浮遊大陸『ケルビア』
文明が芽吹き、栄え、荒廃し、そして忘却の彼方へと去っていく。
この世界ではそんなループが既に、記録を確認できる範囲で26回も起こっている。
そして俺が生きる今の世界は27回目―――【第27文明】と呼ばれていた。
観測歴38000年(西暦38000年相当)
5月15日 午前5時35分
地中海上空 浮遊大陸『ケルビア』沖
《敵襲、敵襲!》
《総員戦闘配置!》
ジリリリリリ、と喧しいベルの音に突き飛ばされるように跳ね起き、着の身着のままで個室を飛び出した。ギルド加入当日に支給された空軍用ジャケットをパジャマの上に羽織りながら通路を突っ走り、タラップを滑り降りて隔壁を潜り、何度か躓きながらも船体右舷の対空銃座へ。
船体左側面から突き出たボールタレット型の銃座。ハッチのロックを外して中の座席にすとんと滑り込むなり、中にマウントされているブローニングM2重機関銃の安全装置を解除。目の前のレバーにある発射スイッチのガラスカバーを外し、伝声管に向かって「右舷第2銃座、準備ヨシ!」と叫ぶ。
さあ来るなら来やがれ叩き落してやる……そう息巻く俺の耳に聞こえてきたのは、ヴォイテク艦長の声だった。
《状況終了―――艦橋より各員、前より3秒早くなったがまだ遅い。こんなんじゃ落とされるぞ》
だぁー、と脱力する。今回は割と頑張ったんだがな……何がいけなかったのか。もう少し夢から覚めるのが早ければ良かったのだろうか。
しかし残念ながらラウル君は兵士でも警官でも自衛官でもない。起床ラッパで条件反射的に目を覚ますような身体はまだ出来上がっていないのだ。おまけに昨晩見た夢はスイーツバイキングでケーキやらパフェやらを食べ放題という夢のような夢。うん、夢じゃん。
状況終了了解、と伝声管に向かって返答し、安全装置をかけてから銃座を出た。
冒険者ギルド『くまさんハウス』に加入してから3日目。積み荷の納品期日までまだ余裕があるという事で、こうして地中海上空をぐるぐるしては慣熟訓練を抜き打ちで行っている。就寝中だろうが食事中だろうがお構いなしだ。敵は時間を選ばない、決して待ってはくれないのだという理屈は分かるけれど、トイレ中に戦闘配置の号令がかかった時はマジで死ねって思った。しかもでっかい方の最中に。
「んむー……」
ものすごーく眠そうな顔をしながら、通路の奥の方にある第3銃座のタレットから出てくるのはシスター・クラルテ。いつものシスター服ではなく白地に水色の水玉模様が可愛らしいパジャマ姿だ。本当に寝起きのままここまでやってきたのだろう、優美な織物を思わせる金髪は爆発したかのようにボッサボサで、瞼も半開き。おまけにふらつきながら歩いているというおまけつきだ……あっクラルテそっち隔壁……あー、ゴチンって頭ぶつけた。言わんこっちゃない。
「あーもークラルテ、いい加減起きなって」
「ねむいんれひゅ~……」
「ほら、もう部屋戻って着替えて。髪の毛もほらもーボッサボサだよ、せっかく綺麗なのに台無しじゃないか」
「すぴー」
クラルテって頼りになるのかならないのか、いまいちわからない時がある。
というかこういう時はお得意の”調律”とやらは発動しないのか。いいのかマザー。それでいいのかマザー。
もう、とクラルテを背負い、とりあえず彼女の部屋まで送り届ける。ギルド加入からまだ日が経っていない事もあって私物は必要最低限、日用品とクローゼットとベッドだけがある簡素極まりない部屋だが、しっかり整理整頓されている辺りにクラルテの几帳面な性格が表れている。
椅子に座らせてとりあえず髪をとかそう、と思ったところで唐突に右耳に感じる温かい感覚。クラルテの寝息が吐息みたいに右のケモミミに吹きかかって、まあとんでもない事になる。
「んひぃ!?」
……今の俺の声?
