決死の突入作戦
どうでもいい話
ヨルゲンセン機関長には第二形態と最終形態がある。
ノヴォシア上空に差し掛かった事もあって、周囲の気温が一気に冷えた。
ジャケットを羽織り、マフラーや手袋、それから眼球を防護するためのゴーグルに酸素マスクと完全防備である筈なのに、まるで全裸でドライアイスの中に突き飛ばされたような寒さだ。寒い、というか”痛い”としか表現できないレベルである。
はーっ、と手に息を吹きかけるが全くもって無意味だった。寒いし周りは雲で全然見えないし、風は強いしで最悪である。
けれども気流の流れが変わった、という事は分かった。
普通、こうして空中艦の見張り台や甲板に立てば風は艦首から艦尾目掛けて吹いていくのが普通だ。
しかし今はどうか―――あろう事か艦尾から吹いてきた暴風が艦首側へと流れていて、もしやソーキルはバックで移動しているんじゃないかと錯覚してしまう。もちろんそんな事はないのだろうけど、風の流れだけでそう思えてしまうのだから不思議なものだ。
くいくい、と腰のハーネスに取り付けた命綱が引っ張られる感触を覚えて後ろを振り向いた。左舷の見張りを命じられたのであろうシスター・クラルテが、酸素マスクとゴーグルを着用して命綱を装着し、こっちへとやってきた。
簡易的な小屋みたいな構造物がある見張り台へとやってくるなり、「交代ですよ」と笑顔で教えてくれる。
やっとそんな時間か、と安堵する。水筒の中に入れておいたアツアツのコーヒーも、長時間に及んだ見張りの最中にすっかりアイスコーヒーと化してしまっている。
苛酷だが、しかし監視を怠るわけにはいかない。前に俺たちを攻撃してきた空賊連中が追跡を諦めたとは到底思えないからだ。連中、金目のものを手に入れるためだったらどんな事だってする。それこそ気流結節点突入までの僅かな時間だって利用し攻撃してくるに違いない。
そのせいで、先ほどからソーキル艦内ではぴりぴりした空気が流れていた。
俺たちだけではない。左隣を航行するコーリアの武装貨物船『トキ』の甲板の上でも、命綱を装着した見張り員を何人も立たせ、対空銃座もいつでも戦えるよう射手が常駐している。
「今、どの辺を飛んでるんでしょうね」
「んー……あ、ほら、あれ」
手すりから身を乗り出すように眼下を見下ろし、クラルテに指差して示す。人差し指の先には鈎状に大きく曲がった半島が見えた。
「あれは”アルミヤ半島”。だからノヴォシアのイライナ寄りの辺りを飛んでる」
「そんな北の方を飛んでるんですか」
「そうだよ。あ、そういえば知ってるかいクラルテ? あのアルミヤ半島の付け根のところにはピンク色の海があるんだって」
「え、ピンク色の?」
「そう、”腐海”っていうらしい。なんでも潮の流れが殆どなくて、海中のプランクトンやら海藻の影響やらでそう見えるんだとか。綺麗だけどものすごい腐臭がするらしくて」
「そうだったんですね、なんかロマンチックで素敵です……でも腐臭はちょっと」
「まあ、でも一回は見てみたくない?」
「そうですね、見てみたいです」
クラルテは顔を赤くした。どこか恥ずかしそうに、さながら恋する乙女のようにもじもじしながら小さく言う。
「そ、その時は……ラウルさんと、い、一緒に」
「ああ、一緒に」
ぎゅっ、とクラルテの手を握った。
世界中を旅するのだから、いつか機会はあるだろう。
その時はきっと、クラルテと一緒に……。
ごう、と一際強い風が薙ぐ。
”それ”は嫌でも、視界の中に映った。
これも大自然の成せる業なのか―――人間の理解が及ばぬその現象に、俺もクラルテもただただ圧倒され息を呑む。
ソーキルとトキの進路上に見えてきたのは、巨大な積乱雲だった。
いや、それを”積乱雲”などと呼んでいいものか。
見たままに感じた事をそのまま述べると―――それはもはや、超弩級の竜巻だった。
大地を、天空を貫く雲の柱。それが北方、南方、東方から吹き付けてくる3つの気流の結節点に位置しているがために攪拌され、回転し、竜巻さながらに屹立してこの気流を発生させているのだと、そう理解した。
「まさか、あれが……」
「気流……結節点……?」
気流結節点―――俺たちが目指す場所。
協商連合の本部『アルカディア』は、巨大な積乱雲の中にある。そして浮遊大陸アルカディアは気流結節点の中心に位置し、オースレリアからノヴォシアまでの広い範囲を回遊しているのだ。
つまりあの、どこからどう見ても超絶災害級のハリケーンにしか見えないあれが―――あの中にあるのが、俺たちの目指す目的地という事になる。
あの中に突っ込むってのか!?
