決戦の剣(1)
向原には、全国の士道学校でもトップクラスのエリート校である向原剣技学校が存在する。
そのためというわけでもないが、
向原には士道学校に関連する各種競技施設が揃っており、大抵の催しは向原でおこなわれる。
そんな向原。
大和橋へも繋がる二朱判線からだと、終点が向原駅。
その駅を降り、繁華した西口に出ると、すぐに見えるのが向原国技会館である。
本来はその名の通り、相撲興行に用いられることがほとんどだが、近年では学生の競技大会はもとより、有名アーティストなどのコンサートにも使われる大規模施設。
それを今、遠くに臨み、東真と撫子は向原駅に立つ。
お互いにひと晩をかけ、雑巾のように頭を絞った挙句、結局は単に睡眠時間を失うだけで終了してしまった徒労に、心を虚しうしながら。
結果が伴っていれば、ある種の勲章とでも思えたろう、真っ赤に充血した目を細め、溜め息のひとつもつきそうな様子で、会館を見つめている。
「……で、その様子からして聞かなくても察しはつくけど、あんたはなんか思いついたの?」
「……察しがついてるなら、わざわざ聞くな……」
「とんがらないでよ……あたしだって、なーんも思いつかなかったから、結構ショックなんだからさ……」
寝ていないせいで気が立っているのだろうが、いつも以上に厳しい東真の口調へ、撫子も少しばかりイラついたが、それを表現する気力すらないのが正直なところだった。
完璧にふたりして徹夜。
一睡もしていない。
のに、
何も思い浮かばなかった。
得たのはただ、強烈な眠気と、猛烈な倦怠感だけ。
「なんか……無駄に悩むだけ悩んで、睡眠時間を奪われただけのような気がするのは、あたしだけ……?」
「……それを言うなササキ。私も辛くなる……」
本音であろう。
この世の中、必ずしも労力に見合った見返りがあるとは限らない。
とはいえ、しないわけにもいかない努力はある。
骨折り損のくたびれ儲けを絵に描いたような状況に陥っても。
報われない努力。
眠気と疲労。
これでレティシアが負けでもすれば、見事な三重苦だ。
「ところで……案内人のはずのパツキンメガネが見当たらないのは、どうしたことかしらね」
「ふむ。秋城とは西口の前で落ち合う約束で間違いは無いはずだが……」
「まさか、身内の勝負に遅れてくるなんてふさげたこと……あ!」
「どうしたササキ?」
「……いた」
言いつつ、一箇所を見つめて撫子が指を指す。
それを受け、東真も撫子の視線と指の先へと目を向けた。
いる。
レリアが。
駅の角にあるコーヒーーショップの中に。
少し遠めなので、はっきりと見定めることはできないが、確認できる範囲でも、カウンター席に座り、ひとり、呑気そうにカップから何やらすすっている。
「あのバカ……こんな時に、何をのんびりと茶なぞ飲んで……」
苛立たしげに東真がそこまで言ったところだった。
撫子が、早足に向かう。
コーヒーショップへ。
荒々しい歩の進め方に加えて、完全ないかり肩。
顔を見て確かめる必要も無い。
背中だけで感情が分かる。
怒っている。
それも、相当に。
これには東真も焦った。
無論、レリアの度を越した責任感の欠如は責めるべきかもしれない。
だが、
それどころか、この流れでは下手をすると大会前に撫子とレリアが喧嘩に突入してしまう恐れすらある。
寝ていないだけでも十分に辛いのへ、また面倒事かと、東真は頭を掻きたくなったが、そんなことをしている暇すら無い。
急いで、撫子の後を追う。
撫子が想像以上の早足であったため、追いついたのは危なっかしいことに、コーヒーショップの中へ入ってからだった。
「お、おい、ちょっと待てササキ!」
「……」
東真が後ろからかけてくる制止の声も聞かず、撫子はなお声も出さずに店内をずかずかと進行してゆくと、まもなくカウンター席にたどり着いた。
そこで、
バンッ、と、周囲の客にも構わず、レリアの座るカウンターテーブルを横から手で叩きつけると一言、
「何やってんだ、あんたはっ!」
あまりに、もっともな言葉。
待ち合わせ場所から勝手に離れ、コーヒーショップで……その時、見て分かったが、レリアが飲んでいたのはロイヤルミルクティーだった。
さておき、
待ち合わせている仲間の都合も考えず、コーヒーショップで悠々と暖をとっていたレリアに、激昂するのは撫子でなくとも当然だろう。
しかも、
今日はレリアの妹、レティシアの試合である。
いくらなんでも身内の大事に対し、緊張感が無さすぎると感じるのは至極、まっとうだ。
それもあって、東真もあえて撫子に口を挟まなかったが、
残念。
レリアの非常識な性格は、東真の予測をはるかに上回っていた。
百人が百人見て、どう贔屓目に考えても怒っていると分かる撫子の態度と言葉に、レリアはといえば、
「あら。もう来てらっしゃったんですね、おふたりとも。それにしても今日は一段と冷えますわね」
ふと振り返り、撫子を見て、手に持ったカップも離さずにそう言った。
この反応に、
当然の如く、撫子が怒鳴り声を上げる。
「あんたが冷えようが、あったまろうが、知るかこのバカ女っ!」
この叱咤もまた、当たり前。
東真に至っては、呆れすぎて声すら出ない。
それなのに、
レリアのほうはといえば、
目を丸くして撫子を見ていた。
まるで、
(何をそんなに怒っているんだろう?)とでも言わんばかりに。
この、打てども響かぬレリアの様子で、さらに怒りの度を増してしまった撫子は、続けざまに怒声を浴びせる。
「冷えますねと来ましたか。ええ、冷えますね。冷えますとも。そのおかげで、昨日は一睡もしていないってのに、立ったまま寝ないで済んでんのよ。あーほんと、寒くて大助かりだわ。人が必死こいて、あんたの妹を少しでも助けられればと、無い知恵絞って苦労した報いがこれか、この冷血人間、薄情者、常識無しっ!」
「……どうしたんです撫子さん。一体、何を怒ってらっしゃるんです?」
「それよ!」
「?」
「今、あたしが怒ってる理由すら分からないっていう、あんたの役立たずな脳みそが腹立つんだって言ってんのよっ!」
睡眠不足からくる苛立ちも手伝って、ここぞとばかりに不満をぶつける撫子。
それをまったく理解出来ず、首を傾げて見つめるレリア。
そして、
そんなふたりを見ながら、呆れ顔で、しきりに頭を掻く東真。
三者三様の、足並み揃わぬ現実をよそに、試合時間は刻一刻と近づいてゆく。




