浮遊大陸『アルカディア』
どうでもいい話
ユリウス兄貴はピーマンが嫌い。
その星屑がイライナ公国南方アレーサに生まれ落ちたのは、観測歴37970年の事だった。
天地戦争末期―――最も苛烈を極めた時期と言われ、多くの命が当たり前のように死んでいった絶望の時代。
終わりの見えない戦争に、徴兵されていく男性たち。
誰もが明日への希望を見失っていたそんな時代に、”彼女”は生を受けた。
何も才能は持たず、しかし陰で血の滲むような努力を重ねて習得した錬金術で、彼女は多くの人々を救った。
不治の病を治し、四肢を失った負傷兵の肉体を元通りにし、爆撃で荒れ果てた大地を緑溢れる楽園へと回帰させた。
その神話の如き光景を目にした人々は、彼女を口々にこう評した。
―――『奇跡の仔』と。
血の滲む努力で奇跡をもたらした彼女は、パヴリチェンコという。
積乱雲の向こう側―――気流結節点の向こうに浮かんでいたのは、文字通りの楽園だった。
浮遊大陸【アルカディア】。
理想郷とはよくいったものである。
積乱雲の中心部、気流結節点の中にあって、円形に切り取られた青空の恩恵を享受する浮遊大陸。苛酷な空の中に浮かぶ大地にはびっしりと緑が生い茂り、黄金に輝く稲穂や麦が揺らめいていて、さながら黄金の絨毯のよう。
居住地なのであろう、白い建物たちはどれもこれもが美しく透き通っていて、人の住む場所というよりはどこか神話の時代から遺された遺跡のような、そんな荘厳さすらも感じさせる。
しかし人の立ち入りを拒むような場所かと思えばそうでもなく、地表には確かに人の営みがあった。
田畑を耕す農夫たちや、工場で働く労働者たち。狭い路地を笑いながら駆け抜けていく子供たちの姿。
違和感を覚えた。
アルカディアで暮らす人々は、種族がバラバラなのだ。
普通、浮遊大陸には竜人が住まうものである。遥か太古の昔、それこそ第1文明よりも昔から空は竜人たちの領域とされていて、だからこそ浮遊大陸は竜人たちの住む場所であり彼らの起源、天空の母なる大地という認識だった。
しかしそれがどうだろうか。
汗水流しながら田畑を耕し、工場の窯に石炭をくべ、学校へと通っていく子供たち。
その中には、当たり前のように獣人も混じっていた。
竜人と獣人、外の世界ではあんなにも憎しみ合っているというのに―――まるで100年続いたあの天地戦争が嘘だったかのように、互いに笑みを浮かべながら共存している。
思わず艦橋の窓にへばりつきながら、その様子を見下ろした。
「意外か?」
「……いやあの、まあ」
アルカディア到着前から、ヴォイテクには言われていた。
あそこは『世界から爪弾きにされ、捨てられた者たちの最期の楽園』である、と。
何らかの理由で迫害された竜人や獣人、外の世界に絶望した者、生きていけなくなった者―――苛酷な社会についていけず落伍した者たちにとっての揺り籠。
そしてそれを作り上げたのが、レギオン『協商連合』のトップに立つ女、”パヴリチェンコ”。
《アルカディア航空管制局より入港許可出ました》
「了解」
いつも通りのやり取りをしながら、ソーキルは損傷したトキを伴ってゆっくりと高度を下ろしていく。
アルカディアの外縁部、市街地にほど近い場所に港があった。無数の船が停泊する港のように、そこには宙に浮かぶコンクリート製の防波堤が木の根さながらに突き出ていて、既に何隻かの空中艦がそこに停泊している(ソーキルの同型艦の姿もある!)。
多くが駆逐艦や巡洋艦のようだけど、その中には1隻だけ大型の戦艦がある。
”2205”というハルナンバーと、『слава』という艦名が見える。
イライナ語だ。イライナ語で『栄光』を意味するのだ。
2隻のタグボートがライトを点滅させながらこっちにやってきた。タグボートたちはタイヤが装着された艦首でソーキルとトキを桟橋の方へと押し込むなり、安全を確認してから後退。反転して去っていった。
「機関長、機関停止」
《了解、機関停止》
浮遊大陸に停泊する際、基本的に空中艦は機関を停止する。浮遊大陸の重力圏内であればすくなくとも地上に向かい浮遊大陸から落下する、ということは有り得ないからだ。だから機関部の保全のためにも機関を停止、浮遊大陸の重力に委ねるのが一般的である。
