ケルビアの面積は4000㎢なので実質滋賀県
浮遊大陸『ケルビア』は、高度3500mに浮遊する浮遊大陸である。
面積は4000㎢。重力は1Gで気候はやや寒冷。ただ1年に一度赤道付近まで回遊するコースをとって浮遊するので、3月と9月にそれぞれ冬と夏があるのだそうだ。
地理としては大陸中心部に複数の湖が存在し、そこで獲れる淡水魚を使った食文化が発達しているのだとか。湖には鮒も生息しており、それを用いた保存食も……ん、何ココ滋賀県? フライング滋賀県なの?(フライング滋賀県ってなんだ)
地表がゆっくりと近付いてくる。
空港に着陸するんだろうかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
浮遊大陸の縁のところから、さながら植物の根のように伸びる桟橋のような部分。ソーキルはそこに向かってゆっくりと高度を落としている。
やがて軍艦が港に入港するように、ソーキルはゆっくりと桟橋に接舷した。
「機関長、機関停止」
《機関停止了解》
「な、なあ、機関止めちゃって大丈夫なのか?」
ヴォイテクに思わず問いかけた。
今のソーキルは、空に浮かぶ桟橋に接舷した状態である。地表の上や滑走路に着陸しているわけではなく、艦底の下にはどこまでも続く奈落と地中海の海原が見えるのみだ。万一、何かの手違いで落下するような事があれば、その時は……。
「大丈夫だ」
「ホントかよ……」
「浮遊大陸には固有の重力圏があるって言ったよな?」
「あ、ああ」
「だからだ。浮遊大陸のすぐ近く、コアの力場の影響を受ける範囲内であればこうして係留して機関を停止しても落ちる事はない」
「え、そうなの?」
「ああ。戦時中、天空軍の空中艦隊はよくこうやって浮かぶ感じで係留してたよ」
言われてみれば、と何気なく隣の桟橋を見てみた。
俺たちよりも一足先にケルビアへと降下した717型空中駆逐艦が隣の桟橋に係留されているが、確かに艦尾や船体側面から突き出たエンジンポッドのプロペラは全て停止している。
完全に揚力を失っている筈なのに、しかし空中にピタリと制止したまま、下に落ちるような素振りを見せないのだ。
それだけではない。
よく見るとケルビアの周辺には小島のようなサイズの岩塊が、衛星さながらに浮遊しているのだ。岩塊には航空管制局のロゴの入ったライトが搭載されていて、港へと誘導するためのブイとして機能しているようだ。
力場の影響なのだろう。
そして万が一、コアとなっている賢者の石が壊れるような事があれば……やめよう。それは考えたくもない。
「艦長より達する。積み荷下ろし方始め」
《了解、荷下ろし始めー》
「ラウル」
「了解」
行こうかクラルテ、と彼女を呼び、艦橋から格納庫へと降りていった。
なんか息苦しいな、と呼吸に軽い違和感を覚える。まるで呼吸しても酸素がちゃんと身体に行き渡ってないんじゃないか、といった疑念を抱いてしまうような……そんな感じだ。
無理もない、高度3500mである。そりゃあ地上より酸素の濃度も違うわけだ。
「知ってますかラウルさん。高度3500mの酸素濃度は21%のままなんですよ」
「そうなのか」
まるで俺の思考回路を読み取ったかのように、クラルテは何故か誇らしげに言った。胸を張り大きな胸を揺らしている。高度3500mで揺れるJカップおっぱい、雅である(?)。
「はい。正確には酸素の”分圧”が低下するのです」
「分圧?」
「分かりやすく言うと、一度の呼吸で吸入できる酸素量が減少するのです」
「なるほど納得」
さっきから呼吸に息苦しさを感じていたのはそのためか……。
なんかこう、ファンタジー作品だとそういう酸素とか標高とかそういう要素の一切合切を無視して天空に浮かぶ島とかダンジョンとか行きがちだけど、現実だとそうはいかないらしい。あるいはこの世界が変なところだけ無駄にリアリティを重視しているからなのか、はたまたこの世界を創ったであろう神の変なこだわりなのか。まあそんな事はどうでもいい。
格納庫に降りると、既にソコロフがいた。俺と同じくコンバットシャツとコンバットパンツの上に、空軍用のジャケットを羽織っている。頭にかぶっているのはオリーブドラブのベースボールキャップで、正面にはちゃんと『くまさんハウス』のロゴがあった。
「お、ラウル!」
ちょいちょい、と手招きされる。何だろうと思いながら彼の傍らに駆け寄ると、「ああ走るな走るな」と注意された。
