おっさん素人釣行
『落合川での小物テンカラ』
玄関を開けると目の前に落合川。
溢れる湧水を集めて流れる、都内唯一の「平成の名水百選」に選ばれた清流。
少し上流へ足を延ばすとへら師御用達の弁天フィッシングがあるが、今日の目的は小物テンカラ。
テンカラ釣りとは、竿、糸、毛鉤だけで成立する非常に手軽な日本の伝統釣法である。
橋を渡り遊歩道に出る。まだ早朝なのに、カメラを構えた爺婆がカワセミを狙っていた。
面倒を避けるために爺婆から距離を取り、仕掛けを準備する。
と言っても、仕掛け巻から仕掛けを竿に結ぶだけだが。
通販で買った安い9尺のテンカラ竿に同じく通販で買ったテーパーライン。毛鉤は自作で、#20のフライフックに毛糸を通しただけの物。通称毛玉1号。
狙いはカワムツ。
ハヤやハエとも呼ばれる小魚の一種だ。
下流に行けばオイカワなども狙えるのだが、上流域のここら辺では水深が足りないのか、オイカワを見かけたことは無かった。
虹色の婚姻色が綺麗な魚なのだが……
まぁいい、今日は小物テンカラでカワムツだ。そのカワムツだって赤い婚姻色をまとった姿はとても美しいと思う。まぁ、自作の、毛鉤とは言い難い毛糸玉でも釣れるほどお馬鹿な魚なので、誰もその価値を認めたがらないようだが。
この遊歩道、早朝でも人通りは多い。先に触れた鳥目当ての爺婆や、駅への通勤に使うサラリーマンが結構いる。
テンカラは竿のしなりと糸の重さで毛鉤を投げる釣法。なので、意外と場所を取る。
昔、弟にルアーで釣られた経験のある自分としては、前後の安全確認を怠るわけにはいかない。
こんな小さな針でも、目に刺されば簡単に失明するのだ。
個人的な楽しみの為に人を傷つけるのは本意ではない。なので、安全確認は慎重に。
竿を軽く上げると、テーパーラインが弧を描き空中を踊る。
そのまま竿を降ろすと、張力で糸が前に飛ぶ。
しゅるしゅると糸が波状に流れ、狙った場所に毛鉤が着水……と行けば良いのだが、先に糸が水面を叩き、遅れて毛鉤が落ちる。しかも狙った位置とは程遠い。
ピシャ
着水と同時に銀色の鱗が水面に飛沫を飛ばす。
獰猛な鱗が毛玉一号を襲う。
これだから小物テンカラはやめられない。
キャスト失敗でも、自作の適当毛鉤でも取り合えず釣れる。
釣りは釣れるから面白い。釣れない釣り、それはホビーではなく、なんかの修行だと思う。
オレは勘弁願いたい。
獰猛な銀色は毛玉一号を揺らしたのち、静かに川面に消えた。
体長は6㎝ほど。毛鉤に対し小さ過ぎたようだ。
だが、気にしない。
どうせ一匹は釣れる。奴らは馬鹿だから。
馬鹿は大好きだ。下手のオレでも釣れてくれるから。
2、3回キャストを繰り返し、数歩上流へ進む。
そして、またキャスト。
狙い通りには飛ばないし、相変わらず糸が水面を叩く。
それでもバイトしてくれるので、落合川のカワムツは愛おしい。
なんでもこの地域の地下水は暖かいらしく、その湧水からなる川なので、通年で釣りを楽しめる。
魚も愛おしいし、川も愛おしい。
もっとも、自分が学生の頃はヘドロまみれのどぶ川だったのだが。
何度目かのバイトで遂にフッキング。
ここで慌てない。慌てて対応すると、軽い小魚など簡単にどこかへ飛んで行ってしまうから。
散々繰り返したので、もうそんな失敗はしない。
静かに竿を上げるとラインの先で踊る銀色。
10㎝ほどのまだ若いカワムツである。
釣れてくれてありがとう。
オレは慎重にラインの先をつまみ、軽くひねってカワムツを水面に落す。
#20のフライフックはバーブレスを選んでいるのでかえしはない。なので、手首の一捻りで簡単に針を外せる。
銀色の鱗を翻し、水面に消えるカワムツ。
一匹釣れると、その場所で次は釣れない。馬鹿なくせに賢い魚である。
なので、また数歩移動しようとして、前を塞がれた。
「なにをしてるの?」
赤いサマーセーターに、使い込まれた青いキックボード。