「よし、んじゃあ上陸するか」
「了解」
「機関長とチャンさん、それからソコロフは艦に残れ。俺とラウル、クラルテ、ロザリー、それからユリウスは上陸だ。せしめた金を綺麗にしてもらおう」
やはりアルカディアは他の浮遊大陸と比較すると異質だった。
面積は北海道の半分くらいだろうか。綺麗な円形をしていて、大陸中心部に向かい緩やかな勾配が続いている。田畑や街はその勾配に沿うように配置されていて、森林から流れる川がその恵みを下流へともたらしては、大陸の縁から下界へと向かって流れ落ちていた。
豊かな大自然―――地上と変わらない。
そう、植生が地上と変わらないのである。
ケルビアやメルキアはどうだっただろうか。どちらも高度2000mや2500mに位置する関係で大気は地上のそれよりもやや薄く、活動する際は大事に備えて酸素マスクの着用が望ましい状況だった。
そんな大気の薄い環境となれば植生も必然的に高山のそれに準じたものとなる。薄い酸素を効率的に吸収し生存できるよう背の低い植物が中心だったのをよく覚えている。
けれどもアルカディアはそんな道理を無視したような植生をしている。
背の高い樹々に華やかな花畑。大木の根元では鹿の親子が草を食んでいて、真っ白な模様のお尻をこっちに向けて口を動かしていた。
一応言っておく―――アルカディアの位置する高度は3500mである。
そう、メルキアどころかケルビアよりも高い高度に位置しているのだ。
もちろん大気の薄さもそれ以上。重篤化はしないだろうが、高山病の危険が常に伴うレベルの大気である筈だ。
なのに田畑を耕す農夫も、労働者も、そしてキャッキャと楽しそうに駆け回る子供たちも皆、酸素マスクをつけていない。薄い大気に適応できていない筈の獣人たちは皆、マスクなしで生活している。
むしろここが空の上ではなく、地上なのではないかと錯覚してしまうほどだ。
そんな異様な環境を作り出しているのは、きっと大陸中心部に聳え立つあの巨大な塔なのだろう。
アルカディア中心部に屹立する巨大な塔―――推定で300mくらいはあるであろう、柱の如き塔。アルカディア大陸の中心部を刺し貫いているようなそれの周囲には複数の蒼い幾何学模様を散りばめた光の環が複数生じており、いくつかの層を成しながら大陸の全体を優しく包み込んでいる。
おそらくだが、あの光の環こそがアルカディアの環境を作り出しているものなのだろう。
あれのおかげで高度3500mにありながら地上と変わらない大気濃度を維持しているに違いない。
俺たちが目指しているのは、その塔の根元だった。
地元の人々が『天使の宮殿』と呼ぶ場所である。
しばらく車を走らせているとやがて検問所が見えてきた。検問所には2名の兵士が立っており、マルチカム迷彩のコンバットシャツとコンバットパンツ、プレートキャリアにFASTヘルメットと随分とまあファンタジーな世界観にそぐわぬ現代的な装備をしていた。
腰にはグロック17の収まったホルスターが、そして手にはマグプルUBRストックとMOEハンドガードに換装したM16A5がある。
手を挙げて車を制止するなり、警備兵の片割れがこっちにやってきた。素顔はオリーブドラブの目出し帽のせいで伺えないが、どこか無機質な印象を抱かせた。
運転席の窓を開け、内ポケットから取り出したメダリオンを提示するヴォイテク。
兵士の眼が、まるでそれをスキャンするかのように蒼い光を放った。
何も言わずに一歩下がる兵士。片割れの兵士が道を譲ると、ゲートがゆっくりとスライドして解放されていく。
ありがとよ、とヴォイテクは兵士に告げ、トラックを進ませた。
「ヴォイテク、今の兵士……」
人間じゃないのか、と含みを持たせて問いかけると、ハンドルを握るヴォイテクは首を縦に振った。
目出し帽から微かに覗いた目と肌は確かに人間のそれだった。ぶっちゃけ目が光らなければ高度に訓練された兵士なのだと思い込んでいたに違いない。
ということは、あれは人間の姿をした戦闘人形なのか?
