CALL4:「怒ってますか?」
「ナツミちゃん何飲む?」
私は栗沢さんに聞かれた質問にどう答えていいのか迷っていた。ここが大人の雰囲気いっぱいな高級なバーであって、不慣れで迷っていて、更には、私は今更未成年です、なんて言えない状況も手伝っていた。
「じゃあ僕が決めちゃいますね」
「あっすみません」
今頃四之宮はあの美人な女の人たちと過ごしているのだろうか。そう思うと段々と腹が立ってきた。やけ酒をする女の人の気持ちがちょっとだけわかったような気がした。
「スクリュードライバーになります」
ホンモノのカクテルを初めて見た私は少し興奮してしまった。綺麗にカットされたグラスにみずみずしいレモンがのっている。少しだけ飲んでみると、お酒とは思えない程飲みやすい。
「おいしい……」
――――
CALL
――――
初めて体験することが多すぎて、舞い上がっていたのかもしれない。カクテルを4杯。あっという間に酔っ払いの仲間入りだ。栗沢さんの話はとても面白かった。パリに出張に行ったときの話や、カクテルの話。どれも聞く人を飽きさせない魅力があった。
「だいぶ話し込んでしまったね。もうこんな時間だ」
時計を見ると、とうに日付は変わっていた。
「おっと忘れてた。はい。約束の携帯返すよ」
私は携帯のことすっかり忘れてた。そうだ、もとはと言えば栗沢さんが携帯を返してくれないせいで、私はここにいるのだ。カクテルにはまっている場合じゃない。
「栗沢さん、どうして携帯返してくれなかったんですか?」
「どうしてだろうね…君と話したかったから。いや違うな。ただナツミちゃんが気になったんだよ、どうしてもあのままで終わりたくなかった」
栗沢さんの言葉はストレートだ。聞いているこちらが赤面してしまうようなことを、すらりと言いのけてしまう。どう答えていいのか分からず、動揺する私の頭を、栗沢さんは優しく撫でた。
「車を手配するよ。ちょっと待ってて」
栗沢さんの後姿を見送りながら、きっとモテルんだろうなぁ、あまり働かない思考の中で、そんなことを思っていた。
私はやっと戻ってきた携帯をあけた。ハルナからの着信履歴が何件か入っている。きっと今頃心配しているだろう。その中に見覚えのある12桁の番号が混じっている。四之宮だ。単純な私の心臓は、たった12桁の番号にドキリとなる。あの男の携帯の番号だと思うと無性に鼓動が早くなった。
私は、私を苦しめる12桁の番号を勢いよく押した。あの男に電話するなんて、よっぽど酔ってるのかもしれない。
「はい、四之宮です」
「もしもし…」
「お前、なんであんな場所にいたんだよ」
今更だけど、やっぱり変装はばれていた。
「色々と事情がありまして…」
「今どこにいる」
「ここどこだろ…栗沢さんに連れてこられたから分かんない、
大人の雰囲気のバー?」
「栗沢と?
お前何考えてるんだ。言ったろ気をつけないと…!」
「そんなことはいいんです!それより私はあなたに言いたいことがあるんです。あなたに会った日から、私おかしいんです!先輩に彼女がいても全然悲しくないし、思い出すのはあなたのことばっかりだし、頭から離れないんですよ!!責任とってくださ……!」
「はい、そこまで。ナツミちゃん、たいぶ酔ってるみたいだね」
いつの間にか戻ってきた栗沢さんは、私から携帯を取り上げた。
「ちょっと、栗沢さん携帯返して」
思うように動かない体は、今の私の心みたいだ。勢いよく立とうとするも、足がふらついていて安定がとれない。
「おっと、危ないよナツミちゃん。
四之宮さん。悪いけど今日はこの子帰しませんから」
頭がガンガンと痛み出し、四之宮と栗沢さんの会話がよく聞き取れない。
「携帯返して…」
栗沢さんは、いつのまにか四之宮との会話を終わらせていた。折りたたみ式の携帯をパタンと閉じると、ストラップが情けなく揺らいだ。
「ごめん。やっぱり返したく無くなった」
携帯は栗沢さんのスーツのポケットにしまいこまれた。
「返したくないなホントに」
そういって、急に真剣な顔をした栗沢さんが何を考えてるかなんて、子供の私にはやっぱり分からないのだ。
「ナツミちゃん、僕の家おいでよ」
「へっ?」
栗沢さんの言葉に驚いた私は、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「栗沢さん、冗談ですよね?栗沢さんも人が悪いなぁ、酔っ払いをからかったらダメですよ〜。さぁ帰りましょう」
