ASMR系男の娘
どうでもいい話
冒険者ギルド”くまさんハウス”の交戦規定には、渾身の一撃を叩き込んだ後の『やったか……!?』を禁じる規定が存在する。
ソーキルは、艦内の全てが与圧されているわけではない。
あくまでも与圧され、地上と同じ気圧に保たれているのは居住区や艦橋くらいのものだ。貨物を収納する格納庫や艦載機格納庫は与圧されておらず、高度によっては立ち入る際に酸素マスクが必須となる。
なのでソーキルの構造は、船体前方に与圧された居住区画と戦闘区画が、後方に与圧されていない格納庫などの区画が配置された構造となっている。戦闘区画まで与圧されているのは戦闘時にいちいちエアロックで減圧してからの立ち入りだと戦闘配置が遅くなってしまう点を憂慮しての事なのだろう。
そういう事もあって、格納庫の中はいつも大気が薄い。
それを利用したトレーニング方法もまた、存在するのである。
ピピピッ、とタイマーが時間経過を教えてくれる。身体から力を抜き、3分間のプランクを終えた俺は呼吸を整えながらゆっくりと立ち上がった。
やはりというか、大気が薄い分どれだけ空気を吸っても回復が遅い感じがする。息を吸っているのに苦しいという感覚が常に付きまとう。
しかしこれで良いのだ。
こうする事で身体が高地に順応、薄い大気から効率的に酸素を取り込めるように慣れていくのである。結果、自給力に優れた身体になっていく。
実際にこうやって高地という大気の薄い環境を利用したトレーニングは実在する。まあ、日本生まれ日本育ち日本でのトラック着地狩りで25年の人生を終え、一度たりとも海の向こう側へと出る事が無く人生を終えた地産地消人生こと旧名川端明氏はそれを知識として知っていても実践する機会には恵まれなかったわけだけども。
さて、当然だが持久力は非常に大切な要素である。
自衛隊がそうであるように、冒険者も仕事中は完全装備でとにかく歩く。そしていざ戦闘が始まるとその装備で激しく動き回り体力を消耗するのだ。重装備で歩き、走り、戦うのが冒険者の仕事とも言われるほどの割合を占めている。
なので体力作りは大事な過程なのである。もっとも、ほんの少しの手数料だけで冒険者登録ができる今の制度では冒険者の粗製乱造を招いており、まともに運動した事もない冒険者が実戦に出ては死んでいるわけだが。
俺みたく真面目に下準備をして冒険者の界隈へ足を踏み入れる方が少数派なのだそうだ。
仕事中に疲れて動けなくなったところを狙われて死にたくはない。
ある程度呼吸のリズムが戻ってきたところで今度は腕立て伏せを100回。顎が格納庫の堅い床に当たるまでキッチリ下げてリズミカルに。
30、31、32、33、34、35……。
「あははっ、ラウル速いねー☆」
そんな俺の隣では、ロザリーが鬼のような速度で腕立て伏せを延々と続けていた。何回やってるのかは分からないが、1秒間に2、3回という爆速のペースを崩していないうえに、恐ろしい事に俺がプランクやる前からずっとやってたので明らかに500回以上はやっていると思われる。
いやあの、確かにロザリーやユリウスは1.1Gと大気の薄いメルキアという苛酷な環境で育ってきたわけだから俺たちとはそもそもスタートラインが違う。体内の酸素供給効率は人間以上、若干重い重力に当たり前のように耐えてきたから骨格の密度も筋肉の強さも別次元なのだ。
人類学者が「竜人は戦闘に適した種族」と評しているが、まさにその通りだと思う。戦闘という目標に限れば、少なくとも獣人よりは完成度が高い種族なのだろう。
腕立て伏せをしながら、視線をロザリーに向けていた。
マルチカムのコンバットパンツに黒いインナー姿のロザリー。いつもより露出の多い格好の彼女の大きな胸が、床に押し付けられる度に柔らかそうにむにゅって形を変えて……あれ枕にしたら熟睡できそうだなって思いながら見ていると、ロザリーと目が合った。
「ん、ラウルってばそんなに私のおっぱいばかり見て……えっち♪」
「あっ、いやその違っ……」
ドフドフ、とサンドバッグにパンチを撃ち込んでいたユリウス兄貴。急にその、顔面を狙っているつもりで放っているのであろう右ストレートがめり込む音が一気に重くなった。こう、ズムンッて感じの音に変質し、直撃すれば顔面の骨など容易くぶち折りそうな迫力でこっちを威圧してくる。
視線は合わないが、しかしユリウス兄貴の背中が言っている……『俺の妹をエロい目で見るんじゃねえ』と。
ひえぇ、と兄貴の威圧感に脅えるラウル君。多分今の俺、狼というよりはチワワみたいになってると思う。狼の中でも最大サイズの種とされているハイイロオオカミの威厳はどこへ……?
