豊穣の大地、イライナ
どうでもいい話
ミカエルの体臭はバニラの香り。
「ま、待ってくれ……やめてくれ」
血まみれになりながら、男は辛うじて震えた声を絞り出した。
辺り一面に転がる死体たち。
手足が千切れている死体がある。首から上がなくなっている死体がある。上半身と下半身に分断された死体がある。人間としての原型を留めていない死体もある。
すべて、”彼”のパーティーメンバーだったかつての仲間たちのものだ。
長い間苦楽を共にした仲間を目の前で殺され、自身も命の危険に晒されて、しかし男の心に浮かんでいるのは復讐心ではなく―――純然たる恐怖だった。
眼前まで迫った死の恐怖。
確かに最初は、殺された仲間の仇を討ってやろうという気概もあった。それほどまでに、仲間と過ごした時間は長く、結束は固く、そして彼の中で仲間の存在は大きなものだった。
しかし熱狂とは一時的なものだ。
それすら吹き消す圧倒的理不尽な暴力の前に晒されれば、儚くも消えるのが世の摂理である。
だから彼は、銃を突き付けてくる相手に向かって声を震わせながら助けを請う事しか出来ない。
「た、頼む、なあ……やめてくれ、やめて……っ!」
「……」
「―――撃てよ、”フルール”」
男の声に、コルトM1911を持つ褐色肌の少女―――”フルール”と呼ばれた彼女は、小動物のようにびくりと身体を震わせた。
本能で理解しているのだ。”命令に背けばどうなるか”と。
瞳を震わせ、呼吸を整えるフルール。命乞いよりも主人からの命令を優先するのだと悟った男が、彼女に縋るようにもう一度「殺さないで」と声を絞り出すが、それも虚しく銃声が塗り潰す。
ズドン、と.45ACP弾の荒々しい咆哮が響き渡り、全てを終わらせた。
ごめんなさい、と小さく絞り出したフルールの声。
しかしそれは、何の慰めにもならなかった。
観測歴38000年
6月30日
武装貨物船『ソーキル』
「はーっはっはっは!」
まーた人口密度が上がった。
ソーキルは極少人数で運用しているので空き部屋が多い。だから新しい仲間や客人がやってきたところで部屋はすぐに用意できるというのが大きな強み(そして行き過ぎた省人化の裏返し)であるのだが、しかし何故だろう、なんでみんな割り当てられた部屋で大人しく過ごしてくれないのだろう。
ボストンバッグを手に、人の部屋にやってくるなり100㏈の大声で高笑いするクロエ・クロワール氏。彼女は室内を見渡すなり「うーん狭いっ! 見たまえこの人口密度!」といいながら部屋の隅に荷物を置き、まるでオペラの役者のように両手を広げた。指先が壁に当たって「あ痛っ」って素の声が出てるのちょっとポンコツ可愛い。
「いやぁ、1人でも狭いけどこの一つ屋根の下に4人も集まると狭いねぇ!」
「なんでみんな俺の部屋に集まってくるんだよ」
「そりゃあ君がいるからさ、仔犬ちゃん♪」
くいっ、と指で顎を持ち上げてくるクロエ。口元には王子様のような甘い笑みを浮かべ、男装の麗人という事もあって異性同性問わず胸をキュンとさせてくる。ラウル君の内に眠るメスの部分を的確に刺激してくるの何なんだこの人。
本気なのか冗談なのかいまいち判断が難しい。それは俺だけではなくロザリーも同様の認識らしく、あまりにも露骨なちょっかいorアプローチにちょっとスイッチ入りかけの状態だ。「私の旦那様は渡さないよ」といわんばかりに俺の肩に寄り添うや、外敵を目にした猛犬のように唸り声を発している。
「でもまあ、この際狭さは気にしないよ!」
「いやフツーに自分の部屋使えよ」
「狭いという事はこの太陽の如きボクの魅力が隅々まで余す事無く行き渡るという事だからねぇ!」
「いやフツーに自分の部屋使えよ」
「はーっはっはっは! おっと、バスルームはここかい? トイレもセットになってるじゃあないか! お得ゥ!!」
「いやフツーに自分の部屋使えよ」
「寝る時はどうしよう……まあ、皆で仲良く寝ればいいか!」
「いやフツーに自分の部屋使えよ」
「着替えは……まあ麗しい乙女×4だから気にしなくていいね!」
「いやフツーに自分の部屋使えよ」
「ちょっとクロエさん! ラウルは私の旦那様なんだから!」
「あの、ちょっ、それ言ったら私ラウルさんの巫女なんですからね!」
むぎゅー、と左右からしがみついてくるロザリーとクラルテ。おいなんだお前らちょっ、放せ。放せって。
そしてそれに呼応するように指で顎クイってやってくるクロエ。うわあなにこれ女の子の匂いがいっぱいでラウルドキドキしちゃうワン。
「仔犬ちゃん、ボクはキミをこんな近くで感じる事ができて幸せだよ。荒々しいけれどもだからこそ厳しい環境に磨かれてきた美しさがキミにはある。そしてそれはこのボクに照らされてこそ真の美しさへと昇華するだろう……さあ、ボクと共に真実の愛を育もうじゃないか! はーっはっはっは!」