私は荷物を持ち、そそくさと店を出ようとする。
「ダメ。逃がさない」
栗沢さんは私の腕を掴み、先程までの顔とはまた違った大人の男性の顔をしていた。多分、こういう場面を絶体絶命と言うのだろう。逃げたくても逃げられない。可愛らしい見た目をしたカクテルたちは、予想以上に私の身体を蝕んでいた。
「栗沢さん、いい加減離してください」
腕を振りほどこうとするが、強く握られた手はピクリとも動かない。
「イヤだよ。あの人に渡すのは避けたいからね」
そう言うと、栗沢さんは真っ直ぐある一点を見つめた。あの人?不思議に思った私は栗沢さんの見ている方向を振り返る。ゆっくりとこちらに歩いてくる男は、私の心を乱す張本人だった。
「なんで……ここに」
「栗沢、子供相手に何やってんだよ」
「随分早いご登場ですね、四之宮さん。四之宮さんこそどうしたんですか?あなたが他人に興味を持つなんて珍しい」
「どうでもいいから手、離せ」
「嫌です」
「栗沢、俺は面倒な事は嫌いなんだよ」
挑戦的な笑みを浮かべる四之宮。すると今まで動かなかった腕は急に圧力がなくなり自由になった。栗沢さんは、困ったような顔を浮かべ、大げさに両手を上げた。
「はいはい、返しますよ。ただしこの借りは大きいですよ。四之宮さん、送り狼にならないでくださいね」
四之宮の車に乗り込んだ私は、未だに状況を飲み込めていない。私は、ただ四之宮がなぜ来てくれたのか、それだけを考えていた。
「相当酔っ払ってるみたいだけど、何杯飲んだんだ」
「スクリュードライバー4杯と半分」
「スクリュードライバーねぇ、はっアイツもベタな事を……。いいか、カクテルって言うのは意外とアルコール度が高いんだよ。何杯も飲むものじゃないんだ。お前未成年だろ。自覚しろよ」
「私だって別に……栗沢さんと飲むつもりじゃなかった……。ただ携帯を返してもらいたくて、あっ!携帯返して貰ってない……」
「ったく。お前には隙がありすぎるんだよ」
四之宮は相変わらず慣れた手付きで煙草に火を付けると、半分あけた窓に向けて息をはいた。その横顔はどんな綺麗な女の人も、引け目を感じるほど綺麗だった。
「どうして来てくれたんですか?」
「お前が責任とれって言ったんだろ」
淡々と話す四之宮の顔からは感情は全く読み取れない。私はさっき電話で言ったことを思い出した。あなたのことが頭から離れないなんて、普通に聞いたらただのくさい告白じゃないだろうか。いくら酔った勢いとは言え、大きな失態だ。少しずつ酔いが醒めていく感覚はあまりいいものじゃない。私は四之宮の考えてる事を必死に探った。けれど分かるわけなどないのだ。分かるのは私が四之宮を好きになってしまったということ、ただそれだけ。
「怒ってますか?」
「怒ってない」
「怒ってるじゃないですか!」
「怒ってない!」
急に大きい声を出されたことに、体は小さく揺らいだ。
「悪い。本当に怒ってないんだ。俺があそこに行ったのは自分の意思でだ。お前のせいじゃない」
一瞬、四之宮の表情に影が入り込む。
「でもまぁ、馬子にも衣装だな。案外まともに見えるよ」
そういった四之宮の表情から、影は消え、すぐに飄々とした表情になった。
「何それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味だよ。ちょっとは色気も出たんじゃねぇか?」
「まぁ、もうすぐ18歳ですから」
「18か若いな」
「四之宮さんて何歳?」
「25」
「うそ!もっと上かと思った」
「いい度胸してんな、お前」
四之宮は煙草を灰皿に押し付けると、私の頭をぐしゃぐしゃにした。
「ちょっ、せっかく美容室でセットしてきたのに〜」
「飾ってもしょうがねぇだろ。変に大人になろうとすんな。そのままで十分だろ」
ずるいよ。そう言われたら誰だって舞い上がってしまうに違いない。段々と私の家が近づくにつれ、欲が出てくる。もう少し話していたい。一緒にいたい。気持ちなんて簡単だ。好きだと自覚した瞬間にもっともっと好きになっていく。
「あっここが私の家」
「……そうか。じゃあな」
「ありがとう」
四之宮は初めて会ったときのように、暗闇の中で微笑んだ。きっと何人もの女の人がこの笑顔に夢中になったのだろう。そんな気持ちで、去っていく車を見つめた。
ハルナの言う社会見学はある意味、正解だったのかも知れない。その後、私は寝ているはずの両親にこっ酷くしかられる羽目になるのだが。
レディ・キラーなスクリュードライバー