エルマータ孤児院
5歳になった。
同年代の子供たちと比較すると背も伸び、ちょっとずつではあるがより運動に適した身体が出来上がり始める。
いきなり銃の撃ち方の訓練には入らない。どの国の軍隊だってそうだ。まずはベッドメイクや身だしなみ、規則正しい生活を身体に叩き込み、寸分のミスや見落としも決して許さない。そうした気のゆるみや細部を見落としてしまう杜撰な注意力が、実戦で大きなミスを誘発してしまう可能性があるからだ。
だから教官の怒号の一つ一つにはしっかり意味があるし、訓練の全てが実戦で助けになる―――従兄の兄ちゃんが現役の自衛官で、お盆とかに岩手に帰省してきた時はよくそう言っていた。弟と2人で起床ラッパを聴かせたらホントに飛び起きてたのはこっちもびっくりしたもんである。
だからまだ、銃を撃つ訓練はしない。空撃ちとか自分で出来る範囲での分解結合を繰り返すばかりで、実弾はまだ一発も撃っていない。
第一、身体がまだ出来上がっていない。5歳の子供にARライフルやらAK小銃はデカすぎるし、大人の身体ならば抑え込める反動も、非力な子供では非常に危険なのだ。怪我をする可能性だってあるし、反動を受けて誤って引き金を引き、意図せず周囲に被害を出してしまう可能性もある。
もうちょい身体が大きくなってから、筋肉がついてから。それまで射撃練習はお預けだ。
子供たちが孤児院の庭で遊ぶ中、俺はひたすら庭を何周も走る。最初の頃は10周、安定して走れるようになってきたら15周、20周……といった感じに走る距離を伸ばしていく。
幸い、スタミナや瞬発力の面では他の子供たちよりも秀でていた。
というのも、どうやら獣人にはその身体に宿す遺伝子と同じ動物の習性・身体能力が反映されるという特徴があるらしいのだ。馬の獣人であれば単純に走る速度に優れ、熊の獣人だったら馬鹿力、犬の獣人だったら優れた嗅覚……といった感じだ。ハクビシンの獣人はパルクールが得意らしい。
庭で遊ぶハクビシンの獣人の子が、孤児院の窓枠に手をかけて器用に壁を登っていくのを見て思わず感心してしまう。そういやハクビシン、東京にもいたなぁ……電線の上を渡っていったり、雨樋を伝って屋根に上ってきたりとその身体能力には驚かされたものだ。
前世の世界の祖父の家では裏庭にそれなりの規模の畑を持っていたんだけど、夏になるとスイカをいつもハクビシンに食い荒らされて、祖父ちゃんがガチギレして親の仇のように箱罠を設置していたものだ。懐かしい。
話を戻すが、そういう理由もあって俺の場合は足の速さと嗅覚、瞬発力、そして特に下半身のスタミナに優れているという特徴があるらしい。正直、前世の世界で普通の人間をやっていた頃よりも身体が良く動く。思い描いた通りに動いてくれて、世界が優しくなったようにすら感じてしまう。
30周走ったところで、徐々にペースを落として走りを駆け足から歩きにランクダウンさせつつ呼吸を整える。
額の汗を拭い去り、そのまま庭の端へと移動する。
子供たちの楽しそうに遊ぶ声が遠ざかったところに、奇妙な物体があった。
丸太で作られた大の字の物体だ。太腿や肩口、胸板に腹といった格闘技で良く狙う部位には布が幾重にも巻きつけてある。
格闘戦を想定して自作したものだ。丸太は近所の木こりのおじちゃんの仕事を手伝った際、短く切った規格外品とか端材で用意した。布も同様だ。
近くの切り株の上に砂時計をセット。
指を鳴らし、拳を握って目線の高さで構える。足は肩幅と同じくらい開いて左足を前に、右足を後ろに。腰を軽く落としつつ、踵を浮かせる。
ふう、と息を吐くなり、ボクサーのようなフットワークで丸太の懐へと切り込んだ。そのまま前に出る勢いを乗せてボディブロー、左のローキックへと繋いで打撃を叩き込む。
転生前、俺は空手を習ってた。形とか寸止めの方ではなく、ガチで殴りに行く方のやつだ。
もっとも、東京に就職してからは全然練習に行けてなかったが……それでも小1の頃から10年以上習っていたものだから、忘れたくても身体がそれを覚えていた。川端明という男の肉体が滅び、ラウルという少年の身体になっても未だに、だ。
先ほども述べたとおり、身体を動かす自由度はこっちの方が断然上だ。しかし如何せん身体が出来上がっていないものだから、打撃が軽い。キレがない。拳で相手の身体を”刺す”ような手応えが、回し蹴りで相手の身体を”断つ”感覚がない。
