第83章 超凡なる群れ、黒き巨牛との邂逅
「プツッ」という鋭い音が鳴り、矢が少年の胸を正確に貫通した。
矢尻は背後の地面に深く突き刺さり、少年はその場で硬直する。
――な、なんだ……? 今、俺は何をされた?
胸に手を当てると、生温かい感触が広がり、指先が真っ赤に染まった。
「ひ……あ、ああああっ!」
少年は絶叫と共に咳き込み、大量の血を吐き出して膝をついた。
地面に膝をついた瞬間、もう二度と立ち上がることはなかった。
周囲の少年たちは、まるで時が止まったかのように動けなくなった。
遠距離から人を射抜くなど、常識ではあり得ない。
――あの距離で正確に心臓を……こいつ、化け物か。
誰もが、目の前の現実を受け入れられなかった。
フィルードはゆっくりと弓を下ろした。
冷静な声が響く。
「……よし。お前たちをまとめていた頭は死んだ。
武器を捨てろ。さもなくば――今の少年のようになるぞ」
その声音には、何の感情もなかった。
それがかえって、彼の言葉に重みを与えていた。
一瞬の沈黙ののち、一人が武器を放り投げる。
次の瞬間、まるで連鎖反応のように、他の少年たちも武器を捨て始めた。
――ふむ、判断が早い。命乞いの才能だけはあるようだ。
フィルードは弓を片付け、右手で片手剣の柄を握りしめて歩み寄る。
視線を合わせようとする者は一人もいない。
その沈黙が、敗北の証だった。
残った少年は十六人。
フィルードは冷静に人数を分け、五人をマイクへ、さらに五人をブルースへ任せた。
残りは自ら尋問する。
尋問は数十分に及び、彼らの喉は恐怖で震え続けていた。
やがて、フィルードたちはこの駐地の全貌を把握する。
彼らは皆、クリスが購入した少年奴隷。
――なるほどな。子供の方が言うことを聞かせやすい、というわけか。
彼らの任務は秩序の維持と、山麓での労働。
それが生存の糧だった。
クリスはわずかな塩などの物資を送るだけで、あとは自給自足。
まさに支配の構図が出来上がっていた。
さらに彼らには、もう一つの任務があった。
クリスが奪い取った女性たち――商人の娘、地主の娘、容姿端麗な女たち――
その見張り役だ。
総勢十八人。全員が事実上、クリスの側室だった。
――十八人か。見た目に似合わず、ずいぶん元気な男だな。
だが子供はいない。
「……弱みを作りたくなかった、か」
思わず呟く。
奴は、子供を“人質”にされる未来を恐れていたのだろう。
自分の卑劣さを誰よりも知っていたがゆえに。
女性たちは皆、虚ろな瞳をしていた。
生きているのに、生きていない。
フィルードはしばらくその場に立ち尽くした。
――解放してやるべきか……いや、それでは情報が漏れる。
せめて、少しの間だけはここに留めておくしかない。
彼は静かに決断し、その場を離れた。
そして、捕らえたクリスを連行し、超凡生物の群れを探し始めた。
数日間の探索ののち、昼下がり、ついに“それ”を見つける。
――牛の群れだ。いや、ただの牛じゃない。
三人は山の斜面にいて、群れまで数里の距離があった。
だが、同時に相手もこちらを察知した。
群れ全体が静止し、じっとこちらを見上げる。
空気が一瞬で凍りつく。
「……来るぞ」
低く唸り声を上げたのは、群れの中でもひときわ巨大な一頭だった。
次の瞬間、地響きが起こる。
大地を揺らしながら、黒い波のように群れが突進してくる。
「くそっ、逃げるぞ!」
フィルードたちは慌てて山頂に向かって駆け上がる。
後方では、両手を縛られたクリスが絶望の叫びを上げていた。
「待ってくれ!俺を置いていくな!約束しただろう!」
誰も振り返らない。
「……勝手に言ってろ」
その声は、土煙にかき消された。
ほどなく、黒牛の群れが彼を飲み込み、クリスという名の男は地上から消えた。
山頂にたどり着いた三人はようやく息を整えた。
下方では、黒牛たちが咆哮を上げている。
彼らの巨体では登れない斜面だったのだ。
フィルードはその姿を見下ろし、冷静に観察を始める。
――黒毛、巨大な筋肉。あれがリーダー格か。
三頭分の体躯……魔力の放出量からして、中級見習い級。
さらに初級見習いクラスが三頭。
この谷の魔力濃度は他よりも高い。
つまり――この谷の奥に、何かがある。
俺の勘がそう告げていた。
胸の奥が熱くなる。
未知への渇望、征服欲。
――あれを討てば、確実に一段階上に行ける。
だが今は無理だ。力が足りない。
冷静さを取り戻し、長期戦を決意する。
三人は山稜に沿って移動を始めた。
黒牛の群れはしばらく追ってきたが、谷を抜けると引き返した。
「……よし、ここまでは安全圏だな」
「団長、まるで地獄から生還した気分だぜ」
「まだ終わっちゃいない。地獄はこれからだ」
翌日、彼らは領地に帰還した。
道中、フィルードの頭の中では、ひとつの構想が形になりつつあった。
――あの群れを倒すには、常識外の兵器が必要だ。
「ベッドボウ……あれしかないな」
彼はシャルドゥンを呼び出し、詳細を伝える。
「大型の弩を作りたい。威力重視だ」
シャルドゥンは顔をしかめた。
「ご主人様、そのような兵器は規制対象です。
使えば、すぐに王国の目が向きますぞ」
「構わん。動物狩りのためだ。使用後は隠す」
「……なるほど。それなら問題ありません」
シャルドゥンは一瞬の沈黙のあと、満足そうに微笑んだ。
「一時的な用途であれば、複数の弓を組み合わせることもできます。
牽引力を倍加させる構造です。使い終われば再利用可能」
フィルードの目が輝く。
「いいな、それでいこう。完成したら盛大に祝おうじゃないか」
「はっ、光栄です、ご主人様」
その時、外から足音がした。
偵察に出ていたジャッカルマンが戻ってきたのだ。
フィルードはケビンに命じた。
「ローセイを呼べ。報告を聞く」
ローセイが入室し、敬礼した。
「団長様、ジャッカルマン全員、帰還いたしました。
我々の進路は依然として危険で、各地に略奪隊が存在します。
ただし、向こうの人間勢力の方が規模・武力ともに上です。
一進一退の状況ですが、上等種族が出なければ
危険度はほぼ同等かと」
フィルードは短く頷いた。
「安全なルートは見つけたか?」
「はい、比較的安全なものを。ですが、奴らは気まぐれに動き回ります」
――つまり、運次第というわけか。
「ふん……なら、運も味方につけるしかないな」
彼の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。




