第8話 価値観
「いつつ……ったく、あの夜叉姫が……」
「だ、大丈夫ですか……?」
俺は痛む腕を押さえながら、日向と部室へと向かっていた。
授業も終わったし、先に監督から重大発表があるだとかないだとか。
「でも唐沢先輩、生徒会されてるんですよね。あんな真面目そうな方なのに、珍しいもの見させていただきました」
「あいつは昔から真面目だからな。
なんだって努力で解決する、努力の天才ってやつだ」
昔はむちゃくちゃ不器用で、要領が悪いやつだったが…人一倍負けることが大嫌いな彼女は、血の滲むような努力を積み重ね続け、今では学校で一位を争うまでに至ったらしい。
だからこそ、何事にも真摯で真面目に取り組む姿勢がある。
予習復習、反復、そして確実に。
だから、今の緋奈がある。
「さて、そんなことしてる暇があったら部室に向かうぞ」
「は、はいっ」
そして、俺達は部室へと足を急がせる。
程なくして部室棟が見え、俺と日向は目的の野球部室の扉に手をかける。
その扉を開けると、既に全ての部員が出揃っていた。
静かに座っていた黒山キャプテンは、俺のほうを見ると忠告の言葉を発した。
「遅いぞ、桜井」
「すんません、ちょっと夜叉姫に追い回されていたもので」
「は?」
まぁそれだけじゃ伝わらないだろうなぁ。
「いえ、野暮用です。それで監督は?」
「ああ、監督はまだ職員会議だ。だから俺が代わりに用事について説明しよう――――みんな、静かにしれくれ」
よく通る声でその場を制し、部室を鎮める。
それから全員の顔を見渡し、キャプテンは話し始めた。
「いいか、俺達は今度のGW…三泊四日で合宿を行う。最後にはいくつか練習試合を組む予定だ」
練習試合という言葉が飛び出した瞬間、部室がざわつき始める。
おいおい、そんな都合のいい学校がどこにあるってんだよ。
「黒りん、一体どこの変態がうちと試合を組むの?」
「………黒りん言うな。と言っても、そのへんの一回戦レベルの学校だ。油断さえしなければ、負ける相手じゃない」
「じゃあこないだの伊丹みたいなのとはやらないのかよ」
食ってかかるような口調の遠山。
それを聞いた姫香が、それに対して答えた。
「アレはただの思惑みたいなものさ。うちが野球をやめざるを得ないためのな。そうだろう、先輩殿?」
「ああ、そうだ。初戦でああいうのとやれたのは非常に大きい。だが、基本的に女子が認められていない高校野球ではうちが強豪と試合など100年まってもできない」
だろうな。こんなふざけたチームと試合をしてくれる奴等はよっぽど相手に困っているに相違ない。
ならば、と夏希が反論してくる。
「じゃあどうするのさー? そんなんじゃいつまで経っても変わんないよ?」
「それは私から説明するわ」
その声に、ハッとなり全員が振り返る。
部室の開かれた扉のところで立っているのは、職員会議を終えたらしい監督の姿があった。
「ありがとうね、キャプテン。どれくらい説明した?」
全員の前に歩み寄りながら確認をとる。
「いえ、大した説明はしていませんよ」
「そっか、ならいいや。
――――まぁ、合宿があるのは先程の通り。主に一年生の実力アップに使うつもりよ。上級生は、自分のスキルアップを中心に組んでいく。
仕上げには物足りない相手と試合をやるけど、狙いはそれではない」
一瞬、狡猾な軍師のような顔を見せた監督。
目だけで見渡すと、何人かその顔にビビっている。
「うちの地区で、強豪はどこ? 敬麻」
「今治、松商、宇和島、斉美あたりですかね」
「うん、そうだね。だけど、今回組んだ対戦相手に今年化けた選手がいる弱小と組んだ」
「それは、どこですか?」
「まぁまぁ、それは秘密よ。とりあえず、ダブルヘッダーだから体調しっかり整えておきなさいね。
んじゃま、準備物とかはまた明日連絡するから。さっ、練習に散った散った!」
―――――――――――――
そんな訳でフリーバッティング中。
俺はというと、ネット裏で麻希にトスしてもらってトスバッティングをしていた。
麻希には速いテンポでトスしてもらい、同じ場所に着弾するように打ち込む。ぶっちゃけしんどい。が、一番大切にやっている練習である。
確かに俺のバッティングはみんなから凄いと言われる。が、残念ながら俺の体格はホームランを量産できるような体つきではないのだ。
