が詰め込まれた宝箱の様に見えた。

「確か、幕の内弁当が美味しいとか…。」

␣俺はラベルに「幕の内弁当」と書かれた弁当を手に取る。白米の上に乗っかる梅干しが、ルビーの様に輝いて見える。弁当一つに大袈裟と思うだろうが、この時の俺は、いわゆる田舎者同然で、故郷でもこんな物を食べた事は無かったこともあってか、弁当を持つ手は震えていた。

␣弁当だけじゃ物足りないと思い、500mlのお茶も手にし、いざレジに並ぶが、朝という事もあってか数人の先客が並んでいた。俺もその列の最後尾に並び、今か今かと子供のように何度も前を見やり、ようやく回ってきた俺のターン。

␣いざレジに高級食材達を置こうとしたその時、突如横から別の物が俺の高級食材よりも先にレジに置かれた。この状況を飲み込めない俺は、とりあえず横を見る。

␣最初に目に入ったのは汚い金髪だった。汚いという表現はやや下品かもしれないが、言い表すならそれが一番しっくりくるぐらいの汚さだった。いつ染めたかも分からない金髪は、伸びてきたのか根元が黒になっており、中途半端な髪色は汚さを醸し出している。それに、チュードの純粋な金髪を見ているせいもあって、よほど汚く見える。

␣次に全身黒で染まった服装だ。確か、日本の学生はこのような服、通称「学生服」を着ると聞いたが、にしてはかなり着崩していて、一度見た資料の写真とはかなり格好が違う。

␣レジに立つ女性の店員も事態を飲み込めないのか、俺と金髪の学生を交互に見ながらおどおどしくなっている。

「おねぇちゃん早くしてよ。俺、彼女待たせてんだよぉ。」

␣最初に口を開いたのは金髪学生だった。手に持ったペットボトルの飲料水でレジのカウンターに軽く叩く。

「お、お客様、ちゃんと列にお並びくださ…。」

「待てねぇよそんなに。このオッチャンの弁当よりこっちのが早く終わんじゃん。」

␣オッチャン…俺の事か?そんなに老けてるのか…。いや、今はそれどころではない。

␣どうやらこの金髪学生は、レジを待つ事が嫌で横入りしてきたようだ。確かに、この学生の言うこともあながち間違ってはいない。会計にかかる時間は、弁当と飲料水の俺よりも金髪学生の持つ飲料水だけの方が少しだが早く済ませれると思う。

␣こういうシチュエーションは、日本に来る前に講習を受けているので対処法は分かっていた。素直に譲れば、余計な騒ぎも起さずに事は終わる。そう教わった。

␣だが、この時の俺はそういう気分ではなかった。簡単に言うと、餌を前にお預けをくらう犬のような状態。列に並んでようやく回ってきた俺のターンなのだ。簡単に譲る気持ちにはなれなかった。

「…しかしお客様、他の方も並ばれておりますので、どうか順番を…。」

「だーかーらー、他の奴待つより俺のが早く終わるから早く済ませてくれって言ってんの。分かる?」

␣金髪学生は尚も引き下がろうとしない。余程急いでいるのだろうか。だが、このまま話し合ってもジリ貧になっていることに気付いていないのだろうか。

「…少年。」

␣俺は金髪学生に声をかける。金髪学生はこちらを見上げるように睨みつけてくる。

「…何?オッサン。文句あんの?」

␣その声音や表情には、どこか俺を見下している様な雰囲気を出している。…こんなに生意気な学生がいるとは聞いていない。あらかたの日本に関する情報は頭に入れてたはずだが、まさかこんなところで対応に困る案件があるとは予想外だった。

「後ろの人達も並んでいたんだ。君も同じ日本人ならマナーに従った方がいいと思うが。」

␣とりあえず、俺は正論を真正面から言ってみた。こういう場合、遠回しに言えばいいのか揶揄すればいいのか分からない。日本の学生というのは、なかなか面倒臭い。

「は?何正論言っちゃってんの?恥ずかしいわ。」

␣訂正、物凄く面倒臭い。どうやらこの学生にとって、正論を言うのは恥ずかしい行為にあたるらしい。何が恥ずかしいのかよく分からないが、ここで引くのは許されないと感じた。

「正論で何が悪い。では君は俺の言った正論に対して別の正論があるというのか?」

「だから言ってんだろ?オッサンのもんレジするより俺のが早く終わるってよ。」

「それは正論ではなく君の都合だろ。俺が言ってるのは俺を含め後ろの方々を納得させれる様な正論があるのかと聞いたんだ。」

␣さすがにこれだけの事を言えば引き下がると思ったが、学生はまだ粘ってくる。なかなかのしつこさに、店の雰囲気もなんだか悪くなってきている。特にスーツを着た男性は、時間が迫っているのか腕時計を何度も見やる。

␣さっきの感情も学生のしつこさに薄れていき、諦めて譲ろうかとした時だった。

「…おいオッサン、ちょっと表出ろよ。」

␣金髪学生は俺を睨みながらそう言った。店の雰囲気に気付いたのか、俺と一緒に出ようということか。確かに、騒ぎを起こした二人がいると店の雰囲気も戻らないかもしれない。

「あぁ、分かった。」

␣俺は弁当と飲料水をレジに置いて出口に向かった。すれ違う人々は、何故か心配そうに俺を見る。その視線の意味に、俺はまだ気付かなかった。


␣店を出て数分。学生に連れられるまま俺は歩き、着いたのは裏路地だった。日が昇っているのにも関わらず、建物にはばかられて日が当たらず暗い。

「…ここは?」

␣振り返りながら俺は金髪学生に問う。金髪学生は来た道に立ち尽くしている。その傍らには女性もいる。資料で見た女性用の学生服を着ていることから金髪学生と歳が近い様だが、化粧が濃いのか老けて見える。どうやらあの娘が金髪学生の言っていた彼女らしい。

「…オッサン、調子乗りすぎ。」

␣金髪学生が俺を未だ睨みながら詰め寄ってくる。その顔には、先程の見下す様な雰囲気は無く、怒りに満ちている。恐らく、怒っている理由は俺の正論攻めによる事だろう。言い返せない不満が溜まり、実力行使に移行したのだろう。金髪学生はポケットから穴の空いた金属製の板を取り出す。穴は五つ、大きさも異なり、金髪学生はその穴に指をはめる。近接武器の一つ、メリケンサックだ。

␣こんなところでお目にかかるとは思っても見なかったが、日本の法律上、銃刀法というものがある以上、無闇に銃やナイフといった物は持てない。金髪学生はその法律の目をかいくぐれるメリケンサックに目をつけたのだろうか。まぁ、そんな事はどうでもいい。

「気まづくなって出てきたのではないのか?」

「は?オッサン馬鹿なの?表に出るってのはこーいう事なんだよ。」

「…そうか。勉強になった。」

␣俺は感謝の意味を込めて言ったのだが、どうやら逆に金髪学生の癇に障ったらしい。みるみる顔が赤くなり、額に血管を浮かべる。

「…てめぇ、マジでいい加減にしろよごらぁぁ!!」

␣金髪学生はその右手にはめたメリケンサックで俺に殴り掛かる。狙いは恐らく顔。重心の位置が高く、尚且つ腕の位置も高い為、俺はそう判断する。

␣狙い過たず、その拳は俺の顔めがけて飛んでくる。が、まだ甘い。

「…重心が高いな。」

␣俺はそう呟き、顔を逸らす。金髪学生の腕は見事、俺の顔の横を空振った。驚きを隠せない金髪学生は、顔の表情を強ばらせる。

␣かなり大きなモーションで殴りかかった金髪学生は、その勢いに乗った体を止める事は出来ない。その隙をついて、俺は肘を金髪学生の首筋に添える。

「殴るまでの振りかぶりが大きい。」

␣今にも転けそうな体勢の金髪学生の腹部――鳩尾を狙って――に膝蹴りを叩き込む。と同時に首筋に添えていた肘を下に降ろす。するとどうだろう。金髪学生はその場で体を回転させ、背中から地面に叩きつけられる。

