アノマリー
”それ”はまるで、石垣から滲みだす泥のように何もない場所へと姿を現した。
黒く、どろりとしていて、けれどもはっきりと人の姿をした”何か”。顔には人間にあるべきパーツが一切なく、のっぺらぼうさながらにつるりとした何もない顔がそこにはある。表情を窺う事も、視線を推し量る事も出来ない筈だというのに―――こんなにもはっきりと”見られている”と知覚できてしまうのはなんの冗談か。
「ろ、ロザリー……」
「なあにラウ……ル……?」
熱烈な愛情表現を繰り返していたロザリーも、その異様な気配に気づいたらしい。
ゆっくりと視線を後ろへと向け、彼女もまた凍り付いた。
ヒト……というよりは、多くの怪談で語られる『ヒトのような姿をしたナニカ』を思わせる”それ”。
しかも1人だけではない。
2人、3人、4人……背筋が凍り付く想いをして息を呑みながら見ている間に、それと同じ姿をした人影が増える。何もない空間からどんどん滲み出して、のっぺらぼうみたいな顔をこちらへと向けた。
「あ、あ、あ……」
負傷した冒険者の男が、その影を指差しながらガタガタと震えはじめる。
「―――”アノマリー”」
一歩後ろに下がった距離で、固唾を飲んで見守りつつ応戦する準備を整えていたクラルテが、しかし冷静な顔に冷や汗を浮かべながら呟いた。
そういえばこのダンジョンには怪異空間が存在する、という事前情報があった。
怪異空間とはすなわち、『原因不明の怪異が発生する空間』の総称だ。幽霊が出没したり、外部と空間内部で時間の流れ方が違っていたり、時空が歪んでいたり……バリエーションは様々であるのだが、それはさておきどうやら俺たちはよりにもよってこのカエサリア内部に存在するという怪異空間に足を踏み入れてしまっていたらしい。
そうでなければ説明がつかない。
あんな黒い幽霊みたいな魔物、見た事も聞いた事も……。
「うひっ」
冒険者の男が声を発した。
黒い人影―――幽霊の内の1体が、彼の仲間の死体を手で掴んだのだ。そのまま何をするつもりかと思いきや、俺のMARS-Hの一撃で倒れたライフルマンの死体を後方へとずるずる引き摺っていくと、その両足を自分の腹へと押し込み始めたのである。
ずぶずぶと、死体が幽霊の腹の中へと沈んでいく。
動く事の無くなった死体が完全に幽霊に呑み込まれるまで、そう時間はかからなかった。
幽霊たちは他の死体を見つけるなり、同じように掴んで自分の身体へと押し込んでいく。まるで捕食しているようにも見えるが、なぜなのかは分からない。そもそもあれが本当に幽霊なのか、人間の魂だけの姿なのかすらも疑わしい。死者の魂が、あんなに醜い姿であるものか。
やがて死体を全て食い尽くした幽霊たちが、改めてこちらを振り向いた。
宙に吊るされた操り人形のように、ゆらゆらと揺らめきながら―――俺たちへと向かって接近してくる。
「逃げろ!!」
身体の上にのしかかっていたロザリーには申し訳ないが、彼女を押し退けてクラルテの方へと突き飛ばす。俺の大声と衝撃で我に返ったらしく、ハッとしたロザリーはクラルテに支えられながらも「ラウル!」とこっちに向かって手を伸ばした。
分かってる、俺もすぐに逃げないと。
「待ってくれ、待ってくれぇ! 置いていかないでくれぇ!!」
ガシッ、と足を掴まれる感覚。舌打ちしながら視線を下ろすと、先ほどまで俺に踏みつけられひいひい言ってた冒険者の男が、ケガ人とは思えないほどの力で俺の左足にしがみついていた。
放せ、と足を振りほどこうとするが、しかし今まさに死に直面している人間の力というのは凄まじい。渾身の力で振りほどこうとしても、瞬間接着剤で固定されているかのように微塵も揺らぐ気配はない。
このままでは俺も、と思ったところで、幽霊が男の足を掴んだ。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ! 嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
じたばたと暴れる男。いったいどこにそんな力を残していたのか、一瞬とはいえ幽霊の手を振りほどいてしまう。
「たっ、だのむ゛っ、助けてくれ……っ! お礼なら何でもするっ、何でも言う事を聞くから……頼む、頼むよ……っ!」
「……ああクソ、分かったからとっとと立ちやがれ!!」
負傷した冒険者を立たせ、肩を貸して歩き始める。
クラルテとロザリーは何をしていたのかというと、俺が彼を助けるのを見るや、さっき高台でクラルテに滅多打ちにされていた女の魔術師も救出しようとしているところだった。クラルテが担いできた彼女のローブは血塗れで、呼吸もすっかり浅くなっているが……まだ息はあるらしい。