技術、タイミングもそうだがなにより大事なのはバットをより速く振り抜くパワー。これがあるから、詰まってもより遠くまで飛ばせる。
あいにく体重も60台、タテも170後半くらいしかない俺にはふさわしくない。それでも、こうまで飛距離とホームランを伸ばせたのは徹底的に技術向上とフォーム改造を繰り返してきた成果。
いかに真芯で捉えるか。
いかに安定したヘッドを維持できるか。
いかにない力で、力のあるスイングが出来るか。
煮詰めに煮詰めてたどり着いた境地。
だが、まだ俺は上を目指す心算だ。
「ひゃあ………凄いね、一騎。ほとんどフォームも崩れないし、タイミングばっちりだよ」
「まぁ………徹底的に磨いたからな。つか、お前も制球力手に入れるために投げに投げたんだろ? 右手、タコだらけになってるから」
「うぇ、知ってるんだ……」
「いや、試合の時握っただろ」
「試合? …………………あー」
麻希は納得したように顔をしかめた。
ちなみに喋りながらでも、トスのタイミングと振り抜くタイミングはキープしている。
端から見れば一種の大道芸みたいだ。
「思い出した?」
「辱しめを受けたこともバッチリ」
「よー言うわ、半泣きだったくせに………よっ!」
最後のトスはより鋭く振り抜く。
バットを下ろして、一息入れてから二人でネット内のボールを拾い出す。
「そ、そりゃあ…あんな優しい台詞言われたら泣いちゃうよ。あんなこと言われたの、初めてだし」
拾いながら、そんなことを話す麻希。
「両親も否定的だったのか?」
と、聞いてみる。
「んーん、そんなことはないよ。ただ、楽しくないかもって言ってた。
でも、私は………投げられたら十分だから」
投げられたら十分だから。
その一言を放った麻希の瞳は、少し寂しさを漂わせた雰囲気だった。
俺の口から出かかった言葉は、キャプテンが交代を告げる声に押し留められる。
「んじゃま、打ってくるわ。終わったら軽く投げ込むか」
「うん、分かった」
麻希にそう告げて、キャプテンのところへ向かう。
「なんか話していたのか?」
「いえ、他愛もない会話ですよ」
キャプテンの問いにはやんわりぼやかして返しておく。
キャプテン自身もそれほど興味がなかったようで、そうかとだけ言って他の練習に混ざりにいってしまった。
(あの瞳………悲しそうだったな)
右打席に構え、先程の麻希の言葉を反芻する。
知り合ってまだ一ヶ月と立ってないが、麻希のことはなんとなく理解できていた。
だけど、支えになってやれるかまでは分からない。
(らしくないなッ!)
ぐるぐると頭が変な方向へと思考が走るのを強制的にシャットアウトし、打撃に集中する。
結局この日、柵直撃が15本、フェンス越えが2本に終わった。
────────────
「あー疲れたと」
「普通に寮長室でくつろがないでくれる?」
「いや、唯湖さんが来いって言ったんじゃないですか」
「まぁそうだけど」
夜。
寮長の唯湖さんに呼ばれて、寮長室で寛いでいた。
唯湖さんにはちょくちょくご飯を作ってもらったりして、よくお世話になる。
俺だけ構わないのか、と聞いたら「鈴音ちゃんの愛弟子だから」と言われた。
唯湖さんには近いうちにお礼とかしなきゃいけないな。
「でも良かったね、野球部も存続するし麻希ちゃんも残ってくれたんでしょ?」
「ええ、まぁ」
「…それで、抱きしめ心地はどうだったの?」
「ぶふっ」
コーヒーを吹きそうになった。
ちょっと口元から漏れていたコーヒーを拭って、唯湖さんの方を見る。
「なんで知っているんですか」
「寮長には恥ずかしい過去を読めるライセンスがデフォルトでついているんだよ」
なんて嫌なライセンスなんだ。
俺ははぁ、とため息をついてポットのコーヒーをマグカップに注ぐ。
「まぁまぁ、でもああいうのがあったから麻希ちゃんも元気出したんじゃない?」
「どうなんでしょうね…そのへんの事はあんまりわからないのですが」
正直、俺自身も思っていたことをぶつけただけであって別にどうこうしたいわけじゃなかった。
自分の言葉で麻希が元気になるなら、れで十分だった。………ただまぁ、自分の言葉にちょっと大げさというか自分の墓穴を掘るようなことを口走った気もするけど、案外そういうのは覚えていてもらえないからあんまり気に留めていない。