「おほん」
左隣でそろそろ5分くらいずっとプランクやってるクラルテ氏の咳払い。ぎぎぎ、と音がしそうな感じでゆっくりと振り向くと、いつもと変わらぬ笑みを浮かべつつもその、背景に般若みたいなのがうっすらと見えた。
兄貴に威圧され巫女にも威圧され、今のラウル君は間違いなくチワワ状態だった。
「今天的午餐是水煮牛肉!(今日のお昼ご飯は水煮牛肉ですよー!)」
どん、と大きな皿が置かれ、俺たちは目を輝かせた。
真っ白な深皿の中に入っているのは辛そうなスープで煮込まれた野菜と牛肉。スープをコーティングするかの如く浮いている紅い油は辣油だろうか。更にその上にはトドメと言わんばかりにネギを散らし、輪切りになった唐辛子と紅いスパイスまで散らしてある。
匂いで分かる。コレ気管に入ったら死ぬやつだ、と。
「いただきまーす」
手を合わせ、箸を持ってまずは一口。
それにしても転生前のクセというのはなかなか抜けないものである。建物に入る際は靴を脱ごうとしてしまったりとか、ご飯を食べる前と食べた後の「いただきます」「ごちそうさまでした」はなかなかやめられない。郷に入っては郷に従えとはよく言うが、食への感謝の気持ちはしっかり伝えるべきではないかなってラウル君思うの。
というわけでその、水煮牛肉とやらを口へと運んでみた。
辛みと旨みの爆弾、というのが第一印象だった。柔らかくなるまで丹念に煮込まれた牛肉の旨味と、唐辛子、豆板醤の強烈な辛み。ぴりりと痺れるようなこの感じから推し量るに花椒も入っているのだろうか。この刺激がアクセントになっていて、脂っこく胃の底にいつまでも溜まる重々しい感じというのは感じられない。
じわりと汗を浮かべながらご飯を一気に口へ。そして口の中の味が薄れたら水煮牛肉を頬張ってまたご飯をガッツリやって……というようなループに突入、永久機関が見事に完成してしまう。
美味い、とにかく美味い。
辛い物が大好きなラウル君大喜び案件である。
それだけではない。やはり空の上は寒いので、身体を内側から温めてくれる四川料理は本当に相性がいいのだ。とはいえだいぶ辛いので人によってはトイレが地獄になるだろうけども。
「うっま」
「还有好多呢,别犹豫,快吃吧!(おかわりまだたくさんあるから、遠慮しないでたくさん食べてね!)」
そう言いながら大鍋を持ってきて皿に水煮牛肉を追加していくチャンさん。
そりゃあもう、遠慮する理由が見つからない。
こんな美味いものを残してしまったら罰が当たりそうだ。人生の2割は損するよコレ。
「すいませんチャンさん、おかわりお願いしま―――あ゛ー!?」
ユリウスの皿の上にニッコニコで水煮牛肉をドバーッと追加するチャンさん。容赦ないというか、なんというか。
小皿からザーサイを取って口へと運び、コリコリした食感を楽しんでいたところにヴォイテクとソコロフもやってきた。席に着くなりどどんと山盛りの水煮牛肉を置かれ、早くも食事を開始する2人。
ヨルゲンセン機関長は航行中だと機関室からあまり離れないらしい。機関出力が安定している時は食事の時だけここに来る事が多いらしいが、まあソーキルに搭載されているのはイライナ純正の対消滅機関だ。他国では失われた技術にもなっているという対消滅機関はそれなりにデリケートなのかもしれない。
機関長曰く『女のように優しく扱わんとすぐ不機嫌になる』との事だ。
鍋ごと持って厨房を出ていくチャンさん。待ってもしかしてアレ機関長の分? アツアツの水煮牛肉持って機関室までで前に行くのは嬉しいだろうけど量多すぎない?