アルカディアの技術力に対する驚愕が晴れぬうちに、やがて白亜の巨大な建造物が目の前に姿を現す。
浮遊大陸を包み込む特殊な結界の発生源となっている巨塔。その根元に位置する建造物は、確かに天使の宮殿と呼ぶにふさわしい佇まいと言えた。
透き通るような白い壁に覆われたそれは、どこかノヴォシアやイライナの伝統的な建築様式を思わせる。極寒の地、冬季になれば大地を埋め尽くさんばかりに降り注ぐ雪に溶け込むような白さの宮殿。
ここがレギオン【協商連合】の本部なのだ。
やがて先ほどと同じくマルチカム迷彩の兵士がトラックを誘導しにやってきた。指定された場所にトラックを停止させて降り、荷台から盗品の入ったダッフルバッグを下ろす。
「―――やあやあ、よく来たね」
いきなり背後から声を投げかけられ、思わずびくりとしてしまった。
いつの間にかそこに、2名の兵士を従えた獣人の男性が立っていた。頭からは木の枝を思わせる立派な角が生えている。
ヘラジカの獣人だった。柔和な笑みを浮かべているものの、黒いスーツに身を包んだ彼の腰にはフラッシュマグとブレースを組み込んだグロック17のピストルカービン仕様が、特注のホルスターに収まった状態で提げられている。
「どうも。くまさんハウス所属のラウル・エルマータです」
毎回思うんだヴォイテク。このギルド名なんとかならなかったのか。
こうやってギルド名を名乗る時にどうしても気が抜けてしまうというか、力が抜けてしまうというか。もとこう、”レーヴァテイン”とかそんな感じのカッコいい名前にしても良かったんじゃないかヴォイテク。これじゃあ熊の保護施設とか動物園の施設みたいになってるぞヴォイテク。
所属と名を名乗ると、ヘラジカ氏(仮名)はぺこりと頭を下げた。
「初めまして。レギオン”協商連合”代表補佐官の【ヴァシリー】だよ。よろしく」
代表補佐官……結構な地位にいる人が直々にお出迎えか。
どうも、と会釈して握手を交わすと、ヴォイテクもやってきた。
「おーうヴァシリー、久しいな」
「やあ伍長殿、相変わらずお元気そうで」
「”伍長”はやめてくれ、もう戦争は終わったんだ」
「それは失敬、つい癖でね」
「……で、アイツは?」
ヴォイテクが問うと、ヴァシリーは肩をすくめた。
「気ままな人だからねぇ……執務室にはいなかったよ。多分庭園か、書庫か。まあ伍ちょ、ゲフン。ヴォイテクが来たと言えば姿を現すとは思うんだけど」
まあどうぞっこちらへ、とヴァシリーに誘われエンジェルパレスの中へ。持ってきた盗品は彼が従えている兵士に預けておいた。
とてもではないが、そういう裏のビジネスの拠点になっているとは思えないほど清潔で、美しい場所だった。
宮殿の中の壁面には、王族や貴族の住処にありがちな絵画やらレリーフのような類はない。けれどもそれが決して殺風景には思えないのは、通路の何もない空間に複数の蒼いホログラムが浮かんでいるからだろう。
まるで水族館のように、壁の中や空中を泳ぐ魚たち。見知った魚から遥か昔に絶滅した古代魚まで様々な魚たちの姿があって、天井にメガロドンやダンクルオステウスの巨体が見えた時などは俺もクラルテもロザリーも、そして普段は冷静沈着なユリウスも言葉を失った。
足元の床にはホログラムで投影された花―――イライナハーブが揺らめく。
イライナに群生するカモミールの一種なのだそうだ。現地では磨り潰して薬にしたり、郷土料理やお茶にしたりと様々な用途で重宝されており、民族と共に歴史を刻んだ花とされているのだとか。
代表のパヴリチェンコが確かイライナ出身だったというので、このホログラムも彼女が手掛けたものなのだろう。アルカディアに居を構えていても故郷への哀愁は時折抱いてしまうものなのかもしれない。
「こちらにどうぞ」
通された広間には、円形のテーブルが置かれていた。
磨き抜かれた大理石の床と、空中に投影される多種多様なホログラム。部屋の奥には巨大な、3つの首を持つ竜のものと思われる化石がある。
傍らに置かれているプレートには、【ズメイの化石】という記載があった。プレートの表記が本当ならば、それは第1文明よりも遥か昔の時代を生きていたエンシェントドラゴンである、とされている。
テーブルの上には既に人数分の紅茶とクッキー、それからアップルパイが用意されていた。
「僕は代表を探してくるので、どうぞごゆるりと」
紳士的に頭を下げ、部屋を去っていくヴァシリー。
着席しとりあえずアップルパイに手を付けようと思った矢先、いったいどこから飛び出してきたのか―――眉間に真っ白な線のある灰色の獣、ハクビシンがいきなり飛び出してきて、テーブルの上にある俺の分のアップルパイを咥えて走り去っていった。
「は? ちょ、オイ!」
「ラウルさん!?」
あんにゃろ、俺のアップルパイを!