明らかにラッキースケベに遭遇したヒロインの喘ぎ声じゃねーか、と自分でツッコんでいると、何を思ったか今度は人のケモミミをハムハムし始めるクラルテ。柔らかくてぷるぷるした唇に敏感なケモミミが上下から挟まれて、思わず腰を抜かしてそのまま床に倒れ込む。
ば、馬鹿お前、何してんのお前!
俺より年上のお姉さんなんだからちゃんとこう、しっかりと―――ひぃん!?
ついには圧し掛かって人を抱き枕にして眠り始めるシスター・クラルテ。オイさすがにこれは拙いだろ、とクラルテの身体をタップするけど彼女は起きる気配ゼロ。いったいどんな夢を見ているのか、「こわがらなくていいんれひゅよー」とか「おねーちゃんにぜーんぶゆだねてー♪」なんて言い始める始末。
お前さてはクラリス枠だな? と思っていると通路から近付いてくる足音。やべえ、と思った頃にはすでに遅く、開けっ放しのドアの向こうからひょっこりとパンダの獣人にしてこのくまさんハウスの料理人、チャンさんが顔を出す。
「早上好。早餐准备好了(おはよう。朝ごはん出来てるよ)……Oh」
「あっ、いや違うんだチャンさん! 誤解だチャンさん!」
「……ご、ごゆっくりネ」
「違ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁう!!!」
早朝から、俺の悲痛な叫びが艦内に響き渡った。
サクサクと美味しそうに中華風揚げパン(※”油条”というらしい。正確にはパンではなく麩の仲間)を頬張るクラルテ。お椀の中にあるアツアツの豆乳に追加で砂糖を投下、スプーンでぐるぐるかき混ぜてしっかり溶かしてから千切った油条を浸して口へと運ぶと、彼女の頭から生えている狐のケモミミが幸せそうにピコピコ動いた。かわいい。
くまさんハウスの料理人を担当するチャンさんが東洋の”ジョンファ帝国”出身というだけあって、艦内で提供される食事は圧倒的に中華料理が多い。ソコロフ曰く、「朝食で油条が出てくるのはデフォ」なのだそうだ。
東京で働いてた時、休日に中華料理店とかで食べたなぁ……とか思いながら俺も油条を投入に浸してから口へと運び咀嚼。鹹蛋というアヒルの塩漬け卵をお椀の中の中華粥と一緒に口へと運んで悶える、静かに悶える。これが最高に美味いのだ。鹹蛋は単品だとかなーり塩辛いんだが、お粥とセットで食べると化ける。お口の中が幸せになるのでオススメです本当に。
「あの……すいませんチャンさん、油条のおかわりを」
「ほいー」
「ひゃっほう!」
朝食からフルスロットルなシスター・クラルテ。早朝の訓練でのグダグダっぷりはどこへやら、すっかりスイッチが入ったような感じがする……もしや彼女のON/OFFのトリガーって朝飯だったりするのだろうか。なんかそんな気がしてきた……。
なんとデザートにマンゴープリンまで出てきた豪華極まりない朝食。これまさか米海軍みたく「実戦が近いから」とかそんな理由で豪華な飯が振舞われてるとかそんなわけじゃないよね、と不安になりつつ完食。
今回の職場、大当たりを引いたという感じが凄まじい。
仕事はまあ命懸けだし訓練も厳しいけど、職場の人は皆良い人だし飯は美味いし給料は頑張った分だけ増えるらしいのでいっぱい稼ごう、頑張ろうという意欲が刺激される。前世のブラック職場は見習って、どうぞ。
食事を終えた俺は部屋に戻り、ロッカーから召喚しておいたBRN-180を回収。スリングに腕を通して背中に背負い、グロック40のホルスターも腰に下げる。
くまさんハウスでの基本的な服装はマルチカムのコンバットシャツにコンバットパンツ、それからオリーブドラブの空軍用ジャケット。これにベースボールキャップだったりFASTヘルメットだったりその他ヘッドギアだったりと、構成員の個性が出るコーデとなっている。
