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プロローグ(2)


当世、復古主義に沿って復活した士道により、劇的に増えた商売がある。


刀剣商だ。


昔こそ土産物の模造刀などを売っている店はいくつかあったが、今は刃引きしているとはいえ本身を扱う店ばかりである。


特に、大和橋やまとばし界隈は古くからの刀剣商も多く、日頃の手入れや備品の調達などの小用以外には、近所の店ではなく、大和橋の老舗へ向かう人間は数多い。


そして、

そのご多分に洩れない少女たちがふたり。


お馴染み、松若刀剣学園の女傑たち。

紅東真くれない あずまに佐々撫子ささ なでしこ


つい先だっておこなわれた斬人狩りである士倉茜しくら あかね率いる関井道場へ遺恨の多勢と戦った傷跡は、今回は体よりも剣に深く刻まれた。


東真の剣に関してはそれほど大した傷みはなかったが、撫子の刀は彼女考案の新たな技、飛剣群鳥ひけんむらどりの無茶さ加減が如実に刀へのダメージとして出てしまった。


結局、剣は二週間の預かりとなり、代用刀を受け取って帰路につくことになったのである。

が……、


「……で、ササキ。今さらこうして聞くのもバカらしいが、お前はどうして用事を済ませたら真っ直ぐ帰るという思考が毎度のことながら回らんのだ」

年季の入った木製の椅子に座り、テーブルで湯気を上げている緑茶を見つめ、東真は言う。


「ったく、相変わらずあんたはつまんないこと言うわねぇ。せっかく大和橋まで足伸ばしたんだから、お茶くらいしていったっていいじゃないの」

「まあ……そうではあるが……」

向かい合って座り、こちらは焼きたてのたい焼きを頬張る撫子に言い返されて、東真は少し、はっきりとしない言葉を挟むと、


「どうも……私は、こういうところが苦手だ……」

眉をひそめてそう言った。


ふたりの今いるのは、大和橋の中央通りにある甘味処かんみどころ伊勢屋いせやという店である。


店先であんこ、みたらし、からみ、きなこなどの各種団子類や、定番のおはぎ。そして、一番人気のたい焼きなどを売っている。


店内ではそれらの出来たてが食べられることもあり、老若問わず、女性に人気だ。


そのため、女性客でひしめく店内は独特の雰囲気が漂い、こうした場が苦手な人間にとっては確かに苦痛であろう。


暗黙の女性専用。

そうした空気。


ただ、これが同じ女であるはずの東真にとって苦痛なのは、なんとも不思議というか、彼女の複雑な嗜好の難儀といえた。


とはいえ、

そこまで神経質に店選びをしていたら今度は撫子が苦労である。


そんなものは御免こうむるといった風で、撫子は一口、温かい抹茶オレをすすってから反論に出た。


「あのね東真、この寒空の下を歩き回って、あたしも体が芯まで冷えて辛いとこだったわけ。そう来れば、手近な店で暖を取ろうってことになるのは普通でしょうよ」

「いや、だからそれはそうだが……」

「大体、あんたの面倒な趣味に合う店なんてまともに探してたら、店が見つかるより前に凍死しちゃうわよ。それに女ばっかの店内はあんた苦手かもだけど、ここのたい焼きが絶品だってことは認めるでしょ?」