思いにふけっていた俺の横顔を見て、何を思っていたのか唯湖さんは俺の隣に音もなく忍び寄ると、ふぅと耳に息を吹きかけてきた。
「ぬああ!?」
突然耳に感じるぞわぞわ感に、俺は頓狂な声を上げてしまう。
そんな俺を見て、唯湖さんはくすくすと笑い出す。
「どんなことを麻希ちゃんに言ったかまでは知らないけど、自分の言葉にはしっかり責任持った方がいいよ。
君は捕手なんだから、そういった些細なことでもしっかり気に留めておかないと、麻希ちゃんたちのリードは務まらないと思うな」
「え、あ………その」
自分の心の中を見透かされたいたような感じがして、俺は言葉につまる。
きっと、この年上のお姉さんのような唯湖さんにはきっとそういう面では適わないのだろう。
「言いたかったことはそれだけだよ。桜井くん、色んなこと抱え込んでその場しか対処できなさそうな感じがするから。
行き詰ったときは遠慮なく誰かに相談するのよ?」
「………肝に銘じておきます」
唯湖さんに言われたことを心に刻む。
あいつらの相手は一筋縄では行かない…もちろん、彼女らを甲子園でプレーさせることもそうだ。
やることはいっぱい。だけども、抱え込まないように。
そう思うといてもたってもいられなくなり、俺は残っていたコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ん? どこ行くの?」
「ちょっと素振りに行ってきます。コーヒー、ごちそうさまでした」
そのまま、俺は寮長室を出て自分の部屋に戻る。それから、玄関先に立てかけてあるマスコットを持ち出して、寮の庭先に出た。
空を見上げると、満天の星が夜空を彩っている。この景色を見ていると、妙に清々しい気持ちになり落ち着いて素振りが出来そうな気がした。
思いにふけるのもそこそこに、俺はグリップをしっかり握って正面を見据える。
特になにかを捉えたわけじゃない。ただ、静かに前を向いて。
集中。
18m先に、振りかぶってボールを投げようとする投手のイメージを作る。
そのイメージの投手がボールを投げる。きっと、外角低めのストレートだ。
俺はその外角低めを打つイメージを持ってバットを振り抜く。
しかし、完璧なスイングではなかった。振り抜く瞬間に体の軸がぶれた気がする。
「ふぅっ」
一息ついてバットを握り直す。そして、前を見据えると…そこには麻希とすばるが立ち止まってこちらを見ていた。
俺は意表を突かれてしまい、思わず目を見開いて構えを崩してしまう。
「やっ、自主練習なんて頑張ってるね」
「お疲れ様」
そう言いながら、近づいてくる二人。どちらもランニングシャツと半ズボン、首にはタオルをかけたいかにも走り込みをしていましたというような出で立ちである。
「ああ、麻希達もランニングか?」
「うむ、投手は走り込みが大切なのだ」
「投手の魂」
大切なのは分かるが、魂と来たか。すばるの感性はよく分からん。
「君は?」
「俺か? 見ての通り、素振りさ」
「それにしてはとても集中してたね?」
「まぁ…ただ振るだけじゃ意味ないからな」
「…イメトレ?」
首を傾げながら、すばるが問う。俺は肯定の意を示しながらバットを担いだ。
「ああ。イメージしながら振るのと、適当に振るのとではまた違うだろ?」
「そうだね。意味もなく振ってたら、技術的な練習にはならないもんね」
うんうん、と麻希は頷く。
「だろ。麻希達のシャドウピッチングみたいなもんだよ」
「ああ、なるなる。投球イメージみたいなね。…………あ」
すると、ふと空を見上げる麻希。
一体どうしたと思い、俺とすばるも空を見上げる。
「なんだ、なんにもないぞ?」
「え、うん…なんかすうーっと流れたものがあったんだけど」
うーん、と唸る麻希。
ちょっと可愛いなと思いつつ、自分もなんとなく空を見上げていると、空を流れる一筋の光を見つけた。
「あ、流れ星」
「え、嘘嘘!? どこ!?」
麻希はそう言いながら必死に空を見渡しだした。俺はその麻希の視線を追ってみると、ちょうど中天を三度目の流星が空を駆けるのを見つける。
それを麻希も見つけたのだろう。中天を見据えて、指を差しながら感激の声を漏らす。
「あーっ! 見えた! うわー…初めてだなぁ…」
