第4話 反撃
3回裏
羽田 三振
春香 三振
嵐 二飛
4回表
東門前 三振
伊丹 左飛
館山 三振
と、ダイジェストで試合は進む。伊丹は相変わらずの投球だが、復調した麻希もすごい。東門前を見逃し三振にした他、対角線ギリギリの投球など精密機械復活を完全に成し遂げた結果となった。そして、四回の裏。バッターボックスには先頭打者である一騎が入る。
「マウンドで抱き合うなんざ、考えられねぇな」
後ろから杉本が毒づく。しかし、一騎は完全に集中しているため杉本の声は届かない。
そして投じられる伊丹の第一球。インハイに迫る、のけ反りを誘うボール。もちろん、一騎が動じるはずはない。
(嫌な見送り方だな…)
杉本はやりにくそうな顔をする。そして、伊丹にサインを出す。伊丹は頷き、第二球目を投じた。同じくインに食い込むカットボール。最初からそれに狙いを定めていた一騎はフルスイングする。
ギィンッ
「しっ!」
少し鈍い当たり。杉本はしめたという顔をする。だが、打球はライトスタンドのファールラインギリギリに直撃する。
「「「長打コース!!」」」
風祭ナインは歓喜に沸く。一騎は守備がもたついている間に三塁まで到達した。
麻希たちは声を揃え、ナイバッチと一騎の健闘を称える。次打者には第一打席で本塁打を打った姫香が打席に入る。
(ふむ…オール後退か。一点の阻止より後を切ることを優先したか)
姫香はグラウンドの守備位置から伊丹学園側が何を狙うのかを冷静に分析する。姫香がそれを考えていたとき、杉本は姫香への配球を考えた。
(四点差だし、ここは長打警戒だけで充分だ。三振狙いの投球をさせよう)
そしてサインのやり取りの後、伊丹はセットポジションからボールを投げる。球威は劣るが、それでも140km/hの後半はゆうに出ている。姫香はそのボールを見逃し、次の球を待つ。しばらくの間の後、第二球目が投じられる。手元で変化するカットボール。どうやら見せ球だったらしく、ボールはストライクゾーンを通過しなかった。
(うむ…速い球速い球ときたら一騎なら立て続けに投げさせるが、この男に攻めるリードができるとは思わない。ならば、狙うはカーブかシンカーでシングルヒット狙いだな)
自分のやるべき事を見いだした姫香は一度打席を離れて軽く素振りしてから、もう一度入る。そして第三球目。姫香が予想した通り、遅めの変化球が来る。
キィンッ
(今度は流しやがった!)
「中継二つ!」
杉本は、直ぐ様姫香の進塁を阻止しようと二塁に投じるよう指示する。だが、打球は弾丸のように速い。ボールはあっという間に二塁を抜き、右中間の間を突き抜ける。
「よしっ!」
打球が抜けたことを確認してから、一騎は四点目のホームを踏んだ。ベンチに帰ると、麻希と日向がすぐさま飛び付いてくる。
「ナイスバッチ、桜井くん!」
「かっこよかったですセンパイ!」
「お…おう」
ベンチに帰っていきなりそれのため、どう対応していいか迷ってしまう。すると、次打者である要がいちゃもんをつけてきた。
「おうおう、可愛い女二人も侍らせて調子にのってんじゃねぇぞ!?」
「別に望んだ訳じゃねぇけどな…」
「…ちっ」
なぜか舌打ちされた。
「遠山くんは『羨ましいか、はっはー♪』って返して欲しかったんじゃない?」
麻希がそう補足する。要はああ、と頷く。
「桜井がそんなに笑いに疎いとは思わなかったぜ」
なかなかひどい言われようだ。どうやって言い返そうか考えていると、要は不意に話題を変える。
「まぁいい。麻希もなんだかんだで元通りになってよかったぜ。やっは桜井にハグられたのが効いたか?」
要は茶化すように聞く。途端に麻希は顔を真っ赤に染めた。
「むーっ!ていうか遠山くんネクストでしょ!?早く行きなさいよ!!」
