迷走の剣(2)
好奇心に後押しされた行動力というのは強力である。
それに偶然が重なると、さらに凄まじい勢いがつく。
口ではなんだかんだと言いつつ、レティシアを心配していたレリアは、ちょうど今日、相手の選手であるエミリエを視察しようと考えていた。
そこへ便乗したのが東真と撫子である。
下校に際し、純花と紅葉に別れを告げた三人は、早々に近場のバス停からエミリエの母校、聖バウムガルト剣学院に向かう。
勿怪の幸いも言い過ぎではなく、実は松若近くのバス停からは聖バウムガルトへの直通バスが出ている。
これだけうまいこと条件が揃っていては、動かざるばなるまいと思うのが自然。
畢竟、東真と撫子、レリアらは、いそいそとバスに揺られて敵情視察と相成った。
以下、
行き掛けのバス内でのやり取りである。
「我ながら、なんとも酔狂なことだ……」
平均的な下校時間ということもあり、込み合ったバス内で吊革を掴んで立つ東真が、ふと本能に負けた自分を自嘲気味に言う。
確かに。
思えば酔狂ではある。
とはいえ、東真もひとかどの剣士。
面白そうな剣士の話を聞けば、見てみたくなるのも考えようによっては剣士ゆえ。
好奇心は好奇心でも、もはやこれは職業病のようなものと言っていいだろう。
そんな、どこか無用な後ろめたさを感じている東真に、並んで立つレリアはさも、うれしそうにして話す。
「でもうれしいですわ。姉のわたくしは立場的に義務がありますけど、東真さんまで我が愚妹の心配をしてくださるなんて」
「……あのさ。わざわざ突っ込むのもなんか恥ずかしいんだけど、あたしも付き合ってるってことを忘れないでよね」
「もちろん、存じ上げています。決して付き合ってくれとは頼んだ覚えはありませんけど」
「……なんだろう。この扱いの差に腹が立っている自分に対して、何故か腹立つ……」
実質、特に自分的には興味の無い撫子は、完全なお付き合いでの同行。
だけに、不本意。
この言われようは。
別に撫子はレリアに特別扱いをしてもらいたいわけではない。
わけではないが、
ここまで明らかに東真とは扱いが違うと、心のどこかに奇妙な嫉妬が生まれる。
そして、それが撫子には腹立たしい。
うらやましくもないはずのことを、何故かしらうらやましいと感じている。
人間の感情の複雑さが招いた不快感といったところだろうか。
そうした撫子の心情を知ってか知らずか、東真はふたりの特段、成り立ってはいない会話へと割り込んだ。
「まあ、秋城の妹には今までにいろいろと世話になっていることだし、もしも役に立てる面があれば、私も多少は恩が返せる。そう言う意味でも、この見聞は責任重大だな」
「あら、東真さんはそんなことお気になさらないでいいんですよ。あんな妹でよければ、いつでも好きなようにお使いいただいて構わないんですから」
「秋城……身内についてはへりくだって話すというのは形式的には正しいが、お前のそれは、あまりに妹さんが気の毒だぞ……」
呆れたようにそう言う東真なのだが、レリアは一向に態度を改める様子を見せない。
人様の家族のこと。
姉妹間のこと。
そういった事情だからあえて強くは言わないが、傍から見てのレリアとレティシアの関係は、どうにもひどい。
年功序列。
長幼の序。
言葉ではよく聞かされるが、レリアの場合、まるで実の妹を物のように扱っているようにでも感じられる言動や行動が目立つ。
それに対して一切、文句のひとつも言わないレティシアもレティシアではあるが、やはりこの姉妹は第三者からは計り知れない関係のように思える。
「……まあいい。とりあえずは妹のために敵情視察するくらいの気遣いはあるようだしな」
言っている内容の割に、声音は諦観を滲ませた東真が一言、つぶやくように言ったところで、ちょうどバスは目的地に到着した。
案の定、下りる人間は東真たちだけ。
乗ってくる人間のほうが、はるかに多い。
新しく乗車してくる学生たちに背中を押されるようにして、三人は降り口から外へ出る。
下りて、見て、
東真と撫子は、ほうっと、しばし見入った。
聖バウムガルト剣学院。
バス内では掴まっていた吊革が反対方向だったため、建物が見えていなかったが、改めて見るとやはり感心する。
ミッション系の学校に特有のキリスト教建築。
和の風情とはまた違った、異国情緒の面白さ。
以前にもレリアと会うために、鈴ヶ丘フェンサーズスクールへ行った際、東真と撫子は今回と同じような感覚を味わっている。
近代建築とはまた異なる西洋建築の様式美。
こういうものの良さは、文化は違えど伝わるものだ。
「なるほど……ここもまた……なかなか……」
東真も、切れ切れの感嘆を口にするしかない。
「鈴ヶ丘も随分と立派だったけど、ここも相当だねぇ……」
「おっしゃる通り、建物はそれなりです。けど、問題はそこに通う生徒の質。鈴ヶ丘と同列で語っていただきたくないですわ」
「まぁた負けず嫌いな物言いして……大体、ここもあんたんとこも、手練者はひとりずつしかいないのはおんなじじゃないのさ」
「同じじゃありません。鈴ヶ丘は、れっきとした士道学校。ここはあくまで準士道学校。雲泥の差です」
「準……士道学校?」
「士道学校の要項を、この学校はいくつか満たせていないんです。だから準士道学校。正式な士道学校に通うわたくしたちとは歴然たる違いがあるんです」
「はあ……」
相も変らぬレリアの負けず嫌いに、さしもの撫子も呆れ気味になったが、レリアの言い分は、ある程度は筋が通っている。
聖バウムガルト剣学院は、本来ならば士道学校として認定される基準は満たしているのだが、校風である「みだりに人を傷つけるべきではない」という理念から、真剣による戦いよりも、競技種目としての剣道……つまりはフェンシングに力を注いでいる。
このため、生徒たちは競技用の剣しか携帯を許されておらず、それなどが原因で準士道学校の地位に甘んじることとなってしまった。
教育理念の相違とはいえ、なんとも皮肉な話と言えよう。
「さ、もう時間も遅いことですし、急ぎましょう。こちらのフェンシング部が部活を終了してしまっては、わざわざ足を運んだ意味が無くなります」
「む、それはそうだな。で、手筈としてはどうなっているんだ?」
「……手筈……と、言いますと?」
「見学の手順だ。先方にはお前が連絡したんだろうが」
「そんなもの、してませんよ」
「……は?」
この受け答えには、東真も一瞬、そう言って固まってしまった。
「当たり前じゃないですか。相手の情勢を見るのに、連絡してから向かったのでは、手の内を隠される恐れがあります」
「ちょ、ちょっと待てよ……と、言うことは……お前、それって……」
「無論、アポイントは無しです」
すでに途中から予測していた答えではあったが、やはり直接聞くと、めまいすら覚える。
「お……前ってやつは、どこまで行き当たりばったりで行動すればっ!」
「もう、よろしいですから早く来てください。下校時間で校門が開いてるうちに入らないと、閉まってからでは入るのが面倒になります」
「面倒はもう、今の時点で起こしてるだろうがっ!」
ギリギリと歯を噛み締めながら、うなるように言う東真の言葉を完全に無視し、レリアはごく当然のことだとばかり、正門へと向かっていってしまった。