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プロローグ(1)


今から数えておよそ四百年ほど前。


日本は江戸幕府、八代将軍である徳川吉宗の治世。

そんな江戸の片隅で、小さな道場が起きた。


真元流大場道場しんがんりゅう おおばどうじょう


浪々の身で諸国を剣術修行して巡り、新陰流と無外流を基礎とした独自の流派、真元流が始祖たる大場宗右衛門おおば そうえもんの世に出た瞬間である。


真元流は無外流の流れを汲むせいもあり、特に居合術に長けていた。


その集大成ともいえた剣技が無影むえい

真元流の皆伝奥義。


超高速の居合抜刀に加え、斬撃の動きどころか、抜き放った際の剣の光芒も、影すらも捉えることができないほどの速さで素早く鞘へと収める。


体得するのは並大抵のことではなかったが、それだけにひとたび身に付ければ、そのあまりの動作速度に追いつけず、対抗できるものなどまずいない。


それを、少ないながらも優秀な弟子たちはしっかりと受け継いでゆき、ある日、ひとりの剣士が旅立ちの時を迎える。


大場の門弟たちの中でも飛び抜けて優秀であり、師範をも任されていたという剣士、色宮宋雲しきみや そううん


彼は大場から皆伝を受けると、真元流を広めるべく、自身の道場を持つに至った。


だが、

数年を経るうちに、自身が目指す剣術と真元流との間に違いを感じ始め、やがて師である大場の許可を得て、己の流派、色宮流しきみやりゅうの看板を掲げることになる。


何ゆえ、宋雲が師とは別の道を選んだのか。


正確なところは謎だ。


しかし、

一説によれば、剣そのものよりも、それを扱う人間をどこまで高められるのかに興味が動いたためという話がある。


その証拠に、宋雲は晩年になって眼病を患い、それが元でついに彼の考えるところの究極的な技を編み出すことになった。


非視ノひしのし


目だけに頼るのでなく、全身のあらゆる感覚を結集してすべてを見通す絶技。


これをもって、宋雲は自身の流派がついに完成したと喜んだという。


そして、

それとほぼ時を同じくした頃。


いまひとりの剣士が、大場道場から離れ、これも異なる流派を起こした。


宋雲とは兄弟弟子であり、二年ほど遅れて大場道場に入ったこれも稀有な業前を持つ剣士。

関井玄馬せきい げんば


宋雲の独立後には彼の代わりに師範となったが、玄馬もまた、己の中で求める剣の道が微妙に真元流とは違うことに気付き、これも大場の元を離れた。


関井心貫流せきいしんかんりゅうの誕生である。


玄馬は無影がまだ居合抜刀術の限界とは思えず、さらなる高みを目指して研鑽を積み、ついに超絶技巧の奥義、音斬おとぎりを編み出した。


視認できる事象のレベルを超え、斬撃が終わる前に鍔鳴りがするとまで言われるほどの神速の域に達した技。


もはやこれに対処できる者などは存在しないだろう。

玄馬自身に限らず、周囲もまたそう思った。


だからというわけではなかったかもしれないが、

音斬の完成を見て、玄馬は久しく会っていなかった宋雲へ会いに出かけたという。


伝え聞くところによれば、

玄馬は大場道場時代、一度として宋雲に勝つことが出来なかったらしい。


そうした思いが、どこかにあったとしても不思議ではない。


ともかく、

玄馬は宋雲の道場を訪れた。


が、

その時にはすでに、宋雲は完全に視力を失っていた。


これを知った玄馬は、失意の中で形ばかりの挨拶をし、すぐさま帰ったという。


かつての兄弟子であり、目標にしていた宋雲の目が見えなくなっていたことは、玄馬には想像以上にショックであったのだろう。


ようやくに追いついたと思った相手が、勝負することもできない状態にあった。


自分の腕を証明する機会を永遠に失った事実。

それは玄馬には耐えがたいほどに口惜しかったのかもしれない。


以来、

鬱屈した玄馬の意思は連綿と関井心貫流に受け継がれ、色宮流との奇妙な因縁を形成してゆくこととなる。


四百年来の鬱積。

それは常人に理解出来る世界ではない。


恨みとも違う。

憎しみとも違う。


どう表現していいのか分からない、心の中の暗い澱み。


それは現在に至っても、両流派に影を落としている。


原因はどうあれ、長い因縁というのは、経た月日の分だけ変質し、異形に変わる。


捻じ曲がった関係は今や改善という希望的な方向に向かうには、あまりに奇怪なものへと変貌してしまっている。


とはいえ、

事実上、すでに流派として絶えたといってもいい関井心貫流を思えば、もうこうした因縁からは脱却したと考えていいのかもしれない。


そういう点では、物事を解決する最大の力もまた、時間であると言わざるを得ないだろう。


因縁を深めるのも時間。

因縁を解くのも時間。

まことに、世の理は複雑である。


ちなみに、

これもまた歴史の皮肉であるが、玄馬が対戦叶わぬと判断し、早々に立ち去った色宮の道場であったが、実のところ、宋雲は対戦するにやぶさかではなかった。


非視ノ視を体得していた彼にとって、目が見えないことは試合うことに何ら不便を強いるものではなかったのである。


そう思うと、また少し考えてしまう。


玄馬と宋雲。

ふたりがもし、その時に戦っていたなら。


結果はどうなっていたのか。


色宮流と関井心貫流の関係も、少しく変わっていたかもしれない。


ただし、

勝敗に関してのみは、おおむね察しが付く。


というよりも、

玄馬と宋雲の代理対決は、彼らの子孫がおこなっている。


関井影正せきい かげまさ


色宮道場に乗り込んだ彼は、当時の色宮道場主であった人物と戦い、敗れている。


つまりは、

もし過去に玄馬と宋雲が戦っていたとしても、宋雲が勝っていただろうという予測はできるのである。


ただ、

疑問には思うだろう。


音より速く繰り出される一閃を、果たして色宮流はどのように対処し、勝ったのか。


そうした疑問も、やはり時が解決する。


あの日、

あの時、

色宮道場でおこなわれた戦い。


それがどんなものだったのか。

真実は時間が教えてくれる。


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