「へいへい、桜井様のハーレムを邪魔するわけにはいかねぇからな」
「もぉー!!」
要はかっかっかっ、と笑いながらバッターボックスに向かう。夏希はレフト前にヒットを打ったようだ。
「もぅ、遠山くんデリカシーなさすぎ!変態だよ、あの人…」
麻希は要をけちょんけちょんに貶していた。日向は隣で顔を赤くしながら一騎に聞く。
「私…いつの間に桜井センパイに攻略されちゃったんですか?」
「攻略したつもりはないってか、ギャルゲーじゃないんだから攻略とか言うな」
一騎は少しだけ危ない話ではないかと感じた。
「しかしなぁ…」
「ん?」
一騎のぼやきに麻希が反応する。
「三回終わるまでと後でキャラが違いすぎないか?お前…」
「だって、桜井くんが頑張ってるって言ってくれたから…迷いがなくなったんだよ」
麻希は嬉しそうに話す。その表情がとても可愛らしくて、一騎はつい、口が緩んでしまう。
「どうしたの?」
麻希は純粋な瞳で見つめてくる。妙に無自覚な精密機械に一騎はちょっとドキッとなるが。
「ふふ…先程麻希くんをハグっただけでは飽きたらないか」
姫香のよく分からないセリフで一気に現実に引き戻された。麻希は顔を赤くして俯き、もじもじしながら一騎に聞く。
「え…私をぎゅってするだけじゃなくてあんな事やこんな事までしたいの…?」
「お前も悪ノリすな!」
姫香の思う壺にはなりたくないので、全力で阻止しようとツッコミを入れる一騎。が、3娘の暴想は加速する。
「やっぱり…わたしは攻略されたんですね…なら、『ヤらせろ』って言われたら断っちゃダメですよね…」
「日向もそのネタから離れろ!ただでさえ閲覧者が居ないのに更にいなくなる!!」
「麻希くんを食べるだけでは飽き足らず、日向くんにまで手を出したのか…鬼畜だな、桜井は」
「姫香が先に言い出したんだろ!?ていうか、みんなしてめくるめく卑猥な妄想はやめろ!!」
「お前らなにやってんだ…?」
いつの間にか要が帰ってきた。それをしめたと見た姫香が顛末を暴露する。
「桜井が麻希くんと日向くんを重ねて美味しく戴きたいそうだ」
「もっとヤバくなってるじゃないか!!」
しかし要は呆れながら答える。
「そんな桜井が変態だという事が確立されたようなこと言われてもな…」
要にとって元々そんなヒドイ評価なのか、俺…と一騎は思う。ちなみに麻希はすでにバッターボックスに入っている。
「ほら、泉のやつも満更じゃなさそうな顔してっからヤるならヤれるぞ?」
要は意味深長な言葉を言う。日向が妙に顔を赤くしていることからそっちの事だろう。
「だから、全年齢対象なんだからそういう話題は控えろよ?」
「でも、思春期の少年少女はそっちを期待すると思うが」
一騎は半場諦めながらも抑制をさせようとするがさすが思春期の少年少女。そっちの話は大歓迎のようである。
「はいはーい、麻希アウトになったから守備の準備しようね」
チェンジとなったので鈴音は一騎達の私語にストップをかける。
「まぁ…とりあえずこの裏しっかり守るぞ!」
「「「おー!!」」」
一騎の掛け声に皆が元気よく返事をして、持ち場に散っていく。
次の打者は久保からである。先程から打たれていたが麻希の調子が戻った今、全然驚異に感じない。
『インロー角にカーブ』
異常に正確なコントロールで、丁寧にコーナーを突く。対角線の投球。相手に踏み込む勇気を殺ぐ強烈なキレ、チェンジアップのような効果、三振を奪う大きな変化と、あらゆる状況に対応できる麻希の『チューンド・カーブ』。それに加えて一騎の効果的なリードの前に、伊丹学園は攻めあぐねる。
ガキィッ
久保は投げられたカーブを打たされ、サードゴロに終わる。麻希が復活したことで試合前のテンションが焙り返し、ペースを完全に掴む。