「え、なにこれプロポーズ?」
「ラウル!?」
「ラウルさん!?」
なにこれなにこれ、ちょっ、放してマジてちょっと。口説くな、口説くなクロエ。あと左右から引っ張るなロザリー&クラルテ。
というかこのビジホのシングルより狭い部屋に4人って無理あるだろマジで。この調子で同居人が増えていったらそのうち部屋の中ミッチミチになってドアの隙間から水分が染み出るレベルになるんじゃないのコレ。
そろそろ見張りの時間という事で解放してもらい、やっとの事で部屋の外に出る俺。クロエに関してはまあ、彼女の前ではメスになってもいいかなと少しばかり浸食されつつも、とある部屋の前を通る。
ミカエルと同行者のクラリスの2人が宿泊している部屋だ。一応あの2人にも個室がそれぞれ割り当てられているのだが、クラリスはというと「クラリスはご主人様の専属メイド、いわば半身のようなもの。それを隔てるなど言語道断ですわ!」と言い切って同室になっている。
部屋の中どうなってるんだろ、とちょっとばかりドアを開けて中を見てみた。
―――見なきゃよかった。
ベッドの上に腰かけたクラリスの膝の上で、お腹を上にして横になるミカエル氏(30)。そんなミカエル氏のお腹をすりすりさわさわしながら時折ジャコウネコ吸いして悶えている完璧メイドの筈のクラリス氏(32)。
アルカディアで見せていた威厳などどこにもなく、そこにはただ長身巨乳メイドに甘やかされジャコウネコ吸いされて悶える150㎝のハクビシン獣人と、そんなバニラの体臭を纏うミニマムサイズ獣人男の娘をすんすんハスハスクンカクンカする183㎝のでっけえメイドさんという異様な光景に、思わずラウル君は言葉を失う。
クラリスさんと目が合った。
「何見てるんですの?」
「サーセン……」
「見世物ちゃいますわよ?」
「アッハイ……ゴユックリ……」
なんだ今の。
とりあえず見なかった事にしよう、うん。
雲海を抜けると、やがて鈎状に湾曲した半島が見えてきた。
黒海に面するイライナの領土、『アルミヤ半島』。
アルミヤとは現地の言語で『軍隊』を表し、帝政ノヴォシア領時代から貴重な不凍港として冬季の海軍力の一翼を担ってきた重要拠点であった経緯から常に軍隊が駐留していたのが名前の経緯である、とされている。
という事は、と思い双眼鏡を覗き込んで最大望遠まで倍率を上げる。
レティクルの向こうに、ピンク色に煌めく海面が見えた。
「右舷見張り台より艦橋、右舷見張り台より艦橋」
《どうしたラウル、何かあったか?》
「右舷にアルミヤ半島、”腐海”が見える」
双眼鏡でしばらく見ていると、手が空いていたと思われるクラルテが艦内のエアロックを通って右舷の見張り台へとやってきた。口元に酸素マスクを装着している彼女が命綱を装着するのを待ってこっちに手招きし、双眼鏡を手渡す。
「わぁ……!」
以前に「いつか一緒に見よう」と約束していたイライナの絶景、腐海。
水深が非常に浅く、おまけに雨期もなく乾燥した気候が続くそうで水分の蒸発量が多く、潮の含有量は非常に多いらしい。それを使って塩を作るのが沿岸部では盛んらしく、その高品質な塩は世界中の美食家や料理人、宮廷御用達なのだとか。
それはさておき、あんなピンク色に見えるのは水深の浅い海底に繁殖する藻類のせいなのだそうだ。淡い桜色、見事な色合いのそれは宝石のようで、あれが人工的なものではなく大自然の成せる業だというのだから凄まじいものだ。
「きれい……!」
「約束、思ったより早く果たせたね」
「ええ。ありがとうございます、ラウルさん」
ぎゅっ、と手を握る。
いつか間近で見てみたいな、と言いたいところだが腐海はその名の通り腐ったような臭いがするらしい。あの辺の特有の気候で、海水がじっくり煮詰められる過程でそのような悪臭になるのだそうだ。
―――豊穣の国、イライナ。
国土全土が穀倉地帯という恵まれた環境であり、更に帝政ノヴォシアに統治されていた時代には急激な工業への転換のために巨額の投資を受けていた地域。それゆえに農業と並んで工業力も盛んで、今のキリウ大公が技術立国を掲げた事もあって高い技術水準を維持している。
この世界で唯一、第1文明以前から受け継がれてきた対消滅機関の製造・整備が可能な国としても有名だ。
天地戦争では食料の一大産地である事、工業地帯でもあった事から竜人側の優先攻撃目標となり一時は占領されるも、イライナ主導の反転攻勢により国土全土を奪還。勇猛果敢な軍人が数多く在籍していた事もあってイライナ軍の士気は特に高く、反転攻勢における重要な作戦の全てにおいてはその渦中に必ずリガロフ家現代当主『ステファン・スピリドノヴィッチ・リガロフ』の姿があったという。