制服というよりは作業着とか防寒着という感じだ。さすがに空の上は冷える。
手袋を装着しマグポーチにSTANAGマガジンを4つくらい押し込んで部屋を出た。隣の部屋からは同じくクラルテがいつものシスター服姿でM60を背負い、年上の女性特有の余裕と母星に満ちた笑みを浮かべてこっちを見てくる。
彼女のスマイルにどきりとさせられながら、部屋を出た。
これからは対空監視任務だ。
最悪の場合、銃座は戦闘人形に任せたり艦橋から遠隔操作する事も出来るが、しかし対空監視だけは人の目でやらなければならない。残念な事にソーキルにはレーダーなんて洒落た装備はないのだそうだ。
艦橋に上がると、既に艦長席には空軍用ジャケットを羽織り軍帽をかぶったヴォイテクがいた。
「ようラウル。慣れたか?」
「まあ、何とか」
「そりゃあ良かった」
「そんじゃ右舷監視、入ります」
「しっかり頼む」
艦長に敬礼すると、ヴォイテクは一瞬きょとんとしてから苦笑いした。
「ははは……ウチは軍艦じゃないんだ、敬礼はいい」
「すまん、ミリオタなもんでつい」
「気持ちは分かる」
とにかくしっかりな、とヴォイテクの言葉に背中を押され、酸素マスクとゴーグルを装着してから艦橋の右側面にあるハッチを解放した。
ハッチは二重になっていて内側と外側のハッチの間にはエアロックが設けられている。解放した際、船外の強烈な気流が艦内に流れ込んだり、気圧差で吸い出されたりしないためだ。北海道の住宅によくある二重の玄関のレベル100みたいな、あんな感じになっている。
内側のハッチはレバーでロックを解除すれば簡単に開くが、外側のは気圧の関係で外側から押さえつけられているから人間の力ではどうやっても開かない。なのでエアロック内で減圧してから油圧装置を用いてハッチを解放、外に出る必要がある。
頭に叩き込んだチェックリスト通りに各所を確認、減圧操作を開始。エアロック内の圧力が減圧されると警報灯が点灯し、外部の油圧ハッチが解放され始めた。
命綱を腰に装着し、もう片方を船外にあるバーにしっかりと固定。これで少なくともソーキルが急旋回や急降下を始めたとしても船外に投げ出され、エンジンに吸い込まれてバードストライクならぬウルフストライクを起こさずに済む……というわけである。
艦橋の左右にあるウイングには鳥籠型の小さな見張り台が設けられており、内部には対空照準器と防盾が設けられたブローニングM1919重機関銃もあった。第二次世界大戦でアメリカが用いた傑作機関銃である。
息を呑んだ。
地中海上空、高度5000m―――長靴とかハイヒールに見える半島状の国土が遥か眼下に見える。あれはフェルデーニャ王国だろう。前世の世界のイタリアに相当する国家で、やっぱりパスタとピザとノリと愛に溢れた国なのだそうだ。とにかくみんな陽気で友達に居たら絶対盛り上がるようなナイスな人々だそうだが、パスタを目の前で折ると助走をつけてぶん殴ってくるらしい。
さて、そんな世界遺産と美しい風景と歴史、美味い食事に陽気な人々とこの世の楽園のような要素がぎっしり詰め込まれたフェルデーニャ王国の頭上には、巨大な物体が浮遊している。
傍から見れば巨大なカボチャのようにも見えるが、しかしよく見ればそれは大地の断面に生じた植物や苔によってそう見えているだけだという事が分かる。
上部には湖や川に広大な森林が広がり、それに調和する形で人の住む集落や街が形成されているのがここからでも見えた。
―――浮遊大陸『ケルビア』。
面積はおよそ4000㎢。分かりやすく言うと滋賀県が空を飛んでいるようなもんである。大陸の中央には琵琶湖が如くでっかい湖もいくつか連なっているのが確認できる。