「くっ…」
続く中村も対角線の投球を使い、読ませないリードで三振を奪う。
カキィンッ
が、出たとこ勝負の一発屋にそれが通じるはずがなく。九番の小野にはライト前ヒットを打たれた。
「あちゃあ~…」
麻希はやらかしたという顔をする。コントロールを武器とする技巧は投手はつかみどころのない打者が一番苦手なのである。特に振り回しながらも器用な打撃をする打者が天敵なのだ。
(そういや、麻希が復調しなかったときにも打ち取ったと思った球を打たれたよな…次からは気を付けないとな)
一騎は今一度気を引き閉める。
次の打者から4巡目である。そろそろ相手もこちらの傾向を読んでこないとおかしいが、今回は麻希の事もあり読ませる気はさらさらない。
『外ギリギリに逃げるスライダー』
麻希は頷き、相変わらずの制球力でボールを投げ込んでくる。
『ストライク!』
少し内に入ったがバッターは手を出さず、またストライクゾーンを掠めたためカウントをひとつ稼ぐ。
『インハイにストレート』
一騎はのけ反らせるためにこのサインを出す。そして第二球。再び要求通りにボールが投げ込まれた。
『ボール』
勿論入っている筈はない。しかし、一騎が狙った効果は十分に取れた。
『アウトローにストレート』
麻希の代名詞である対角線の配球。前川は先程の投球で踏み込む事を渋り気味である。案の定、手を出すことはなかった。
『ボール』
これも外れてしまう。しかし、一騎の計算通りである。
『ボール半個内に修正。ストレート』
投球コースを少しだけ内側にする。今の麻希ならこのような芸当も朝飯前だ。
『ストライク、ツー!』
前川はまだ手を出そうとしない。先程の投球を見て、主審は思う。
(あの子…すごいな。構えた所に正確に投げている…そしてキャッチャーのボール半個の出し入れを完璧にやってるなんて…)
高校野球では、基本的にコースのサインは内側か外側かだ。かつて精密機械と呼ばれた大投手もコースを四分割するのがやっとと言っていた。それを高校生が、しかも女の子がそれら以上の投球を見せている事に感嘆の気持ちが出る。
『半個外半個上にストレート』
(私が調子戻した途端に要求がヤバイわ…でも、それが楽しいからいいけどっ!)
麻希は一騎の精密な要求に精密な投球で答える。まるで針の穴を通すかの如く正確に、一騎のミットに投げ込まれる。
(よし、外れている)
前川はそう踏み、余裕をもって見逃す。しかし、主審はまさかの判定をする。
『ストライク!バッターアウト!』
「なっ…」
『なにかね?』
「いえ…」
(くさいところに手を出さなかった俺が悪いもんな…)
前川は不服そうな顔をしたが、すぐに切り替えてベンチに引き返していった。
(ふふっ…、ジャッジも味方につけちゃうなんてね。本当に一騎は強かね)
鈴音は一騎のリードに感心したように呟く。そして、のんびり雑談していた日向に声を掛ける。
「日向」
「はいっ」
会話をやめて日向は鈴音のところへ駆け寄る。鈴音は日向に概要を伝えた。
「次の回からマウンドに上がってもらうから肩、作っておいて」
「え、近藤センパイ降ろしちゃうんですか?」
「うん。確かに今の調子なら完璧に押さえ込んでくれるでしょうけど、今日は初試合だからね。それに、折角だからみんなの勝負度胸や今の実力を図りたいから。ああ、勿論野球初心者の柚子ちゃんや心結は出せないけど」
「そうですか、わかりました。あ、すばるセンパイキャッチボールしませんか?」
「うん。監督、ならば私も出す気ですか?」
「そういうことになるね。ああ、どうせだから一緒に準備しちゃいなさいな」
「「はいっ」」
日向とすばるはグローブを持ってベンチから飛び出す。麻希はマウンドからその様子を見る。
(ありゃ?交代準備?)