␣ヴォホっとあまり聞かない呻き声をあげて、金髪学生は赤子の様に身を丸め、その場でうずくまってしまった。これでも手を抜いた方なのだが、学生には厳しかったか。

「全体的に動作が大きすぎる。おかげでいらない所にも力を入れている。それではすぐにバテてしまうぞ。」

␣うずくまる金髪学生を見下ろしながら、俺は学校の先生の様に今の動作の欠点を挙げる。見て感じたままの事を言うが、あまりにも欠点が多すぎて言葉にするのが疲れる。

「君の持っているものは飾りか?使い用によっては肋の一本や二本は折れる物だ。君はまず、その使い道を調べるべきだ。」

「…っるせぇよ。」

␣金髪学生がようやく口を開く。が、ダメージが大きかったのか声は弱々しい。こちらを見つめる瞳は、先よりも怒りが増している。

␣これ以上話しても無駄か。元より、話し合える人間では無かったな。

␣俺は元来た道を歩く。途中、金髪学生に駆け寄る彼女とすれ違ったが、その表情は今にも泣きそうな顔だ。

「てめぇ、覚えとけよ…。仲間呼んでぶっ潰してやる!」

␣裏路地を出ようとした時、金髪学生が吠えた。これが日本のことわざ「負け犬の遠吠え」というものか。なんとまぁ、悲壮感漂う言葉だ。今の金髪学生にピッタリの言葉だな。

「数で押しかける作戦か。悪くはない。だがお前に構っている暇は俺には無いんだ。悪く思うな。俺には、弁当を買うという大事な用事がある。」

␣そう言い残して、俺は歩みを進める。後ろから感じる視線は、その強さを更に増していた。



␣裏路地を出た俺は、ひとまず腹ごしらえしようと先程のコンビニにもう一度立ち寄った。店内はさっきとは打って変わってガラリとしている。ラッシュが終わった後ということもあって、商品の殆どが無くなっていた。幕の内弁当も例外ではなく、陳列棚には弁当の一つも無かった。

「…他を当たるか。」

␣失念の中にいた俺に、ふと誰かが肩を叩いてきた。振り返ると、先程俺と金髪学生が口論をしている最中のレジにいた女性店員だ。

「あの、大丈夫でしたか?」

␣心配そうに俺を見る。金髪学生との経緯を大方分かっているような面持ちだ。恐らく、彼女は「表に出ろ」の意味を知っていたようだ。

「…あ、あぁ大丈夫だ。ちょっとレクチャーをしてきただけだ。」

「れ、レクチャー?」

␣っと、口を滑らせてしまった。それもそうだ、戦闘の基本を教えてきたなんて誰が信じるだろうか。

␣俺は咳払いをし、一礼して店を出ようと動き出した時、

「あ、あの!」

と女性店員がもう一度声をかけてきた。再び振り返ると、女性店員の手にはビニール袋が握られていた。

「…べ、弁当とお茶、取ってありますけど…。」

␣よく見ると、ビニール袋から先程買いそびれた宝石達が薄らと覗いていた。俺が驚きの表情で固まっていると、彼女ははにかみながら、

「温めますか?」

␣この時の彼女の笑顔は、さながら聖母マリアの様に俺は見えた。


「本っ当にありがとう!!」

␣ここはコンビニの事務室。中には俺と、先程の女性店員――確か名前を美咲と言ったか――とこのコンビニの店長だという男性の三人がいる。弁当を温めて貰っている際、店長がどうしてもお礼をしたいと言うので、今俺はここにいる。

␣因みに、先程の発言は店長の言葉だ。頭を深々と下げ、何度も握手をする。俺は何か感謝されるような事をしただろうか?

「いやぁもう本当にあの学生には困ってたんだよ。店の中で騒ぐし、店の前で他の学生と座り込むし。今日みたいな横入りなんてしょっちゅうでさぁ…。」

␣…よく喋る店長だ。だが裏を返せば、それだけあの金髪学生に不満を持っていたようだ。あの学生はよほど周りの人間に迷惑を被っていたのだな。それならば感謝される意味も分かる。

「…でも君のお陰で助かったよ。殆どの人は関わりたくないから譲るんだけどね。まぁ君の言う通りだとすれば、これであの学生も少しは懲りたかな。」

「…それは何よりだ。ところでなんだが、そろそろ手を離してくれないか?」

␣いつまでも握られていた手は、そろそろ鬱陶しくなってきていた。店長はそこでようやく気付き、慌てて手を離す。アハハと頭を搔くその様子は、割腹のいい体型と相まって七福神の一人、恵比寿に見えてしまう。

␣その姿に、俺も少し笑う。

␣笑うのは久しぶりだ。いつもいつも裏の仕事しかしてこなかった俺は、いつしか笑うことを忘れていた。いや、笑ってはいけないのだ。それは感情の表れ、情の概念を形骸化したもの。任務にあたって、感情は不必要だ。

␣俺はすぐさま表情を戻す。

「弁当、温まりましたよ。」

␣事務所の扉が開き、美咲嬢が弁当を持って入ってくる。弁当を貰うと、ほんのり温まっており、余計に食欲をそそる。

「ここで食べていかれますか?」

␣店長が有難い提案を挙げてくれるが、これ以上現地の人と仲良くするメリットもない。何せこの人達はただの一般人にすぎない。有力な情報を持っている訳でもないだろう。

「いや、ご好意には感謝するが、何分用事があるものだから。」

␣丁重に断ると、店長は「そうですか。」と許してくれた。こういう心の広い人間が、世の中には必要だなと、心の底から思う俺だが、唐突に、一つ気になることを思い出した。

『仲間集めてぶっ潰してやるからな!』

␣先の金髪学生の言葉だ。あの時はあまり気にしなかったが、今思えば少々厄介かもしれない。

␣人数が増えるということは、搜索範囲が広がるということ。無論、俺とてそんなに甘くはない。未成年の、しかもあの様な髪型の学生が群れをなして歩いていれば、遠くからでも察知できる。

␣だが問題はそこではない。また、別の所にある。

␣俺は悩んだ末、メモを取り出し、数字を書き込んでいく。

「もし、またあの学生が何か良からぬ事をした場合、ここにかけてくれ。俺の番号だ。」

␣と言って店長にメモを渡す。そこに書かれているのは、現在使用を臆している携帯端末の番号だった。

「い、いいのかい?」

「良いも悪いも、元はといえば俺が譲らなかったのも原因の一つだ。これは貸しの一つと思ってくれていい。」

我ながら変な言い分だと思うが、それでも間違ってはいない。どんな事にも原因は付き物。今回は俺がその原因だったというだけだが、店や他の人にも迷惑をかけたのもまた事実。それに、俺の為に弁当まで取っておいてくれたのだ。これは、言わば俺なりの恩返しというやつだ。だが、事はそれだけでは収まらないかもしれない。そんな気がする。

