狼、怪物を噛む
甲板に大きく突き出た60口径20.3㎝連装砲の砲身の下を潜り、懐からいつもの銘柄の葉巻を取り出したヴォイテクは、サバイバルナイフで先端をカットしてからトレンチナイフで火をつけ、煙を吹かし始めた。
彼はヘビースモーカーだ。
煙草のニコチンも、ウォッカの強烈なアルコールも、どちらも彼にとっては良き隣人である。そうでもしなければやっていられない。
自分の所有する武装貨物船【ソーキル】の甲板にある手すりに寄り掛かり、星空を見上げながら煙を吐き出した。
何気なく、首にチェーンで吊るしている結婚指輪に指先で触れる。
昔の彼は、こうではなかった。煙草は妻子が臭いを嫌がるからと敬遠し、アルコールも正常な判断を鈍らせると考えて控えてきた生真面目なヴォイテク。それ故に彼がその両方に手を出し始めた時、周囲の人々は驚きつつもそれを受け止めた。受け止めざるを得なかった。
天地戦争の最中―――あんな事があれば、そうもなる。
今の自分を妻子が見たらどう思うか―――空に浮かぶ満月に妻と愛娘の幻覚を見た彼は、ばつが悪そうに葉巻を甲板に落として踏み躙り、「クソッタレが」と悪態をついた。
分かっている、これが現実逃避でしかない事は。
「艦長、艦長ォー!」
「はいはーい!」
「3時方向、なんか来ます!」
ソーキルの機関士兼見張り員の声に導かれるままに3時方向―――艦首から見て左方向に視線を向けた。前部甲板に固定されている20.3㎝連装砲の後方にあるガラス張りの艦橋、その左側面にある見張り台に設けられたサーチライトが闇を切り裂き、森の方向から接近してくる小さな2つの影を暗闇の中から暴き出す。
ゴブリンか、と思った。
ごく稀にあるのだ―――生活圏を広げるためか、はたまた群れからはぐれたのか、停泊中の艦に寄ってくる魔物が。
メニュー画面を目の前に召喚し、愛用のAKMを召喚するヴォイテク。屈強なソ連兵が持つと見栄えするAKも、しかし身長180㎝オーバーでがっちりした体格の彼が持つとさながら子供のおもちゃのようだ。
セレクターレバーを弾いてセミオートに入れた彼であったが、しかしライトの中に現れた影の正体は魔物でも何でもない。
見覚えのある姿だった。
翡翠色の髪と瞳、頭髪の中から伸びるブレード状の角に鱗に覆われた尻尾。あの廃屋でラウルと一緒にいた竜人の兄妹だった。
『Quaeso, adiuva me! (お願い、助けて!)』
『Quid tandem accidit?(何があった?)』
戦時中に習得したポルスキー訛りの竜人語で返答する。よもや自分たちの母語が返ってくるとは思っても見なかったのだろう、竜人の兄妹―――ユリウスとロザリーは少し戸惑ってから、言葉を続けた。
『Raule! Raul a trollo oppugnatur! Quaeso, ei auxilium fer!(ラウルが! ラウルがトロールに襲われてるの! お願い、彼女を助けて!)』
「艦長、あの子なんて……」
「―――ソコロフ、武器庫から俺の得物を持ってこい。それとお前もPPShを持ってついてこい」
「りょ、了解です」
船員のソコロフ(ツキノワグマの獣人だ)にそう命じ、ヴォイテクはお気に入りの葉巻―――ではなく、前の寄港地で入手した安物の煙草を咥えて火をつける。
今時、トロールと戦おうだなんて勇敢な大馬鹿野郎は珍しくない。
しかし―――あの兄妹の様子から察するに、友達の為に命を懸ける本物の大馬鹿野郎は稀少だ。
そういう良い奴は戦争でみんな死んだ―――そんな絶滅危惧種を、むざむざ死なせてなるものか。
ソコロフがえっほえっほと担いできた長大な得物、『|シモノフ対戦車ライフル《PTRS1941》』を受け取るなり弾薬をポーチの中へと押し込んで、2mにもなるそれを肩に担いだヴォイテク。
その眼光は面倒見のいい兄貴のそれではなく、狩るべき獲物に狙いを定めた狩人のそれだった。
「―――ちょっくら食前の運動に行って来るかァ」
前世の世界で空手を習っていた頃、自慢話になってしまうが黒帯を身に着ける事を許され、岩手のクッソ田舎から東京の全日本大会で何度か優勝する程度の実力を得た事がある。
通っていた道場では誰もなし得なかった、中学生、高校生での全日本大会6連覇。岩手の実家に帰れば、たぶん仏間に今でも飾ってあるはずだ(優勝した時家族みんなでお祝いしてくれたっけ)。