(これからが麻希の本領になるんだが…)
一騎も同じことを考え、訝しむ。しかし鈴音には鈴音なりの考えがあるのだろうと思い、深く考えないようにする。
『次、アウトハイにスライダー』
前川と同様、ゾーン枠上に投球させていく。それまでの配球で完全に惑わされている大久保に打てる筈はなく、あやふやなスイングとなって三振した。
そして五回の裏。
(前進守備…)
希来は微妙な感想を持つ。希来の打力では内野を越せないと思ったか、あるいは足を警戒したか。どちらにせよ、内野は前進守備を敷いていた。
(どうします?監督)
希来は鈴音のほうを見やる。鈴音は希来にサインを出した。
(希来は速い球にはあまり強くない。足を警戒されたんじゃ希来には打たせれないかも)
『ヒッティング。バット短めにもって内野と外野の間に落とすようにね』
希来は了解のサインを返した。だが普通に短く持てば、外角に出されるだけである。希来は奇抜な行動に出る。
「なっ…!」
「え…」
「ほう…」
希来は右手と左手の間に拳一個分の隙間を作ってバットを握り、伊丹と対峙した。
「何あれ…天秤打法?」
実質野球の知識は皆無な怪物幼女、日向が一騎に質問する。
「あの方法だと、長打狙いか単打狙いか読みにくいだろ?そんで、投げたと同時に狙いの打撃に合わせてグリップを調節するんだ」
「バットコントロールのいい希来だからこそできる方法だな。でないと即興ではできないだろ」
横から確実に打席が回るのでその準備をしている敬麻も補足を加える。日向はふぇ~…、と感心した声をあげる。
「センパイ方詳しいですね…私、全然分からないですよ」
「いや、日向だって…ってろくにまともなこと教わってないのか」
「はい…。だからストレートもバックスピンということは覚えてましたから一人でマスターしましたし、ナックルも教則本から」
日向は顔に影を落としながら自身の過去を話す。敬麻と一騎は「あ、地雷踏んだ」という顔をしてしまった。
「日向、元気出しなって…次の回からマウンドに上がるんだから」
「あ…」
そこで、日向は顔を明るくする。
キィンッ
その時、小気味よい金属音がグラウンドに谺する。希来が放った打球は一二塁間を鋭く抜け、ライト前のヒットとなる。
「「「ナイバッチー!!」」」
そして恒例の健闘を称える音頭。敬麻は立ち上がるとバットを持ち、ネクストへ向かう。一騎の横を抜けるときに敬麻は一声かける。
「希来がランナーならダブルプレーはほぼ無い。だからちゃんと準備しとけよ」
「ああ」
敬麻は最後に一騎の肩に手を置いてからベンチを出た。
視点は変わって春香。春香は非常に戸惑っていた。
(さっきから…だんだん速くなってない?)
第一打席、第二打席ともにかなり余裕で球数を放らせていたが、この打席は本気で打ちにいかなければこちらが凡退してしまうほど球威が上がっていた。
(140km/h後半の球を裕にカットしてたからな…こいつにも本気で放らせないと)
杉本は嘆息しながら心の中で思う。そして粘りに粘った十球目。アウトローギリギリに投げられる球を春香は強振するが、ボールはバットを嫌うように外へ逃げていき、杉本のミットに収まった。
『ストライク、バッターアウト!』
(カットボール…まさか三振奪いに使うなんてね。でも、またかなり放らせることはできた)
自分の最低限の仕事はできたので、自分のクリーンアップに任せる。
『三番レフト、嵐くん』
名前を呼ばれ、バットにつけていた重りを落として屈伸を一回、二回としてからバッターボックスに向かった。
(こいつ、いかにもって顔しやがって)
伊丹は敬麻の成績を反芻しながら杉本からのサインを確認する。敬麻は今度は左打席に入っているため、内角クロスファイヤーを要求した。
『お前の球威なら押し込めるだろ』
『さぁ…意外と打たれるかも』
『こいつは2タコだ。次も失投に気を付けとけばなんとかなる』
『それもそうだな』
伊丹と杉本は小学校来からの間柄なので、アイコンタクトでのサインのやりとりも完璧である。
(なんでやたら石原都知事並みに瞬きが多いんだ…?)
敬麻は疑問を感じる。だが、どうでもいいことなのでスルーして構え直す。程なく、伊丹は第一球目を投じた。球は先程杉本が要求したインローへのクロスファイヤー。
「くっ…」
敬麻は自分の懐に食い込んでくるボールに対応できず、見逃してしまう。
『ストライク!』
一旦打席を離れ、軽く素振りして先程の引き腰を修正する。
(次は…?)