ま、まあ、ジョンファじゃあ相手に冷たいご飯を食べさせるのはご法度らしいし……(※実際の中国でも冷たい食事は文化的にご法度とされている)。
にしてもこのギルド、食事の量とカロリーが凄まじいからしっかり訓練や仕事でカロリー消費しないとヤバい事になる。いやまあ、おかげで筋肉もそれなりについてるからいいんだけども。
「そういやお前ら、さっきアルカディアから連絡があってな。今夜コーリアの武装貨物船『トキ』と合流して一緒にアルカディアに行く事になった」
「コーリアの?」
「ああ。協商連合にはいろんな国のギルドが加盟してるからな」
そういや協商連合は”世界中から爪弾きにされた者たち”で構成されていると聞いた。何かしらの理由で迫害された者たち、居場所を失った者たち、故郷を失った者たち……そんな世界から捨てられ、何者でもなくなってしまった者たちの居場所こそが協商連合でありアルカディアなのだ、と。
きっと協商連合を作った人は優しい人なのだろう。
見捨てられた人を見殺しに出来ない、そんな広く深い慈悲の持ち主。
どんな人なんだろうな、と思いながら、水煮牛肉を更に一口。
直後辣油が器官に入って盛大にむせた。
MARS-Lにホロサイトを乗せ、ゼロインは明日やろうかなと思いながらライフルを自室のロッカーへと収納する。
ユニークスキル『原初の火薬庫』があるのでいちいち武器を管理しなくても召喚を解除すればいいのだが、こうしておけば咄嗟の時とかすぐ使える(建前)。
ミリオタ的にはすぐ近くに銃があると嬉しいのである(本音)。
というわけで見張りの時間を終えて部屋に戻り、ロッカーを施錠しベッドにゴロンと横になったのと、クラルテが部屋にやってきたのは同時だった。気のせいかクラルテはむすっとしててちょっとご機嫌斜めっぽい。
あー、最近ロザリーにばかり構ってたせいかもしれない……。
どうしよ、と気まずい感じになりながら頭を掻いていると、クラルテは無言でこっちに寄ってくるなりごろん、と膝の上に横になった。
なんか転生前に実家で飼ってた犬みたいだ。散歩とか行けなかったり遊んであげない時間が長いとへそを曲げて、こうやって人の上にごろりと横になってきたもんである。
「ん、ごめんごめん。最近構ってあげられなくて」
「……私あなたの巫女なのに」
「ごめんって、ホントごめん」
んーどうしよう、どう埋め合わせをしよう……と思ったところで、枕元に置いてあった耳かき棒が目につく。
「あ、じゃあ耳かきしてあげよっか」
「え」
いいんですか、と目を輝かせ始めるクラルテ。狐の獣人でもある彼女の尻尾がぱたぱた揺れ始める。いやもう可愛いなぁホント、と思いながら優しく耳かき棒を耳の中へ。
「大丈夫? 痛くない? ん……じゃあもうちょっと奥、いってみるね?」
「はぅ……」
前から思ってたんだ。俺ワンチャンASMR配信とかでも食っていけるんじゃないかなって。なんて思いながら耳垢をティッシュの上へ。それなりに綺麗になった事を確認して抜き打ちで吐息を吹きかけると、クラルテはびくりと身体を震わせた。
梵天(※耳かき棒のふわふわしてるやつ)で耳の中を優しく撫でると、よっぽど気持ちいいのかクラルテの口からよだれが……ああもう、しっかりしなさいよもう。
「じゃあ今度は反対側やろっか」
「は、はぃぃ……」
「じゃあハイ、ごろーんって。はいごろーん。ふふっ、上手にできました♪」
「はぅ……」
「じゃあこっちも、綺麗にしていくねー」
そーっと耳かき棒を差し込んでカリカリと。
