教練空間
ちゃぶ台がある。
背景の作画担当の人が仕事サボったんじゃないかと思うほど真っ白な何もない空間。その中にポツンと佇むちゃぶ台はさながら昭和の家庭に1つは必ずあったような感じのやつで、表面をよく見るとこぼしたラーメンのスープとかでできた染みが残り、随分と年季の入ったものである事が分かる。
そしてそのちゃぶ台の上には、土鍋が置いてあった。
『……待て、待て待て』
ちゃぶ台の近くまでやってきた俺は、その土鍋の蓋を取ろうとして……ちょっと立ち止まり考えを巡らせた。
コレあれじゃないか。土鍋の中にどこぞの某ハクビシンがいて、開けた瞬間に『ぴえー!!』ってギャン泣きからの理不尽な仕打ちを受けるアレじゃないか。散々やられてただろ俺の先輩が。
でも好奇心には勝てず、土鍋の蓋を開けてしまう俺。
中には1匹のハクビシンが、身体を丸めて収まっていた。首には『みかえる』って書かれたネームプレートを下げていて、ビー玉みたいな丸い目でこっちをじっと見つめている。
最初はリラックスしたような表情だったハクビシンだが、段々と捕食者を前にしたように顔が強張り始めたのが分かった。ぺたんと寝ていたケモミミが立ち、髭が前に向かって伸び、目を見開いて……。
そういやハクビシンの天敵って狼だったな、と1人で納得していると、ハクビシンは甲高い声で『ぴえー!!』と鳴いた。
それを合図にぶち割れる前方の真っ白な空間。陶器みたいな白い破片を周囲にぶちまけながらやってきたのはアメリカ軍が誇る大地の王者にして資本主義の化身、M1エイブラムス戦車。
こっちに砲口を向けて停車したエイブラムスをよじ登っていくハクビシン。やがて戦車の後方へ彼(彼女?)が消えていったかと思いきや、今度は砲塔のハッチを開けて中からクラルテがシスター服姿で現れる。
『ふふふっ、驚きました?』
誇らしげに胸を張るクラルテ。ぶるんっ、と大きく胸が揺れたんだがわざとだろうか。
『というわけでラウルさん、私の教練空間にようこそ!』
『これって現実なのか?』
『いいえ、どちらかというと夢に近いですね』
『夢』
『はい。あ、でもこの空間の内部と外の空間で時間の流れ方が違います。それにはご注意を』
『詳しく』
『あ、はい。ええとですね、現実世界での1時間はこの空間の中では24時間です』
つまり彼女の生み出す教練空間の中で1日むったり訓練したとしても、目を覚ませば1時間しか経過していないという事になる。
なるほど、これを使えば短期間で新しい武器や兵器の運用方法をマスターする事が出来る、という事か。
転生者のユニークスキルを補佐・補完する巫女のサポートスキル。彼女の存在があってこそ俺は更なる高みを目指す事が可能になるというわけだ。
『あ、でも私はさっき”夢に近い”と言いましたが、この空間内部にいる限り身体への休息効果はありません。昼間は仕事をして夜はこの世界で訓練を……なんて事をしたら過労死してしまいますのでご注意を』
『それはちょっと不便だな』
その辺、俺がユニークスキルで過度に無双しないためのバランス調整なのだろう。さすがに彼女が信奉する”マザー”とやらも多少のゲームバランスというのは考慮しているらしい。
すたんっ、とエイブラムスから降りてきて俺の前に立つクラルテ。ニコニコしている彼女に、ちょっとばかり問うてみる。
『……ところでさ』
『はい、何でしょうか』
『その……この能力を発動する時ってアレなの? さっきみたく添い寝必須なの?』
『はい、そうですよ。ラウルさんを抱きしめてあなたの温もりと匂いを肌で感じる事で、あなたと”同調”しサポートスキルの発動条件が整うのです』
あ、アレ必須だったんだ……。
重量感のあるおっぱいと柔らかそうな唇、そして彼女の吐息を至近距離で感じたあの瞬間を思い起こしてしまい、目線を逸らしてしまう。
『……嫌、でしたか?』
『いえ、綺麗なお姉さんと添い寝出来て最高でした』
つい本音が出た。
3秒ほどのフリーズの後、顔がリンゴみたいに赤くなるシスター・クラルテ。さっきまでの年上のお姉さん特有の余裕に満ちた笑みは何処へやら、顔を真っ赤にしてぶんぶん振りながら狼狽える姿はちょっと子供っぽい。
『こほん、そ、それではですね、気を取り直してトレーニングを始めましょう』
咳払いをしてからそう言い出すクラルテ。しかしこんな何もない真っ白な空間で何をしろというのだろうか。このシーンが映像化されたら作画担当の人楽そうだよな、ってレベルで何もない空間を見渡してから首を傾げると、クラルテはぱちんと指を鳴らす。
変化は一瞬だった。
次の瞬間には先ほどの真っ白な空間は時空の彼方へとふっ飛ばされ、新たに再構築された射撃訓練場のレーンが目の前に姿を現す。
