雲海の果てに眠るもの
どうでもいい話
クラルテは最近ついにラウルに着せる予定のベビー服を自作し始めた。
観測歴38000年
6月4日 4時22分
浮遊大陸カッパドキア沖 早期警戒ライン
巨大な綿菓子のような雲海から、唐突にパイプ状のプローブが突き出た。
―――潜望鏡だ。
潜水艦に搭載され、海中から海面の様子を確認するために用いられる潜望鏡。それがよりにもよって高度3500mの空に浮かぶ雲の中から突き出ているのは、潜望鏡とは潜水艦のものであるという認識が一般化している我々には違和感しか感じないのかもしれない。
確かにそれは正しい。本来、潜望鏡とは海にあるべきで空にあるものではないからだ。
次の瞬間、唐突に雲海の表面が割れた。
中から姿を現したのは水上艦艇を彷彿とさせる鋭角的な穂先と、赤く塗り分けられたバルバス・バウ。雲の中から一瞬だけ覗いた船体下部からは左右へと伸びるレシプロエンジンのエンジンポッドが、船体後端には二重反転型の大口径プロペラがある。
―――【潜雲艦】と呼ばれるタイプの空中艦だ。
通常の空中艦とは異なり、雲の中の航行と潜航能力に最適化された特殊艦艇。騒音の激しいレシプロエンジンを通常航行時に、潜航中は音の小さな低出力型魔力エンジンに切り替える事で、静粛性を保ちつつ雲の中を隠れ蓑とし、敵艦を砲撃や対艦ロケットによる攻撃で一方的に殲滅できるという強みがある。
協商連合―――その中核をなす冒険者ギルド【血盟旅団】が保有する『U-2207』もそのうちの1隻であった。
浮上するなり、収納されていたガラス張りの艦橋が船外へと露出を開始する。
夜の雲海に佇むU-2207の艦橋内で、貴重な潜雲艦を預かる艦長―――【カーチャ・パヴリチェンコ】は貧乏くじを引いてしまったものだと溜息をつきながら、副長が持ってきてくれたマグカップを受け取った。血盟旅団名物の塩入りコーヒーを口に含む。雑味の消えた深い苦味と香り。しかしそれでも、心の中のもやもやした気分を晴らすには至らない。
だが止むを得ない事だった。
戦艦や巡洋艦を中核とした”モニカ艦隊”は力押しを得意とする性質の艦隊だ。こういった特定の対象の監視や通商破壊にはとにかく不向きである。
4隻の潜雲艦で構成される”カーチャ艦隊”が割り当てられるのも当然であろう。特定空域の警戒や通商破壊、偵察はいつも彼女の仕事である。
《―――艦長、3時方向に感。距離8500、魔力反応増大中》
来たか、とカーチャは目を細めた。潜望鏡を覗き込んで最大望遠に切り替え、3時の方向を確認するカーチャ。
さながら野生の勘を取り戻した猛獣の如く、目を細める。
確かにそこに艦隊の姿が見える。その空域に留まって、他の艦隊の到着を待っているようにも思える。
空中巡洋艦に空中巡洋戦艦、多数の空中駆逐艦。足の速さで電撃的に攻め込みつつ砲撃の火力と物量で圧倒するための艦隊と見えた。
船体にはハートを貫く剣のエンブレムがある。
レギオン【ミストルテイン】所属の艦隊だった。
古株の冒険者レギオンであり、協商連合の技術と財産を狙っては幾度となく砲火を交えてきた”商売敵”でもある。その度にカーチャの旦那により各拠点に強盗に入られて金品を強奪されるという報復を受けており、協商連合内部ではATM呼ばわりされている哀愁漂うレギオンだ。
いったいどこでカッパドキアの件を嗅ぎつけてきたのか―――面倒な、と胸中で吐き捨てつつ、カーチャは命令を下した。
「ブリッジ収納、潜航開始。高度3300まで潜って」
《了解、潜航開始》
レシプロエンジンの唸りが鳴りを潜め、動力が魔力エンジンへと変わっていく。
