メルキアへの旅路
ラウル「そういえばこないだソーキルがエッグいアクロバット飛行してたけとチャンさん大丈夫だった?」
チャン「ん、艦の揺れ当たり前。宙返り中も仕込みしてるヨ」
ソコロフ「すげえんだぞこの人。艦が被弾してもバレルロールしてても宙返りしても当たり前のように中華鍋振るって仕込みしてるからな」
ヴォイテク「この人艦がどんな飛び方してても絶対ブレないんだよね、身体が」
クラルテ「こないだ厨房で浮いてましたよねチャンさん」
ラウル「なんて?」
無限に広がる空の彼方。
8年前まで、この空の下では100年にも及ぶ戦争が起こっていた。
この第27文明を終焉に導きかねない大戦争。
人はそれを【天地戦争】と呼んだ。
観測歴38000年
5月25日 10時15分
大西洋上空
ゆったりとした動きから一気に加速、相手の斜め下から突き上げるようにしてナイフを振り上げる。
狙い通りならば喉元を切り裂いていたであろうその一撃は、しかし未来でも見ていたかのようにひらりと躱される。手応えの軽さを感じるまでもなく躱されたと判断するや、すぐに身体を回転させて後ろ蹴り。しかしそれすらも空を切り、またしても攻撃は外れてしまう。
図体の割になんと反応の早い、と予想外の動きに驚かされている間に、とん、と足を払われ転倒してしまう。
やべえ、と思った頃にはすでに遅く、すぐ目の前にギラリと光るナイフを握った手が迫っていて……。
ガリッ、と切っ先が頭のすぐ脇にある格納庫の床を突き、今回も格闘訓練は俺の敗北で終わった。
「うわぁぁぁぁぁ……勝てねえぇぇぇぇぇぇぇぇ」
「そう簡単に負けてたまるか」
ニッ、と笑みを浮かべながらナイフを鞘に戻すヴォイテク。彼の手を借りて起き上がり、ぺこりと一礼する。
空いた時間にこうしてヴォイテクから格闘訓練の手ほどきを受けているのだが、従軍経験があるベテランの兵士だった彼の指導はやはり的確だ。転生前に習っていた空手と柔道を下敷きにした我流の格闘術よりも洗練されていて、戦場で生き延びるためのテクニックの全てが彼の指導には詰まっている。
事の発端は彼に接近戦への備えの不備を指摘された事だった。銃の扱いに慣れていたのは良いし、格闘術も冒険者を(素人ばかりの雑兵レベルが相手とはいえ)薙ぎ倒すレベルなので問題はないだろうと思っていたのだが、ヴォイテク曰く「それではいずれ通用しなくなる」との事だ。
確かに、接近戦……いわゆる”CQC”を軽んじていたというのは事実だ。とりあえず殴ったりぶん投げればいけるだろう、という考えもあったわけだし、使っていたナイフも喪失しても惜しくはない店売りの安物。本気で上を目指すのならば確かにこの辺が甘かったのかもしれない。
そういうわけでクラルテの協力も仰ぎ、彼女のサポートスキル『教練空間』も活用させてもらい、最近はナイフの訓練も始めた。
まずは米軍も採用している多目的ナイフ『M9バヨネット』でナイフの扱い方を学び、基礎が少しは身についてきたかな……と思ったところで思い切って前々から使ってみたかったカランビットナイフに転向。教練空間で何度かミスって自分の指を切ってしまったりしながらもコツを覚え、朝起きて飯食べて筋トレしてからこうして空いた時間のできたヴォイテクに付き合ってもらいCQCの訓練、という毎日を過ごしている。
それは良いのだが、まあ一回も勝てない。
そりゃあヒグマの獣人とハイイロオオカミの獣人ではパワーが違う。それに加えて向こうは体格も骨格も筋肉の付き方もほとんどクマさんな第一世代型獣人だからそもそもスタートラインが違うわけなのだが、それを差し引いても技量で完全に負けていると言わざるを得ない。
「相変わらず筋は良いぞ、ラウル。転生前は空手やってたんだっけ?」
「うん、あと柔道を少々」
「やっぱ格闘技の経験ある奴は基礎が違う。必要な部分がしっかりしてる」
「それはどうも……でもやっぱりプロには負けるよ」
なんとか追い付きたい……いや、乗り越えたいものではあるのだが。
「今日も付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
鷹揚に手を振り、踵を返して格納庫を去っていくヴォイテク。
ふう、と息を吐いてからカランビットナイフを手に、目の前に敵がいると想定して1人で訓練を重ねる。逆手持ちにしてコンパクトに振るい、的確に相手の急所を狙って素早い攻撃を繰り出す。時折蹴りや殴打などの体術も交えて的確に……。
ナイフを用いた戦闘で大事なのは、大振りにならない事だ。
そもそもナイフは剣とかメイスと違って小さい武器である。刃渡りが小さい分力任せに振るうような攻撃には適さず、故に相手の急所を的確に切り裂く判断力と技量が求められるのだ。
