第69章 勝利の代償
地面に押さえつけられたボア・マンのリーダーは、最後の抵抗のように喉を震わせ、怒号をあげた。
ユリアンは両手で握っていたクレイモアを荒々しく地面に放り出し、近くに転がっていた折れた槍を掴む。
「――ここで終わらせる!」
歯を食いしばり、槍をその眼窩へと突き立てた。
悲鳴。耳をつんざくような絶叫が戦場に響き渡る。
遠く離れていたフィルードですら、その声に背筋が凍るのを感じた。
だが、次の瞬間には大量の鮮血が噴き出し、眼窩からは白く濁った脳漿が流れ出て――。
……それで終わりだった。
リーダー格の巨体が倒れ伏した瞬間、野猪人たちの士気は一気に崩壊する。
正面の戦場ではベテラン兵たちが立ちはだかり、残された豚頭族たちは近づくことすらできない。
「リーダーが……!」
「退け! もう無理だ!」
混乱と恐怖が広がり、隊列全体が揺らぎ始めた。
そのとき、フィルードはまだ高揚の余韻の中にあったが、深呼吸して声を張り上げる。
「――剣盾兵、弓兵! 敵の両翼を叩け! 一気に崩せ!」
「「おおおおっ!!」」
兵士たちが雄叫びをあげて突進する。
慌てふためく野猪人たちは次々と押し潰され、残り百余りの兵はあっという間に瓦解した。
だが、フィルードはすぐに冷静さを取り戻す。
広い平野、逃げ出した獣人を追いきれるはずもない。
「深追いはするな! すぐ戻って戦場を整理しろ。まずは投槍を回収だ! 生き残るためには速度が命だ!」
「了解!」
兵士たちは死体から血塗れの投槍を引き抜き、必死にかき集めていく。
フィルードは視線を別の戦場へ移した。
――そこではまだ激しい戦闘が続いていた。
人間側は装備で勝っていたが、野猪人の加護を受けた獣人軍は凶暴だった。
一進一退、均衡しているように見えたが、わずかに人間側が優勢へと傾きつつある。
「……原因は、ズルい奴が混じってるからか」
遠目に見ても分かる。人間の側には超凡者が二人。
特製の徹甲矢を次々と放ち、重装の野猪人をも易々と射抜いていた。
(……あの矢、相当な魔力と技術が要るな)
ただし彼らの弓術は粗い。連射も利かず、一射ごとに肩を回して休息している。
とはいえ、一時的には戦況を大きく傾ける効果を発揮していた。
フィルードは肩の力を抜き、弓を引き絞る。
矢は空を切り裂き、一直線に飛んでいく。
「……落ちろ!」
喉を射抜かれた野猪人が絶叫と共に崩れた。
(魂の融合以来、弓の腕も伸びたな。まるで昔の記憶を取り戻したかのようだ……)
かつて見た断片的な前世の知識――それが彼の手を導き、水車を造らせ、今は戦場でも助けになっている。
「去勢版チート」とでも言うべき力。
兵士たちが整列し、二十メートル先へ突進する。
「投槍、放てっ!!」
無数の投槍が雨のように降り注ぎ、後方の野猪人をまとめて貫いた。
残された者たちは叫び声を上げ、ついに指揮官の命令が飛ぶ。
「――すべての眷属は殿を務めよ! 聖なる族は撤退だ!」
しかし撤退の声が届く前に、第二の投槍が飛び込み、秩序は一気に崩れ去った。
森へ逃げ込む者、武器を捨てて跪く者、四散する者――。
勝敗は決した。
兵士たちが歓声をあげて追撃を始めたが、フィルードは首を横に振る。
「追うな。深手を負うだけだ」
残党狩りは新兵に任せつつ、フィルードは冷静に向かいの軍勢へと目を向けた。
――その視線に気づいたのか。
数名の貴族と護衛だけが残り、こちらへと歩み寄ってくる。
「勇士よ、名を名乗ってくれ!」
先頭に立つ中年の男が声を張り上げる。
彼はフランク・ベットと名乗り、堂々とフィルードの前に立った。
「私は子爵、フランク・ベット。君と共に戦えたことを光栄に思う!」
フィルードは胸を張り、敬礼する。
「開拓領の見習い領主、フィルードと申します。傭兵団団長であり、商隊の隊長でもあります」
フランクの表情が一瞬にして変わる。
さきほどまで貴族として扱っていた相手が、実はただの兼業狂。
「……そうか。うむ、向上心のある若者だ」
声のトーンは明らかに冷めていた。
「今回の功は認める。君が求める報酬を言ってくれ。私の力の及ぶ範囲であれば、何でも叶えよう」
(……態度が一瞬で変わったな)
フィルードは心中で冷笑しつつ、俗っぽい笑みを浮かべた。
――勝利の代償は、こういうものだ。