そして第二球目。今度は胸元に150km/h以上のボールが飛び込んでくる。
「ぐあっ…!」
敬麻はそのボールにつられて手を出す。もちろんそれが当たるはずはなく、2ー0となる。
「くそ敬麻ー!!なんでそんなくそボールに手ぇ出すんだよ!!」
ベンチから要が大声で怒鳴り散らす。それを希来と姫香がなだめている様子が見てとれた。
(わかっている!だが…こうも食い込まれてくると体が追い付かない)
敬麻は杉本の強気なリードに押し込まれている。
そう判断した鈴音は敬麻にサインを送る。
『次がストレートならバント』
鈴音にも、敬麻は打てないと見られたことに対し、敬麻は少し悔しい気持ちが沸く。姫香と一騎は打てたのに自分は…、と。このまま三振になるのは避けたい事態ということは分かっているので、了解のサインを返した。
『シンカー。外せよ』
『わかったにょろ』
『お前がアニヲタなのは分かったから、アイコンタクトでもアニメキャラ被れはやめろ』
『はいはい』
いつの間にかアイコンタクトでのサインのやりとりになり、しょうもない会話も混ざる伊丹と杉本。そして、セットポジションからの三球目。
「ゴォッ!!」
(((走った!!)))
モーションと同時に、一塁コーチャーに入っていた春香は希来をスタートさせる。
(くそっ、構うか!!)
伊丹はシンカーを投げることを優先する。敬麻はストレートではないので、バットを引いた。
(審判のコールがねぇ!?)
シンカーはコーナーギリギリではあったが、ストライクゾーンには入ってなかったようである。杉本は舌打ちしながら二塁へ送球する。
『セーフ!』
だが、スピードスターである希来がアウトになるはずはない。希来は悠々と二塁に到達し、体に付いた土を払っていた。
(なんつー早さだよ…杉本は投げたら速いんだがな)
ベースカバーに入った東門前は、希来の神速ぶりに感嘆する。そして受け取ったボールを伊丹に返した。
『もう一球シンカー。今度は入れろよ』
『わーったわーった』
第四球目。伊丹は再びシンカーを投じる。が、
『ゴォッ!!』
(((三盗!?)))
次の盗塁も、伊丹のモーションと同時のスタートとなる。杉本は捕球してすぐに投げるがボールが緩いため、悠々セーフとなる。伊丹も、顔から余裕が消える。
(ランナー三塁!)
(これで捕逸の危険から、落ちる球は考えにくい!!)
『ヒッティングに変えていいよ!そこは自分の判断で!!』
鈴音からヒッティングに変えていいというサインが来たので、敬麻はヒッティングにスタンスを変える。だが、長打は狙わずバットを短くもってランナーを返すことを優先する。
「内野中間!バックホーム体制だ!!」
杉本は伊丹ナインに指示を飛ばす。敬麻のバットの握りと状況から判断した守備シフト。
『カットボール。低めでつまらせる』
第五球目。杉本の要求通り、伊丹は敬麻の膝高さ辺りにカットボールを投げ込む。
(もらった!)
キィンッ
打球音と共に、ボールはセンター後方に向かって飛んでいく。
(上げちまった!飛距離は!?)
(充分、行けるよ敬麻!)
希来はスタートに備えて、いつでも走れるようにする。
『ゴォッ!!』
海太の合図とセンターの捕球はほぼ同じだった。そのお陰で、無理なくホームへ帰還することができた。
「「「五点目!!」」」
ベンチは歓喜に沸く。そして帰ってきた希来と敬麻を労った。
「羽田先輩早いですね!」
「うん、ありがとう」
「点入れただけマシか」
「要はなんちゃできてないけどな」
「てめぇ…」
「「「はははっ」」」
そんなベンチのやり取りを背に、左打席に入った一騎は思う。
(あと一点…これが入ったら完全に流れは掴む!!)
マウンドの伊丹はロージンを片手にマウンドを慣らしている。その間に、打席の前でバットを軽くスイングさせる。
(さぁ、こい!!)
第一球目。放たれたボールは山なりの軌道を描いて一騎のもとに食い込んでくる。
「っ!!」
構わずヒッティング。しかしボールの右半分を叩いたため、サード側のファールゾーンに消えていく。
(こらこら力みすぎ)
鈴音はあくまで一騎に任せる方向でいくようにする。
「しっ!!」
第二球目。アウトハイへのストレート。一騎は余裕をもって見逃すが審判にストライクをコールされる。
(一球遊ぶか…?)
一騎は次の配球を予測する。杉本は予測通り、伊丹に遊び球を放らせる。
『ボール』
これでカウントは2ー1となる。鈴音は一騎に次の予測球をサインで送る。
『次、シンカー来るよ』
一騎は了解のサインを出し、外に逃げるシンカーに対応できるようにベース寄りに立った。
『ベース寄りに立ったぞ』
『シンカー狙いなんだろ。伊丹、カットボールを』
『(^∀^)>』
『…絵文字はやめろ』
相変わらずのアイコンタクトの後、伊丹は胸元にカットボールを投げ込む。
(外した!!)