砂時計の砂が全て落ち切ったところでラッシュをやめ、30秒のインターバル。呼吸を整えて砂時計をひっくり返し、再びラッシュを開始。
相手からの反撃も想定してガード、そこからの反撃も取り入れる。実戦では相手は大人しく殴られるサンドバッグではないのだ。相手も人間だったり魔物だったりして、隙あらばこちらの命を奪おうと反撃してくるのだから。
空手の稽古をしていた頃は正直、命のやり取りまでは考えていなかったが―――この世界は違う。
環境は過酷だし魔物だっている。それに第一、戦時中なのだ。今朝だって竜人たちと戦うべく、村の上空を5隻の空中駆逐艦の艦列が通過していったのを見た。
徴兵に備えているわけではない。
だが―――万が一の時は、自力で自分の身を、そして孤児院の子供たちを護らなければならないのだ。
これはいわば、”未来への投資”。
努力は決して裏切らない……それは前世での経験が証明している。
3分測れる砂時計を用いた実戦練習を5セットほど繰り返したところで今日の訓練を繰り上げる事にした。
本格的な筋トレはまだ始めない。せめて10歳を過ぎてからか……大体、人間の身体は中学生くらいから本格的に発育が始まって、大人の身体になるための基礎へと進んでいくものだ。筋肉が発達し始めるのもその頃からなので、ガチの筋トレはその辺りまで待つべきである。
子供の身体のまま本格的な筋トレをしてしまうと、筋肉の重みで背が伸び辛くなってしまったりする恐れがあるし、それ以上に上半身の筋肉の重みが腰に必要以上の負荷をかけてヘルニアを誘発してしまう恐れがあるからだ(実際、これで苦しんでいる人を見た事がある)。
だから今はとにかくスタミナを伸ばす。筋トレはまあ、あまり身体と成長に負荷をかけない程度に留めておくのがちょうどいいだろう。
タオルで汗を拭っていると、エミリオが犬耳をひょこひょこ揺らしながらこっちに走ってきた。
「ら、ラウ姉!」
「どーした?」
「リカルド兄ちゃんの見送り行かないと!」
「あ……そーいや今日だったか」
エルマータ孤児院では、15歳になった子供は孤児院を出ていかなければならない。そして仕事に就いたら最初の1年間は収入の一部を孤児院に寄付するという決まりがあるのだ。
リカルド兄ちゃんは先週15歳の誕生日を迎え、孤児院を出ていく事となった……それだけならばいいのだが、本当なら街の軍需工場に勤める筈が、よりにもよって軍に徴兵されてしまいこれから戦場へ向かう事になってしまい、マチルダ先生を泣かせる事になってしまったのである。
走って孤児院の方に行くと、もう既に統一獣人戦線の軍用トラックと、まるで第一次世界大戦の頃の軍服の上に金属製の防具を身に纏った兵士たちが数名居て、彼らと同じ服装に着替えたリカルド兄ちゃんの姿もあった。
「兄ちゃん!」
「あ、ラウル」
息を切らす事もなく駆け寄ると、リカルド兄ちゃんは身を屈めて俺の目線に合わせながら頭を撫でてくれた。
本当は戦争になんて行きたくないだろうに、無理に笑顔を作っているのが分かる。「地上の平和のために頑張ってくるよ」なんて言葉も嘘だって、俺には分かる。本当は戦争に行きたくなんてないのだ。そうじゃなきゃ、頭を撫でてくれている手はこんなに震えないだろうから。
やがてリカルド兄ちゃんはマチルダ先生に「精一杯戦ってきます」と言って敬礼すると、軍人たちに促されてトラックへと乗り込んでいった。
オリーブドラブの無機質なトラックのテールランプが見えなくなるまで、俺たちは手を振り続ける。
マチルダ先生が泣き崩れたのは、それからすぐの事だった。
この2年後、天地戦争は痛み分けで終結する事になる。
リカルド兄ちゃんがどうなったのかは……分からない。
観測歴37993年 6月10日
スパーニャ王国 バレーシャ県 サンタ・デリア村
8歳になった。
いつも通りのトレーニングをこなし、格闘訓練用の自作カカシをボコボコに殴ってから昼休みだ。この国では……まあきっと天地戦争の影響なのだろう、一日二食が基本になっている。朝と夜、ボロボロのパンや屑野菜のスープが出てくる。
近所の老人曰く、昔は三食だったのだそうだ。近所の海で捕れた海産物を炊き込んだパエリアが絶品で、戦前はそれを目当てにやってくる観光客も多かったのだという。
天地戦争終結から1年、参戦国は戦後処理に追われている。
