第41章 弱者の値段
フィルードは即座に異変を察知し、驚きつつも兵士たちに命じた。
補給物資をその場に置き、隊列を組んで迎撃準備に入れ、と。
彼は投槍器の使用を禁じ、近接戦闘を選択した。
理由は単純だ。投槍は消耗が激しく、壊れやすい。そして何より――
(ゴブリンは、戦力に数える存在じゃない)
それが彼の中にある“前世の常識”だった。
成長した農夫一人で、ゴブリンは最低でも二体は倒せる。
ましてや、彼の兵士たちは全員が鉄の槍を持つ屈強な若者だ。
この程度の相手なら、脅威にすらならない。
むしろ――
(新兵の度胸試しには、ちょうどいい)
号令が下ると、兵士たちはゆっくりと前進した。
フィルードはその横顔に、恐怖と興奮が入り混じっているのを見逃さなかった。
そして両者が接触した瞬間、戦いは一方的なものとなった。
ゴブリンは、まるで刈り取られる麦のように倒れていく。
槍が突き出されるたび、矮小な体が貫かれ、血を噴き、地に伏した。
「……弱い」
それを理解した瞬間、兵士たちの士気は一気に跳ね上がった。
恐怖は消え、代わりに高揚が広がっていく。
後方にいたゴブリンたちは、仲間が次々と串刺しにされる光景を目の当たりにし、悲鳴を上げて逃げ出した。
「追え」
フィルードの短い命令で、兵士たちは追撃に移った。
もはや彼らは“兵”ではない。
手にした長槍で命を刈り取る、生きた閻魔だった。
ほどなく、足の短いゴブリンたちはほぼ全滅した。
最後に残った二十体にも満たないゴブリンが、地面にうずくまり、震えている。
その時、ローセイが素早く駆け寄ってきた。
小ロバートも後に続く。
「首領様。この規模のゴブリン部族は、通常、獣人の居住地の奥にいます。
おそらく、より大きな部族に追われてきたのでしょう」
ローセイは周囲を警戒しながら続けた。
「この先は、あまり通りやすくないかもしれません。
私にジャッカルマンの兵を率いて先行偵察をさせていただけませんか。危険を見つけ次第、戻って報告します」
フィルードは少し考えた。
実は、彼自身も同じ判断をしていた。
(……向こうから言い出すとはな)
ローセイが単なる戦士ではなく、状況を読む能力を持っていることに、内心で評価を上げる。
「堅実な案だ」
フィルードは頷いた。
「配下の九人を三組に分け、三方向に散って偵察しろ。
何かあれば、即座に戻って報告するように」
通訳を介して命令を受けたローセイは、力強く頷き、人員配置に向かった。
フィルードは次に、捕虜となったゴブリンたちに目を向けた。
「縄で繋げ。一体につき十五ポンドの食料を背負わせろ」
合計十八体のゴブリンが、十二人分の荷運びを肩代わりすることになった。
これで兵士たちは交代で休める。
(使えるものは、使う)
もっと背負わせたかったが、これ以上は無理だった。
鞭で打っても、彼らは立ち上がらなかった。
やがて商隊は再び出発した。
ジャッカルマンの先行偵察により、隊列は目立たないルートを選んで進む。
フィルードは、自分たちより弱い小規模部族を見つけても、あえて攻撃しなかった。
(数を減らしすぎると、中規模が警戒する)
この判断は、すぐに正しさを証明する。
たった一日の移動で、ジャッカルマンは二つの中規模部族を発見した。
もしそれぞれが三つの小部族を従えているなら――
(最悪、四百の武装勢力か)
ローセイの報告では、中規模部族の人口は小部族の五倍以上。
二百から三百の戦士を動員し、従属部族からさらに百五十。
今の自分たちでは、到底対抗できない。
フィルードは、この地域が徐々に獣人たちに掌握されつつあるのを感じていた。
かつての無秩序な散在ではない。
上下関係のある、秩序だった支配。
(まだ、大部族はいない……)
もし現れていれば、この交易路からの撤退を考えていただろう。
二日目の朝、出発して間もなく、ジャッカルマンの一隊が慌ただしく戻ってきた。
ローセイに何事かをまくしたてる。
小ロバートが急いで通訳した。
「首領様、左前方二、三里の地点で、人間の一団が豚頭族と交戦しています。
彼らも大きな荷車を引いており、おそらく商隊です」
フィルードは興味を引かれた。
最近、この交易路では“想定外”が多い。
それは同時に、機会が多いということでもあった。
(騎兵がいれば、火消し役として荒稼ぎできそうなんだがな)
思考を切り替え、四十人以上の古参兵を率いて前進する。
少し離れた場所から、密かに戦場を観察した。
豚頭族は約百五十。
人間側は百に満たないが、装備が良く、互角に戦っている。
馬車は十二台。三隊編成。
複数の商隊が連合しているのだろう。
前線の人間兵は統率が取れていた。
ただの護衛兵ではない。
以前見た、騎士の農兵と同等だ。
(勝てるが……消耗が激しい)
油断すれば全滅もあり得る。
フィルードは兵を率いて林を出た。
ゆっくりと戦場へ歩み寄る。
馬車の下に隠れていた商隊の責任者たちは、恐怖に震えていたが、突如現れた人間兵を見て、藁にもすがる思いで這い出してきた。
「勇士よ! どうか助けてください!
同じ人間として、我々の哀れな戦士を――」
フィルードは黙って次の言葉を待った。
だが、出てくるのは泣き言と同情の訴えだけ。
(……金を出す気はないな)
理解した瞬間、彼は踵を返した。
兵士たちも即座に従う。
泣き声は止まり、演技も止んだ。
「待ってください!
各商隊が金貨三枚を出します! 三隊で九枚です!」
フィルードは聞こえないふりをして歩き続けた。
まるで金銭を蔑ろにする聖人のように。
「四枚! 各家四枚です!」
それでも振り返らない。
「五枚! これ以上は赤字になります!」
なおも歩く。
六枚を提示したところで、商人たちはそれ以上出さなくなった。
本当に限界らしい。
ひそひそと相談する声。
フィルードは、商人という生き物をよく理解していた。
(追い詰めれば、必ず出す)
森へ戻ろうとした、その瞬間――
「三十枚! 合計三十枚の金貨を支払います!」
ヒステリックな叫びが、戦場に響いた。