道場では師範が小学生の子供たちに『いいか、川端先輩は自分より身体の大きい選手にも勇敢に挑んでいったんだ。先輩を見習え』って毎日のように言い聞かせていたものである。本人の目の前でそんな話をされると恥ずかしくて、何とも言えない気分になった。
それはさておき、俺は別に師範の言う通り勇敢だったわけではない。
今だから告白するが、ぶっちゃけヤケクソだったのだ。
うわー相手強そう、とかそんな事を考え、試合が始まるなり「もうどうにでもなれ」とヤケクソで相手に殴りかかり、なんだかんだで勝利してきたような……そんな変な男なのだ、俺は。
そんな成功体験を6度も経験してしまったものだから、世の中ヤケクソでいけばなるようになる、なんて味をしめてしまい社会人になってからそれなりに痛い目を見たわけだが―――多分、今回もそう上手くいかないと思う。
ヤケクソで何とかなる範疇を超えている。あんな巨人みたいな怪物と無数のゴブリン。それもこの前のような手負いの小規模な群れではない。明らかに50に届きそうな数のゴブリンを、戦車に群がる随伴歩兵さながらに引き連れているのだ。
退路は―――正直に言おう、ない。
村に逃げ帰れば魔物たちを村まで招き入れる事になる。そうなればお世話になった村人たちや、孤児院の仲間たちにまで危害が及ぶのは想像に難くない。
ヴォイテクの船まで逃げてもいいが、こんな数の魔物を彼らに擦り付けるような真似をするのも申し訳ない。
ならば選択肢はただ一つ―――ここで踏み止まり、助けが来るまで生き延びる事。それしかない。
弾は―――十分に用意した。
幸いBRN-180に装着しているのは100発入りのドラムマガジン。能力で召喚したチェストリグ(大人用なのでちょっとぶかぶかだ)のポーチには30発入りのSTANAGマガジンが8つ、腰のマグポーチに非常用の3つがある。
腰の右側のホルスターにはサイドアームとして用意していた『グロック40』がある。数あるグロックシリーズの中で、10㎜オート弾の破壊力と.45ACP弾以上の破壊力を両立した優等生だ。魔物相手にも効果が見込めるが、10歳の子供には如何せん反動が大きく感じてしまう。
あとは手榴弾が3つ……心許ないが、やるしかない。
まったく、チート能力を得た異世界は難易度ベリーイージーだと思って舐め腐ってたが、どうやら難易度設定を間違ったようだ。ニューゲームでいきなり難易度エキスパートを選んでしまうとは。
姿勢を低くして移動、射撃位置を変更し廃屋の右側から回り込む。
幸い、ゴブリンもトロールも俺の居場所に気付いていない。奇襲で数を減らしていけば、勝機はある。
BRN-180のハンドガードを左手で横から握り込み、ACRストックを右肩に食い込ませる”Cクランプ・グリップ”で構え、引き金を引いた。
スパ、スパパ、とサプレッサーで減音された銃声が響き、初弾は標的に選んだゴブリンの右斜め下の地面を直撃。ヒュボッ、と地面が弾けてゴブリンが警戒するが、次の瞬間には2発目と3発目が胸板とこめかみをそれぞれ砕いていた。
仲間の死に奇声を発するゴブリンの胴体目掛けて一撃。小柄な、それこそ小学生の子供みたいな身体の中でタンブリング(※弾丸が命中した対象の体内で横倒しになる事。横転しながら筋肉や臓器をズタズタに引き裂く事で恐ろしい殺傷力を発揮する)を起こした5.56㎜弾に苦しみながら悶えるゴブリンを尻目に射撃位置を変更。姿勢を低くしたまま物置の陰に隠れ、更に追加の射撃で2体ほど撃ち倒す。
ゴブリンたちはいったい何が起こっているのか理解できていないようだった。
それもそうだろう―――魔力は一切使わない純粋な物理攻撃で、姿も見せず、それでいてサプレッサーを用いた射撃だ。銃声を完全に消す事は出来ないが、音の響き方が違う。彼らの知っているであろう黒色火薬を用いたマスケットや古めかしいボルトアクション小銃のような喧しい銃声ではないが故に、攻撃手段もこちらの位置も特定できていない。
この調子でナイフを使いパンを薄くスライスするように、少しずつ数を減らしていけば―――そんな思惑も、しかしシナリオ通りにはいかない。
三度目の射撃位置変更をすると同時に、トロールが咆哮した。
何かの言語なのかは不明だが―――ゴブリンたちはその咆哮で散開するなり、統率の取れた動きで3体から5体ほどの小規模な群れを成してクリアリングを始めやがったのである。
棍棒を振り回して草むらをかき分け、少しでも音が聴こえればそこに矢を撃ち込む。
待て、ゴブリンってこんなに統率が取れた動きをするのか?