見張りを初めて体感で30分くらい経過した辺りだったか。
ごう、と別のエンジンの音が響いた。
ソーキル右舷の雲海を突き抜けて、別の武装貨物船が浮上してきたのだ。向こうの見張り員がこっちに手を振っているのが見えたので、俺も彼らに見えるように大きく手を振り返した。
「右舷ウイングより艦橋、右舷距離600に武装貨物船。識別……717型飛行駆逐艦と推定」
《艦橋了解》
717型……ジョンファの駆逐艦だった気がする。とにかく大量に建造された駆逐艦のうちの1つで、東洋の方で活動する冒険者ギルドの空中艦はだいたいコレなのだそうだ。しかし西欧にまで出張ってくるとは珍しい。
それだけ普及しているという事なのだろう。
717型は大きく旋回すると、艦首を持ち上げるようにしてケルビアへと降下していった。
《艦橋より各員、これより本艦はケルビア大陸重力圏へ突入する。速やかに艦内へ退避されたし》
「右舷ウイング了解」
伝声管へ返答を返し、船外にあるレバーを引いた。油圧式のハッチが解放されるなり艦内へと転がり込み、ハッチ閉鎖を待って与圧装置を起動。エアロック内での与圧が完了するなり内壁のハッチのロックが解除され、それを待って艦橋へと転がり込む。
左舷からは見張りに出ていたシスター・クラルテも戻って来たらしい。これで船外で業務にあたっている乗員はいない。
安全確保を確認するなり、ヴォイテクは命じた。
「上げ舵15、両舷前進微速」
《両舷前進微速》
《ケルビア航空管制局より入港許可》
《重力圏突入まで5、4、3、2、1……突入》
ぐんっ、と重力の向きが一瞬だけ変わる感覚。
しかしそれもすぐに収まり、いつも通りの平衡感覚が戻ってくる……かと思いきやそうでもない。
艦の軋む音と共に、ソーキルの船体が揺れ始めたのだ。
浮遊大陸には、それぞれ固有の重力圏が存在する。
コアとなっている賢者の石が何かしらの力場を形成し、あれだけのサイズの浮遊大陸を浮遊させられるだけの反重力を生み出しているのである。そして当然その力は眼下の大地だけではなく、同高度を浮遊する他の浮遊大陸や空中艦、航空機にも作用する。
惑星が重力を持っているのと同じだ。
なので、浮遊大陸に接近すれば引力で引き寄せられるし、逆に浮遊大陸から離脱する際はそれ相応の推力が無ければ脱出不可能になってしまう。
重力境界面では浮遊大陸の重力の影響を受け、ロケットや砲弾の照準が大きく狂ってしまうのだそうだ……戦闘の際は気を付けたいが、そもそもそんなところで戦闘なんかしたくないもんである。
空に浮かぶ大地、ケルビア。
初めて訪れた浮遊大陸―――すぐそこに広がる未知の世界に、俺は心を躍らせた。
浮遊大陸の重力圏
浮遊大陸には最深部にコアとなる賢者の石が存在し、それが重力に干渉する特殊な力場を形成する事で浮遊大陸を浮遊させる動力源となっている。もちろんその重力圏は眼下の大地だけでなく周囲の空間にも作用しており、浮遊大陸に接近するとその引力で重力圏へと引き込まれてしまう事もある。
そのため浮遊大陸からの離脱には一定以上の推力が必須となり、推力不足の場合は脱出が不可能になってしまう。そういった場合に備え、大規模な浮遊大陸では推力不足の艦艇向けに使い捨てのロケットエンジン貸出サービスを行っている事も多い。
また、浮遊大陸の重力の重さは大陸ごとに異なっており、多くは0.8~1Gだが、中にはそれ以上のGの大陸も確認されている。現在確認された中で最大のGは5Gとされており、さすがに生存には適さないからか天地戦争では真っ先に大陸落としのための大陸として選定、オースレリアの都市ドロニーへと落とされた。




