第66章 石鹸の価値
すべての処理を終えたフィルードは、隊を率いて再び出発した。もちろん、過ちを犯した兵士たちも全員そのまま連れて行く。
――罰を与えたからといって切り捨てはしない。彼のやり方はあくまで「矯正」だ。
二日後、一行はダービーの街へと到着する。
石畳の門をくぐり抜け、商業の匂いが漂う市場の喧騒が耳に入ったそのとき、フィルードは約束していた人物に会うことになった。
「兄弟、最近、お前さんはもう有名人だぞ!」
出迎えたのはブライアン。笑いながら豪快に肩を叩いてきた。
「開拓の勇者たちがな、わざわざお前に**『傭兵の製造者』**なんて称号を付けやがった。ここ最近、山ほど人間が俺のところに押し寄せてきてるんだ。“あのフィルードから兵士を雇いたい。仲介してくれ”ってな」
そう言いながら、彼は愉快そうに酒樽を転がすみたいに笑った。
「……もしその気があるなら、紹介してやってもいいんだが?」
「兄貴、それは無理です」
フィルードは首を横に振った。
「今いる手勢は、領地の日常と商隊の維持で手一杯です。余剰の人員はすでに雇いに出していますし、新兵の募集も以前ほどはうまくいかなくなってきましたから」
そう言いながら、腰の獣皮袋を開き、中から一つの小さな塊を取り出す。
「……それで今日は別のものを持ってきました。兄貴、これを見てください」
差し出したのは灰白色の塊――石鹸だった。
「これは最近偶然作り出したものです。洗濯にも入浴にも使えますし、汚れ落とし効果は驚くほど強い。おそらくこの地域では唯一の品でしょう。どの程度の値が付けられるか、兄貴に判断をお願いしたい」
ブライアンは眉をひそめ、手のひらで重みを確かめる。次の瞬間、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
「……っ、うぉ? これは……羊油を使ったのか? 臭いがえらく強いぞ」
「さすが兄貴、鋭いですね。ええ、羊油を大量に使っています」
フィルードは軽く笑みを浮かべる。
「よければ、手を洗うか、あの汚れた麻布で試してみてください」
――数分後。
裏庭にて。
ブライアンは両手を見下ろして絶句していた。
さっきまで煤で真っ黒だった指先は、まるで新品のように白くなり、隣に置かれた麻布も本来の生成り色を取り戻していた。
「こ、これは……まさか、本物か!? こんなに強力な……神の御業としか思えんぞ! どうやって作った!? もしコストさえ抑えられるなら、絶対に大儲けできるぞ!」
ブライアンの瞳はすでに商人の光を帯びていた。
フィルードもその反応を見て満足そうに微笑む。
「偶然の産物です。ただ……コストは安くはありません。とくに人件費がかかる。多くの工程を経る必要があります」
「もっと改良を重ねれば、この羊臭を取り除き、香りを付けることも可能でしょう」
「……兄弟」
ブライアンは真剣な顔で石鹸を見つめた。
「これは危険だぞ」
「え?」
「いや、儲けは確実に出る。だが同時に、とんでもない大物の目に留まる可能性がある。そうなったらどうなると思う? 高額で買い叩かれるならまだマシだ。下手すりゃ……命を狙われるぞ」
――確かに。
フィルードの背筋に冷たいものが走る。
前世では法律という盾があった。しかし今は?
この世界にあるのは拳と暴力だけ。
拳が硬くなければ、どんな新しいものも奪われるだけ……。
貴族たちなら尚更だ。多額の代価を支払うくらいなら、暗殺者を差し向ける方を選ぶ可能性の方が高い。
「……兄貴、確かに今の私の実力では無理ですね」
フィルードは小さく息を吐き、石鹸を見下ろした。
「この件は秘密にしていただけませんか。さもないと、本当に命を落とすかもしれません」
しばしの沈黙。
ブライアンは唸るように低く答えた。
「……いや、そこまで悲観する必要はないさ。商売にできないわけじゃない。要は出荷量を厳しく管理すること。そして“製造コストが極めて高い”という印象を広めておけばいい」
「なるほど……」
「さらにもし心配なら、後ろ盾として強力な貴族を引き込む手もある。ただし……奴らの性癖は知ってるだろう? そのうち秘法を渡せと迫られるかもしれんがな」
フィルードは長い時間考え込む。
行商で稼ぐことはできる。だが往復二十日の労力は大きすぎるし、領地に変事があれば対応も遅れる。
最終的に彼は決断した。
「……では兄貴の言う通りにしましょう。出荷量を厳格に制限します。その上で“製造には百ポンドの羊油が必要で、さらに魔法使いの弟子が四十九日間魔力を注ぎ続けて不純物を除去しなければならない”と噂を流すんです」
「なっ……」
ブライアンは口を開けて絶句した後、破顔した。
「お前というやつは……はははっ! 兄弟、騙す――いや、商売の才では俺以上だな!」
「では、この大きさなら一つ一金貨で直接価格設定だ。二か月に一度、百個限定で出荷。そうすれば“希少性”が際立つ。月に百枚の金貨収入……暴利だぞ」
フィルードの心臓が高鳴った。
羊油なんて十数ポンドで足りる。自分は“薄利多売”を考えていたが、それはただの素人思考だったのだ。
悪徳商人の兄貴が味方でよかった……。
「では兄貴、取引成立です。ただし石鹸一つごとに銀貨一枚、手数料をお願いします。私も養う人間が多いので」
「十分すぎる! リスクは全部お前が負うんだからな」
ブライアンは慌てて手を振った。
そして石鹸を見下ろし、しばし考え込む。
「名前も変える必要があるな。“石鹸”じゃ響きが悪い。羊油でできていて、汚れを祓う力がある……そうだな、『聖潔の油』。これでどうだ?」
「……兄貴、やっぱり商売上手ですね」
フィルードは感嘆した。
袋を開け、石鹸をすべて机に並べる。
数えてみると、全部で二百七十個。
「……おいおいおい」
ブライアンの頬が引きつった。
――この量を“偶然できた”なんて言ってるが、絶対にコストは安いに決まってる。
それでも彼は黙って石鹸を丁寧に片付け始めた。
「よし、木工職人に精巧な箱を作らせて飾り立てよう。噂は俺が酒場で流す。お前は……好きに動け」
「助かります」
フィルードは頷き、商隊を引き連れて市場へ向かった。
――目的は家畜市場。
兵の数が増えれば、当然輸送も拡張せねばならない。
だが……
「……っ! なんだこれは!?」
大型馬車の価格は十四金貨にまで高騰していた。以前の半額増しだ。
原因は――もちろん、開拓の勇者どもの投機。
結局、馬車の購入は諦めるしかなかった。
代わりに四十金貨を投じて、大豆九車、馬の餌一車、草の餌三車を買い込む。
穀物の価格すら勇者どもの影響で上がっていた。
フィルードは奥歯を噛みしめた。
「……本当に、どこまでも厄介な連中だ」
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