それに加え、カランビットナイフはその独特な構造ゆえに扱いが難しい。
柄尻に指を通すリングの付いた小ぶりな鎌、あるいは獣の爪を思わせる形状の武器で、相手を”引っ掻く”ように斬りつける攻撃に適している(もちろん普通に切りつけたり刺突も可能。スタイル次第だ)。
何度かそうやってナイフを振るって訓練をしていると、じんわりと汗が浮かんでくる。
手の甲で拭い去ろうとしていると、ちょんちょん、と柔らかな指先が肩を軽く叩いた。カランビットナイフを鞘に戻して振り向くと、そこにはタオルと水筒を手にしたシスター・クラルテがいて、「精が出ますね」と労いの言葉をかけてくれる。
「ああ、ありがとう」
礼を述べながらタオルを受け取って汗を拭き、水分補給を手早く済ませた。
ソーキルの艦内は、全てが与圧されているわけではない。
居住区画や艦橋など、重要区画のみが与圧されているのだ。格納庫はその恩恵を受けていないので、高度次第では格納庫への立ち入りの際には酸素マスクが必須となる。
しかし今は高度2000m。幸い呼吸には特に影響はない……気持ちちょっと息切れが早いかな、と思う程度ではあるのだが。
現在、ソーキルは雲の中を飛んでいる。空賊からの監視の目をごまかすためとか、追跡を躱すため……ではない。採水用プローブを展開して雲を吸入、水分を濃縮させて濾過し真水を作るためだ。
空において真水の確保はそれほどハードルが高いわけではなかったりする。こうして雲の中を飛んだり、雲の中に採水用プローブを垂らして雲を吸入、含まれている水分を濃縮し濾過する工程を経て真水を生成する事が可能なので、意外と空では真水は貴重品ではなかったりする。
さながら雲は『空に浮かぶ水源』だ。
まあ、とはいえ1㎥の雲を吸入したとしてもコップ一杯分の水にすらなりはしないレベルの効率の悪さなので、とにかく量を確保する事が前提ではあるのだが(せっかく確保した水分をさらに濾過するので効率はさらに悪化する)。
なので例えばシャワーとか洗濯で使った水はフィルターを幾重にも通したり浄化槽で微生物に分解させたり消毒したりして飲料水やら生活用水に再利用するなどしている。100%廃棄するのではなく、あくまでも損失分を雲からの精製水で補填する感じといえるだろう。
ちなみにトイレとかで出たアレは乾燥・圧縮して浮遊大陸とか地上の拠点で専門の業者に引き取ってもらっている……らしい。
なんでも浮遊大陸は土地が限られる関係で肥料の需要が高く、そうした””トイレで出たアレ”は竜人たちからすれば「金を払ってでも手に入れたい資源」なのだそうだ。だから引き取られたウ〇コは加工に加工を重ねて肥料へと姿を変え、浮遊大陸に住まう竜人たちの食卓を支えているというわけである。
前にソコロフが「知ってるか、浮遊大陸ではウ〇コが札束になるんだぜ」なんて言ってて鼻で笑ったが、こないだケルビアに寄港した際にマジでタンク一杯のウ〇コが30万コルタになってて草生えた。
メルキアでもそうなのかなぁ……と思いながら木箱に寄り掛かってぼんやりしていると、隣にやってきたクラルテがそっと肩を寄せてきた。
「ラウルさん、その……メルキアにいるロザリーさんとは、どういう関係なんです?」
「前にも行ったけど、昔地上で出会った竜人の女の子だよ。5年後……冒険者になったら俺も浮遊大陸に行くよ、って約束してて」
「そうですか……ふふっ、微笑ましいものですね」
この前は頬を膨らませてそっぽを向いていたクラルテだが、今日はやけにその、何というか年の離れた弟の恋愛を見守る姉とでも言うべきか、そんな感じの声音だった。
「その人も、ラウルさんにとっては”特別な存在”なのですね」
「……まあ、そうなる」
一応述べておくが、この世界では(国や地域にもよるが)一夫多妻制が多い。なのでロザリーがあの時の「番になる」という約束をガチで果たそうとして結婚まで迫ってきたとしても、将来的にクラルテも一緒に……という考えではあった。
なぜ一夫多妻制が多くなってしまったかというと、全ては100年間続いた天地戦争のせいだ。
戦争が始まれば真っ先に徴兵されるのは男たちである。最近では男女平等ということもあって女性の兵士も珍しくなくなっているが、しかしぶっちゃけ本音を言うと男の兵士の方が扱いやすいのだ。戦闘に向いた体格をしているし雑に扱ってもすぐには壊れない。性別に対する配慮も必要ないので軍としても不要なコストを削減できる利点がある。
そういう事情のせいで、多くの男が戦場に送り込まれ、そしてその実に7割が帰らぬ人となった。