度肝を抜かれた。
この世界には、前世の世界には決して存在しない超常現象が数多く存在する。浮遊大陸、アノマリー、獣人、竜人……知識として知っていても、まだ魂のどこかでは受け入れ切れていないものがあるのだろう。
それにしたって、あれは桁違いにも程があった。
『純正の対消滅機関を搭載していなければ、気流結節点は越えられない』―――ヴォイテクの言葉がリフレインする。
その言葉の意味が、ようやく理解できた。
それはそうだ、そうである筈だ。
気流結節点の中心に位置する積乱雲……いや、ハリケーンのサイズは分からないが、目測では北海道と同等だろうか。分からないがそれくらいはあると思われる。
3つの気流により回転する巨大ハリケーン。純正の対消滅機関が提供する圧倒的推力が無ければ、確かにあの内部への突入など到底不可能であろう。
もし推力が足りない艦が突入すればどうなるか―――気流に翻弄されてコントロールを失い、やがては負荷に耐えかね空中分解を起こしてしまうに違いない。
唐突に、雲が晴れた。
僅かに覗いた雲の切れ間。
差し込む陽の光の中に―――俺は確かに視た。
ゴマ粒ほどの黒い何かが3つ、いや5つ―――V字に広がっているのを。
錯覚などではない、と断定するなり見張り台の伝声管の蓋を開けて、力いっぱい叫んでいた。
「―――て、敵機直上!!」
「回避運動! 取り舵30!」
敵機直上、との一報を聞いたヴォイテク艦長の指示は早かった。半ば脊髄反射とも言えるほどの速度で回避運動を命じるなり、その命令を受けた戦闘人形が操縦桿を倒して回避運動を開始する。
ぐんっ、とソーキルの船体が左へと傾いだ。前部甲板に虎の子の20.3㎝連装砲を半ば強引に搭載している関係で、回頭する際はやや艦首が必要以上に振れてしまうという癖があるものの、今ばかりは有利に働いたらしい。
「対空戦闘!」
ドタタタタ、と右舷の見張り台に詰めていたユリウスがブローニングM1919重機関銃を放つ。それに呼応するように右舷の銃座も火を噴き始め、たちまち濃密な弾幕が、太陽を背にして急降下爆撃を仕掛けんとしていた空賊たちの複葉機を出迎えた。
5機のうち1機が弾幕に絡め取られ、エンジンから火を噴き錐揉み回転を始める。しかしその程度で臆する空賊たちではない。金のためならば何でもやるのだ。そのリスクが如何に大きかろうと、最終的に得られるリターンがそれ以上であるならば問題ない。
胴体下に搭載していた爆弾を切り離し、上昇に転じる空賊たち。しかし投下された爆弾は回避運動前にソーキルの艦首があったであろう空間を突き抜け、雲海へと没していった。
艦橋後方にある上部銃座で4連装のブローニングM2を連射していたソコロフが、敵機を1機撃墜した。どてっ腹をパイロット諸共12.7㎜弾で撃ち抜かれたらしく、コクピットのある場所でケチャップのような物が飛び散って、ぼたぼたと人体の一部がソーキルのガラス張りの艦橋へと落下してきた。
うっ、と顔をしかめるヴォイテク。
その直後だった。ごうっ、と左舷から火の手が上がったのは。