そんな武功を打ち立てているのだ、宰相に指名されるのも頷けるというものである。
アルミヤ半島を通過し、腐海は見えなくなった。
「あ、写真撮ればよかったな」
惜しい事をした、と悔やむ俺を見て、クラルテはにっこりと笑う。
「良いのです。あの美しい光景は、私の心にしっかりと焼き付きましたよ」
だから良いのです、と微笑むクラルテ。
彼女が良いというならばそれで良いのかもしれない。
この思い出が、心の中に末永く刻まれるように。
俺もしっかり焼き付けておこう、と誓った。
「キリウ航空管制局より着陸許可下りました」
ソコロフが報告するなり、ソーキルが高度を緩やかに下げ始めた。
艦橋の窓の向こうに見えるのは、燦然と輝く白亜の街。
イライナ公国首都『キリウ』だ。イライナ国土を東西に分断する”ガリエプル”川の流域にある街で、東欧に広く住んでいる”スラヴァ民族”発祥の地であるとも、今のノヴォシア、イライナ、ベラシア三国の起源であるともされている。
雪のように白いレンガ造りの建物と、分厚いガラスで覆われたグラスドーム。あれは駅なのだろうか、蒸気機関車が車両を牽引しながらホームへと滑り込んでいく姿がよく見える。
グラスドームには補強用のフレームが入っているが、よく見るとそのフレームはイライナの国章でもある黄金の三又槍を象っているようで、青空を背景にして見上げると空にイライナの国章が浮かび上がるという洒落た設計になっているようだった。
艦が緩やかに進路を西へと取った。やがて舳先の向こう側に、空中艦用の巨大な滑走路が見えてくる。
『イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ記念空港』―――300年前、この地を襲ったという邪竜”ズメイ”を打ち破った救国の英雄イリヤーの活躍を祈念して建てられた空港なのだそうだ。様々な国際線から国内線、空中艦の受け入れを行っている国内最大級の空港として知られている。
3機の複葉機が上がってきて、ソーキルに向かい翼をバンクして挨拶してくれた。こちらもダイブブレーキをピコピコ動かして返答、ランディング・ギアを展開し着陸態勢に入る。
ソコロフの操艦はとても見習いには思えないレベルだった。艦首をやや持ち上げ、しかし艦尾を滑走路に擦らぬよう細心の注意を払ったランディング。まるで小鳥が木の枝に降り立つような、あるいは綿の上にふわりと着地するような見事な着陸に、艦橋内に「おお……!」と称賛の声が挙がる。
「いやぁ、どうもどうも」
照れながら頭の後ろを掻くソコロフ。
やがて滑走路に誘導車がやってきたので、誘導車がはためかせる紅い旗に続くようにして滑走路を移動。空中艦用の『15』と記された格納庫へとバックで入るや、ヴォイテクが艦内電話で「機関長、機関停止」と命じた。
「ありがとうヴォイテク」
「どういたしまして。んで、帰りはどうするんだミカ?」
「帰りもお願いして良いかな」
「いいよ。会合の日程は?」
「会合自体は3日くらいの日程だけど、個人的に故郷にも寄りたいんだよね」
「どこだっけ、アレーサだっけ?」
「そうそう、南方の港町」
という事は、今回は長期の滞在になりそうだ。
クラリス、と声をかけ報酬を用意させるミカエル。言われるよりも早くブリーフケースを手にしていたクラリスが、ヴォイテクにそれを手渡す。
中身は札束だろう……たぶん。
「さて、イライナの滞在は長くなりそうだから、君たちも好きに行動するといい。観光するなり仕事をするなり、自由だよ」
ウインクを添えながら言うミカエル。
久々の地上だし、この前はあんな大仕事もあったからねぇ……久々に羽を伸ばしても文句は言われないだろう。
そうと決まればやる事は一つだ。
御三家
この世界において優秀な魔術師を輩出している家系の事。かつては多くの名門の家系が存在したが、長きに渡る天地戦争で跡取りたちが戦死し血筋が途絶える一族が続出してしまい、3つの名門だけが残る結果となった。
観測歴38000年の時点ではイライナ公国の『リガロフ家』、倭国の『速河家』、浮遊大陸ブリタニアの『ペンドルトン家』の3つが名門の一族として残っており、”御三家”と呼ばれるに至っている。
特にリガロフ家は長女アナスタシアを筆頭に、長男ジノヴィ、次女エカテリーナ、次男マカールの4人姉弟全員がSランク魔術師とされており、御三家の中でも特に一大勢力を築いていると認知されている。加えて天地戦争における父ステファンの武功もあってリガロフ家当主ステファンはイライナ公国の宰相としてキリウ大公ノンナ1世から直々に指名されている。