「高度3500mだ、マスクも無しに息の上がるような行動は慎め」
「あっ、ゴメン」
「ほらこれ、酸素マスク。口元だけを覆う簡易タイプだけど」
そう言いながらソコロフが格納庫の壁面にあるマスク入れから取り出したのは、鼻から口元を覆うタイプの簡易型酸素マスクだった。人間の顔の形状にフィットするよう調整された第二世代型獣人用である。
第二世代型獣人はそもそもケモミミと尻尾が生えただけの人間といった感じの姿をしているのでこれでいいが、第一世代型は違う。骨格が完全に動物のそれだから、それぞれ動物の種類に応じて調整したマスクを用意して使わなければならないのだ。
道具1つとっても第一世代型と第二世代型で事情が大きく変わってくるのである。
マスクを装着すると、やっぱり呼吸がだいぶ楽になった。
「マスクなしだと酸欠とか高山病になるから気を付けて」
「ありがとうソコロフ」
「どういたしまして。さ、荷下ろしすんよ」
「はいよー」
チェックリストを受け取り、ケルビアで降ろしていく荷物の番号を確認。俺とクラルテが手で持てる重さの荷物を抱え、艦尾側にあるハッチから桟橋の方へと下ろしていると、ガシン、ガシン、と重々しい足音が格納庫の奥から聴こえてきた。
やがて薄暗い格納庫の中から、でっかい荷物を抱えたロボットが姿を現す。
3mくらいの大きさの、作業用のロボットだった。背中にはガソリンエンジンを背負っており、バックパックにはマフラーもちゃんと用意されている。フレームの塗装はオレンジ色で、軍用ではなく作業用である事が分かる配色だった。
機甲鎧と呼ばれる、パワードスーツのようなものである。
ガソリンエンジンで動く3mくらいのパワードスーツの総称で、第1文明の辺りから存在が確認されているらしい……とはいっても、第1文明当時のものはもっと高性能で完成度の高いものだったらしいのだが。
度重なる文明の崩壊と記録・技術の喪失を経て、機甲鎧もだいぶダウングレードされてしまっているようだが、それでもコイツを保有しているだけくまさんハウスは恵まれている方……というか、だいぶレア物を持ってるなというのが俺の正直な評価である。
ダンジョンで状態の良いものを発掘したのか、それとも腕の良い技師に製造してもらったか、入手の経緯は分からない。
というかこの武装貨物船ソーキルといい、作業用の機甲鎧といい、随分と恵まれた設備や装備を多数所有しているくまさんハウス。
何か裏でもあるのか……いや、やめよう。
ヴォイテクに限ってそんな事はない筈だ。
複雑な事情はあるんだろうけど。
貨物集積所で借りたトラックに荷物を移すと、ソコロフはシートベルトを締めてからキーを回してエンジンをかけた。
助手席には俺が座り、後方のキャビンにはクラルテが座って、外の景色を興味深そうに眺めている。
高度3500mから見る空は、また違う顔を見せている。より深い色合いの蒼と、周囲に広がる雲海。蒼と白のコントラストが映えるが、無限に広がるような解放感を感じてしまうのはそれだけではないだろう。
走り出したトラックの隣で、頬杖をつきながら街の様子を見つめる。
道行く人々はやはり、殆どが竜人だった。ロザリーと同じく頭にブレード状の角が生えていて、腰の後ろからは鱗や外殻に覆われたドラゴンの尻尾が生えている。瞳の形状はよく見えないが、きっと爬虫類を思わせる形状をしているのだろう。
獣人には獣に近い姿の第一世代型と人間に近い第二世代型というバリエーションがあるが、竜人にはそういった分類はない。みんな人間に角と尻尾が生えたような、ごく普通の人間には親しみやすい姿をしている(ちなみに魔物にリザードマンが存在するが、あれは縁も所縁もない別の種族なのだそうだ)。
そしてもう一つ、気付いた事がある。
「……みんなマスクをしてないぞ」
そう、酸素マスクを着けていないのだ。
まるで地上にでもいるかのように、当たり前のようにこの高度3500mの世界に適応しているのである。酸素の少ないこの高度に浮かぶ世界で生きてゆけるよう、より少量の酸素で効率のいい呼吸ができるよう肺が発達しているとでもいうのだろうか。
竜人たちはなにゆえこんな苛酷な環境に住むようになったのだろうか。彼らの文化的ルーツがちょっと気になった。
トラックが道を離れ、林の中に入っていく。石畳で綺麗に舗装された道が途絶え、でこぼことしたオフロードになる。借りたトラックときたらサスペンションがだいぶ硬くなっているようで、ちょっとした地面の凹凸でもどったんばったん跳ね回って大変な事になっている。
