第363章 不可避の転輪――決戦はすでに始まっている
それはもはや、かつての爆撃を単なる攻撃ではなく――
一種の「疫病」へと変えたに等しかった。
一度広がれば、恐怖は自動的に増殖する。
爆弾そのものよりも厄介なのは、「次はいつ来るか分からない」という不安だ。
……戦争とは結局、物資ではなく精神を削る競技だ。
俺は最初から理解していた。
相手を屈服させるには、中途半端な打撃では意味がない。
決定的な一撃。
「まだ戦える」と思わせている限り、交渉は永遠に引き延ばされる。
だから――ここで折れる選択肢は存在しない。
そう判断した俺は、あえて感情を爆発させたように振る舞った。
「貴様らの条件など、天方夜譚もいいところだ。」
幕舎の空気をわざと凍らせる。
「帰ってドワーフ王に伝えろ。
和平を望むなら、最低でも五千名のドワーフ捕虜を残せ。
そして即座に元の領土へ撤退しろ。
ミノタウロスは好きにしろ。ただし――今後この件に一切関わるな。」
使者の表情が完全に固まった。
予想外だったのだろう。
彼らから見れば、俺の基盤はまだ脆弱。長期戦になれば崩れる存在のはずだった。
……だから譲歩を引き出せると踏んだ。
甘い。
沈黙の後、使者が低く言った。
「フィルード陛下、どうか慎重に。
あなたは現在、我々とアモン王国、双方と戦っています。
基盤が固まらぬ中で消耗戦になれば、不利なのは明白です。
先ほどの条件も、王国内の長老たちが必死に説得してようやく成立したもの。本来、我が王は和平など望んでおりません。」
俺は思わず笑った。
――なるほど。
つまり「これが最後の譲歩」だと言いたいわけか。
「ご苦労なことだな。」
椅子にもたれながら手を振る。
「遠慮はいらん。戦いたいなら戦え。
北にミノタウロス大勢力を築く?
それは我が国の根を掘り返す宣言と同じだ。
我が多種族王国には大量のミノタウロスがいる。
そんな看板を立てて、私が同意すると本気で思ったか?」
視線を鋭く向ける。
「しかも捕虜一、二万のうち数千だけ返す?
質までそちらが選ぶ?
戦争開始以来、負け続けているのはどちらだ。
まるで私が劣勢のように振る舞うな。」
短く言い切る。
「条件は先ほど述べた通りだ。復命しろ。」
手を振ると、衛兵が使者を退出させた。
使者は怒りを隠しきれないまま去っていった。
――予想通りだ。
翌日、報告を受けたドワーフ王は激怒したらしい。
羊の脚を投げつけ、怒号を上げたという。
「卑劣な人間め!」
そして領主たちを見回し、低く言った。
「見たか。あの男の野心を。
数度の勝利で天下無敵のつもりらしい。
……私の戦略計画に、まだ異論はあるか?」
幕舎は完全な静寂に包まれた。
誰も口を開かない。
それが答えだった。
「全員黙るなら、計画通り進める!」
即座に魔獣騎兵へ命令が下り、犬頭族の大規模動員が開始された。
――そして数日後。
敵から使者は来ない。
交渉は終わった。
俺は机の上の地図を眺めながら確信した。
来るべきものが、来ただけだ。
その時、メイヴが慌ただしく駆け込んできた。
「陛下! 辺境方面より報告です!
大量の犬頭族労働部隊が前進中。
三万人規模が一隊、護衛は数千のドワーフ兵のみ。
同様の部隊が五隊以上確認されています!」
続けて報告する。
「騎兵では完全撃破できません。散開しても再集結します。
さらに敵大営では炊煙量が増加。食糧統制も緩和されています。
……決戦準備と思われます。」
俺は頷いた。
驚きはない。
すべて想定内。
長い沈黙の後、静かに命じた。
「偵察を継続。
マイクたちに伝えろ。戦力温存を最優先。
正面衝突は禁止だ。」
精鋭騎兵は消耗品ではない。
育成に何年もかかる。
ここで削る価値はない。
メイヴは即座に退出した。
俺はブルースへ視線を向ける。
「五千の人間兵と三万の王国直系獣人軍を率いろ。
耀獣城を迂回し、ガロと合流。
その後、運糧隊を重点的に叩く。」
一拍置く。
「徹底した隠密行動だ。
発見される時間を一刻でも遅らせろ。」
ブルースは深く頷いた。
理解している。
これは略奪戦ではない。
補給線そのものを戦場へ変える段階だ。
――戦争の強度を一段引き上げる。
彼が去ると、エレナが不安げに口を開いた。
「……全面戦争になるわね。
直属軍を北へ送れば後方は混乱する。
敵主力が救援に動けば、私たちも衝突せざるを得ない。
それこそドワーフ王の望み通りじゃない?」
俺は少し驚き、そして満足した。
状況理解が速い。
「その通りだ。」
素直に肯定する。
「彼らが動員を決めた時点で、決戦は不可避だ。
だが主導権はまだこちらにある。」
地図を指でなぞる。
「正面衝突すれば勝率は五分。
だが今は違う。
後方補給を叩けば、必ず焦る。
救援に北上すれば――」
指を弾く。
「我々が高速接近し、襲撃を繰り返す。
帰還を阻害する。
機が熟せば、そのまま決戦へ転換可能。」
相手は常に後手に回る。
対応に追われ、判断を誤る。
「選択肢はこちらにある。
問題は戦局次第だが……時間だけはもう残っていない。」
エレナは重く頷いた。
俺は軽く笑う。
「それほど心配するな。
今回の攻勢、奴らは少し意地になっている。
何度か痛い目を見れば、いずれ席に座る。」
そして最後の指示を出した。
「大鳥で北へ向かえ。
ケンタウロス勢力に連絡を取れ。
状況をすべて伝えるんだ。」
草原の狂人ども。
あいつらが、この好機を見逃すはずがない。
「参戦して牽制してくれれば、ドワーフは全力を出せない。
……戦争は、早く終わる。」
俺は地図を閉じた。
歯車はすでに回り始めている。
もはや止まらない。
来るべき決戦は――
すでに始まっているのだから。