がしっ、と肩を掴まれる。
すぐそこにまで、幽霊が迫っていた。
黒くて、冷たくて、そのまま呑み込まれてしまいそうな感覚。
死者の成れの果て。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「クソッ」
いちいち耳元で叫びやがって。
恐怖でぶるりと震えながらも、負傷した男をクラルテの方へと思い切り突き飛ばした。
せめてコイツだけでも―――という意味もあるが、こんな足手まといを抱えたままでは逃げられるものも逃げられなくなる、という意味の方が大きい。
「ラウル!」
「ラウルさん!」
人語かどうかも疑わしい唸り声を発し、肩を掴んで引き寄せようとする幽霊。
2体、3体と俺の方に群がってきて……。
幽霊相手に無駄だと思いつつも、渾身の力を込めて拳を振るう。
何もせず座して死を待つよりは、と半ば自暴自棄になりつつ繰り出した右のストレート。
しかしそれが、思わぬ結果を招いた。
―――拳が、幽霊の顔面にめり込んだのである。
「ぇ」
ごしゃあ、と顔面に深々とめり込む右のストレート。
殴られた幽霊は衝撃まで受け止める事ができず、そのまま身体を捻らせ錐揉み回転。ギャグマンガさながらに派手に吹っ飛ぶと、後続の幽霊を何体か巻き込んでそのまま吹っ飛んでいった。
え、と自分でも何が起こったのか理解できなかった。
だって幽霊って、実態が無くて触れる事ができなくて、まともな対抗手段は殆どないか逃げる事しかできない勝ち目のない相手という認識だったんだけど……。
これ夢じゃないよね、と頬を抓って確かめるノリで、足にしがみついてる幽霊の頭をブーツで思い切り踏み潰す。ぶちゅ、とゼリーが潰れるような音を発しながら、いかにもゼラチンでっせって感じに砕け散る幽霊の頭。
「ねえ」
逃げる準備をしながらも、俺を援護しようとしていたクラルテとロザリー。
同じリアクションをしている2人の方をゆっくり振り向きながら、とりあえず頭の中に浮かんできた拙い語彙力で想いを伝える。
「こいつら……物理でいけるぞ」
物理が通用するならば、やる事は一つだった。
「シャァァァァァァァァ殺せ殺せ殺せ!」
「反撃開始ですっ!」
「逝去逝去逝去ォ!!!」
負傷者をぽいー、とその辺の安全そうなところに投げ捨てて(※応急処置済み)M60を構え、腰だめで弾幕を張るクラルテ。物理攻撃が通用する、という読みは正しかったようで、何も無い空間から滲み出しては死体を喰らっていた幽霊たちは土砂降りの如く押し寄せる7.62×51㎜NATO弾の弾幕を受け、ドリルで穿たれた豆腐みたいに穴だらけになった。
俺もMARS-Hを構え、セミオートでヘッドショットを狙う。UH-1のレティクルを幽霊の頭に重ねて引き金を引くと、フルサイズのライフル弾が幽霊の首から上を捥ぎ取った。
「気分はジェネリック陰陽師だオラァ! 悪霊退散!!」
それでもなお俺たちを喰らおうと迫ってくる幽霊。両手を伸ばして左腕にしがみついてきたが、すぐさま鳩尾に蹴りを入れてからPRSストックで殴打。仰向けに点灯したところで顔面にMARS-Hのマズルブレーキを押し付けて引き金を引く。
さて、我らがロザリーさんはというと……。
「うふふ、ラウルったらもう……寝顔可愛いんだから♪」
彼女にはいったい何が見えているのだろうか。
すっげえニマニマしながら訳の分からないうわ言(多分アレ妄想の中にどっぷり浸かってる)を漏らし、ものすごく狂気に満ちた笑顔でハンマーを振るうロザリー。彼女の思考とは別に身体が勝手に動いているようで、言葉と行動が全く噛み合っていなかった。
とりあえずあっちは心配ないな、と思いつつ幽霊をまた1体撃ち殺す。20発入りのマガジンが空になったところで再装填、空のマガジンをダンプポーチに放り込んでマグポーチから予備のマガジンを引っ張り出す。
マガジンを装着、ボルトリリースレバーを叩くようにして初弾を薬室へ装填。
がしっ、と銃身を掴む幽霊。肋骨から触手のような物を伸ばしてくるが、呑み込まれる前にホルスターから抜き払ったグロック40カービンを押し付け発砲。怨念と本能のままに生者を喰らう幽霊も、10㎜オート弾の3連射撃を顔面に受ければたちまち成仏していった。
そこで気付いた。
幽霊たちが、逃げに転じていると。
明らかに寄ってくる幽霊が減った―――それどころか、逃げようと背を向ける者まで見える始末。
喧嘩しかけておいてそれはないだろ、と容赦なく幽霊の背中を撃った。何なら成仏の手伝いをしてやるか、このダンジョンから怪異空間を消し去ってやるくらいのつもりでドカドカ撃った。