「…分かったよ。何かあれば連絡するさ。」

「そうしてくれ。」

␣俺はこの時、ある忠告をしようか迷ったが、結局なにも言わなかった。なぜなら、起きることは無いと予想してしまったからだ。



␣コンビニを後にした俺は、一先ずここ周辺で一番大きい公園に足を運んだ。親子連れが遊べるように設計された公園は、一面緑の芝生に覆われており、時々優しい風が吹く。その公園の一角にあるベンチに、俺は腰を据えた。

␣弁当だ、弁当を食わねば。

␣ビニール袋から弁当を取り出すと、プラスチック製の蓋に割り箸が付いていた。無論、日本の生活に慣れるために使い方は学んでいる。さえ箸、刺し箸、交差箸、マナーは全て頭に叩き込んでいる。だが今はそれどころではない。

␣蓋を開けると、中から少量の蒸気が立ち昇り、美味しそうな香りを広げる。

「お、おぉ…。」

␣思わず声が漏れてしまう。しかしそれほど、この弁当は輝いていた。綺麗に整った玉子焼き、脂の乗った大きな焼き鮭、白く輝く白米の上に乗る一粒の梅干、どれも高級感が漂っている様に見える。

「では…頂きます。」

␣両手を合わせ、静かに呟く。割り箸を綺麗に割り、いざ食そうと思った矢先、手が止まる。

「…どれからいこうか。」

␣全てが美味しそうに見えるあまり、どれから手をつけていいものか迷ってしまう。

「ここは一度、白米を食べるか…もしくは玉子焼きを…しかし焼き鮭も手放せない…。」

␣迷う俺。だが早く手をつけねば、せっかく美咲が温めてくれたのだ。冷ますわけにもいかない。

「…まずは白米だな。」

␣唐突な声に、俺は思わず臨戦態勢をとってしまう。弁当と箸を持ったまま、ベンチを飛び出す。体を反転、ベンチの方へ向き直る。弁当、箸、両方とも無事だ。

「おぉー、器用だなぁ。」

␣そこにいたのは一人の男性。歳は四十代前半といったところか。顔にシワが所々に出ているが、それでもまだ若い印象をもたせる。服装は青のスーツに青のスーツパンツといったこれまた真っ青ないで立ち。にも関わらず、何故か足元はサンダルを履いている。

␣ハッキリ言おう。この男おかしい。スーツにサンダル?日本ではこんな格好が流行っているのか?

␣そのおかしさもさる事ながら、俺はもう一つ、おかしい点を見つけていた。

「…いつからいた?」

␣さっきまで俺一人しかいなかったベンチに、突如現れた。まるで気配が無かったのがおかしい。確かに、俺自身も弁当に目がくらんで周囲の警戒を怠っていた。だがこの男は違う。足音も無く、気配も無く、そこに座っていた。俺の隣に。

「ほんのちょっと前。君がコンビニ弁当を開けた辺りかな。」

␣殆ど最初の方からだ。…まさか、追けられていた?

␣俺は箸を逆手に持ち方を変える。もしもの時は、これを男の耳に刺し込み、鼓膜を突き破って脳にまで突き刺す。非常用の措置としての基本だ。相手を一撃で殺す技。他にもあるが、手元に使えそうな物はこの割り箸しかなく、殆どはベンチの傍らに置いているリュックの中だ。

「そんな怖い顔するなって。別に取って食おうなんて考えてないよ。」

␣男は砕けた話し方をする。確かに、殺気はしない。が、一流の者なら殺気を隠している可能性も…


ぐぅぅ〜


␣恥ずかしい話、こんな時でさえも腹は鳴るもので、

「…早く食べないと冷めるぞ?」

␣と、気を使ってくれた男の言葉に、今回は甘えるのだった。


␣弁当を食べ終えて一段落したところで、俺は隣に座る男に問いかける。

「…あなたは誰だ?」

「わい…俺?俺は小柏剛ってケチな商売やってるオッサンさ。」

␣男性――小柏はそう言って、スーツの胸ポケットをまさぐる。出てきたのは一枚の紙。名刺というやつだ。俺も初めて貰う。

␣名刺には、『小柏代行サービス社␣社長␣小柏剛』と縦に印刷されている。

「代行サービス?」

␣気になったのは、代行サービス社という文字。代行の意味は知っているが、社という文字がつく辺り、何かを代行する会社なのだろうが。

「うちの会社はね、いろんなことを代わりにするサービスを提供してるんだよ。家事全般から介護まで、時には変な依頼とかもね。何かあればそこに書いてある番号にかけるといい。あ、もちろん報酬は貰うからね。」

␣小柏はそう言って、また胸ポケットを漁る。今度は煙草を取り出した。煙草の銘柄はKENT。緑色系パッケージのメンソール味の煙草を多く販売しているが、彼が持っているのはtaste+と書かれた黒いパッケージの物だ。

␣俺が珍しそうに見ているのに気付いたのか、小柏は煙草を一本取り出し、俺に差し出す。

「吸えるか?」

「…あぁ、頂こう。」

␣差し出された煙草を、俺は有り難く貰う。が、肝心の火が無い。

「おぉそうか、火が無いな。」

␣何故かわざとらしく言う小柏は、胸ポケットを漁るわけでもなく、指をパチンッと鳴らす。ポッと人差し指の先に火が現れた。

␣この男は手品師にでもなるつもりか?と思いつつ、その火に煙草の先を当てる。ジジジと火が巻紙を燃やす音が、どこか心地よい。

␣久しぶりに吸う煙草は、やはり美味しかった。別段、ヘビースモーカーというわけではないが、煙草の味を知っているからこそ言える言葉だ。

␣小柏も同じように煙草に火をつけ、一服する。男二人が平日の真昼に公園で一服するという光景は、当事者の俺でも可笑しく見える。それに、それぞれの服装も相まって余計にそれを強調させる。

␣何回か吸うと、煙草はみるみる短くなり、フィルターのギリギリまで短くなっていた。俺はそれを素手で握り潰し、席を立つ。

「もう行くのか?」

␣小柏はまだ動くつもりはないようで、二本目の煙草に火を付ける。

␣生憎、俺にはまだやるべき事が残っている。先のコンビニ店員の二人もそうだが、ここで人と馴れ合う気は今は毛頭無い。

「あぁ。やる事があるのでな。」

␣リュックを背負い、俺は小柏に一礼して歩き出す。小柏は軽く手を振るだけで付いてこようとはしない。

「…やはり俺の警戒し過ぎか…。」

␣終始警戒していた俺だが、何も動きが無い。それにあの格好だ。金髪学生とまではいかなくとも充分目立つ。

␣この時に覚えた事がある。日本に来て得た教訓は、『おかしな格好の人間とは関わらないこと』ただ一つのみだ。


␣さて、時刻はもう五時を回ろうとしている。俺は今、一昨日潜入した警視庁の前にいる。正確には、警視庁の前の道路を挟んだ向かいのビルの屋上、だが。

␣小型の双眼鏡で警視庁の周辺を覗いていた。もう用は無いのだが、やはり相手の動きが気になる。とはいえ、建物内を覗けるような万能双眼鏡ではない為、その周辺をサーチしているのだ。足元には、朝と同じコンビニで買ったあんぱんと牛乳がある。

