暴食の巨人
昔、2人の姉妹がいました。
仲良しだった姉妹は、しかしある日大喧嘩をし仲違いしてしまいました。
姉に激怒し家を飛び出した妹は地上へと降りて獣と契りを交わし獣人の祖となり、空に残った姉は竜に祈り、やがて竜人の母となりました。
こうして竜人と獣人は、天と地に分かたれた種族となりました。
しかしそのルーツは、元々は同じものだったのです。
※竜人たちの旧いお伽噺より抜粋
幼少の頃から、地上は危険な場所であると母から教わってきた。
地上に住まう獣人はまともな文明を持たず、法を持たず、暴力で全てを支配する野蛮人であると。だから竜人たちは世界平和のため、秩序のために戦っているのだ、と。
物心ついた時から獣人=野蛮人、という認識を刷り込まれてきたユリウスとロザリー。しかし、実際に獣人と出会って抱いた印象はそんな母の言葉とは真逆のものだ。
―――獣人も、竜人と変わらない。
言葉が違い、文化が違い、価値観もまた違う。
しかし同じヒトである以上、やはり根柢の部分では同じなのだろう。
嬉しければ笑い、悲しければ泣く。
姿が少し違うだけで、獣人もまた竜人と同じなのだ。
そんな”彼女”と―――ラウルとの別れも、もう明日に迫っている。
「眠れないのか、ロザリー?」
生活に必要だろう、とラウルが孤児院から持ってきた木製のコップに白湯を注ぎながら、ユリウスは焚火を見つめるロザリーに竜人語で問いかける。ラテン語にも似た語感の母語はロザリーにとっても聞き馴染みのある響きで、しかしそれが普遍的な生活に戻ればラウルの事を忘れてしまうのではないか、という漠然とした不安も同居する。
生まれて初めてだった。
こんなに楽しい思いをしたのは。
地上に降りて、ラウルと出会ってからは毎日が冒険に満ちていた。浮遊大陸には存在しない環境、存在しない生き物、存在しない常識。その全てが新鮮で、新たな発見がある度にロザリーの胸は高鳴ったものだった。
そしてそんな冒険の日々に連れ出してくれたのは、外ならぬラウルだ。
いつの日か、冒険者になってロザリーの所に行くと約束したラウル。その時までには竜人語を勉強しておくよ、と言っていたが、ロザリーこそ彼女との再会の時までは獣人語(獣人語という括りだが地上には多種多様な言語がある。言語が統一されている竜人とは大きな違いだ)を勉強しておかなければならない。せめて彼女と同じ言葉で、しっかりと自分の想いを伝えられるようになりたい。
ラウルの事を想うだけで、胸がざわめく。
この感情は何なのだろう……身体を丸めるようにして座るロザリーに白湯を渡し、ユリウスは隣に座って焚火を見つめた。
「……何か思う事があるなら、後悔しないようにしっかり伝えた方が良いぞ」
「……!」
昔から兄は聡かった。
ユリウスの前だけでは決して噓がつけない―――どんな嘘でもたちまち見破られてしまう。感情を抑え込んでも、無意味な言葉で飾り立てても、ユリウスは本質を見抜いてくる。
だからこの気持ちも見破られているのだろう。そう思うとなんだか恥ずかしくて、ロザリーは返事をする代わりにそっと兄に寄り添った。
本音を言うと、ラウルから離れたくはない。
ずっと一緒に暮らしたい―――あの子に、おそらくはロザリーよりも1つか2つくらい年下のあの子に、彼女の知らない事を教えてもらいたい。冒険に満ちた毎日を失いたくない。
だがしかし、竜人が獣人と一緒に暮らすなど誰も許さないだろう。
獣人も、竜人もだ。
地上に残れば容赦のない迫害がロザリーを待っているだろうし、だからといってラウルを浮遊大陸に連れて行っても同じだ。竜人たちの言葉の棘が、排斥の意思が、彼女に牙を剥くであろう事は想像に難くない。
だからお互いの為にも、ここで潔く分かれるしかないのだ。