射撃を中止し相手の動きをよく見ながら、予想外のアクションに驚かされる。
図鑑には「物量頼みの力押し」と記載があったが……クソ、誤りだったのか。それともゴブリン共が人間との戦い方を学んで”最適化”されているのか。
インターネットさえあれば世界中どこでも素早い情報共有ができるのだが、この世界にはあいにくそんなものはない。書籍とラジオ、それから口頭での情報伝達がすべてとあっては旧い情報のアップデートが遅れるのも当たり前だ。
それに―――もし仮に、こんなゴブリンたちの行動が図鑑に記載されていないのは『このような動きをする群れに遭遇した冒険者が1人も生きて帰らなかったから』だったとしたら?
初っ端からベリーハードが過ぎる、と悪態を心の中でついていると、ゴブリンの一団が目の前に躍り出てきた。
セレクターレバーをフルオートに弾き、息を吐いてから意を決し飛び出す。
無防備な背中目掛けて5.56㎜弾の指切り射撃。スパパ、パパパ、と短間隔での連射がオブリンたちに襲い掛かり、錆びた槍や骨で作った棍棒を持っていたゴブリンの一団は転んだように倒れ伏した。
『ギィィィィィィ!!』
「!」
トロールの咆哮。
それと共に廃屋の壁が吹き飛んで、巨大な棍棒を手にしたトロールが飛び出してくる。
その姿と威容に気圧されながらも、銃口を向けフルオート射撃。ドラムマガジンの中身を全弾使い切る勢いでトロールに5.56㎜弾を射かける。
なんだか熊を相手にしているような気分だった。こんなクソデカサイズの魔物を相手にするのであれば、対人用の5.56㎜弾よりももっと大型の狩猟用弾薬の方が遥かに効果的であろう。5.56㎜弾が針の一刺しならば、大口径のマグナム弾は槍の一突きだ。そもそもの威力が違う。
人間よりも遥かに密度があり、強靭な筋肉繊維と巨大な臓器。それらに甚大なダメージを与えるならば、それ相応の運動エネルギーとストッピングパワーが必要になる。
案の定、トロールは5.56㎜弾の槍衾に晒されてもまだ生きていた。咄嗟に顔を庇った左腕に次々に弾丸が食らい付き、肉が剥げ、血飛沫が飛び散る。
『グォォォォォォ!!』
「やべっ―――」
力任せに振り下ろされた棍棒が、咄嗟に後ろへ飛び退いた俺のすぐ目の前に落ちた。
ぶわっ、と空気が震える。
衝撃波となったそれが全身を殴打し、身体が宙に舞った。
そのまま地面をゴロゴロと転がって、倒壊した廃屋に頭をぶつけてようやく止まる。
「う……ぐ……ぁ」
がしっ、と身体を鷲掴みにする巨大な手。
すぐ目の前に、トロールの巨大な口が迫っていた。
不揃いな黄ばんだ歯が並び、唾液が常に滴り落ちて、腐ったような異臭を発する口腔がすぐ目の前まで迫る。数多の獲物を噛み砕いてきたであろう不揃いな歯はどれもこれも巨大な石臼を彷彿とさせ、肉を断ち、磨り潰す事に特化した形状をしていた。
ああ、俺はここまでか―――。
せっかくの二度目の人生、こんなところで……。
んなわけねえじゃん。
スリングで保持しているBRN-180から手を離し、腰のホルスターからグロック40を引き抜く。
銃口を向ける先は、ぎょろりとこちらを向いているトロールのガンギマったような目。こうも近付けば外す道理もなく、俺は叫びながらマガジンの中の10㎜オート弾を使い潰す勢いで連射した。