「…特に変わった動きは無し、と…。」

␣相変わらず何も動きの無い警視庁。何も盗られていないと勘違いして動かないのか。いや、そんなはずはあるまい。今の時代、写真などいくらでも撮れることは向こうも常識として知っているはずだ。つまり、写真というデータが存在するかもしれない以上、その可能性を捨てられない彼らは、必ず動くと安易に想像出来る。それにあの日、俺達は逃げる為に一つやり忘れた事があった。ハシゴの片付けだ。警察も馬鹿ではない。ハシゴを掛けてある棚を調べれば、すぐに事態を呑み込むはず。

␣その為、今もこうして観察しているのだが、やはり動きは無い。俺は覗きつつ、あんぱんを口に運ぶ。日本の伝統ともいえるあんぱんは、さほど甘過ぎず、しかし後味をしっかりと残していく。

␣次に牛乳。あんぱんの甘さに、牛乳のサッパリ感が妙にマッチする。

「…それにしても、あんぱんと牛乳のマッチ率は高いな…。」

␣これも日本の伝統らしい。よくもまぁ日本人はこんな事をよく思いつく。



␣場所は変わって、コンビニ。夕方のラッシュを過ぎてから、一気に人の出入りが無くなった頃。美咲は意気揚々と陳列棚の商品を整理していく。何があったのか、かなり上機嫌だ。

「美咲ちゃん、今日はあがっていいよ。」

␣棚に並べられた商品を整理する美咲に、事務所から出てきた店長が声をかける。美咲が店の時計に目をやると、時刻は五時半を回ろうかというところ。

「じゃあこの棚の整理が終わったらあがりますね。」

「あぁ、頼むよ。」

␣そう言って、店長が事務所に戻ろうとした時、店内に自動ドアの開閉を知らせる音楽が鳴った。店長は事務所に戻るのを止め、体を翻す。

「いらっしゃいま…っ!」

␣店長の明るい挨拶が途切れた。これまで店長が挨拶を途切らせる事は無かった事を知っていた美咲は、さすがに不審に思い、誰が来たのかを確認する為にも、レジ前まで移動する。

「いらっしゃい…ませ…。」

␣美咲の発する言葉が段々と小さくなっていく。その原因は、入り口に佇む今朝の金髪学生だ。その傍らには、同じ制服を着た男性が数人。彼らの手には、バットや木刀、鉄パイプなどが握られている。店長が声を詰まらせるのも容易に分かる。

「おい、あの男を呼び出せ。」

␣先頭の金髪学生はそう言って、店内に一歩、また一歩と踏み入れてきた。



「そろそろ引き上げるか…。」

␣あれから小一時間、俺は飽きることなくサーチを続けたが、一向に動きは無い。手元にあったあんぱんと牛乳も、今や俺の腹の中。お陰で腹は減ってはいないが、夕食を食べておきたい気分でもある。

␣ファミレスという店にでも行こうか…。軍資金はまだある。が、やはり警察機関の動きも気になるわけで。

「…どうするか…。」

␣双眼鏡でサーチをしつつも今夜の食事の案を考える俺を他所に、携帯端末が振動する。ポケットから取り出してみると、登録されていない番号からの電話だった。

␣こういう場合の対処としては、発信元を特定する為にパソコンに端末を繋げてから電話に出るのだが、あいにく今は外。パソコンなど持っておらず、さらにそういった場合には出ないのが最善だと教わった。

␣だがこの時の俺は少し迷っていて、出ないように心掛けていたが、頭の片隅に『出た方がいい』と言ってくる自分もいる事に気付く。

␣その根拠は何も無いのだが、だが確かにそう言ってくる。

␣俺は数秒考えた後、画面に映る通話ボタンを押した。

「…誰だ…。」

␣耳に当てた端末からは、よく知った声が聞こえてきた。



␣日の沈んだ後の廃工場ほど、怖いものはない。幽霊の噂などが絶えないのも一因だが、本命はもっと別にある。

␣素行の悪い学生にとっての溜まり場的場所になっている事を、皆知っているからだ。夕方以降、この廃工場からは時折柄の悪い叫び声や笑い声が聞こえてくる。そんな中に一度入れば、次に出てきた時は全裸確定もいいところ。

␣そんな悪い噂の廃工場には、似たような格好をした不良学生がいる。ざっと百人(・・)程。彼らは各々、手に鉄パイプや木刀、バールなどの凶器になりそうな物を所持している。

␣学生服に鉄パイプ、まるで何かの映画を見ているようだ。だがこれは現実、(うつつ)なのだ。

␣そんな学生の群れを、美咲は静かに眺めていた。手足にはホームセンターで買ったと思える黄色と黒が交差するロープで縛られており、身動きが取れない状態にある。

␣バイト先のコンビニから拉致されて一時間、美咲は次々に集まる不良達を見て、その瞳の光を徐々に暗くさせていく。救助の宛もなく、頭の中ではこの後起こりうる最悪の場合を想像して、気持ちまで落ち込ませていた。

「…おいネェちゃん、楽しみにしときな。目の前であのオッサンがボコられるのをな。」

␣美咲の隣には、例の金髪学生がいた。彼も周りと同じく、手には鉄バットが握られている。そのバットは少し血の色を滲ませており、金髪学生が何をしてきたかを物語っていた。金髪学生はそのバットをちらつかせ、下品な笑みを浮かべる。何が楽しいのか、彼はその笑みを歪ませる。

「その後はネェちゃん、お前だよ。ここにいる連れ全員の相手してもらうからなぁ。」

␣金髪学生のその言葉に、周りの不良学生も下劣な笑みを浮かべる。

「…清志、その辺にしておけ。俺達は、あくまでもお前をボコした奴を潰すのが目的だ。」

␣金髪学生の後ろ、他の学生とはまた違った服装をしている男が、金髪学生を諭す。諭された金髪学生の清志は、唐突に声音を変え

「そ、そっすよね!すいません斎川さん。」

と、さっきとは打って変わった態度で話す。斎川と呼ばれた男は、依然堂々とした仁王立ちで、まだ見ぬ相手を待っていた。

␣黒髪のオールバックの斎川は、ここにいる不良達全員のカリスマ的存在であり、数々の伝説を残してきた男。金髪学生の清志は、そんな彼の部下であり、頼もしい仲間でもある。

␣だからこそ、彼はまだ信じられなかった。清志を一撃で倒す程の凄腕が、この街にいることを。部下だからこそ、斎川は清志の強さを知っていた。彼の放つ右ストレートは、正確無比でどんな相手でも一撃でノックダウンさせる事が出来る事を。

「…本当に来るのか?」

␣まだ見たことも無い相手、さらには仲間を一撃で伸した相手がいることを信じきれない斎川は、少し疑ってしまう。

「来ますよ、あのオッサン。何せ、バカがつくほどの正直者なんですから。」

␣そんな斎川を、清志は確信にも近い思いで答える。



␣ビルを降りて数十分、俺は指示された場所に向かって走っていた。事の発端は、電話だ。

␣あの時の電話の相手は、今朝のコンビニの店長だった。かなり息が切れていて、只事では無いことを伝えていた。

『ハァ…ハァ…、美咲ちゃんが…連れて行かれた…。』

␣電話の第一声はそれだった。が、俺は驚きはしなかった。予想されていた事だ。

␣今朝の騒動の際、金髪学生は俺に『仲間を集めて潰してやる』と言っていた。確かに、俺はあの後思考を巡らせ、金髪学生が俺を探す搜索範囲が広がる事を予想した。人数が多ければ多いほど、その範囲は広くなると。だがあの時、実はもう一つの予想も頭の片隅でしていた。