ごう、とレシプロエンジンの唸り声を高らかに、孤児院の上空を大型の空中戦艦が通過していった。統一獣人戦線の軍旗の隣には黄金の十字架と共に【barco de desmovilización(復員船)】という記述があり、戦地から兵士たちを故郷に送り届けるための船である事が分かる。
「ねえねえラウ姉、”わたあめ”って知ってる?」
「知ってるよ」
「え、知ってるの!? 物知りだなぁラウ姉は」
ちぇっ、と面白くなさそうに犬耳をぺたんと倒すエミリオ。どうせ聞きかじった話を俺に聞かせて自慢したかったのだろうが、お生憎様だ。こちとら転生者、わたあめだったら前世の世界の夏祭りで死ぬほど食べたから見た目も味も知っている。
幼かった弟の手を引き、親からもらった小遣いを握り締めて出店の並ぶ道を駆け回った夏の夜が懐かしい。
「でもさすがに食べた事はないでしょ?」
「……まあね。でも甘いって事は知ってる。たっぷりの砂糖で作るんだ」
「食べてみたいなぁ……でも砂糖って貴重だからなぁ」
砂糖も塩も、軍に優先的に配分されるから民間まではそうそう回って来ないのだ。余剰分の配給があっても、富裕層がすぐに独り占めしてしまうから、下々の者たちまでは回って来ない。俺たちのように親のいない孤児たちならば猶更だ。
さて、天地戦争も終わった今、このエルマータ孤児院に孤児たちがひしめき合っている理由も何となく察しがつくと思う。
この孤児院に居る大半が、戦災孤児だ。
父親が戦争で戦死、母親も栄養失調で亡くなるか、あるいは子供を食わせていく余裕がないために捨てられた、あるいは一縷の望みをかけて孤児院に預けられた奴もいる。一番強烈なのは竜人たちの”大陸落とし”で両親を失い、命からがら逃げ伸びてここに転がり込んできた子だ。今でこそ他の子供たちと笑顔で庭を駆け回り、サッカーに興じる明るい子になったが、やってきた当初は食事にも手を付けずうつろな目で空をぼーっと見つめていて、明らかに心の傷は深いようだった。
「さ、午後の授業が始まる。行こうぜ」
「うん」
俺もそろそろ銃のトレーニング解禁して良いかな……などと思いながら教室へ向かい、席に着く。
俺はハイイロオオカミの獣人なのだが、ハイイロオオカミは狼の中でも最大の種とされている動物である事もあり、背が伸びるスピードが他の獣人の子と比較すると明らかに早い。もう他の奴らと頭1つ分くらいの身長差がある。
身体も本格的な発育が始まりつつあるようで、日頃のトレーニングの甲斐もあって筋肉の付いた引き締まった身体になりつつある。鏡の前で上着を脱いで筋肉を見てみたが、まあこれから先が楽しみになるような仕上がりだった。
ただ……その、なぜか胸元に謎の光による修正が入るのだけは何とかしてほしい。俺は男なのだ。
「はい、じゃあこの計算を……ラウル、分かりますか?」
「んぁ、ハイ」
マチルダ先生に名前を呼ばれ、立ち上がって「8」と答える。
エルマータ孤児院では、マチルダ先生が直々に教鞭を振るう。孤児院を創設する前は村の小さな学校で先生をやっていたらしく、複雑な計算よりも、生きていくうえで必要になる読み書きや簡単な計算を教えてくれている。
成績のいい子には個別でワンランク上の特別授業をやってくれていて、俺は最年少でその特別授業への出席を許されている。
まあ、前世の記憶を参照しながらだから簡単なものだ。俺は既にその道を通過しているのだよふはは。
天地戦争
観測歴37892年から37992年まで続いた世界規模の大戦争。100年間続いたため【100年戦争】とも。発端は不明であり、獣人側は『竜人たちの浮遊大陸の一部が居住地に落下した』、竜人側は『獣人たちが浮遊大陸のコアに細工をした』とそれぞれ主張しており、戦争の原因は今なお不明となっている。
当初は高い技術力を誇る竜人側が制空権を握り、徹底的な空爆で獣人側を苦しめたが、浮遊大陸であるが故に資源が限られている事もあってやがて進撃速度は失速。大陸落としで一発逆転を狙うも効果は限定的であり、むしろ怒りに燃える獣人兵の逆襲を招く結果に終わっている。やがて反撃体勢を整えた獣人側が反転攻勢に転じ、竜人側が占領していた北方イライナ公国のアレーサ油田、ザリンツィク鉱山を相次いで失陥。地上の拠点をすべて失った竜人たちは浮遊大陸”メルキア”沖で最終決戦を挑むが、これは双方の痛み分けで終わっている。
観測歴37992年、双方の間で停戦協定が結ばれ正式に終戦。戦争は獣人側が竜人側に占領された地域を全て奪還するもののそれ以上の継続は叶わず、100年間に及んだ戦争は痛み分けで終わった。