独身で子供もいない自分にはよくわからんが、多分小学生くらいの女の子。
声に責めるような調子は無い。純粋に興味を持っただけなのだろう。
オレがこの女の子くらいの年齢だった数十年前だったら、次代の女性アングラーの為に色々と解説することも出来た。
だが、今はそういう時代ではない。
「テンカラ釣り」
ぶっきらぼうに答えながら、身体を川に向け、女の子から視線を外す。
「てんから?」
女の子は乗り出す様にオレの釣り竿を見上げる。
「毛鉤を使った簡単な釣りだな」
答えながらも背中に冷たい汗が流れる。
先にも触れたように、この遊歩道は人通りが多い。
端から見たら、釣竿を持ってるとは言え普段着姿のおっさんと女子小学生の組み合わせだ。非常に世間体が宜しく無い。
「けばり……?」
女の子が首をかしげる気配を感じるが見ていないのでよくわからない。
つか、そうじゃない。無邪気なのか物怖じしないだけかは知らんが、君みたいな女の子が見知らぬおっさんに話しかけるもんじゃない。学校でもそう習ったでしょ? 習ってない?
内心は兎も角、ラインの先をつまみ、少女の方に差し出す。
「これが毛鉤。おじさんが自分で作った物だから只の毛糸に見えるけど、上手い人が作ると本物の虫みたいなのも出来る」
「ほんとにただの毛糸だね」
素直に言われて少し傷つく。
いや、自分で言ったので、この女の子に不満を持つのは筋違いだが、これでも一応、毛虫を模して脚を付けてあるのだ。まぁ、殆どほどけて波平の頭みたいにはなってはいるが。
オレは毛鉤を戻すと、川面に視線を落とした。
竿は振らない。これだけ近いとキャスティングは危険だから。
「……」
川面を見るおっさんと少女。
身動きとれないオレと何を考えてるか分からない少女。
シュールと言えばシュールな光景だが、その光景を楽しむ余裕はない。
頼むから、とっととどっかへ行って欲しい。
この時間が長引けば長引くほど、オレの世間体が地に墜ちていく。地元なので、ご近所さんはオレが独身なのを知っている。早朝とは言え、知人に見られたらどんな噂が流れるのか分かったもんじゃ無い。
「釣りしないの?」
どうやら、釣りする姿がご所望らしい。
「人が近くにいると危ないからね」
事実だが、それだけじゃない。数歩下がるだけでも、女の子を下がらせるだけでもキャスティングは再開できる。
だがしない。
飽きたのか呆れたのか、女の子がキックボードに足をかける。
「じゃあね」
言ってそのまま走り出す女の子。
オレは振り返らず、ゴーー……っとローラーがアスファルトを滑る音が遠のくを待つ。
川面には朝日がきらめき、小さな魚影が群れをなしてるのが伺える。
ローラーの音が消え、やっと女の子が消えた方向をみやる。
そこには赤いサマーセーターも青いキックボードも見当たらなかった。
オレはため息をつくと竿を縮め納竿する。
酷い大人だとは思う。だが、そうは言ってもこのご時世、気を付けるに越したことは無い。一歩間違えば、不審者か性犯罪者扱いされるのだ。
せめてイケおじだったら……いや、無い物ねだりをしてもしかたない。
彼女もこれに懲りて、見知らぬおっさんに興味本位で近寄らなくなるだろう。
それがお互いの為だ。
気を削がれ、徒歩五分の帰り道を歩く。
嫌な……と言うか、つまらん時代になったなぁ……自分がガキの時分は、もっと近所のおっさんおばさんと気軽に話せたものだったが……
まぁ、言っても仕方ない。適応するしか無いのだ。
オレの感想なんぞどうでもいい。
楽しい釣りのはずが、帰りの足取りはどうにも重かったのであった。
釣りをしてると本当にこういうことがあります。公園とかで家族連れの子供にだったら、竿を貸すこともやぶさかでは無いのだが……なかなか面倒な時代になりましたなぁ(-_-;)
あ、テンカラ釣りは楽しいです。気が向いたら次は柳瀬川のチャビングを書くかもしれません。