␣金髪学生がコンビニを襲撃するという予想だ。

␣搜索範囲が広くなろうと、俺は逃げ切れる自信があった。とはいっても、今日の殆どをビルの屋上で過ごしていたので逃げ切る以前の問題だったが、そうなると彼らは、俺に接点のある人物を当たると踏んでいた。彼らの知る限り、俺と接点のある人物や場所はあのコンビニしかない。

␣予想は見事に的中。がしかし、美咲嬢が拉致されるという問題まで残してくれたのだ。そのような場面にならない為の電話番号だったのだが、どうやら何かトラブルが起きてタイミングを逃したらしい。さすがの俺も、そこまでは予想出来ていなかった。

『…あの学生、君を呼び出せって言ってきた…。君との関わりを、どこかで知ったらしい…っ!!』

「大丈夫か?」

␣電話越しでも分かるほど、店長は苦しんでいた。息が荒い、かなりの痛手を受けたのか。それでも店長は、何かを伝えようと必死だ。

『…N市の…廃工場…。』

「…廃工場?」

「うちの店から…西へ1kmの辺りにある…潰れた工場だ…。蔦まみれの…煙突が目印…。」

␣なるほど、そういう事か。簡単な話、金髪学生は美咲嬢を人質に俺を呼び出そうという魂胆だ。王道だが、作戦としては悪くない。が、これではまるでテロリストを相手にしているような気持ちだ。

「…分かった、美咲嬢を連れ戻してこよう。」

――といった会話をして既に数十分。目標の廃工場は目前だ。近付くにつれ、街灯の数も減っていく。通行人などは全くいない。

␣それもそうかと一人呟く。この暗さだ、気味悪がる気持ちも分かる。

␣もうすぐで正面というところで、俺は動きを止める。廃工場の中から、人の気配を感じ取った。それもかなりの数だ。

「…多いな…百人前後といったところか。」

␣もはや気配がダダ漏れだ。これでは、相手に見つけてくださいと言っているようなもの。

␣だが、百人いようと俺には関係ない。俺はただ、恩を返すだけだ。


␣中に入ると、そこには金髪学生と似たような格好をした男が多数いた。とはいっても、ここの奴らはまだ序の口。恐らく、本命はこの奥の建物だろう。

␣理由は簡単、隠す気のない人の気配が、奥の建物に一局集中しているのだ。あの中は動物園か何かか?

␣奥の建物に向けて歩くに連れ、後ろから人の気配が一つ、また一つと増えていく。俺の退路を塞ぐのが目的か。無論、俺の手にかかれば逃げ出すことなど造作もない。しかし、もとより俺の選択肢に「逃げる」などというものは存在しない。あるのは、ただ「殲滅」のみ。



「斎川さん!男が一人、入ってきました!」

␣伝令役の男が、斎川に事を伝える。

「…来たか。」

␣ようやくか、と待ちわびた斎川を他所に、斎川のいる位置とは逆にある、この建物の扉が開く。

␣現れたのは、全身黒ずくめの男。伝令通り一人のようだ。

「…アイツです、斎川さん。」

␣確認の為か、清志が小声で呟く。斎川は無言で頷き、清志に目配せをする。

␣それを受けた清志は、傍らに座る美咲を無理矢理立たせ、男に見せつける様にする。

␣男の後ろからは、入り口周辺に張らせていた仲間がゾロゾロと入ってくる。これで逃げ場はない。

「おいオッサン!!」

␣清志は、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、男に向けて叫ぶ。



␣いつぞやの金髪学生が、俺に向けて声を張り上げる。その傍らには、手足を縛られた美咲嬢の姿もあった。

「…何だ?」

「よく一人で来れたなぁ。ビビって来ねぇかと思ったぜ。」

␣金髪学生は、何故か勝ち誇ったように笑っている。周りを取り囲む男達もどこかヘラヘラとしていて、見ていて不愉快だ。

「怖気つく理由がどこにある?」

␣俺は至って真面目に聞き返した。この状況に何を怖気つく必要があるのか分からない。それを知りたく、俺は聞いたのだが、

「はぁ?オッサンやっぱバカなの?この人数相手にビビんねぇとか頭おかしいぞ。」

「こんな少数(・・)で怖気つく必要は、無いと思うが。」

␣どうやら日本の学生とは人数の規模での違いがあるようだ。日本の学生からすれば百人規模の戦闘は大規模の部類に入るらしい。

␣話が逸れてきている。戻さねば。

「俺はただ、そこにいる美咲嬢に恩を返したいだけなんだ。邪魔をしないでくれるか。」

「はぁ?こんな時によくふざけれるなオッサン。」

「ふざけてなどいない。至って真面目だ。」

␣どうも日本の学生とは話が合わない。さっきから俺の言葉はふざけている様にしか聞こえないらしい。俺は大きな溜息をついた。

「…はぁ…、もういいだろう。美咲嬢を返してくれ。」

␣俺が一歩踏み出すと、その前を学生達が塞ぐ。よく見ると、各々手に武器を持っている。

「…退いてくれないか?」

␣俺の頼みに返ってきた返答は、男達の咆哮だった。

␣一斉に飛び掛ってくる男達を前に俺は再び溜息をつく。

「…退けと言っただろう。」

␣まず手始めに、目の前で鉄パイプを振りかざす坊主男。鉄パイプを振り下ろす瞬間、俺は男の懐に飛び込み、相手の手首を掴み、そのまま明後日の方向へ捻る。ゴキリと骨の鳴る音がしたが、気にしない。俺はそのまま坊主男の、今度は腕を捻り、体勢を崩す。横に転がった坊主男に蹌踉めく男達を、俺は見逃さない。すぐさまよろめいた茶髪ロン毛男の膝――の横――に蹴りを入れる。よろめいた拍子に体勢を崩した茶髪ロン毛は、その蹴りでいわゆる「膝カックン」状態になり、地に跪く。

␣そうすると、いい具合に顔が蹴りやすい位置にくることを知っていた俺は、迷うことなく茶髪ロン毛の顎に蹴りをお見舞い。恐らく茶髪ロン毛は脳を揺さぶられ、視界が歪んで見えているはず。茶髪ロン毛は立っていることが出来ず、倒れる。

␣その間、俺の背後にいたモヒカン男は距離を詰めていた。手元のバールを、俺の頭めがけて振り下ろす。が、まだまだだ。俺がそれを予測していないはずが無いだろう?