頭では理解しているが、しかし感情が、ロザリーの心がそれを許さない。
理性と感情の大き過ぎる乖離、そしてノイズのようにちらつくラウルの姿と彼女への想いが、まだ12歳の少女の内に大きな葛藤を生んでいた。
そんな妹の胸中も、ユリウスは何となく察している。
最初こそ警戒していたものの、意外と義理堅く誠実な彼女であれば、妹を任せてみてもいいかもしれない……彼もまた、ラウルに対する心境を大きく変化させていた。
もし彼女が浮遊大陸を訪れ、覚えたばかりの竜人語を引っ提げてロザリーの所へとやって来たならば、その時は盛大に歓迎してやろう―――その時を想うと、口元にも笑みが浮かぶ。
カン、カン、カン……遠くの村から、夜だというのに鐘を打ち鳴らす音が聴こえてくる。
火事か、それとも別の何か―――竜人の発達した聴覚でなければ聴き取れないほどの小さな音をはっきりと知覚するや、ユリウスは何の音だろうかと考えを巡らせる。
しかしその答えが浮かぶよりも先に、理不尽な答え合わせが始まった。
風向きが変わる。
―――異臭。
まるで背骨に液体窒素でも浴びせかけられたような、あるいは前身の毛穴からシャーベットが噴き出たような感覚を覚え、ユリウスは反射的に手元にあった槍へと手を伸ばしていた。火で炙って水分を抜き硬化させた木の棒の先端部に、鋭く研いだ石器のナイフを括りつけた簡便極まりない槍。
かつての原始人が、マンモスの狩りに使っていたかもしれないそれを携えて瞬時に戦闘態勢に入るユリウス。傍らで白湯を冷ましながら飲んでいたロザリーは兄のスイッチの切り替わりようにうろたえたが、しかしすぐに何か異常が接近しつつあることを理解し廃屋へと走った。
木で作った自作の弓と矢筒を装備するなり、ユリウスと背中合わせに立ちながら矢を番えるロザリー。いつでも矢を射かけられるよう構えた彼女の聴覚が、戦闘モードに切り替わっていく。
より鋭敏になった聴覚の中―――確かに聞こえてくる草の揺れる音と足音。
小さなものが複数、それと大きなものが1つ。
「―――ッ!!」
息を止め、身体のブレを少なくしてから矢を放った。
ただ炙って硬質化させた木の枝を鋭く研いだだけの簡素な矢ではあるが、しかし当たればもちろん只では済まない。空気を引き裂く音を獣の唸り声さながらに響かせながら飛んでいったそれは、廃屋の向こうにある藪の中へと消えていき―――やがて『ギエェェェェェ!!』という断末魔を生んだ。
仲間が殺された事に加え、自分たちの接近が察知されてしまった以上はもう姿を隠してじりじりと接近するのは危険と判断したのだろう。ガサッ、と草むらが揺れるなり、中から現れた複数のゴブリンたちがユリウスとロザリーに襲い掛かった。
「ロザリー!」
下がれ、と言外に次げながら槍を突き出すユリウス。
元々、竜人は体格に恵まれた者が多い。男性も女性も長身であり、その身体には強靭な筋肉がぎっしりと詰まっているのだ。獣人よりも”戦闘に適した種族”と評されており、その徹底した生物的合理性から『旧文明の時代に戦闘用に遺伝子操作された種なのではないか』とすら言われる事もある。
まだ14歳とはいえ、ユリウスも軍人の息子だ。いずれは父の遺志を継ぎ、剣を手にする事を志して訓練を欠かさなかった。それ故に彼は、既に戦闘の基礎が出来上がっていたのである。
ドン、と鋭い槍の一突きが、飛びかかってきたゴブリンをビリヤードのボールさながらに突き飛ばす。鋭い刺突に胸板を砕かれ、絶命したゴブリンが地面に転がった。
その隙を突き、別のゴブリンがユリウスを狙う。手には錆び付き刃こぼれを起こしたロングソードがある(恐らくは殺した冒険者から鹵獲したのだろう)。
が、その刃が兄の身体を切り裂くよりも先に、小柄なゴブリンのこめかみを鋭い矢の一撃が穿った。
