第280章 空を制する通信網
「……その条件は、ボア・マン獣皇には伝えておく。
だが、正直に言えば――あまり期待しない方がいい」
ドクガ老者はそう前置きしてから、低い声で続けた。
「それとだ。ミノタウロスと手を組むという考えは、捨てた方がいい。
お前は知らないかもしれないが、あいつらはボア・マンよりさらに野蛮だ」
彼は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。
「食欲が異常に強い。
まるで餓鬼の生まれ変わりだ。
貧しい部落では、族人が死ねば皆で食う。
同族相食など、あいつらにとっては日常茶飯事だ」
ローセイは思わず眉をひそめた。
「ミノタウロスの食料需要は、ボア・マンとは比べものにならない。
お前が要求している量の家畜を、あいつらから引き出すのは絶対に無理だ。
関わらないことを、私は強く勧める」
ドクガ老者は、はっきりと言い切った。
「誤解しないでくれ。
これはすべて、ジャッカルマンの立場からの忠告だ。
今のボア・マンは弱っているが、北方の屏障としてはちょうどいい。
もし北が強大なミノタウロスに占領されたら――
我々は、今のように安穏とはしていられない」
ローセイはその話を聞き、わずかに驚いた。
ミノタウロスについては、噂程度の知識しかなかった。
かつての部落は彼らの勢力圏から遠く、生活習慣を深く知る機会がなかったのだ。
しばらく沈黙した後、ローセイは静かに口を開いた。
「……なるほどな。
だが、それでも条件は変えない」
彼は視線を上げ、ドクガを見据えた。
「交渉しろ。
目的を達成できなくても、できるだけ多く要求しろ。
覚えておけ。
牛を手に入れたら、それはすべて俺たちのものだ。
――お前も、その受益者の一人だ」
ドクガ老者は何度か口を開きかけ、結局、ため息をついてうなずいた。
翌朝早く、彼は帰路についた。
ローセイはこれらの内容を、すぐさまフィルードに報告させた。
その頃、フィルードはというと――
エレナとメイヴの様子を、興味深そうに眺めていた。
二人は現在、大鳥の訓練中だった。
本来、そのうち一羽はライドン用だったが、
今のライドンはほぼ専属の伝令兵だ。
しかも体格が大きすぎる。
大鳥に掴ませて飛ばすには、最低でも中級見習い級が必要になる。
さらに問題なのは――
どういうわけか、大鳥がライドンを嫌っているらしい。
世話役の農奴兵の報告では、
大鳥は少女メイヴを非常に気に入っており、
メイヴもまた、大鳥を可愛がって、こっそり餌を与えているという。
最終的に、フィルードは一羽をメイヴに与えることにした。
メイヴは小柄で、
なんと大鳥の背に直接またがることができた。
こうして、領地初の
――「空中大鳥騎士」が誕生した。
一方、エレナは体格的にそれが難しく、
フィルードと同じく「掴まれて移動する」方式になる。
二人とも、すでに基本的な制御は習得していたが、
この馬鹿鳥はとにかく癖が強い。
安定した運用には、長時間の慣熟が必要だった。
フィルードは二人に命じ、
上空から瓦罐を投下する訓練を何度も繰り返させた。
その後、ローセイから新たな書簡が届いた。
フィルードは封を切り、内容に目を走らせる。
そこには、
ミノタウロスの性質、
計画の実行可能性、
そして状況に応じてボア・マンへの条件を下げる提案が、
詳細に記されていた。
同時に、
ドクガに最大限努力させる、という一文も添えられている。
(……柔軟だな)
フィルードは、ローセイの臨機応変な対応を高く評価した。
彼はすぐに返書を書き、
ジャッカルマンの伝令兵に託した。
その背中を見送りながら、
フィルードはふと、前世の携帯電話を思い出した。
(……便利だったな)
魔獣に乗っても、往復で二日はかかる。
情報伝達としては、あまりにも遅い。
これを機に、
フィルードは伝書鳩の育成を急務と定めた。
ケビンを呼び、命じる。
「領地周辺で鳥を捕獲しろ。
体格が大きく、雛鳥で、まだ目を開けていないものだ」
伝書鳩の育成は一朝一夕ではいかない。
だが、通信の遅延は致命的だ。
今のフィルードの勢力は複雑だった。
豚頭族、ジャッカルマン――
複数の勢力が混在している。
一度、変事が起きれば、
即応できなければ取り返しがつかない。
熟考の末、
フィルードは当面の策を決めた。
伝書鳩が育つまでの間、
メイヴを正式な伝令兵とする。
ローセイには、耀獣城近くの隠れた山頂に鳥巣を建設させる。
鉄鉱側、そして最北端の要塞にも同様に設ける。
これで、大鳥騎士たちは迅速に行き来できる。
だが、フィルードはすぐに気づいた。
(……これでは不十分だ)
命令を下すのは早くなるが、
事態が起きた場合、
自分が情報を得る速度は大きく変わらない。
悩んだ末、
彼は最も信頼する副手――エレナを、
耀獣城近くの要塞に駐留させることにした。
彼女を、そこの城防官とする。
ローセイ側で異変があれば、
耀獣城から山頂に登り、狼煙を上げる。
それを見たエレナが対応し、
大鳥で鳥巣へ向かえば――
フィルードは数十分で一次情報を得られる。
メイヴは最北端の獣人要塞に配置する。
これで、三点間の連携が成立する。
硫黄鉱側については、
当面、フィルード自身が往復するしかない。
(……あと数羽、大鳥がいれば)
そう考えたとき、
彼は籠の中の二羽の中級見習い大鳥を思い出した。
今や落ち着き、
食うべきを食い、飲むべきを飲んでいる。
――ただし。
どれほど手をかけても、二羽はまだ繁殖の兆しを見せなかった。
餌も環境も整えている。健康状態にも問題はない。
それでも卵を産まないとなると、理由は一つではないだろう。
フィルードは小さく息を吐いた。
(……繁殖には、まだ時間が要るか)
焦っても仕方がない。
この世界の生き物は、都合よく人の計画通りには動かない。
そう結論づけ、フィルードはそれ以上考えるのをやめた。
今は通信網の基礎を固める方が先だ。