鈴音は自分の采配ミスを悔やむ。しかし、一騎はそれを視野に入れていた。
(ここなら、必ずカットボール!もう三回見たボールだから打てる!)
来たボールを、入れは今度こそ完璧に捉える。
キィンッ
入れのバットは快音を響かせ白球をかっ飛ばす。ライトが懸命に追いかけるものの、健闘虚しくスタンドの中へ消えていった。
『ほ…ホームラン』
(嘘だろ…?)
伊丹は驚愕した。確かにインコースにカットボールを投げ込んだ。コントロールミスをしたつもりはない。それでも、あの男はバランスを崩しながらでもライトスタンドへ放り込んだのだ。
(そんな…そんなに凄いのか、桜井ってやつは!!)
それと同じ頃、入れはホームに帰ってくる。案の定、麻希と日向が飛び付きながら得点を祝ってくれた。
「桜井くんかっくい~」
「せぇんぱぁい…//」
「落ち着け」
幸せそうに頭をすり付けてくる日向を引き剥がして、バットとメットを仕舞う。すると、鈴音も労いの言葉をかけてきた。
「ナイバッチ!だけど、さっきのも結構危なかったよ!打つべきかそうでないかの判断が甘い!」
鈴音はない胸を反らしながら熱弁する。一騎はそのポージングに「え~…」となりながらも、はいっと返事した。
「あ、そうだ。麻希も来て」
「はいっ」
元気のいい返事をして、麻希が鈴音の元にやって来る。二人のスタイルをみやって、鈴音に淡い同情を一騎は抱く。
「なによ、その『麻希と並べてみたら監督のぺったんこがわかるな』見たいな顔は」
「気のせいです」
いい感じに鈴音の反論を受け流し、話を本題に戻すように促す。すると、鈴音はそうだったと手をポンとならす。
「次の回から日向をマウンドに送るわ」
「あ、やっぱ変えちゃう?」
「まぁせっかく実力の程を知る機会ができたんだからね。今日せずしていつするの?」
「ですが、勝てなければ意味がないですよね」
一騎は正論をぶつける。しかし、鈴音は反論を許さない。
「まぁ今の麻希なら一捻りにできるでしょうけど。でも、すばるや日向もこの打線を押さえられなきゃたとえ女子選手出場解禁になっても、勝ち上がれないからねぇ」
それを聞いて、ああそうかと思う。確かに麻希は日本のどこを探しても一人いるかいないかの、刀で言うなら正宗くらいの強さを持つ。彼女が何らかの理由で試合に出れないとき誰が代役を遂行できるのか。また、麻希を使わなくても単独で十分相手打線を押さえられるかを見たいのだろう。全国区である伊丹学園はその絶好の練習相手というわけだ。
「うちなんかじゃ、全国区の高校が練習試合組んでくれないからねぇ。だから、少しリスクがあっても今やっておきたいわけ。私達は、甲子園を目指してるんだからね」
「ですね。じゃあ、すばるもいずれ?」
「うん、二人で2イニングずつ。これなら対応しきれないでしょ」
鈴音はふふん、と笑いながら言う。すると。
キィンッ
再び快音がグラウンドから聞こえる。姫香が打ったようだ。
「うわ、いった」
希来がそう漏らす。姫香の打球は美しい放物線を描き、センターバックスクリーン左の観客席の後ろに消えていった。その直後ドゴッという衝撃音の後に、「ぐわあぁぁぁ、マイホーム売って買ったフェラーリがぁぁぁぁ!!!!!」という男の人の叫び声が聞こえてきた気がしたが、一騎達はあまり気にしないことにした。
「くそっ、あのアマこれで3ー3の2ホーマー5打点じゃねぇか」
風祭ベンチが沸くなか、伊丹学園の監督は苦悶の声を漏らす。
「ていうか、何で今ごろワシが初登場なんだよ」
「最初作者は基本的に主人公サイドメインで書くつもりだったようですけど、無理ぽなんで両サイドにいい感じに話を振るようにしたそうです」
伊丹学園の記録員、徳島がご丁寧に説明する。
「まぁいい。新発田!!」
「はい、なんでしょう」
監督は新発田という選手を呼ぶ。
「二候川に肩の準備させろ」
「誰が受けるんですか?」
「杉本が150km/hの変化球を止めれるか?」
「まぁ杉本先輩は伊丹先輩専門ですからね。分かりました」
そう言って、新発田は二候川に声を掛けてブルペンに向かった。
「これで…流れが戻りゃあいいが」
監督は誰に言うでもなく、呟いていた。
その頃、マウンドでは肩を作りに表に出た二候川と新発田を横目に見ながら伊丹らが集まっていた。
「さすがに監督も黙っちゃいないか」
「これでとった分すべて取り返されたからな」
ファーストの久保、ショートの東門前が呟く。伊丹は黙ったままホームベースを見据えていた。
「じゃけんど、修吾もおずおず黙っちょらんやろ?」
杉本は押し黙ったままの伊丹に聞く。それに対し伊丹は黙ったまま頷いた。
「ほな、いつ降ろされるやー分からへんけど一球一球大事にな」
その言葉で各々が持ち場に戻る。そんな中、伊丹の胸中は悔恨の念で一杯となっていた。
(こんなとこでこんな連中に、負けてたまるかよ…!!必ず、俺のボールでねじ伏せてやる…!!)