ああお尻が、お尻が。
サスペンションにお尻をいじめられること数分。しばらくして林の奥に真っ白な小洒落た洋館が姿を現す。
バロック様式、というやつだろうか。如何にも裕福な人が住んでそうな場所だ。しかしそれにしては随分と寂れたようにも見える。ツタが壁面を這い回り、正門の格子は錆び付いて、見張りの姿はない。
「……住所、間違ってたりしません?」
「いや、ここでいい」
そう言ってトラックを正門前に停めるソコロフ。俺も助手席から降りて荷台の幌をめくり、中から飛竜の卵の入った木箱を運び出した。さっきの派手な揺れで割れたりしてないよな、と心配になるが、もし割れてたら今頃木箱の下からとろーりと卵の中身が溢れ出ている事だろう。
耐衝撃用のおがくずもたっぷり入ってたし、大丈夫なはずだ。たぶん。
正門にあるベルを鳴らしても誰も出てくる気配がない。おかしいな、と思っている俺にクラルテも「留守……でしょうか?」と耳打ちする。
荷物を正門前に置いておくのも防犯上好ましくないんだよな、と思いソコロフに助言を求めようとすると、洋館の中から紺色のドレス姿の女性が出てきて正門を開けてくれた。
「はい、どちら様ですか?」
「冒険者ギルド”くまさんハウス”です。お荷物をお届けに来ました」
「ああ、それはそれは」
「どうぞ、飛竜の卵です」
飛竜の卵を食う竜人……”共食い”とは思わないのかな、とちょっと失礼な事を考えると、クラルテに肘内された。
やはり荷物を受け取りに来た女性も竜人だった。マスクを付けず、さも当然のように過ごしている。金髪の中からは黒いブレード状の角が見えていて、赤い瞳も形状が爬虫類のそれだ。
彼女がサインをしていると、しばらくして洋館の方から「アマンダ!!」と女性の名を呼ぶ声が聴こえてきた。
アマンダ、とは彼女の事なのだろう。ドレス姿の彼女が洋館の方を振り向くと、いつの間にかそこには年老いた竜人の男性が杖を突きながら立っていた。よろよろと覚束ない足取りでこっちにやってくる男性の顔には怒り狂ったような表情がある。
「何だコイツらは!?」
「ああ、お父さん。この人たちは荷物を届けに―――」
「汚らわしい獣人なんぞに頼む荷物など無いわ!!」
竜人語を覚えたばかりの俺でもはっきりと理解できた、侮蔑の言葉だった。
「そんなマスクなんぞつけなければまともに活動できない野蛮人共め! 今度はワシから何を奪うつもり……ゴホッ、ゴホッ」
「ああ、もうお父さん! 駄目よ無理をしちゃ……」
ごめんなさい、とアマンダは申し訳なさそうに言った。
代金を受け取って、彼女に頭を深々と下げる。踵を返してトラックの方に戻ろうとする俺たちの背中に、あの老人の「さっさと出ていけ! 獣臭い下等生物が!」と憎悪を剥き出しにした言葉が突き刺さる。
何とも言えない感情を胸に抱いたままトラックに乗り込んでシートベルトを締めた。ソコロフが「はいネクストネクスト~」と緩い感じでトラックを走らせると、キャビンに座っていたクラルテが子供っぽく頬を膨らませてぷんすかと怒り始めた。
「まったく、何なんですかあのクソジジイは! せっかく荷物を持ってきたのに野蛮人とか下等生物とか酷過ぎます!」
「仕方ねーだろ」
ハンドルを握りながらソコロフが言った。
「気付いたか? あの爺さん……襟のところに紫の勲章付けてただろ?」
「え? あ、そういえば」
「アレな、天空軍の勲章なんだ。戦闘で負傷して名誉除隊した兵士に贈られる……」
じゃあ、杖をついていたのも加齢によるものではなく……。
「加えてあの年代だ。自分の子供とか孫の世代も徴兵されて、戦死しててもおかしくない。そうでもない限りあそこまで獣人を憎まない筈だ」
確かに、そうなのだろう。
もし俺に子供や孫がいたとして、その子たちが戦争で敵国の兵士に殺されたとあったら……終戦後、その敵国の人間を許す事が出来るかと言われたらちょっと怪しいところではある。
100年間も続いた天地戦争。
その戦乱が遺した爪痕は、思った以上に根深いようだ。
浮遊大陸を歩く際の注意事項
・高度3000m以上を浮遊する浮遊大陸では酸素マスクを付けましょう。激しい動きをすると酸欠、高山病などのリスクがあります。
・あなたが竜人ならば酸素マスクは必要ありません。竜人の肺は酸素が薄い環境に適応した強靭なものです。
・今は天地戦争終結から間もない時期です。あなたがもし獣人ならば注意しましょう。獣人を憎む竜人は少なくありません。