␣俺は振り返りざまに男の手首を裏拳で殴る。唐突な攻撃に加え、最も鍛えづらい手首をを殴られたモヒカン男は、思わずバールを手放してしまう。

␣バールは回転しながらも慣性の法則に則り、別の男の脇腹に直撃。べキッと明らかに折れた音が聞こえ、とばっちりを受けた男はその場に倒れる。

␣その間に俺は、モヒカン男の胸に手を添え、相手の膝裏に自らの膝裏を重ねると、両方にほんの少し力を加えて押す。するとどうだ、胸を押されて体勢を戻そうとするが、右足の膝が、俺の重ねた右膝のお陰で伸ばし切る事が出来ず、足腰に力が入らない。結果、モヒカン男はその場で大きく転倒。頭を地に強く打ち、気絶した。

␣一瞬にして四人が行動不能に(おちい)った事に、不良学生達は理解が追いつかず、動きを止める。時間にして十秒ちょっとの攻防戦だ。そりゃあプロの軍人やその道の人間じゃない限り、誰も今の攻撃を見分けることなど不可能だ。全員が、(ほう)けた顔で立ちすくんでいる。

「…これでは二番煎(にばんせん)じにもならないな。不良というのがこれほど低脳だとは、正直予想外だ。」

␣俺は三度、溜息を漏らす。久しぶりに近接格闘術(CQC)が使用できるとあって、内心少しワクワクしていたのだが、これではウォーミングアップにもならない。

␣奥に進もうと一歩踏み出すと、それに合わせて不良学生達も一歩下がる。後ろを振り向けば、後ろに展開していた学生達も一歩下がる。気が付けば、俺の周りには不可視のバリアのようなものが展開されていた。

『近付けばやられる。』

␣周りの人間の表情は、皆そんな顔をしていた。ここは流石と言うべきか、相手の戦闘能力と自分の戦闘能力の計算は出来るようだ。とはいっても、大半の学生は恐らく本能的なもので察知したのだろう。計算云々(けいさんうんぬん)というよりは、近付きたくない一心で下がった様にも見える。

「お、お前ら!下がんじゃねぇよ!」

␣奥にいたせいか、状況を今ひとつ飲み込めていない金髪学生は声を張り上げるが、皆には聞こえていない様子。一歩進む度に道が開けていく。なんとも面白い動きだ。

「…皆、道を開けろ。」

␣その時、金髪学生とはまた別の声が響き渡る。すると今度は大人しく道を開けていく学生達。開けた道の先には、他の者とはまた一段と雰囲気の違う男が立っていた。服装も違い、背広のような長い服を着ている。

「…君が司令塔か。」

␣服装、雰囲気だけで俺は察する。その立ち姿は堂々としており、恐怖などの感情を一切出していない。代わりに感じるのは、強い敵意と剥き出しの戦闘欲。日本にも、まだこんな奴がいたのか。

「…清志がオッサンっつーからどんなジジイかと思ったら、まだ若ぇじゃねぇか。」

␣清志…あぁ、あの金髪学生の名前か。そういえば聞いていなかったな。

「君達の呼び方で言うなら、『お兄さん』が妥当な年頃だ。」

␣実を言うと、あの時『オッサン』と呼ばれた事に対して俺は少し気にしていた。歳は五つも離れていない筈なのに、オッサンに見えているのか?いや、日本では『オッサン』の年代なのか?

␣なんて考えていたが、今の言葉でようやく理解する。あれは、金髪学生こと清志の偏見による言葉だったようだ。変に心配をして損をしたぞ、まったく。

「…そうだな。じゃあ『お兄さん』に聞きたい事がある。」

「俺に答えれる事ならなんでも。」

␣唐突に始まるQ&A。さて、何を聞かれるのやら…。

「あんたの強さはさっきのでよく分かった。確かに強えよ。あんたなら、ここにいる連中なんざ五分もかからずに占めちまうだろうな。」

「…そうだな。」

「だが分からねぇ事もある。たかが今日知り合っただけの女の為に、なんでそこまでする?」

␣なるほど、理由か。そんなもの、一つに決まっている。

「…弁当を、温めてくれたからだ。」

␣一瞬の沈黙。ここにいる大半の不良学生は、この意味を理解出来ないだろうな。しかし、それでも俺は…。

「その恩がある。ただ、それだけだ。」

「…ふっ…ふはははは!」

「…何か変な事を言ったか?」

␣彼が笑う理由が俺には分からない。が、この笑いは俺をからかっている様な笑いでは無いことは分かった。

「…いや何、清志の言ったとおり馬鹿が付くほどの真面目な奴だな。」

␣何故か、俺を認めた様な言い草だ。だが、

「…悪くない。」

␣思った事が口に出ていた。彼も驚いた様子で俺を見つめる。が、すぐさま表情を戻す。

「…俺は斎川秋斗。あんたは?」

␣斎川秋斗…。彼の名前か、いい名前だ。だがここはそんな褒め言葉はいらない。戦場に褒めは必要無いのだから。

␣しかし向こうが名乗ったのだ。こちらも、それ相応の態度で応えねばなるまい。

␣俺は、久しく口にしなかった自分の名前を口にする事で、その返答をする。

「…俺は、セイフ。アザム・セイフス。」



「…アザム・セイフス…。」

␣あまり聞かない名前に、美咲は一人呟く。顔や体色を見る限り、黄色人種に違いはない。名前も欧州の様な名前でもない事から、アジア出身ということが伺える。

␣だがそれよりも、美咲は思い出した。朝、彼から名前を聞かなかった事を。今でも不思議に思う、何故あの時にセイフの名前を聞かなかったのか。恐らく店長も知らない。

「…あの人は、一体…。」

␣数々の疑問が残るが、今はアザムだけが頼りの美咲は考える事を止めて、ただ祈った。



␣斎川はその身を包む黒い背広の様な上着を脱ぎ捨てる。(あらわ)になった肉体は綺麗に鍛え抜かれており、数々の修羅場をくぐり抜けてきた事を曹操(そうそう)と物語っている。

␣対して俺は、背負っていたリュックサックを下ろすだけ。流石に斎川は他の連中とは違って一筋縄ではいきそうにない。

「斎川さん!ぶっ潰して下さい!」

「俺達のメンツ、頼んます!」

␣周りに展開していた不良学生は、もはや野次馬と化している。その声援を背に、斎川は俺に向けて歩を進める。俺も合わせるように、斎川に向けて歩き出した。

「…上に立つものは大変だな。」

「そうでもないぜ。皆、俺に背中を預けてくれるしな。」

␣なんて他愛のない会話もここまで。俺と斎川の距離はもう2mも無い。ここからは、何が起きてもおかしくない。

「…いくぜぇぇ!!」

␣戦闘の口火を切ったのは斎川。助走をつけた大振りながら、しかし清志とは比べ物にならない速度で拳を繰り出す。俺はそれをいなし、斎川の腕を捻り背中に回る。そのまま斎川の背に、捻った腕を押さえつける。一般的な関節技だ。

␣だが、斎川もそれを予想していた様子。その場で横に空中回転、腕の捻りを元に戻すと今度は俺の右腕を捻り、先の関節技を俺に仕掛ける。

「…っ!」

␣その対応力に驚かされたが、俺も馬鹿ではない。自由な左腕で後方にいる斎川に肘鉄を決める。

「ぐっ!」

␣当てた場所はともかく、勢いに乗った肘鉄を食らった斎川は、俺との距離をとる。幸か不幸か、情勢は最初に戻った。

「…よく見切ったな。」

「言っただろ?あんたの事はよく分かったって。」

␣なるほど、あの言葉にはそのような意味もあったか。ならば手法を変えるとするか。

「…いくぞ。」

␣今度は俺が先手を取る。一歩踏み出し、斎川の顔めがけて蹴りを入れる。が、これは止められる前提の攻撃。案の定、斎川は左腕でそれを防ぐ。その時に生まれる脇腹の隙を、俺はそのままの体勢で蹴りを打ち込む。

␣上げた腕をすぐに降ろせない斎川は、その蹴りをもろに決め込まれる。だが、俺の攻撃はこれでは終わらない。さらに体勢を維持したまま、体を捻らせた斎川の腹部に三度蹴りを打ち込む。