艦首が雲海に沈み込むのと並行して、ガラス張りの艦橋も艦内へと引き込まれていった。
1分足らずで雲の中へと潜るU-2207。
ミストルテイン艦隊は、狩人の存在に気付いていない―――。
「こ、こんなのとかどうでしょうか……?」
「「おー!」」
試着室から出てきたクラルテの姿に、俺とロザリーは一瞬で目を奪われた。
豊満極まりない身体を覆う少ない布面積。深い蒼に染まった布地は世界を覆う大海の如しで、胸元ではJカップにも達するバストが苦しそうに押さえつけられている。水着というよりは”枷”のように思えてしまうのは気のせいだろうか。
しかし色気を強調しているばかりではない。半透明のヴェールを思わせるパレオの存在が、大人びた雰囲気と清楚さを醸し出している。さながら普段の公務を忘れてプライベートビーチを訪れた貴族の令嬢のようだ。
バストもそうだが、クラルテのお腹に視線が行った。
やはりというかなんというか、”ユリーカ”で巫女として転生者に仕えるための訓練を経てきたのだろう。引き締まったウエストは女性の格闘家のように引き締まっており、真っ白な肌の内側からはうっすらと割れた腹筋が見え隠れしている。
「ら、ラウルさん、どうでしょうか?」
笑顔で頷き、100点と記載されたプラカードを掲げた。
「美しい……まるで天空に咲く華の如し」
「うんうん、綺麗だよクラルテ!」
そう言いながら俺の腕にぴったりとくっついて離れる気配のないロザリー。彼女は彼女で何か俺の気を引こうと露出のエグい水着を選ぶのかと思いきや、動きやすさと機能性を優先したスポーティーなデザインの水着だった。
もっとこう、えっちな水着にするんじゃないかと目のやり場の候補をいくつか考えていたんだが、杞憂に終わって何よりである。でも腕にくっついてきてKカップの胸を押し付けてくるのはなんというか、それはそれでアカンとラウル君思うの。
なんだろう、後ろにいる海パン姿のユリウス兄貴の後方からどす黒いオーラが見える……。
コレ迂闊な事したらショットガン担いで結婚式に殴り込んできそうで怖いんだけど。
「ところでラウル?」
「何?」
「何故ラウルの胸元にはさっきから謎の光が?」
それは俺も思ってた。
エンジェルパレス内にある洋服店の水着コーナーで海パンを購入、プールまでの距離が近いからそのまま水着姿で直行する事になったのは良いのだが……なんだろう、水着姿になってからというもの、ラウル君の胸元にはまるで深夜アニメのような謎の光が常に展開して大事な部分が見えないようになっている。
いやあの俺男なんですが。
分かる、分かるよ。青少年の健全育成のためにも謎の光とか大事なところだけを都合よく隠す湯気とかそういうモザイクの代わりは必要だとは思う。ただそれはアニメの中の話であるべきだし、そもそも俺は男なのでそんな必要はないと思うんだ。
もしかして、俺ってこの世界にも女性と認識されてる?
いやまあ、別に女と見られてもいいんだけどさ。相手の油断を突けるしハニトラも出来そうだから便利だとは思っているので訂正しなくてもいいやって思うんだけど、さすがにこうも胸元に謎の光が展開しているとちょっと鬱陶しい。
「ラウル、ラウルの選択は尊重するけれど女の子だしちゃんとした水着を着るべきだと思うよやっぱり」
「そうですよラウルさん。これとかどうでしょう?」
「俺男なんだけd……え、なにそれ」
クラルテが手に取ったのは布面積がやたらと広く、紺色でぴっちりとしたデザインの……。
な ぜ に ス ク 水 ?
待って、なぜにスク水?