追加で20発と少し……それくらいは撃ったか。
最期の1体の後頭部に7.62×51㎜弾の姿をした民主主義を叩き込むと、幽霊は呻き声を残して消失していった。砕けたゼリーみたいな身体が霧のように変質して消滅、後には真っ黒な指輪が2つだけ残される。
「何だこれ」
闇が凝り固まったような、光沢すらもない質感。まるで光すら捻じ曲げてしまうブラックホールのようで、それ故に存在感がある。
恐る恐る手を伸ばし、拾ってみた。
ひんやりとしていて、俺の指にもぴったりと合いそうだ。
よく見てみると結婚指輪のような優美なデザインではなく、多少は武骨さを滲ませるデザインである事が分かる。何か特殊な装備なのだろうか。例えば魔術を強化するとか、そんな特殊効果付きのやつ。
怪異空間内部では、ごく稀にそういう特殊な装備がドロップする事があるという。
いずれも現代の技術では解析も複製も出来ない特殊装備。それでいて既存の装備を圧倒するスペックを持つモノばかりであり、そういった怪異空間内部で産出する特殊装備を総称して【遺物】と呼ぶ。
怪異空間で手に入る遺物は、そのほとんどが旧文明の時代に開発されたものなのだそうだ。
もしかするとこれもなのだろうか。
多分そうなのだろうが……しかし呪いの品だったら大変だ。そんなものが存在するのかどうかは不明だが、仮にも幽霊からドロップした装備品である。まともな出自である保証などどこにもなく、とっとと鑑定士にでも鑑定してもらい、ヤバい代物ならば1秒でも早く手放す事が望ましい。
「わぁ~……何それ何それ、結婚指輪? 結婚指輪だよね、そうだよね?」
「いやあの、多分違うと思うぞロザリー」
肩に腕を回し、すぐ近くでぴょんぴょん跳ねながらうっとりした顔で言うロザリー。こんな禍々しい結婚指輪が世界のどこにあるというのか……どっちかというとコレ血痕指輪じゃないのコレ。
俺上手い事言った、と内心キメている間にも、人の髪の毛をすんすんハスハスし始めるロザリー。確かにそりゃあまあ5年ぶりの再会は嬉しいが、いくら何でもはしゃぎすぎではないだろうか。
「すんすんハスハスずるずるれろれろぬっちゃぬっちゃ」
「「ぬっちゃぬっちゃ!?!?」」
な、なんか頭の上から聞いた事ない効果音が……ちょ、お前何してんの? 何してんの、ねえ!?
「ロザリー何してんのお前!?」
「むふー♪ ラウルのケモミミおいしー♪」
「そこ敏感だからやめっ……わぷ」
「おほん」
悶えるラウル君と人のケモミミに吐息を吹きかけたり舐め回すロザリー氏。そんな俺らの前に仁王立ちしながら、気のせいかどす黒いオーラを放っているのはシスター・クラルテ氏だった。
「ロザリーさん、でしたね? ラウルさんが困っています、ほどほどに」
「……アンタ誰?」
あんなに甘ったるい声だったロザリーの声音が、一瞬にして冷え切った。
「申し遅れました。私、異世界転生者統括管理機構”ユリーカ”から派遣されたシスター・クラルテ。ラウルさん専属の巫女をしています」
ラウルさん専属の、というところに特に力が入っていたような気がするんですけど。クラルテ? クラルテさん?
「……専属?」
「はい」
「私のラウルの……専属巫女ぉ?」
「はい」
ぎぎぎ、と音がしそうな感じでゆっくりと、それはそれはもうゆっくりと……ロザリーがこっちを見下ろす。
というか身長伸びたなロザリー、今で180㎝半ばくらいか? 身長もデカいし胸もデカいしその、シスター・クラルテの如く諸々でっかいんだからこう、器の方もどっしり大きいとラウル君嬉しいなって……え、ダメ?
「ラウル?」
「ひゃい」
「ちょっと……お話しよっか、ねえ」
次 回 、 ラ ウ ル 君 修 羅 場 。
誰か、この状況で入れる良い保険あったら教えてくださいマジで。
遺物
怪異空間内部で、ごく稀にドロップする特殊な装備品の総称。装備するだけで魔力を高めたり、本来変動するはずのない魔術適性を後天的に高めたり、触れるだけで万物を切断する剣など現行の装備品と隔絶した特殊効果や性能を持っており、冒険者どころか各国の軍隊が喉から手が出るほど欲しがる代物。
しかし怪異空間内の探索が必須条件となるため入手率は決して高くなく、これを所持している冒険者は全体の2%にも満たない。
それに加え、プラスの効果どころかマイナスの効果をもたらすものも混じっているため、使用する前には鑑定士に鑑定してもらうか、あるいは身体を張って自分で検証してみる必要がある。お金に余裕があるならば素直に鑑定士に依頼しよう。
なお、遺物は【旧文明の時代に製造されたもの】である事が明らかになっている。