␣体勢を維持出来ない斎川は、そのまま吹っ飛ぶ。吹き飛ばされた斎川は、転がりながらも体勢を立て直すとすぐさま起き上がり、距離を詰める。

␣斎川が繰り出したのは左アッパー。俺の腹部をめがけて振り上げる、と思ったのだが、その腕の角度が微妙に変わった事を俺は寸前で気付いた。

␣左アッパーは腹部ではなく、俺の顎を掠めて空振る。

「チィッ!」

␣軽く舌打ちをする斎川だが、これを当てれるとは思っていなかったのだろう。すぐさま次の行動に移る。

␣左アッパーを繰り出した勢いを利用し、その場で回転。振り返り様に鋭い回し蹴りを展開、俺は腕全体を使ってそれを受け止める。

␣しかし、勢いに乗った蹴りは容易に止める事が出来ず、俺は少し仰け反ってしまった。斎川はその隙を見逃す筈もなく、さらに攻撃を重ねる。右ストレート、左ストレートと交互に、時にタイミングをズラして仕掛けてくる。

␣先のせいで、俺は防戦一方になっていた。そこに、斎川はもう一度左アッパーを仕掛けてきた。俺は咄嗟に防御態勢に入るが、その時には遅かった。

␣突如、左頬に衝撃が走り、たたらを踏む。斎川を見やると、右腕を横に振り切った体勢にあり、事の顛末を理解する。

「…そうか、偽物(フェイク)か。」

偽物(フェイク)――つまりは(おとり)。あの変速的なジョブから左アッパーが全て右ストレートの為の前座(ぜんざ)だったわけか。

␣油断してたわけではない。下に見ていたわけでもない。ただあまりにも、斎川の攻撃は洗練されていたため、こちらの対応が遅れたのだ。

␣斎川の、ここぞの一撃にかける判断力は、ずば抜けて高い。さらに、視線誘導(ミスディレクション)の心得も多少あるように思える。

「…だが、その程度か。」

␣所詮は学生がやる事。俺も引っかかったとはいえ、あの程度の視線誘導(ミスディレクション)なら、次は見分けがつく。

「来い、本物を見せてやる。」

␣俺はその場で、挑発の手招きで相手を誘う。それに応える様に、斎川は再び距離を詰めてくる。

␣残り1mも無い距離にまで近付いたその瞬間、俺は左の掌を奴の顔の前に出す。開いた状態の手のおかげで、斎川の視界は奪われる。斎川が頭を動かす度に、俺も手を動かす。鬱陶しそうに払い除けるも、再び手を顔の前で広げる。

␣徐々に苛立ち(フラストレーション)が溜まる斎川を警戒しつつ、俺はタイミングを計る。そして、その時は来た。

「鬱陶しいんだよぉ!」

␣とうとう切れてしまった斎川は、俺の腕を掴むと思いっきり引っ張る。俺はあえて、その勢いに乗り斎川との距離を瞬間的に縮める。頭に血が上った斎川は、俺の顔めがけて渾身の一撃を加えようとするが、その力み過ぎた動作程、避けやすいものはない。

␣俺は避けれる最低限の動きで、斎川を翻弄する。大きな動作で殴りかかった斎川は、その勢いを殺す事が出来ず、躱された拍子に大きな隙を生む。

␣その隙に、俺は右腕全体を使って斎川の体――胸部辺り――に押さえつけ、同時に斎川の膝裏に俺の膝裏を重ねる。そしてそのまま腕を前に、足を後ろに上げると、斎川はその場で縦に一回転する。

␣わかりやすく言うなら、柔道の大外刈りに似ている。

␣斎川は運悪く、顔からコンクリートの地面に叩きつけられる。縦に回転した際に発生した遠心力も加わり、斎川はかなりの勢いで打ちつけられた。

「本物を見せてやると言ったのに、突っ込んでくるな。これでは、何が本物か分からないだろう。」

␣訂正すると、俺にとって斎川の行動は少し予想外だった。掌で牽制していたあの時、本当は視線誘導(ミスディレクション)による隙を作るのが目的だったのだが、斎川の沸点の低さが(さいわ)いし、仕掛ける前に攻められていた。

␣とはいえ、結果オーライとはこの事。

␣斎川はというと、一向に立ち上がる気配がない。それもそのはず、あの遠心力に加え地面より硬いコンクリートに顔をぶつけたのだ。さすがのタフガイも、これには参ったようで。

「…さ、斎川さん…。」

␣周りを取り囲む連中も、何かを察したように静まり返る。なるほど、敵将を討ち取れば終わる。まるで戦国時代の戦いの様な有様だな。

「…て、てめぇ!」

␣いや、一人静かになれない奴がいたな。美咲嬢の隣に立つ清志だ。

␣清志は懐から何かを取り出す。それは、銀色でハーモニカの様な小さな長方形の物。しかし、そこから出てきた別のモノで、理解する。

「そこから動くなよぉ…、じゃねぇと、コイツで女を殺るからな!」

␣手にかざしているそれはハーモニカなどという可愛らしいものではなく、折りたたみ式のナイフだった。

␣…これは誤算だったな。以前はメリケンサックを使用していた為、俺はどこかで『殺傷力のある武器は所持していない』と思い込んでいた。が、それが仇となったか。

␣確かに、この国では何でも買えるのだ。ナイフの一つや二つ、買えないわけではない。完全に油断していた。

␣ナイフの切先を俺に向ける清志。俺は仕方なく、その場で立ちすくむしかなかった。

「…お前ら今のうちだ、殺れ。」

「で、でも清志…。」

␣清志は俺をその場に固定させ、周りの奴に攻撃させる気の様だが、俺を取り囲む奴らはどうも乗り気ではない。コイツらも、卑怯だと理解しているようだ。

␣手に持つ武器を弄ぶ連中に、清志が止めの一言。

「てめぇら、俺らの面子潰されてもいいのかよ!!」

␣面子を選ぶか…。斎川の苦労を無に帰す行為だとも知らずに。

␣だが、この言葉に意思を固めた様で、全員の視線が俺に集まる。

␣さすがの俺でも、動かずに事を運ぶことは無理がある。

「殺れ!」

␣清志が号令を下すと、俺を取り囲む男達は咆哮を上げ、そのまま俺に向かって突進してくる。

「…仕方ない。」

␣先も言ったが、動けない状態では俺でも無理がある。ならば、この場から届く(・・・・・・・)攻撃に徹すればいい。

␣俺は、腰に備え付けていたポーチに手を突っ込む。その動きに、周りの連中の動きが止まってしまう。まぁ、それもそうか。

「…んだてめぇ、てめぇもナイフ持ってんのか?だがこの人数を相手に出来んのか?」

␣本日2度目の清志のドヤ顔。さすがにもう見飽きたな。なにより、あの不愉快な笑みを見るだけで不機嫌になる。

「…馬鹿も休み休み言え。そんなオモチャよりも、もっといい物だ。」

␣そう、ナイフよりも攻撃範囲(リーチ)があり、殺傷力の高い遠距離武器。

␣俺がポーチから取り出したのは、この国では生産も販売も禁止されている…消音器(サプレッサー)付きの拳銃(ハンドガン)だ。

␣イスラエル製のジェリコ941。イスラエル軍などが使用する自動拳銃だ。「イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ社」が開発、生産している9mm口径の拳銃(ハンドガン)。装弾数16発と、一般的な物と大差ないが射程距離は50mと、ここからなら清志の位置まではゆうに届く。