(桜井くんがホームラン打った時点で、投手の顔色が変わってた!今がチャンスね)
所変わってバッターボックス。夏希は先程のプレイで伊丹が本格的に崩れてきたと踏み、止めを刺さんと意気込んでいた。そしてバットを構える。バット先を天に翳した小笠原道大に近いフォーム。
(さあ、なにからくる?)
振りかぶり、伊丹が一球目を投げる。放たれたボールは今までのそれと違い、唸りを上げるように夏希に迫る。
「ひゃっ!?」
突然良い球を投げてきたため、驚いてつい手を出してしまう。ミットに収まったボールを一瞥し、夏希は僅かに恐怖を覚える。
(嘘…さっきよりも球速と球威が上がってる…!)
そして間髪入れずに第二球目。その威力のあるストレートは、夏希のベルト高のインコースに投げ込まれた。夏希は迫ってくるボールに戦慄し、腰を引いてしまう。
『ストライク、ツー!!』
早くも追い込まれる。再び間髪入れず、伊丹は剛球を投げ込む。
(打たなきゃ…でも、怖い…!)
鬼気のある伊丹の投球に完全に気圧されてしまった夏希は、スイングに力が籠らない。
『ストライク、バッターアウト!チェンジッ!』
結局、夏希は三振に倒れる。夏希がベンチに帰ってきたとき、要は様子のおかしかった先程の打席について聞いた。
「どうしたんだ?なんか妙に速かったような」
「うん、速くなってたし…なんか鬼気迫るものが…」
顔に冷や汗を浮かべながら、先程の打席の事を話す夏希。姫香はふむ、と頷くとみんなに言った。
「多分だが、夏希くんに対しての投球が彼の本気のようだな。これ以後の得点はあまり期待できなくなるな」
みんなの表情が険しくなる。そんな中、そのムードをぶち壊すものがいた。日向である。
「そんな怖い顔しちゃダメです!わたしがどーんと、押さえますから後は桜井センパイが点を取ってくれます!!」
「いやいや、なんで俺だけなんだ日向」
一騎任せの日向に、呆れながら突っ込む一騎。しかし、みんなはそうではなかった。
「確かに、桜井ならなんとかできるかもしれないな」
「悔しいが、俺には打てなかったからな。お前と西條だけだろう」
「桜井くん、頼りにしてるよ?」
一騎が打ってくれる…その言葉がみんなの雰囲気を盛り返す。一騎は頭を掻きながらはぁ、と言いながら聞き返した。
「じゃあ、俺が点取ったらうちは100%勝つんだな?」
「「「あたりきしゃりきにぶりきにかんきり!!」」」
ピッタシ全員が声を揃える。一騎は頭を掻きながら再びはぁ、とため息をつく。
「じゃあ、この先は一点も取らせない。みんな、協力してくれるな?」
「「「おう!!」」」
「よし、いくぞ!!」
「「「いよっしゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」」」
一騎達は元気良くグラウンドに散っていく。
『風祭学園高校、シートの変更をお知らせします。ピッチャー、近藤さんに変わりまして、泉さん。九番ピッチャー、泉さん』
六回の表。風祭学園は投手を麻希から日向に変更した。投球練習をする日向を眺めながら、次打者である杉本と東門前は呆気にとられる。
「ちっせぇな…」
「なめられているのか…?」
もちろんこの二人は、日向のすさまじい剛球を知るよしもない。マウンドの日向はかなり軽くボールを投げていたからだ。
「じゃあいってくるけんの」
「おう」
杉本は東門前に軽く言葉をかけてから、やがて投球練習が終わったので、杉本はバッターボックスに向かう。
『プレイ!』