飛びかかってくる別のゴブリンに向かって槍を投げつけ、今しがたロザリーが仕留めたゴブリンから剣を奪い取るユリウス。柄を両手でしっかりと握るや、両断に構えたそれを振り下ろしてゴブリンの頭を真っ二つにかち割った。
ゴブリンはそれほど手強い魔物ではない。
しかし問題なのは、その繁殖力に由来する数だ。
彼らの種族にメスの個体は存在しない。代わりに人間の女性を繁殖のために巣へと連れ帰り、子を産ませるのだという……その生ませる子供の数は、女性一人につき50から100匹。女性は大抵の場合、その負荷に耐えきれず死んでしまう。
そんな勢いで繁殖する種族なのだ。最大の強みは獰猛さでも残虐さでもなく、物量である。
こんな大規模な群れが襲って来るなんて、とユリウスは思いつつ剣を振るった。
ゴブリンを切り裂き、突き殺し、殴り飛ばす。
返り血を浴びながらも既に10体ほど切り捨てたが、一向に減る気配がない。
ここは逃げるべきか―――撤退も選択肢に入れ始めたユリウスの耳にロザリーの悲鳴が届いたのは、同時だった。
「あああッ!!」
「!?」
慌てて振り向くと、ロザリーの身体を廃屋の影から伸びた巨大な腕が鷲掴みにしていた。
オリーブドラブの薄汚れた肌に覆われた剛腕。うっすらと体毛が生えたそれは筋肉で覆われており、まるで神話に登場するサイクロプスを思わせる。
しかし廃屋の影から姿を現した相手は、そんなものではなかった。
でっぷりと太った腹にぎょろりとした双眸。唾液を滴らせる口の中には黄ばんでしまった不揃いな歯が並び、異臭を放っている。
ロザリーを掴んでいる反対の腕には、動物の骨を幾重にも固めたような棍棒があった。
大きさにして2m強のその怪物は、浮遊大陸でも生息が確認されている魔物。
「と―――”トロール”だと!?」
トロール。
大きいものでは3mにも達するそれは、ゴブリンの群れを統率する姿が時折目撃される危険な魔物として知られている。食欲旺盛で食べられるものは何でも食べてしまい、尽きぬ食欲のせいで生態系を荒らしてしまう事もあるとされており、冒険者管理局は腕利きの冒険者に討伐を斡旋する事がある。
知能は原始人レベルであり、仕留めた獲物の骨や岩塊で武器を自作する事も珍しくはなく、個体によっては冒険者側を罠にはめるほどの狡猾さも持ち合わせていることもあって、総じて危険な魔物であると認識されているのだ。
ユリウスも図鑑で目にした事はあるが、実物を目にしたのはこれが初めてである。
足が震えた。
身体を鍛え、心を鍛え、どんな敵であろうと竜人の誇りの名の下に打ち倒すつもりでいた。
しかし―――その巨体と恐ろしい姿をした怪物は、少年の心を真っ向から砕くには余りにも過剰な存在であり過ぎた。
蛇に睨まれたカエル、とはまさにこの事であろう。
トロールはぎょろりとロザリーの方に目を向けるなり、口を大きく開けて彼女を喰らわんと持ち上げ始める。
自分がどんな最期を遂げる事になるのか、想像してしまったロザリーの発する悲鳴。それに突き動かされるようにユリウスは足に力を込め、震える身体を奮い立たせて果敢に切り込んだが、しかしトロールの振るった棍棒の一撃がユリウスを弾き飛ばしてしまう。
「がっ!」
「兄さん!」
まるでまとわりつく羽虫を手で払うような、そんな無造作な一撃だった。
錆び付いた剣を杖代わりに何とか立ち上がろうとするユリウス。ずきり、と脇腹が痛んだ。肋骨が折れているのかもしれない―――幸い折れた肋骨が臓器を串刺しにするほどの深手ではないにせよ、このまま戦い続けていればどうなるかは想像に難くない。
だがそれでも、戦わなければならない。
あわよくばトロールが手を放してくれさえすればいい。
自分が犠牲になってもいい。
ロザリーが、妹が助かるのならば。