幅広い品揃えだけどこれでいいのか協商連合。
「いやあの、俺男だし海パンでいいy」
「いいからいいから~♪」
「ラウルさんきっと似合いますよ。うふふ♪」
「いやあのちょっ、力強っ……兄貴助けてー!!」
「ガンバ」
「薄情者ッ!!!」
ずるずるー、と引き摺られていき結局俺は試着室の中へ。
男の娘として生を受けてしまった時点で何となく予想はしてたけど、まさか天空の楽園で特大級の尊厳破壊を喰らう事になるとは……とほほ……。
浮遊大陸は高度や環境にもよるけれど、基本的に水に恵まれている。
そりゃあ水源となりうる雲が周囲にいくらでも浮かんでいるのだから、採水用のプローブを伸ばして雲を吸引、濃縮して濾過すればいくらでも真水が生成できるという最高な環境なのである。
アルカディアもその例外ではない……というか周囲を巨大な、直系で北海道の面積にも達するような超巨大積乱雲と気流結節点が取り囲んでいるわけだから水はいくらでも調達できる。まさに天空の水の都とも言えるような場所であり、だからこんなクソ広いプールをいくつ作っても全く問題がないのだから驚きである。
はぇー、と感心しつつ、ラウル君はプールの端っこで人生初の尊厳破壊を喰らった心の傷を癒していた……いや、効いてないよ? あ、あの、あの程度尊厳破壊とすら言えないし? メンタルノーダメージだし? なんなら前世でもっとエグい尊厳破壊喰らった事あるし?
などと1人で遠くの景色を眺めていると、いきなり後ろから伸びてきた手で視界を塞がれた。
「ふふっ、だーれだっ?」
むにゅ、と背中に当たる柔らかい感触。
大人の余裕に満ちた声音―――考えるまでもない。
「クラルテでしょ?」
「うふふっ、正解です♪」
振り向くとやはりそこにクラルテがいた。普段の落ち着き払った佇まいと余裕に満ちた包容力のある大人の女性という印象とは打って変わって、年下をからかう年上のお姉さんといった感じがする。
普段とは違う彼女の姿にどきりとしている間に、クラルテに手を引かれた。
「それよりほらっ、見てくださいあのでっかい滑り台!」
「ウォータースライダーね」
「それですそれ!」
一緒に階段を上って滑ろうとしていると、むにゅ、とクラルテが後ろから抱き着いてきた。
「何か今日近くない?」
「いいじゃないですか、たまにはこのくらい♪」
「それはそうだけども」
「それに私、あなたの巫女ですし♪」
巫 女 特 権
権力の乱用では、と思ったけれどもまんざらではないどころかうっひょー最高ですありがとうございますクラルテさん。
滑り出そうとしていたところに、階段を駆け上がってきたロザリーがやってきた。
「あー! ラウルずるい! 私という女がありながら!」
「いやあの、これはその―――」
「むーっ!」
ぷくー、と頬を膨らませながら俺の前にやってくるロザリー。そのまま背中を乗せて前に座ったので、そっとお腹に手を回して彼女を抱きしめた。
ロザリーもなかなか腹筋割れてて格闘家みたいな筋肉してんなー、と思っている間にロザリーが「しゅっぱーつ!!」とか言いながら前に出てしまい、それに引きずられる形で俺とクラルテも一緒にウォータースライダーを滑り降りる羽目に。
「きゃー☆」
「」
「ちょっ待っコレ速ァァァァァァァァァァァァァ!!!」
【悲報】このウォータースライダー、角度がだいぶ急。
安全性に問題はないのかと小一時間くらい問い詰めたくなるレベルの加速を経て、俺ら3人はプールの水面に思い切り投げ出された。
夕飯はというと、それはそれはもう豪華なものだった。
エンジェルパレス内部にある多目的ホールに運び込まれた大きなテーブルの上には、様々な料理が並んだ大皿が所狭しと並んでいる。洋食、和食、中華……テーブルごとにジャンルが違うらしい。
世界中の料理が集まっているんじゃないかと思えるほどだ。中華料理のコーナーには羊の丸焼きが乗ったクソデカ大皿もあって我が目を疑った。前にチャンさんが振舞ってくれた羊の丸焼きよりもデカい。あの時は仔羊で、こっちは成長した羊なのだろうか。
戦闘人形のスタッフが食べやすい大きさに切り分けて皿に乗せ、テーブルへと並べている。
