迷走の剣(3)
聖バウムガルトの校門を、三人がくぐってから数分後。
その今、
何故か三人は、校内の第二体育館の中でベンチに座りつつ、フェンシング部の練習を見学していた。
「それでは何か用事がありましたらお声を掛けてください。こちらは練習のほうを続けさせていただきますので」
「あ……はあ……」
丁寧な応対をしてくれたフェンシング部コーチの言葉に生返事をしつつ、東真はベンチに体を縮こめて座る。
その横には、呆けた顔の撫子。
さらに隣には、さもそれが当然とばかりに堂々とレリアが座っている。
すると、
「……ちょっと、東真……」
「……なんだ……?」
「何……この状況……?」
「それは……私が聞きたい……」
東真と撫子の短い問答は、そうして一旦終わった。
現在の状況は、第三者視点から見てかくの如し。
事態がいまいち飲み込めず、困惑する東真と撫子。
そんなことはお構いなしで、真剣に練習を見つめるレリア。
三人の反応はそれぞれ違うが、降りかかった事実は同じ。
成り行きとしてはこうである。
下校時のどさくさに紛れ、校内へと侵入した東真たちだったが、そこからの展開は、想定外の連続であった。
通りがかった生徒へ、馬鹿正直にフェンシング部の場所をレリアが聞き出したのを皮切りに、あとは異常とも思えるほどの都合の良さ。
「このたび、そちらの石取エミリエと対戦することになった者の身内ですが、ついては練習の様子などを見せていただこうと思い、まかりこしました」
このレリアの言葉に対し、聖バウムガルトのフェンシング部コーチだという人物は、
「それはそれは、わざわざのお越し、ご苦労様です」
これであった。
繰り返すが、事前のアポイントメントは取っていない。
大会の対戦相手の身内を名乗る者が、突然の敵情視察である。
普通なら、叩き出されても文句は言えない。
なのに、
「そうですか。鈴ヶ丘と松若の生徒さんとは。それだと、ここまではかなり距離もありましたでしょう。体育館の中は暖房も入っていますので、冷えた体を温めながら、ベンチでゆっくりご見学ください」
部長までもが、この返しである。
そういったわけで、
三人は今、フェンシング部が練習している第二体育館に置かれたベンチへ腰を下ろし、呆然とした東真と撫子も含め、レリアと仲良く練習風景を見学していた。
「まあ……何だろう。とりあえずは望んでた通りに、ことが運んだってことだし、素直に喜ぶべきなのかしらね……」
「……うむ。考えれば相手の親切に対して、変に構えるほうが失礼かもしれん。ここは先方の温情に甘えて、しかと見学させていただくこととしよう」
「ですから、最初から遠慮なんて必要無かったんですよ。おふたりは考え過ぎなんです」
「お前の場合は、遠慮が無さすぎだっ!」
複雑な心境ながら、どうにか状況を納得して話す東真と撫子に、無神経な言葉を挟むレリアへ向かい、東真は小声で怒鳴りつける。
運良く、都合良くいったからいいようなものの、聖バウムガルト側の人々がこれほど友好的でなかったら、今頃はとうに帰りのバスで揺られていたはずである。
その辺りの思慮が、恐ろしいほど欠落している。
だが考えれば、最初にレリアが松若へ現れた時のことを思えば、こうした展開はむしろ自然であったのかもしれない。
レリアに常識を求めていた時点で間違っていた。
現実としては、そういったところだろう。
と、
「あっ!」
レリアへの苛立ちもまだ収まらない東真の耳に、当のレリアが上げた小さい叫びが響く。
「な、なんだ?」
「あれです東真さん。やっと真打の登場ですわ」
言われて、レリアの視線の先を追う。
そこに、
いた。
エミリエ。
他の部員たち混ざり、軽く柔軟をしながら、体育館の中央に設置されたピスト(フェンシングにおける試合場のこと)へと上がっていく。
写真で見た印象と比べると、実物は幾分すらりとした体格をしている。
練習ということもあってか、防具はつけていない。
赤いジャージの上下のみ。
右手にだけ手袋をはめ、その手に競技用の剣を持っている。
二十一世紀とは違い、現在では競技フェンシングもかなりの変化を遂げた。
フルーレ、エペ、サーブルの三種目が存在していたフェンシングも、今では自由一種という、過去の三種目を混合したような種目ひとつに統合されている。
ピストの床に埋設された三次元立体式電磁判定装置のおかげで、勝負の判定は機械が正確無比におこなってくれる。
見ていると、ピストにはさらにひとり、部員らしき人間が上がった。
恐らくは、エミリエと実戦を想定した練習をする相手であろう。
「ようやくですね。東真さんと撫子さんは初見でしょうから、よく観察してください」
そう言うと、レリアは黙して集中し、これから始まるであろうエミリエの模擬試合に、視線を固定する。
こういう点でも、レリアという人間は判断しづらい。
こと、剣のこととなると、尋常ならざる集中をするが、一般常識がまったく通用しない。
典型的な(剣術バカ)の姿がそこにある。
とは、言うものの、
東真と撫子も目的は同じ。
エミリエという剣士の実地検分。
集中すべきは東真と撫子も同様である。
そうしている間にも、試合の準備は着々と進む。
今では、すべての判定は機械がおこなってくれるため、審判は実質、必要無いのだが、形式的な役割は果たす。
すなわち、
進行役としての役割である。
「Rassemblez Saluez!」
日本語に訳すなら、「気をつけ、礼!」であろうか。
フェンシングの進行は、すべてフランス語でおこなわれる。