もう一度、と決死の覚悟で身を屈めトロールに立ち向かおうとしたその時だった。
スパンッ、と空気の弾けるような音。
ヒュン、と何かが高速で突き抜けていったかと思いきや、次の瞬間ロザリーを掴んでいたトロールの腕に、ボツッ、と小さな穴が開いていた。
あの巨体からすれば深手にはなり得ないだろうが、しかし予想外の痛みに驚いたのだろう。ロザリーを喰らおうとしていたトロールは驚いたような声を発すると、左手で掴んでいたロザリーを取り落としてしまう。
その間にユリウスは剣を投げ捨て、落ちてくるロザリーの下にスライディングで滑り込んだ。妹の身体を受け止めてそのまま地面をゴロゴロと転がり、トロールから出来るだけ距離を取る。
「いったい何が」
「……ラウル」
「え?」
まだ恐怖で唇を震わせていたロザリーが、真っ白な指で焚火の向こう側を指差す。
その向こうに、彼女がいた。
ハイイロオオカミの獣人―――ロザリーが想いを寄せている、獣人の少女が。
まさか当たるとは思わなかった。
ユリウスが機転を利かせてロザリーを救ってからやっと、両腕に震えが走る。
足の裏にじんわりと汗をかく感覚。両足が、手がぶるぶると震え、ホロサイトのレティクルがブレにブレまくる。
何やってるんだろうな、俺。
友達のためとはいえ、死地に片足を突っ込むような真似をして……。
……いや。
死にかけている人を、見殺しには出来ない。
息を吐いて震えを落ち着かせていると、ロザリーを抱き抱えたユリウスがこっちに走ってきた。ロザリーはとにかくユリウスは血にまみれており、もしや負傷しているのではないかと思ったが返り血のようだ。
とはいえ苦しそうな表情をしており、どこか怪我をしているのではないかと疑ってしまう。
「ラウル!」
ロザリーが涙目になりながら抱き着いてくる。自分よりもでっかい女の子にこうして甘えられるのも悪くないが、今はそんな助平心を出している場合ではない。
「ラウル、怖かった! ラウルぅ!」
「大丈夫、もう大丈夫だ」
ぽんぽん、とロザリーの頭を撫で、視線をユリウスの方へと向ける。
「森の北にヴォイテクの船がある筈だ。村に行くよりそっちの方が良い、彼の船を目指してくれ」
「ラウル、お前はどうする」
「……ここで時間を稼ぐ」
勇ましく言い切ってみせたが、ユリウスは俺の足元を見て不安そうな顔をした。
両足が、震えている。
ああそうだ、怖くて怖くて仕方がない。叶う事ならば今すぐ逃げ出してしまいたいが、しかしそんな事は許されない。
偶然知り合った友達2人―――自分の、このちっぽけな命を懸ける値打ちは十分にある。
「でも、ご覧の通りだよ……怖くてな。だから早いとこ助けを呼んできてくれると嬉しいな」
「……死ぬな、ロザリー悲しむ」
短く単刀直入に言うと、ユリウスはロザリーの肩に手を置いて何やら竜人語で言葉を交わした。
ロザリーは心配そうにこっちを何度か見ると、ユリウスに手を引かれて森の向こうへと走っていった。
……さて、と。
身を低くして射撃地点を移動、震える身体をどうにか落ち着かせつつBRN-180を構える。
カッコつけちゃったけど……まあ、頑張るしかないよね。
ラウルのBRN-180
装備
・18.5インチヘビーバレル
・ホロサイト
・ブースター
・ハンドストップ
・サプレッサー(カバー付き)
・ACRストック
・M-LOKハンドガード
備考:ロアレシーバーはM4A1なのでフルオート対応
射撃訓練でラウルが用いているアメリカ製アサルトライフル。初期装備はM16A5であったが、バッファーチューブのためにストックが折り畳めない点、リュングマン方式に由来する部品寿命の短さを気にしてこちらに乗り換えた。便宜上BRN-180と呼称しているが、ロアレシーバーにM4A1のものを組み込んだキメラ銃である。