「待ちやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「ぴっ、ぴっ!!」
どこ行くんですか、と問うクラルテの声と呆れるようなヴォイテクの声を置き去りに、甲高い鳴き声を発しながら逃げていくハクビシン。ひょこひょこと揺れる尻尾を全力で追いかけるハイイロオオカミの獣人ラウル君。何だこれ。
とはいえせっかく出してもらったスイーツを横から盗んでいく不届き者は許せない。
そういやハクビシンって中華料理だと皇帝に献上されるような高級品だったらしいな……ちょうどウチに中華料理の達人がいるし、今夜の食材にしてやるかグッヘッヘッヘ……。
鋭い牙を剥き出しにして追いかけ回していると、アップルパイを咥えたハクビシンは通路の奥にある部屋の中へと走って逃げていった。
躊躇なく部屋の中に飛び込み、匂いを頼りにハクビシンを追う。
ハクビシンはここまで追って来ないと思ったのか、部屋の中でむしゃむしゃとアップルパイを頬張っていた。しかし自分の天敵たる狼の獣人が迫ってきたのを見るなり、眼をビー玉みたいに丸くして泣き叫ぶ。
「ぴえー!!!!!」
アップルパイを呑み込んで、奥へと走って逃げていくハクビシン。
てめえ俺のアップルパイを……と追いかけようとした矢先だった。
コツ、コツ、コツ……と部屋の中に響く、小さな足音。
ゆったりとしていて、余裕に満ちたそれは明らかに強者のものだった。
「―――すまないが、あまり友人を怖がらせないでくれるかな?」
部屋の中、静かに蒼いホログラムが燈る。
それが光源となって、部屋の中がぼんやりと照らし出された。
涙目になりながらぴーぴー泣いているハクビシンを、しゃがみ込んで静かに抱き上げるのは、同じくハクビシンの獣人の少女だった。闇のような黒髪で、しかし前髪の一部と眉毛、睫毛が雪のように真っ白だ。闇と光、相反する2つの存在を体現しているかのようで、色素が抜けたような睫毛に縁取られた瞳は満月の如き銀色に染まっている。
背丈は150㎝ほど―――子供か、と思ってしまうほどで体格も小学生のそれだが、しかし何故だろうか。この幼女の身体からは、まるで幾千幾万幾億もの地獄を渡り歩いてきたかのような貫禄を感じてしまうのは。
人のアップルパイを盗み食いしたハクビシンを肩にちょこんと乗せ、指先で撫でた彼女は、俺の方をじっと見つめながら蠱惑的な笑みを浮かべる。
幼い見た目の割に、随分と色気を感じさせる笑顔だった。
「俺はミカエル。レギオン”協商連合”代表―――【ミカエル・パヴリチェンコ】」
自爆装置
亡霊大隊が装備していた自爆用装備。生還よりも敵に損害を与える事を主眼に置いた部隊であったため、隙あらば竜人を自爆に巻き込んで1人でも多く道連れにする事が多かった。
無数の柄付き手榴弾を連ねたベルトのような形状をしており、腰に巻くか肩に襷掛けにして着用する。起爆用の紐を引っ張ると5~10秒後に一斉に起爆する仕組みとなっており、通常は手で紐を引いて起爆するが、腕を負傷した場合に備えて口で紐を咥えて引っ張り自爆できるよう非常用の紐も用意されていた。その威力は補強された塹壕の一角を崩落させ、戦車を吹き飛ばすほどであり、中には竜人側の空中艦に突入し機関室で自爆し墜落に追いやる事例もあった。
その特異な形状の自爆装置は亡霊大隊の兵士たちの外見的シンボルとなっており、竜人側からは「復讐部隊」「人間爆弾」などと呼ばれこれ以上ないほど恐れられた。
人の命は決して軽く在ってはならない。