ソーキルが被弾したのではない―――まさか、と思い振り向くヴォイテクの耳に、上部銃座で弾幕を張っていたソコロフの『艦長、”トキ”が!』という悲鳴じみた声が響く。
対空戦闘を行っていたトキが、急降下爆撃を回避し損ねたらしい。
右舷丈夫、ガラス張りの艦橋があるやや後方……ちょうど煙突のある辺りを爆弾で抉られたようだ。破孔からは炎を芽吹かせつつ、ボロボロと部品や乗員を吐き出して、トキの船体が揺らぐ。
投げ出されていく乗員たちに―――パラシュートはない。
「艦長より達する、艦長より達する。各員パラシュート着用。繰り返す、各員パラシュート着用。両舷見張り台の乗員は直ちに艦内へ!」
さて、どうするか。
気流結節点まではまだ少し距離がある。このまま損害覚悟で直進するべきか。
ちらり、とトキに視線を向けた。爆弾をもろに受けたものの、しかし航行不能には陥っていない。多少のふらつきは認められるし推力も落ちているが、それでも何とか飛んでいる。
だが―――あの推力で、トキは気流結節点を越えられるだろうか?
気流結節点を突破する際に必要なのは何よりも推力と、そしてあのハリケーンの如き積乱雲の流れに逆らわず内側へと舵を切るシビアなコントロールである。
最大戦速で直進しようものならば、ソーキルは助かってもトキを見殺しにする事になる。
《トキより発光信号。”サヨナラ”を打ち続けています》
戦闘人形の報告を聞くよりも早く、ヴォイテクは決断を下す。
仲間は―――絶対に見捨てない。
それでは同じだ、同じなのだ―――ワルハワの時と。
「トキの曳航準備急げ! ソーキルをトキの前方に!」
《了解》
トキの曳航を決断したのと、エアロックが開いてラウルやユリウス、ロザリー、クラルテが艦橋に戻ってきたのは同時だった。
これからどうするんだよ、という目で見てくる若手たち。
彼らに向かって頷いてから、ヴォイテクはラウルの銀色の瞳をじっと見つめる。
「ラウル、ここまで艦載機が来たって事は―――」
「―――やっぱり母艦がいる」
「そういう事だ……あのクソッタレ共を追尾して叩けるか?」
「やってやる」
頼もしい目になったものだ、と思う。
最初は気が強く、けれども実際の戦いには不慣れだったラウル。
しかし今の彼女は、戦うべき戦士の眼光を宿していた。
「対艦ロケット弾6発、爆弾1発、それから20㎜機関砲を搭載したガンポッドを両翼に搭載した」
ガンポッドの中身は榴弾だ、と付け加えて説明してくれるソコロフに親指を立てつつ、コクピット内で計器類のチェックを行う。
今、ソーキルは推力の低下したトキを曳航しており、そのまま2隻での気流結節点突入を図っている。そのためソーキルの速度は低下していて、敵からすれば格好の獲物だ。
今すぐ出れば、爆弾やロケット弾を使い果たした敵機の後方を追尾して母艦を叩く事ができるかもしれない。
「死ぬなよ、ラウル」
「任せとけよ」
タラップを外そうとするソコロフ。しかし「待って!」という声が響き、格納庫の中にロザリーが駆け込んでくるのを俺ははっきりと見た。
「ろ、ロザリー!?」
今は戦闘配備中の筈じゃあ……!?