この審判の掛け声に、両選手は姿勢を正し、剣を縦にして自分の面前にかざして礼とする。
次には、
「En garde!」
これは「構え!」の意。
これを聞き、選手はピストのスタートラインへ片足のつま先をかけ、文字通りに構える。
そして、
「Prets?」
選手に対し、「準備はいいか?」と、最後の確認。
それへ選手は「Oui」もしくは、「Non」と答え、両者が「Oui」と言えば、すぐさま、
「Allez!」
の声で試合開始となる。
というより、
試合開始、した。
始まったと同時、動いたのは、
エミリエだった。
一歩、一気に踏み込んだと見えるや、それに反応して突き出されてきた相手の剣を素早く払いのけると、即座、
「Riposte……」
微かに、レリアが声を出したのと同時、
エミリエの突きが、相手の左胸辺りに命中した。
まさしく、一瞬の攻防。
しかしこれはまだ始まりに過ぎない。
一回の有効攻撃につき一ポイント。
それを十五ポイント先取で勝利となる。
運や勢いだけでは決して勝てない。
そうしたルール設定。
求められる実力は実戦と変わらない。
「なるほど……確かに、かなり(使う)相手のようだな……」
「……東真さんも、そう見ますか?」
「ああ。瞬間的な動きではあったが、あのわずか一瞬でのリポスト……見事としか言いようが無い。それに……」
「それに?」
「それを瞬時に読んだお前の慧眼も、さすがだ」
「あら……」
エミリエの腕前を褒めつつも、レリアの洞察力を褒める東真の言に、レリアは少しく照れて、赤らめた顔を伏す。
そんなレリアの反応に、東真はまたぞろ気色が悪くなった。
すでに本人から否定はされているが、いまだに東真はレリアのことを完全には信用していないところがある。
最初に出会った時の、ぞっとした感覚。
忘れようとして簡単に忘れられるものではない。
などと、
変に精神の均衡が崩れたその時、
「……ねえ」
横から声がした。
撫子である。
「あんたらはなんだか基礎知識があるから分かるみたいだけど、あたしはフェンシングなんて全然知らないのよ。剣速も、やたらめったら速いから、何が起きたんだかよく分かんないし、少しは説明してくれたっていいんじゃないの?」
「ああ……そうか……」
不満げにささやいてくる撫子の言葉に東真も得心したのか、再開された試合の様子を見つつ、説明を始めた。
「いいか、西洋剣術の真髄というのは、その恐るべき剣速による電光石火の攻防にある。日本刀に比べて刀身が軽く、しなやかなその剣は元々の刃で敵を切るというより、鞭のような斬撃で速度による剣圧をもって敵を切る。何種類もの鋼を組み合わせ、強さと粘りを併せ持つよう作られ、丹念に刃をこしらえた日本刀とは目的こそ(切る)とか(突く)という部分で似てはいるが、その根本原理は似て非なるものと言えるだろう」
「いや……そこはなんとなく分かるけど、それよりさっきの戦いよ。何を何したんだか、目で追い切れなかったし、言ってる言葉は意味分かんないし、そこら辺を説明してっての」
「ふむ……」
言われ、ようやく撫子の疑問がどこにあるのかを理解した東真は、再び話し出す。
「さっきの戦いは、まず石取が軽く一歩前へと踏み出すことで、相手の攻撃を誘発したところから始まり、その時点で石取の剣が相手を捉えるところまで確定した勝負だ。一種の詰将棋のようなものだな」
「は……?」
「逆に分かりづらい例えだったらしいな。つまり、石取は先に攻めると見せかけ、攻撃の態勢を整えるふりをして一歩を踏み出した。これに相手は反応し、石取を迎撃しようとしたわけだが、実際には石取は剣を出さなかった。ここまではいいか?」
「うん……」
「そうなると、相手は飛び出してくると思っていた石取の剣……これを打ち払おうと剣を突き出したにも関わらず、石取は剣を出していない。結果、空を切る形になった相手の剣を石取は逆に払い落とし、そのまま突きを入れた。そういう流れだ」
「はー……あの一瞬の間で、そんな駆け引きをしてたってこと?」
「そうだ。秋城が言ってはいたが、なるほど、大した駆け引き上手だよ」
今度は東真の説明も分かりやすかったらしく、撫子も納得した顔でうなずいた。
そうしている間にも、すぐに再開されたエミリエの試合は進む。
剣と剣とを叩きつけ合うようなその戦いぶりに、今、納得したばかりの撫子の顔が曇る。
「……しっかし、えらく剣同士をぶつけ合うわねぇ。あんなことして平気なのかしら」
「お前の言わんとしていることはよく分かる。が、これも剣に関する文化の違いだ。日本刀はよく切れる反面、刃が極めて薄く、極めて脆い。そのため、実戦などではそうそう剣と剣とをぶつけるような戦い方はしない。ところが西洋剣術ではこれを当然の如くおこなう。逆にそこを起点とすることが多いんだ。アタック・オ・フェルは、相手の剣に自分の剣をうまく当てることにより、相手の攻撃を封じ、同時に自分が攻撃することを言い、リポストとは相手の攻撃を払うと同時に攻撃へ転じることを指す。どちらにせよ、剣と剣とのぶつかり合いから攻防の駆け引きが始まるのが基本といってもいい」
「ほんっと……いつもながらだけど、あんたって剣のこととなると、饒舌……というか、下手すると、もはやウザイわね……」
「……説明をしろと言ったのはお前のほうだろうに……その言い草はなんだ……」
親切心からの説明を撫子に煙たがられ、むっとした東真は、そこで説明を終了した。
話すべきは話した。
あとは見るのみ。
三人の試合観戦は、それからしばらく続いた。