いやぁ懐かしいな、ASMR。転生前のブラック企業勤めなラウル君にとっての唯一の癒しはエナドリとゲームと深夜アニメとASMRだった。特にASMRはほぼ毎晩聴いてたレベルで、動画サイトで視聴した際に突然流れた爆音の広告に鼓膜を破壊されたのは一度や二度ではない。
「あ゜っあ゜っあ゜っ」
「ふふっ、気持ちいいんだ? そんな声出すんだねぇクラルテ?」
ほらほら暴れない、と頭を優しく抑えて吐息をふーっと。
よし決めた、俺副業ASMR配信にしよう。配信機材ないけど。バイノーラルマイクないけど。そもそもこの世界にネット環境ないけど。
ASMR系男の娘爆誕の瞬間である。
翌朝。
すっかり定位置と化した艦橋右舷の見張り台。簡易的な小屋のような構造物の中、MARS-Hを背中に背負い酸素マスクと空軍用ジャケット、マフラーに手袋と完全防寒装備のラウル君。
隣では同じく完全防寒装備のソコロフが、AK-47用のマガジンをぶっ刺したSR-47(※7.62×39㎜弾仕様AR)にACOGを乗せたものを所持していた。まさか彼もAK派からAR派に流れてきたのだろうか。弾薬だけAKなのはなんかこう、ヴォイテク艦長への最低限の配慮のような物が滲んでいるように思えなくもない。
「で、お前そんな顔中キスマークだらけなのにまだ童貞ってマ?」
「ん、マ」
昨晩は地獄を見た。
耳かきに夢中になり過ぎた結果、左舷での見張りを終えたロザリーが戻ってきてレッツファイト。ロザリーにも耳かきをやった結果彼女もリミッターが外れたようで、そこからもうひたすら……ね、キスされまくってとんでもない事になった。
ぶっちゃけもう童貞捨ててもいいんじゃないかと思ったけど、航海中に彼女を妊娠させましたなんて事になったらギルドにご迷惑をおかけする事になってしまうので頑張った。ナイスファイト俺。
ごう、と右舷に広がる雲海の陰から1隻の武装貨物船が姿を現す。
水上艦を思わせる形状をしており、水上艦でいう喫水線の下、バラストタンクがあるような部位は飛行船のように膨らんで、船体側面からはエンジンポッドがいくつか突き出ている。
ソーキルのような連装砲は持たず、前部甲板に露天式の15㎝単装砲を1門搭載しているせいなのだろう。ソーキルと比較するとすっきりした外見をしていた。
ガラス張りの艦橋の左右には空力への考慮か、はたまた通信用なのかは分からないがスタビライザーのような構造物があり、ウサギの耳にも見える。コーリア語で『ウサギ』とはよく言ったものだ。
艦首には『K-2202』というハルナンバーが、その隣には『토끼(トキ)』と艦名の記載がある。
向こうの見張り台にいる観測員に向かって大きく手を振った。
これからソーキルとトキの2隻で、仲良く”気流結節点”を目指す事になる。
SR-47
数あるARの中でも7.62×39㎜弾に対応した珍しいARライフル。元々は米軍が「中東で現地調達できるのはAK用の弾薬なので、これに適応した銃があれば弾切れに困らないのでは?」と思い至り各社に開発を依頼したものの1つ。ARそのままの操作性で特別な訓練を必要とせず、弾薬どころかAK-47(あるいは56式)のマガジンをそのまま使用できるという利便性がウリ。加えてAK-47と同じ発砲音なので敵対勢力を攪乱させる効果も期待できた。
しかし現地で調達できる弾薬の火薬は質が悪く、ガスを直接機関部に吹き付けるリュングマン方式には致命的である事もあって計画は中止。SR-47は試作品がいくつか製造されただけで採用には至らずお蔵入りとなった。
血脈が完全に途絶えたわけではなく、現在のアメリカでも7.62×39㎜弾を使用可能なAR-15系列の小銃という代物自体は存在している。使用弾薬の値段が安い事もあってそれなりの需要があるようだ。