審判の合図で、6回の表から試合が始まる。一騎はまず、日向の大好きな高めのストレートを要求した。日向は頷き、投球モーションに入る。小柄にも関わらずダイナミックなフォームから繰り出されるストレートに杉本は驚愕する。
「んなっ…」
ドパァァァッ
ミットはそこら中に響くような重い音を鳴らす。杉本は、つられてバットを出していたのだった。
『ストライク!』
主審のコールがあってから一騎は日向にボールを返す。杉本も、先程の日向の投球練習とのギャップに唖然としている。
『なんだ…さっきの』
『ンゴーッ、って聞こえてこなかったか…?』
『150近く出てたりするのか…!?』
日向の凄まじいストレートに、スタンドはどよめきが聞こえる。
『日向、もう一球ストレート』
日向は頷き、第2球目を投じる。放たれたボールは砂塵を巻き上げるかのように、高めに浮き上がる。ちなみに浮くボールはしっかりミートすればよく飛ぶ。だが、今の杉本に打てるはずはなく。
「くぅ!?」
杉本は焦って手を出してしまう。むちゃくちゃに振ったバットがボールを捉えるはずはなく、一騎のミットに収まる。
『ストライク、ツー!!』
(よし、振った!)
一騎は、心の中でガッツポーズをする。日向も見れば、小さく拳をグッと握っていた。
(杉本は焦っている…次もストレートだな)
(あ、ストレート?でも、低めにってなってる…狙えるかな?)
日向は軽く疑問符を浮かべる。だが、自分に一騎の思考を凌駕する考えは浮かばないので、頷いて狙うようにする。
そして、モーション。二球目と違い、砂塵を巻き上げているような錯覚は見えるものの、高めに投げたように浮くことはなく低めギリギリにボールがいく。
ドパァァァッ
『ストライク!!バッターアウト!!』
これまた気持ちいい音を鳴らして、一騎のミットに収まり三振を奪う。打てなかった杉本は、非常に悔しい想いをもってベンチに引っ込んでいった。
「どうだった?」
東門前はベンチに引っ込む杉本に問いかける。しかし、杉本は頭を振った。
「ありゃあ、すごいっちゅうもんじゃない。立ってみたらわかるきんの」
そういって杉本はベンチに入る。それを聞いた東門前は首をかしげるだけだ。
「しゃす」
そして、挨拶をして東門前はバッターボックスに入る。
(そんなに凄いのか…?こいつ…)
東門前は日向の実力にいまだ疑問符を浮かべる。その様子をマスク越しに見た一騎は思う。
(たぶん未だ日向の実力に半信半疑なんだろ。ならば、教えてやるさ…)
一騎は日向にナックルのサインを出す。日向は頷き、セットポジションに入る。そして、投球。
(こい!!)
東門前は日向のボールに身構える。しかし、予測していたボール破向かってこない。
放たれたボールは無回転のまま、ふわりとした軌道を描いてベースに向かってくる。
「なめるなぁ!!」
東門前はバットを思いきり振り抜く。しかし、ボールは強烈に弾き返されることはなかった。
ゴキッ
「「「!?」」」
ボールはピッチャー真正面に転がる。日向は特に慌てることなく処理し、送球。ツーアウト目を奪った。
「嘘だろ…」
ナックルなんて…。東門前は驚愕した。無理もない、あの豪速球を投げる者がナックルを投げた日には、誰しも驚くはずである。
(あんまり放らしてなかったけど…きちんと投げれた。それにフィールディングも試合に出てないわりには上手いじゃないか)
一騎は、日向の先ほどのプレイを称賛する。その後、伊丹からも三振を奪い、日向は鮮烈なデビューを飾った。
ようやく戻ったチームの勢い。7-7の同点のまま、六回裏の攻防が始まる。