「…はっ!そんなオモチャで何が出来るんだよ!」

␣清志から見れば、ジェリコはただのオモチャにしか見えない様子。それもそのはず、日本では滅多にお目にかかれない本物の銃なのだ。学生ごときが本物とオモチャの区別をつけようなど、到底無理な話。

␣だが周りの連中は違う。銃の真偽は分からなくとも、どこかで『これは本物の銃』だという事を理解しているようだ。その証拠に、奴らは顔を強ばらせて固まっている。

␣俺は黙って銃口を清志に向け、安全装置(スライドストップ)を外し引き金に指を掛ける。隣には美咲嬢がいるが、この距離だ。風でも吹かない限り、弾が逸れることはない。

「て、てめぇ!コレが見えねぇのかよ!」

␣清志は黙って銃口を向ける俺に焦りを感じたのか、ナイフを見せびらかす様に掲げる。その瞬間を、俺は見逃さない。

␣俺は迷わず引き金を引く。プシュッと空気の抜ける音と共に、銃口から右回りに9mmパラベラム弾がサプレッサーを通して飛び出す。

␣弾は、重力に引かれる様に弧を描き、清志の元へ飛翔する。

␣キィンッと金属同士がぶつかり合う高い音を響かせ、場に緊張が走る。

␣俺が当てたのは、清志の掲げたナイフだったのだ。とは言うものの、本当は清志本人を狙うつもりだったのだが、都合良く奴がナイフを掲げたお陰で目標をそちらに変えたのだ。

␣美咲嬢に当てる事は無いのだが、清志本人に当てた場合、奴の行動からして逆上するケースも無きにしも非ずといったところ。

␣つまりは、『武器を無効化して尚且つ美咲嬢の安全を確保する』という、日本のことわざ「一石二鳥」というのを行ったに過ぎない。とはいえ、さすがに俺も「30m程の距離から腕より細い物体に当てる」という妙技(みょうぎ)は、なかなかに神経を使った。

「…言っただろう?お前のナイフ(オモチャ)よりもいい物だと。」

␣俺はジェリコを降ろし、清志に問うた。返ってきたのは、清志の低い唸り声。恐らくナイフを弾かれた拍子に手首を痛めたのだろう。無理もない。

␣だが同時に、それは答えでもある。もうまともに戦えないという、答えの。

␣俺は美咲嬢の元へと足を運ぶ。目の前にいた不良連中は、黙って道を開けてくれた。全員、表情が沈んでおり、戦う意思など微塵も感じない。

␣美咲嬢は、事の顛末に理解が追いつかないのか、俺を見て惚けている。

「大丈夫か?」

「……え、あ、あの…。」

「話は後だ。今は、ここを出るのが先だ。」

␣美咲嬢を縛り付けていたロープを解き、立たせる。ふらつく様な動きは無いが、万が一ということも考え俺は肩に手を回す。

␣気丈な女性の様で、先の銃撃を見ても、顔色にそれ程変化はない。まぁ、まだ理解が追いついていない事もあると思うが。

「…く、クソッ!」

␣その時、背後から声が聞こえた。振り返ると、右手を抑えた清志がこちらを睨みながら中腰で立っている。清志は再びポケットをまさぐると、本日二本目のナイフを取り出す。

␣…おいおい、どれだけ持っているんだ。

「外国人めっ!!」

␣清志はナイフを逆手に持つと、俺に向かって疾走する。が、充分な距離がある為、俺もすぐさま応戦に入る。

␣振り上げたナイフを持つ左手を、俺に向かって振り下ろすが、直情的な動きの為に予測する事は容易い。刀身が刺さる少し手前で、俺はナイフを持つ清志の左手を掴み、そのまま手をUターンさせる。

␣力の入り過ぎたその腕は、自らに返ってくる刀身を止めることなど出来るはずもなく、清志の右肩――鎖骨辺り――に刀身が見えなくなるほど、深々と突き刺さる。

「…あ…あぁ…。」

␣突如として襲われた肩の痛みと、一瞬の出来事に清志の理解はますます追いつかない。腰を抜かしたのか、その場でへたり込み失禁してしまう始末。

␣ナイフが刺さっている事は理解したのか左手でナイフを抜こうとするが、かなり深く刺さっている様でなかなか抜けないようだ。

「…さぁ、行こう。」

␣さすがにこの光景は美咲嬢には見せられないな。

␣運良く俺の体で何も見えていなかった美咲嬢を連れて、俺は元来た扉に足を運んだ。



␣外に出ると、先程の重苦しい空気とは打って変わって、清々しい空気を感じた。

␣まぁ、あの様な場所に100人近くの人間が集まれば、自然と空気が悪くなるというのもあると思うが。

「…あ、ありがとうございます…。」

␣外の空気に浸っている俺に、美咲嬢はお礼の意味を込めて頭を下げる。

「い、いや、お礼を言われるような事は何もしてないが…。」

␣そうだ、俺は恩を返しただけ。例え日本人が当たり前と思っていようと、俺からしたら特別な事なんだ。

␣…しかし何だ、この気持ち。少し言葉が出てこない。緊張をしてるのか?この俺が?

␣そんな感じで思考を巡らせていると、遠くから微かにサイレンの音が複数聞こえてきた。

␣…不味いな、今警察に職務質問や荷物検査されれば言い訳が出来ない。かと言って、美咲嬢と逃げるにしても説得出来る材料があるわけがない。

「…さて、どうするか…。」

␣ポツリと独り言を漏らす俺に、美咲嬢は首を傾げる。その時、廃工場の正門から一台のバンがかなりの速度で入ってきた。車種は暗くて分かりづらいが、NISSANのハイエースと似たような(フォルム)だ。

␣バンは、そのままの速度でこちらに直進してくると思ったらブレーキランプを灯らせ

減速し、リアタイヤを左に滑らせてドリフトを開始する。車は先程とは前後反対の状態で綺麗に俺達の前に止まった。

␣その一幕に、美咲嬢と俺は少し呆気に取られていた。そんな俺達を見かねたのか、後部座席のスライドドアが開き中にいる人物の姿が明らかになる。

「さぁ、乗って!」

␣現れたのは、ボブカットの少女…いや、少年だ。あまりの美しさとその体格で間違えてしまった。

「け、剣悟さん!?」

␣美少年を見て美咲嬢が声をあげる。どうやら知り合いらしい様子。ならば仕方ない。

␣俺は美咲嬢を担ぎ、バンに乗り込む。事は一刻を争うのだ。美咲嬢の知り合いなら、多少の信用は持てる。

「おう美咲、大丈夫か?」

␣乗り込んだ時、運転席から蛮声が飛んできた。見やると、見たことのある白ハット。

「あ、アンタ…!」

「おぉ、昼間の兄ちゃんか。」

␣運転席に鎮座するのは昼間に会った――小柏剛その人だった。

␣これには割と本気で驚いてしまった。が、これ以上に驚く事が待っているとは思いもしなかった…。

「お、叔父さん!?」

␣その一言に、俺の思考は完全に泊まってしまった。

初めまして、山あり谷ありと申す者です。


コツコツと書き溜めてきたものがようやく出来上がったのですが、気が付くとかなりの字数になっておりまして…。

本来ならば何分割かして投稿するつもりだったのですが、気が付くとこの有様で、どうすることも出来ない状況になっており、読者の皆様にはこんな無駄に長い小説を読んで頂けて本当に有り難く思っています。

投稿期間は不定期なので、この先どうなるか分かりませんが今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