一般的に、拳銃は小銃よりも扱いが難しい。ストックのように安定させるパーツが無く、腕の力だけで保持しなければならないからだ。加えて短い銃身もあり、それで命中させるのは困難を極める。
数発が狙いを逸れたが、しかし無防備な眼球に10㎜オート弾が通用しない筈がなかった。ボッ、と弾丸が眼球を構成するゼラチン質をぐちゃぐちゃにかき回し、どろりと白い粘液と血の混じった何かがトロールの悲鳴と共に飛び散る。
スライドが後退したまま沈黙するグロック40。
トロールが手を離し、地面に落下する俺。グロックをダンプポーチの中に放り込むなり、それと入れ違いでグレネードを引っ張り出す。
安全ピンとレバーを外すなり、それを力任せにトロール目掛けて投げつけた。
パイナップルみたいな黒い手榴弾は放物線を描いて飛び、やがてそれは黄ばんだ歯の間をすり抜けて、トロールの喉の奥へ―――。
咄嗟に駆け出し、地面に伏せた。
ドムンッ、と後方で弾けるような爆音。
恐る恐る振り向くと、そこには喉にでっかい風穴を開けられ、ひゅうひゅうと風の抜けるような音を発しながら佇むトロールの姿が。
ずん、と膝をつくトロール。
その姿を見て、ゴブリンたちは恐れ戦き逃げ出し始めた。まるで蜘蛛の子を散らすように退散していく。
「か、勝っ……た?」
ははは、と血の海に膝をつき、うぷ、と昼飯を吐き出しそうになりながらも辛うじて堪える。
見様見真似の訓練も無駄ではなかった、という事だ。
やった……やったんだ、俺は!
大物を討伐し、最後にロザリーとユリウスに良い自慢話が出来るぞと喚起する俺。
しかし次の瞬間だった―――喉に大穴を穿たれたトロールが立ち上がって、拳を振り上げたのは。
「あ―――」
これでも死なないのか―――絶頂からの転落に、脳の処理が追い付かない。
え、死ぬの?
俺、死ぬの?
受け止め難い現実が、もうすぐそこまで迫っていて―――。
ドパンッ、とトロールの振り上げた拳が弾けた。
遅れて響く重苦しい銃声。
続けて胸が、そして上顎から上が弾け飛び、裂けた肌の向こう側からピンク色の生々しい肉や臓器をさらけ出して、今度こそ死に絶えるトロール。
返り血を浴びながら呆然としていると、重々しい足音が後ろから近付いてきた。
「すげえな……ここまで食い下がるとは」
ヴォイテクだった。
肩にはまるで農夫が農耕具を担ぐかのように、かつてソ連がドイツ軍を相手に実戦投入したセミオートマチック式対戦車ライフル『PTRS1941』が担がれている。その14.5㎜弾の壊滅的な破壊力をトロールに叩きつけたのだとしたら、彼もなかなか容赦がない。
パパパ、と森の奥で更に銃声が響いた。
「ザコ共の掃除はソコロフに任せろ。それより……よくやった、ラウル」
ぽん、と俺の頭の上に手を置くヴォイテク。
別の足音が近付いてきたと思いきや、視界の端に揺れる翡翠色の髪が映って―――次の瞬間には地面に突き飛ばされていた。
「ラウル、ラウル!」
「……ロザリー」
涙声で何度も何度も、ラウル、と俺の名を呼ぶ彼女。
心配してくれていたのだ―――戦いの恐怖と目前まで迫った死の感覚、そしてロザリーの想いがぐちゃぐちゃに混ざり合い、心の中で濁流となって荒れ狂う。
気が付けば俺も、泣いていた。
子供みたいに声をあげて、ロザリーにしがみついて泣いていた。