「む……」

言われて、東真は口をつぐむ。


撫子の言う通り、ここのたい焼きは絶品だ。

なにより、この寒さで凍えていたところに、焼きたてのアツアツとなれば、味は五割増しほどには感じる。


かじかんだ手指が、たい焼きと緑茶の湯飲みに温められ、徐々に感覚の戻ってくるのに、生き返ったような心地がしたのもまた事実。

そこを思うと、あまり声高には文句も言えない。


それに、

東真の嗜好は少々、わがままというか、考えようによっては失礼なところがある。


別に、東真は女性ばかりの環境が辛いのではない。

そこを言ったら、松若に通う彼女のクラスは女子生徒しかいない。


東真が苦手に感じる点。

それは、

復古主義で士道が復活したこの時代にあって、いまだ彼女の基準に照らし、軟派に感じる女性が苦手なのである。


色恋や物欲に心の半ば以上を支配されている手合い。

決してそうしたことが悪いわけではないのだが、硬派の東真にとっては、そうした女性たちのおこなう立ち居振る舞い、一挙手一投足が不快なのだ。


こればかりはもはや好みの世界としか言えない。


「ほら、無駄口叩く暇あったら、さっさと食べなさいよ。せっかくなんだから熱いうちに食べなきゃもったいないじゃない」

撫子に促され、東真もここは大人しく従った。


いちいちもっともだというのが大きい。

すでに店へ入ったからには、文句を言っても始まらない。


なら、味は間違い無く良いこのたい焼きを、熱いうちにいただくのが現在、彼女のとれる最良の選択。

思い直し、シッポ側の半分ほどになったたい焼きを口に運ぶ。


美味い。


皮は厚すぎず、適度で、外側がパリッとしているのに対し、内側は餅のように柔らかい。


良い小麦粉を使っているのだろう。

あんこが甘さ控えめなことを差し引いても、皮にも甘みを感じる。


所々の焦げ目の香ばしさが、より食欲を増す。


アツアツのあんこはつぶあん。

良い意味で目が粗く、ホクホクしている。


これをまた、香りの良い温かな緑茶で流し込む。


食事自体には何ら文句は無い。

それどころか、大いに満足だ。

客層を除けば、撫子の店選びに間違いは無かった。


そうして、

食べることに神経を集中したせいか、少しばかり落ち着いた東真は、ひと通り食べ終えると、ほっと吐息を漏らした。


茶には心を落ち着ける成分も含まれるというが、もしやすればそうしたものの効果もあったのかもしれない


などと思っていると、

満席に近い店内の、四人掛けテーブルの客が帰る。


どうでもよい話をいつまで続けているのかと、内心で少なからずイラついていた東真は、この出来事にも素直に喜んだ。


これでわずかばかりでも、店内が静かになる。

そう思って。


と、

考えていたところに、店を出る四人組の客と入れ違いに、また客が来た。


店員の「ありがとうございました」と「いらっしゃいませ」がほとんど被って聞こえる。


そこでちょっとだけまた落胆する。


せっかく静かになった店内に、また客か……。

勝手と分かっていながら、思わずにいられない。


悲しい性。

好む、好まざるという事柄だけは、残念だが意思によってどうにか出来るものではない。


理性で感情は抑えられても、感覚や意識までは誤魔化せない。

まあ、そうしたところだけで考えれば、東真も気の毒だと言えるだろう。


ところが、

新たな来客は、そんな東真の考えをひっくり返す。


目も向けず、諦念して緑茶を再びすすったところで、聞こえてきた声のせいである。


「たい焼きを三つ。それと、熱いのを一本つけてもらえるかい?」


耳に入ってきたのは、明らかに男性の声だった。


一瞬、聞こえたことから思い浮かべるべき現実が出て来ず、目を声のしたほうへ向ける。

見ると、二人掛けの小さなテーブルに、男性がひとり。


着流し姿で、藍の鮫小紋を粋に着ている。


総髪の黒髪は背中ほどまであり、体躯は細いが、しっかりしている。


歳は恐らく三十から四十といったところか。

涼やかな一重の目を細め、ニコニコと機嫌良く笑っている。


腰に帯刀していれば、なかなかに(使いそう)な男性であったが、どうやら剣は持っていないらしい。


「何、どしたの東真?」

「あ、いや……」

撫子から声をかけられ、はっとし、視線を戻した。


こうも女だらけの店内へ平気で、しかもひとりきりで入ってくるとは、この男性はもしやここの常連だろうか?