レンジも様々だった。20~30m程度の近距離から中距離、400mや600m、ついには1㎞以遠の遠距離用のレーンまで、さまざまな武器の練習ができる訓練場が瞬時に生成される。
それだけではない。
奥の方には室内戦を想定したであろうキルハウスまで用意されている。キルハウスの入り口を開けてみると人型の的がいくつも用意されており、中には射撃すると減点されてしまうのであろう人質の的もあった。
外に出ると滑走路や戦闘機の格納庫、戦車もあった。銃の撃ち方だけでなく戦闘機の操縦や戦車の操縦までここで学べるらしい。
格納庫の中で眠っている戦闘機―――F-16に近付き軽く触れると、目の前にメッセージウィンドウが表示され兵器の簡単な説明が始まった。アメリカの戦闘機である事、さまざまなバリエーションが存在し幅広い任務に適応可能な汎用性の高さが売りである事。
タラップを登ってコクピットに乗り込むと、身体が光に包まれていつの間にかパイロットスーツ姿になる。何だこれ、と驚く俺の目の前にF-16の操縦方法がテキストと動画付きで表示される。
興味深いな、と思いながら中を見て回っていると、後ろをついてきてタラップからコクピットを覗き込むクラルテがぽつりと言う。
『標的はは見ての通り基本的に訓練用ですが……貴方が望むのならば、生きている人間を模したものにも変更できますよ』
まるでインドカレーのナンをライスに変更できますよ、とでも言うかのような軽いノリで言うものだから、思わず足を止めて彼女の方を振り向いてしまった。
自分が今、どれだけどぎつい発言をしたのか自覚がないのだろうか。マザーとやらの”調律”の影響なのか、あるいはそんな調律が当たり前でストレスのない環境で育ってきたが故の感性なのか。
とはいえ、彼女がそんな発言をぶっ込んできた理由も分からなくはない。
土壇場で射撃を躊躇われては困る―――言外に、彼女はそう言っているのだ。
こないだの飛竜の卵の一件でも痛感した。冒険者を志すならば、人の命を奪う必要がある事なるかもしれない。この仕事をやっていて遭遇する相手が、今まで俺が出会ってきた人々のような『いい人』だけではないのだ。悪意を持って近付いてくるヤツ、明確に敵意や殺意を持って殺しにかかってくるヤツ……降りかかる火の粉を払わなければならない時は絶対にやってくる。
そんな自分や仲間の命が懸かっているであろう場面で、発砲を躊躇うようでは話にならない。
平和というぬるま湯の中で育んできた、日本人的な思考回路と決別する時は近いのだ。
ここはもう日本ではなく、弱肉強食の異世界なのだから。
『―――クラルテ』
『はい』
『―――俺が”やめて”って言うまで、標的は全部人間にしてくれ』
これが、俺の覚悟だ。
冒険者を志した以上、後戻りは許されない。
立ち塞がる試練は乗り越えるか、粉砕して突き進むしかないのだ。
分かりました、と返答して指を弾くクラルテ。
キルハウスの中にあった人型の的が、まるで魂を抜かれたような人間へと姿を変えたのは一瞬の事だった。
なんだか、悪い夢を見ていたような―――そんな感じがする。
瞼を開け、ここが現実世界だという事を知覚できても本能がそれを理解できていないような、理性と本能が乖離しているというか、チューニングがズレているような感覚を覚える。
しかしそんな心地の悪い微睡も、すぐ目の前にあるクラルテの顔を見た途端に吹き飛んだ。
「っ」
すぐ目の前にある、無防備な美女の寝顔。
すう、すう、と顔に吹きかかる寝息。額が軽く触れ合うほどの至近距離―――あと少し唇を突き出せば、き、きききききキス出来てしまうほどの距離に、クラルテの顔がある。
「んー……」
「わぷ!?」
寝相なのだろう、そのまま俺を引き寄せて抱き枕のようにぎゅー、と抱きしめるクラルテ。さすがにこんなところを見られたら誤解どころの話ではない。ギルド加入一週間足らずでそういう関係という変な認識をされてしまったらお互いの不利益にしかならないのではないか。
多少力を込めて逃げようとするが、しかし忘れていた。クラルテはM60を平然と腰だめで連射し、迫撃砲を抱えて支援砲撃まで1人でやってのける見た目によらない脳筋であった事を。
いくら身体を鍛えたハイイロオオカミの獣人とはいえ、そんな彼女に勝てるはずがない。
両腕で身体をがっちりとホールドされ、胸板には彼女のJカップのおっぱいが押し当てられて……むにゅう、と優しく押し付けられるそれの感触に目を白黒させる童貞ラウル君。
い、いいのかな、と少しだけ期待してしまう。