そうなれば祖国に残されるのは女子供ばかりだ。
戦争が100年も続いたせいで親子三代で徴兵されみんな死んでしまった、という家庭は多く、今や世界中で男女比が狂いに狂ってしまっている。
今まで通り夫に対し1人の妻、というスタイルだとどうしても人口増加は緩やかになりがちである。男性に対して多くの女性が”余って”しまい、伴侶を見つけられず生涯独身……という事になってしまうためだ。
そこで各国政府は天地戦争中、男性死者数と各国の男女比を鑑み、これまで貴族や王族の特権だった一夫多妻制を庶民にも解禁。少しでも人口を増やすための政策に乗り出した。
激戦区となったノヴォシアやイライナの方では、子を産めば産むほど補助金が出るうえ減税されるという仕組みになっていて、独身でいるより結婚して家庭を築く方が安上がりという現象が起こっているらしい。
そういう事情もあって、一夫多妻制は割と当たり前なのだ。
そんな世界なのでロザリーとクラルテの二股だとか不倫だとか、そういう事にはならないだろう……とは思っていたのだが、やはり一夫多妻制が解禁されて80年になるとはいえ、「私も結婚できるからいいや」とか「まあ一夫多妻制だし他に女がいてもいいかな」とはならないのだろう。こないだのクラルテの反応を見て確信した。
ちょっと拙かったな……そこは反省しなければ。
そんな俺の心の中を見透かしたのか、そっと頭を撫でてくれるクラルテ。彼女の方を見上げると、クラルテは俺の鼻先を指でつん、と突きながら笑みを浮かべた。
「まあ、一夫多妻制は認可されていますから問題はありませんし、転生者の方にとってはハーレムを作る環境ができてるくらいの認識なのかもしれませんけど」
「う゛」
ずびし、と胸に言葉の矢がぶっ刺さる。
「私に特別な存在なんて言ったのですから、私の事も構ってくれないとお姉さん泣いちゃいますよ?」
「ごめん……気を付けるよ、本当に」
「うふふっ、良いのです♪」
ぎゅー、と抱きしめてくれるクラルテ。
汗かいてるから、と言ってもお構いなしだった。
彼女の抱擁は慈愛に満ちていて、ここが自分の居場所なのかもしれないと思うほど心地よかった。
観測歴38000年
5月26日 8時37分
大西洋上空 高度3000m メルキア沖
双眼鏡の向こうに、巨大な島が見えた。
それはさながら、雲海に浮かぶ島のよう。純白の海から顔を出すその島の上には町があって、限られた土地を目一杯使った農地では農民たちが鍬を振るって畑を耕している。
あれがメルキアなのだろうか、と思いつつ伝声管へと報告を入れようとした俺は、次の瞬間言葉を詰まらせてしまった。
その巨大な島の後方に広がる雲海―――やがて霧が晴れるように広がった雲海の向こうに、その島なんか豆粒に思えてしまうほど巨大な大陸が姿を現す。
ケルビアみたいなサイズの浮遊大陸は離島でしかなかったのだ。
まるでアレが地上なのではないか、と錯覚してしまうほどのサイズの浮遊大陸―――雲海さえなければ息を呑むほどの威容を誇っていたに違いない。
「まさかあれが……”メルキア”なのか……?」
竜人たちの総本山―――浮遊大陸最大規模の大陸、【メルキア】。
サイズにして南米大陸と同等のサイズ―――そんな規模の浮遊大陸が、ああやって高度2700mの空に浮かんでいる事が信じられない。
あまりにもの巨大さに目を奪われながらも、しかし同時に心の中には達成感が溢れていた。
ついに約束を果たす時が来たのだ、と。
5年前、ロザリーと果たした約束を。
彼女はどこにいるのだろうか。元気にしているだろうか。
約束通り、来たよ……ロザリー。
しかしなんかさっきから変な寒気がするのは気のせいか?
一夫多妻制と天地戦争
天地戦争勃発してからすぐに、竜人、獣人双方の政府関係者は頭を悩ませた。熾烈を極めた戦争により戦死者数がうなぎ上りで急増したのだが、そのほぼ全てが男性の兵士であり、各国では男性の人口減少と男女比の狂いが生じていたのである。
戦争の激化に伴う徴兵基準の緩和もそれに拍車をかけており、地域によっては男性が全員徴兵され女子供だけになった村や集落、小さな町が続出。結婚相手の喪失に伴う女性の独身化や将来的な人口減少が確定したと知るや、各国政府は苦肉の策として一夫多妻制を庶民にも解禁。将来的な人口確保を図った。
なおこれは獣人側では受け入れられているが、1人の伴侶を全力で愛し尽くす価値観を持つ竜人側ではあまり定着しなかったようだ。
竜人男性からすれば一夫多妻制は女性からの愛情を裏切る事に他ならず、女性からすれば男性は他の女にも笑顔と愛情を振りまく浮気者にしか見えないためである。