など、詮無いことを考えていたのを知られぬよう、あえて興味と話をそこで切ったが、撫子はそうした東真の態度こそ逆に気になり、それとなしに後ろを向いて件の男性を見た。


見て、

すぐに向き直り、


「へえ、珍しい。こんなとこに男のひとり客なんてねぇ」

小声でささやく。


「だな。だがさっきの注文の仕方からして、恐らく常連のようにも思える」

「男が?」

「それこそ偏見というものだろう。人の好みは十人十色だ」

東真の言に、多少納得しかねるような顔を撫子がしていると、そうこうするうち男性のところへ注文の品が運ばれてきた。


「お待たせしました。たい焼きが三つと、熱燗です」

店員は言い、持参した盆の上のものを順々に男性のテーブルへと置いてゆく。


それを聞いた撫子は、


「熱燗?」

抑えめとはいえ、吃驚のせいで音量が大きくなった声をあげる。


「しっ、静かにしろササキ。聞こえたらどうする」

対し、東真も声を潜めつつも、口に人差し指を当て、やはり少し大きな声で撫子を叱責した。


「……や、だって、たい焼き食べながらお酒飲むなんて、聞いたことも無いわよ?」

「当世に限らず、両刀使いはそう珍しくはない。というより、お前も人様をじろじろ見るな。相手へ失礼だろうに」

「はいはい……でもまさか、ここのお店でお酒なんて扱ってるなんて、それも熱燗だなんて、あたし考えもしなかったわ……」

「だから言ったろう。やはりあの男性はここの常連だ。普通ならあるとは思わん品物も平然と注文しているんだからな」

すっかり男性客に興味が出てしまった撫子を咎めつつ、東真は、これがそれほど妙なことではないことを重ねて話す。


さて、

話は逸れるが、


両刀使いとはこの場合、酒(辛党)も甘味(甘党)もどちらも嗜む人物を言う。


ちなみに、

西洋ではチョコレートを肴にしてウイスキーを飲む人も、よく目にする。


それどころか、甘いものを肴に酒を飲むと、悪酔いしにくいという説もあるほどである。

甘党や辛党など、傍の人間が勝手に色分けするのは下らぬことだという証左といえよう。


「にしても、どっちの好みもよっぽどよね。甘いものでお酒ってのも面白いけど、たい焼きをひとりで三つでしょ。男だからっていっても、結構な量よ」

「ま、どちらも相当に好きなのは確かだろうな」

言って、東真は好奇心が顔を出し始めた撫子を無視し、ぬるくなってきた緑茶に口をつけた。


すると、

少しして、撫子のほうから必死に抑えたらしき笑い声が漏れ聞こえてくる。


喉の鳴る、ヒィヒィという音まで、高い音のためによく耳に響く。


「……ササキ。一体何をそんなに笑ってる?」

「だ……だって、あのオジサン、すっごい美味しそうに、たい焼き食べてんだもん……」

そう言うと、撫子は再び笛のような笑い声を上げた。


そんな撫子の態度を見かねてか、東真も何がそんなに面白いのかと、文句のひとつも言おうと思い、男性の姿を確認してみた。


して、

見たが、

すぐに後悔した。


不覚としか言いようが無いが、

確かに笑えてしまうのだ。


いい歳をした大の男が、大振りなたい焼きを頬張って、子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。


ただそれだけ。

ただそれだけのことなのだが、その姿がまことに愛らしく、とても三十過ぎにしか見えない男の顔には見えないのである。


おかげで以後、

東真と撫子は、男性がたい焼き三つに熱燗一本をぺろりとたいらげ、ご満悦の表情で店を出るまで、笑いを堪えるのに四苦八苦することになった。


男性が退店して後、ふたり揃って堪えていた笑いを爆発させてしまったのは、東真にとっては慙愧。

撫子にとってはようやくの救い。


いよいよ居心地が悪くなり、東真は引っ張られるようにして撫子と店を出たのは、男性が店を出てからおよそ五分ほど経ってから。


そしてそれが、


東真と撫子が後日、縁する男性との最初の出会いであったことを、ふたりは後々になって知ることとなる。


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