寝てるし、こっそりキスしても……なんて事を考えると、思考の海の中に何故かひょっこりとロザリーが姿を現して、笑顔でこっちに弓矢を向けてくる。ごめんなさいロザリー、俺が悪かったから命だけは。
ぎょろ、と眼球を動かして枕元の時計を見た。
なんだ、まだ4時だ……二度寝が許される時間帯である事を確認し、もう一度瞼を閉じる。
「うふふっ……可愛い♪」
歳下をからかうようなクラルテの声が聴こえた気がしたけど、たぶん幻聴だろう。
当たり前だが、浮遊大陸にも冒険者管理局は存在する。
中に入ってみると、まるでコピペでもしたのかと思ってしまうほどバレーシャの管理局と中のつくりは似通っていた。依頼を受注するための掲示板と受付、そして併設されている喫茶店と酒場。向こうには別のカウンターと階段があり、カウンターのところには竜人語で『Receptio hospitii(宿泊受付)』との記載がある。
多分あの階段の先は宿泊用の部屋なんだろうなぁ、と思いながら掲示板へと足を運んだ。
受けられる依頼の種類は、当たり前だが随分と違っていた。ハーピーの討伐にアラクネ討伐、飛竜捕獲の依頼と、Dランクまでの依頼や地上で受けていたものとはずいぶん毛色が違うものばかりである。
ヴォイテクからは『ソーキルの補給とか次の荷物の積み込みに5日くらいかかるから各々好きに行動してていいよ』とOKを貰ったので、こうして浮遊大陸の冒険者管理局まで足を運んだ次第である。ソコロフは『俺は竜人の当たりがきついからいいや』って艦に引きこもってるが、まあ賢明な判断だろう。
このハーピー討伐なんかいいんじゃないかな、と思い依頼書を掲示板から外すと、隣から口笛を吹く音が聞こえてきた。
「ほー、マスクつけてるって事はアンタら獣人かい?」
「ええ」
声をかけてきたのは同業者だった。頭からはブレード状の角が生えており、腰の後ろからは堅そうな外殻で覆われた尻尾が伸びている。当たり前だが竜人の冒険者のようだ。
腰には鞘に収まった剣と……リボルバーの収まったホルスターがある。少なくともスパーニャではあまり見る事が無かった類の武器だが、浮遊大陸では銃が普及しているのだろうか?
腕を組みながらこちらを見る竜人の冒険者の顔には、あからさまに嘲るような表情があった。
「道理で獣臭いと思った」
「あなた……!」
やめろ、とクラルテを手で制し、何も言わずに踵を返した。
剥がした依頼書を受付嬢の所へと持っていき、淡々と受注の手続きを済ませていく。こっちの受付嬢も獣人を目の敵にするような人だったらアレだったんだが、幸い公平に扱ってくれる人だったらしい。
「あの……あまり気を悪くしないでくださいね」
「お気遣いありがとうございます」
赤毛の竜人の受付嬢に励ましてもらい、笑みを浮かべて返答しつつ手続きを済ませる。
受注した依頼はハーピー15体の討伐。空を飛ぶ敵との戦いは初めてだが……昨晩は3時間、みっちりと射撃訓練を受けたのだ。現実世界の時間で3時間、クラルテの教練空間では3日。相変わらず付け焼刃ではあるが、新たな技術の習得と既存の技術の反復訓練にはちょうどいいと思う。
「ラウルさん、何で何も言い返さなかったんですか」
ぷくー、と頬を膨らませながら後をついてくるシスター・クラルテ。
納得できていない彼女を、優しく諭す。
「ここは浮遊大陸だ。暴力沙汰になって憲兵でも呼ばれたら、連中は俺たちを色眼鏡で見るぞ」
そうなったら不利なのはどちらか……言うまでもないだろう。軽率にムカつく奴を殴りにいけた地上とは少々事情が違うのだ(まあそれでも我慢できなければ手が出るかもしれないが)。
「……ああいう奴は、結果を突きつけて黙らせてやるのさ」
遥かな高みに上って、そこから見下してやるのだ。
獣臭い奴らより劣るお前は何だ? と。
ああいう連中にはそういう現実を突きつけてやるのが、きっと一番効く。
サポートスキル
転生者専属の巫女が習得している特殊スキル。転生者のユニークスキルと比較すると単独での戦闘には全く向かないものが多いが、転生者のスキルを補佐するものとなっており転生者とセットになる事で真価を発揮する。
一例を挙げるとラウルの【原初の火薬庫】に対するシスター・クラルテの【教練空間】である。ラウルのユニークスキルは現代兵器を召喚するものであるが、当然その運用方法を熟知していなければ宝の持ち腐れとなる。
そこでシスター・クラルテのサポートスキルで現代兵器の運用方法や操作方法を学び、自らの戦力とする事が可能になるのだ。
このように転生者のユニークスキルを補強するのが巫女のサポートスキルである。そういう意味では、転生者と巫女は一蓮托生の関係にあると言ってもいいのかもしれない。




