第56章 水力カッター
フィルードは、前世のぼんやりとした記憶を必死に掘り起こしていた。
頭の中に浮かぶのは、水車や畜力レバー装置の構造。
「えっと……確か水車の回転を歯車に伝えて……それを鋸に……」
その曖昧な記憶をもとに、シャルドゥンと絶えず議論を重ねる。
奇抜な木工職人と転生者。
二人の頭脳は、まるで噛み合わない歯車が無理やり回転しているようだったが――それでも、なんとか形になっていった。
二日後、一行は峡谷の領地へ帰還。
休む間もなく、シャルドゥンは研究に取り掛かった。
フィルードは、鉄工見習いのマーティンに指示を飛ばす。
「お前は領地の鉄製道具を修理しろ。暇があれば木炭を多めに焼いておけ。数日後には鉄材を仕入れる予定だ。そのときは簡単な武器を作らせて、鍛冶の腕を磨くんだ」
「了解しました!」
真面目な少年の返答に、フィルードはうなずく。
荷を降ろしたあと、フィルードはマイクに命じた。
「馬車隊を率いて出発を続行しろ。できるだけ多くの食料を確保しておくんだ」
開拓領地が広がれば広がるほど、食料の価格は必ず高騰する。
だからこそ今のうちに動く必要があった。
「それと、鉄材を半分の馬車分、忘れずに仕入れてこい」
「承知しました」
マイクは短く返事をし、部隊を率いて再び街道へ消えていった。
その間、フィルードとローセイは小型豚頭族部族の集落を巡った。
ただし今回は取引はしない。
彼が伝えたのは――
「今後、羊毛を刈ったら持ってきてくれ。こちらで買い取ろう」
提示した価格はこうだ。
大人の羊五頭分の毛で麦酒一杯。
子羊なら十五頭分で同じく一杯。
つまり、一度毛を刈り取れば部族全体で一樽の麦酒に相当する計算になる。
「毛は年に二回は刈れるはずだ。これなら双方に利益がある」
さらにフィルードは、商館を各エリアに設け、比較的温和なジャッカル族の部族に仲介を任せた。
運搬の際には、一度に羊毛二十頭分を運ぶごとに麦酒一杯分の利益を与える。
(最初は試験的に……彼らが興味を示さなければ、徐々に値を上げればいい。大事なのは、双方が納得することだ)
前回の測量で最適なルートを把握していたこともあり、今回の旅は半月足らずで往復できた。
だが、それは迂回を余儀なくされたからこそ。
近くには中規模の部族がいて、広大なエリアを占拠していた。
(あいつらを放置しておけば、羊毛外交が台無しになる。……いずれ討伐しなければならない)
さらに厄介なのは、その部族が周辺の小型獣人たちに影響力を持っていること。
もし連合されれば、一気に情勢は不利になる。
領地に戻ったフィルードは、真っ先にシャルドゥンを探した。
彼は奇妙な部品を削りながら、既に完成した一基の水車の隣にいた。
「……っ! これ……」
目を凝らしたフィルードは息をのむ。
記憶の中の水車と、ほとんど差がない。
ほんの少しのコンセプトを伝えただけで、短期間でここまで作り上げるとは――
「驚くべき職人だ……」
思わずつぶやいてしまう。
シャルドゥンは彼に気づき、顔を上げて言った。
「水車は何とか作れたぞ。作り自体は簡単だが、一番難しいのは伝動装置だった。いくつも試した末に、ようやく最適な方法を見つけたんだ。ただし、この方法は水力を向上させられる代わりに、部品が壊れやすい」
そう言って、彼は手元の硬木材を示した。
「ケビンと一緒に探し回って、ようやく硬木林を見つけた。昨日一本伐採して持ち帰ったから、午後には部品を作って耐久性を試せるだろう。……もしダメなら、街に行って鉄製の特注部品を買うしかない」
「それなら簡単だ」
フィルードはうなずいた。
「必要なものがあれば、直接ケビンに頼めばいい」
「ははっ、それは助かる!」
木工職人は、珍しく満面の笑みを見せた。
午後。
キャンプの全員が、小川のほとりに集まった。
領地初の「水車完成式」である。
数名の兵士が水車を川へ引き込み、連結棒を取り付け、鋸へと接続する。
ゴオオオオ――!
急流に押され、水車は勢いよく回転し始めた。
それに連動して、鋸が規則正しい往復運動を始める。
「すごい……!」
丸太を載せると、鋸刃はゆっくりと食い込み、木材を切断していった。
速度は速くない。だが、人の手を一切必要としない。
「奇跡だ!」
「なんて道具だ……!」
人々は口々に叫び、目を輝かせた。
やがて人々はそれぞれの仕事へ戻っていったが、フィルードは水力カッターの前に立ち尽くしていた。
(……一枚の板を切り出すのに三十分。昼夜動かせば、一日で四十八枚の板……!)
胸の内で計算し、思わず笑みがこぼれる。
(これでダービーの町へ行くとき、空荷で帰る必要はなくなる。問題は、木板の市場価格がどれくらいか、だが……重労働かつ技術も必要だ。安くはないはずだ)
夜。
フィルードは領地内のリーダーたちを招集した。
議題は――例の中規模部族の処理について。
「ケビン、我々の領地にいるあの虚弱な労働者たち。体調の回復はどの程度だ?」
「団長様。この一ヶ月、惜しみなく食料を与えたおかげで、体はほぼ回復しました。ただ、長期間の飢餓で痩せています。それでも、すでに通常基準の訓練を十日以上受けています」
「うむ……」
満足そうにうなずいたフィルードは、ユリアンに目を向ける。
「新兵たちの訓練状況はどうだ? 小規模な戦争なら耐えられるか?」
ユリアンは言葉を選びながら答えた。
「団長様……正直に申し上げます。我々の手下は全員、自由傭兵です。各々が勝手に考えを持っており、管理が難しい。人数が少ないときは問題になりませんでしたが、今では小さなグループができ、時には集団で低レベルの反抗もあります。特に新兵は給料がないので、罰は食事を与えないことぐらいしか……」
「……なるほど」
小隊長たちも同意し、同じ問題に頭を抱えていることを示した。
(これが傭兵団の弱点か。……奴らは領民じゃない。罰の手段が限られている)
しばらく黙考したフィルードは、口を開いた。
「管理に従わない者は記録しておけ。初回は警告。二回目は食料半分。三回目は解雇だ。決して甘く見るな。さもなければ真面目な者たちまで真似を始める」
全員が真剣にうなずいた。
「そして――今回の遠征で、一日以上の距離に中規模部族がいると分かった。彼らの存在は獣人との貿易を妨げる。我々は彼らを討伐する。各部下に説明しろ。臆病者は選り分け、労働者に降格だ。一日パン一斤だけ与え、自分から辞めたいと言うまで働かせる」
言葉を締めると、場は張り詰めた沈黙に包まれた。
「……よし、準備に戻れ」
その一言で、全員が席を立った。
次なる戦いに向けて――。