ビュッフェ形式での晩餐会―――夕食がこのような形式となったのは、久しぶりに”くまさんハウス”がアルカディアに帰還した事を歓迎するためだそうだ。
くまさんハウスは協商連合の実働部隊。なので一度航海に出ると、あまりアルカディアに戻ってくる事はないらしい。
「いただきまーす……うぉ、なにこれうまっ」
仔羊とはまた違ったマトンの重厚な味わい。確かに食感ではやや硬いけど、その分食べ応えがあるし風味が濃厚だ。おまけに中華風のスパイスが程よいアクセントになっていて食欲が進む。
やっぱり肉だろ、と思いつつステーキの皿を取りに行こうとしていると、たまたま視界に別のテーブルで酒を酌み交わすヴォイテクの姿が見えた。コーリアから来たというトキの艦長たちと一緒にマッコリを飲んでいるようだ。どちらも顔をアルコールで赤く染めていて、がっはっはと豪快な笑い声がここまで響いてくる。
「やあ、楽しんでるかい?」
「あ、ミカエルさん」
俺とクラルテ、それからロザリーの分のステーキの皿を取って帰ろうとしていると、ドカ盛りのフルーツパフェを手にしたミカエルに声をかけられた。
ハクビシンって甘いものが好きらしいんだけど、もしかしなくてもこの人相当な甘党なのではないだろうか。でも美味しそうだなあのパフェ。
「はい、おかげさまで」
「それは良かった。客人をもてなせないとなれば協商連合の名折れだからね。まあ自分の家だと思ってゆっくりくつろいで―――」
そこまで彼女が言ったところで、「失礼しますご主人様」というクラリスの声がミカエルの言葉を遮った。
ぺこり、と一礼してから身を屈め、ミカエルにそっと耳打ちするクラリス。なんと言っているのかは全くと言っていいほど聞き取れなかったけれど、クラリスの表情とミカエルのケモミミの動きからろくでもない案件である事は窺い知れた。
ありがとう、とクラリスに礼を述べ、頭を掻くミカエル。
「ラウル」
「はい」
「本当は君たちにもゆっくりしてほしかったんだが……ちょっと活躍してもらうよ」
「……はい」
もう嫌な予感しかしない。
潜雲艦
雲の中に潜航する能力に特化した空中艦の一種。水上艦艇でいう潜水艦に相当する艦であり、通常航行時は速度を重視してレシプロエンジンで飛行し、潜航の際は騒音を限界まで抑えるため低速の魔力エンジンに切り替えて潜航する機構を有する。さながら”空飛ぶUボート”である。
安全潜航高度は概ね1800~3700m程度であり、雲中では音の伝播が複雑になる事もあって、静粛性の高い魔力エンジンで航行する潜雲艦の探知は困難を極める。また潜水艦と違って潜航中も使用可能武装の制約を受けないなど利点も多いが、雲が少ない空域では全く役に立たないなどの制約があり、事前の気象予報確認は必須である(そのためこの世界の気象予報の精度は非常に高い)。
また魔力エンジンの稼働時間は4~6時間程度であり、それ以上の稼働は魔力反応炉のメルトダウンに繋がりかねないため非推奨となっている。定期的な浮上と魔力反応炉の冷却が必須となるうえ、長時間の潜航は船体の氷結に繋がる恐れがあるなど、慎重な運用が必要になる。
主な対策は雲中ソナーによる索敵と砲撃、爆撃による反撃。水中ではないため砲撃がそのまま通るという事もあり、居場所さえ特定できれば勝利が確定したも同然といえる。なお、雲中ソナーを搭載していない艦艇でも外付けの音響索敵プローブを雲中へ投下する事で索敵が可能となる。
一番最初に潜雲艦を実用化したのは竜人側であり、浮遊大陸側への反転攻勢を画策した獣人側の艦隊を一方的に撃破するなど驚異的な戦果を記録したが、エンジントラブルを起こした1隻がドルツ帝国領内に墜落した事で技術が漏洩。徹底したリバースエンジニアリングの末に獣人側も潜雲艦の実用化にこぎつけたという経緯がある。
なお、戦時中に多くが失われた上に維持費の高騰、運用難易度の高さから保有できる勢力は限られており、レギオンの中でこれをまともに運用できているのは協商連合だけである。いったいどこから維持費を出しているのだろうか。