普段から素直な行動である麻希らしく、喜色満面ではしゃいでいる。すばるもつられてか、目がちょっと輝いていた。
「初めてなのか?」
「うん、流れ星は初めてかな。見たくてもいつもタイミング逃しちゃうんだよね………。叶えたいお願いがいっぱいあるのに」
流れ星が消えるまでに三度願いを唱えたら、いつか夢が叶うってやつか。
子供の頃はそれを信じてやまなかったが、大人の階段を上るにつれて、それが宇宙に漂う残骸の燃えカスであったり、隕石であることを知り、現実に向き合う。………いや、隕石は確かに流れ星であるが。
「確かに流れ星って実際はゴミとかだろうけど…………やっぱり、ロマンチックだよね。
ほら、若い男女が星空の許で寄り添ってさ………」
「…………………」
「な、なによその『これは乙女麻希ですわ』みたいな視線は! 一応乙女だよ!?」
「え…………」
「…その発言は、なかった」
「うわああああん!!」
ここは乙女座だと言うべきだったんだろうなぁ…。
悦に浸っていた乙女麻希はさておき、確かにロマンチックな事であるのは十分分かった。
「いや、でもいいよなそういうのさ。
頭ではそう思っていても、そういうシチュエーションって絶対恥ずかしいと思うし」
「だよねぇ、私も無理。恥ずかしくて逃げそう」
「…私も、無理………」
結論。みんなウブだ。
「でも、一騎は多分シラフでしてきそう」
「いやいやいやいや、無理だろ」
「あっ、それ分かるー! 一騎って変なところで鈍感っていうか愉悦部だよねー!」
なんだか言われたい放題されているな。
俺のどこが鈍感なんだよ。
つか、愉悦部ってなんだよ。
「忘れたとは言わせぬ、坊っちゃんスタジアム」
と、麻希がドヤ顔で言うもんですから俺は大人しく引くしかない。
「あいあい、悪かったと思ってるよ」
「え、それはそれで困る」
「どっちだよ!!」
「あだだだだだだ! ギブギブやめて私のライフはもうゼロよ!」
どっちつかずの反応にイラッときた俺は麻希のこめかみに握り拳を当てて地獄万力を食らわせた。
訳の分からんことを抜かすからだ。
しばらくしてすばるがオロオロし出したので、仕方なく手を離す。
麻希は頭を押さえて唸り声をあげていたが、やがて立ち上がってうがーっと吠える。
「痛いよ! 頭へこんだらどうするの!?」
「お前がどっちつかずの反応寄越すからだろうが」
俺が反論すると、麻希はなにやらぶつぶつ言っていたがそれはそれで割り切ったらしく、ひとつ咳払いして話題を変えた。
「そう言えば、明後日から合宿だね」
「ああ、三週間ぶりの試合もあるな」
「全力、全開」
そう。今思えば明後日から合宿なのだ。
たった4日間ではあるが、レベルアップには最適な集中練習。
やりたいこと、試したいことが山積みだ。
どれから手をつけていこうか今から考えていると、麻希は不安そうな顔でこちらを見てくる。
「私達、いいバッテリーになれるかな……?」
麻希は言わずもがな、すばるも少し思い詰めたような表情をしている。
気持ちはよくわかるんだよな。二人とも今まで本職でない捕手に受け続けてもらっていたから、おそらく自分の真価が活かしきれていないんだと思う。
そして、それを引き出せるか否かは………本職である俺に掛かっているのだ。
こいつらだけじゃない。
日向や、今は怪我でいない西音寺彼方。全員の気持ちをいつでも最高になるような演出をしなければならない。
そう考えると、生半可な気持ちではいられない。
「なれるか、じゃない。なるんだ」
「え?」
「だからさ、皆でなっていくんだよ。
それぞれが、それぞれの思う最高のバッテリーにさ。
まぁ、俺の体はひとつしかないから…ちょっとは目ぇつむってもらわなきゃならないけど………」
一人で四人もの面倒見るってのはとてつもなく難しい。マジで。
それをプロ野球選手はその4~5倍の人数を見ているわけだから、本当に尊敬できるよな。
「うん、そうだね……。皆で作るんだよね。
ごめんね、変なこと聞いちゃってさ?」
が、当の麻希は微妙なリアクションを寄越した。
や、まぁ気持ちは分からんでもないけど勘弁してくれ。
そんな微妙なスレ違い………?を抱えたまま、風祭ナインは合宿に突入する。
お久しぶりです、第8話でした。
今回は合宿に向けての前準備ですね。
次回からは合宿練習、そして練習試合へと繋がっていきます。