「何やってる、危ないぞ!」
「ラウル、絶対生きて帰ってきて……! あなたがいないと私、私……っ」
「……大丈夫、大丈夫だよロザリー」
コクピットに顔を突っ込む勢いでやってきたロザリーの頭を優しく撫で、そっと抱き寄せる。
「勝つよ、俺は」
だから待っててくれ―――いつもよりもずっと優しい声音で告げ、唇を重ねた。
彼女が離れたのを確認してからキャノピーを閉じ、管制室にいるソコロフに合図を送る。格納庫上方のクレーンアームが伸びてF4Uコルセアを吊るしたかと思うと、格納庫の床が、まるで腹を開かれた魚のように左右に開き始めた。
《ラウル、聴こえるか》
「ヴォイテクか」
《ああそうだ。通信機の感度は良好のようだな?》
コルセアのコクピット内に追加された通信機に向かい「ああ、美声がよく聞こえる」と冗談交じりに応答する。
《気流結節点突入まで15分……艦載機収容までの時間を考慮するとタイムリミットは10分だ。それまでに戻ってこい》
「了解」
懐から懐中時計を取り出して、キャノピーの内側にぶら下げた。
タイムリミットは10分―――それまでに敵の母艦を撃沈するか、あるいはこちらの追撃を断念せざるを得ないような損傷を与えて帰還する必要がある。
もしタイムリミットが過ぎれば……考えたくないが、述べておくべきだろう。当然ながらコルセアの推力では気流結節点の気流と負荷に耐えられない。置き去りにされ燃料切れで墜落するか、気流結節点に呑み込まれ海の藻屑ならぬ空の鉄屑と化すか。
不名誉な二者択一である。
2人の女の唇を奪っているのだ。責任も果たさず戦死だなんて、そんな無責任な事は出来ない。
「―――ラウル・エルマータ、出撃する!」
無線機に向かって宣言するなり、コルセアがソーキルから切り離された。
ワルハワ防衛戦
天地戦争末期に行われた戦闘。地上での支配地域を全て喪失し、統一獣人戦線の浮遊大陸への反転攻勢を許してしまった自由天空連合軍は形勢逆転を狙うべく、巧みな情報操作で獣人側の主力艦隊を誘引。守備隊が手薄になった隙を突く形で、浮遊大陸への侵攻部隊の拠点となっていたポルスキー共和国首都『ワルハワ』に対し浮遊大陸『ルビコン』を用いた大陸落としを決行した。これが天地戦争最後の大陸落とし作戦とされている。
予想外の奇襲にポルスキー軍は保有戦力をかき集めての決死の迎撃作戦を決行。その内容は【強襲揚陸艦で工兵隊を浮遊大陸ルビコンへと上陸させ、脆弱点をありったけの爆薬で破砕する】というものであり、当然ながら落下に向け加速を続けている大陸への突入は生還を期さぬ危険な作戦だった。しかし首都に家族を残してきた兵士たちの多くがこの作戦に志願しており、その中には若き日のヴォイテクの姿もあったとされている。
大陸落としの一報を受け独断で戦線を離脱、援護に駆け付けたイライナのリガロフ艦隊の奮戦もあり工兵隊は浮遊大陸の爆破に成功するが、しかし既に阻止限界点を超えていた事もあって浮遊大陸ルビコンの破片は散弾のように散らばり広範囲へと落下。ワルハワは辛うじて壊滅を免れ首の皮一枚で繋がったものの、それでも住民の8割が死亡する大惨事となった。
この戦いをきっかけに、天地戦争で家族や故郷を失った兵士たちで構成された【亡霊大隊】が編成され、総じて「地獄」と評される天地戦争末期の戦場で暴れ回る事になる。反転攻勢を主導したノヴォシア共産党は彼らを『復讐に燃える愛国の烈士たち』とプロパガンダに利用したが、実態は復讐心を利用した肉の楯でしかなかった。しかしそれでも己の死を厭わぬ苛烈な戦いぶりは竜人側に強烈な衝撃を与えており、彼らと戦い生き延びた兵士もPTSDをほぼ確実に発症し戦後も苦しんだとされる。
なお、編成時には875名だった亡霊大隊は激戦地に優先的に投入され先陣を切った事もあって、終戦時には僅か7名まで討ち減らされている。




