第278章 ボア・マンの講和要請
フィルードも笑ってうなずいた。
「まずはそれ以外の話は置いておこう。
ボア・マンが提示してきた条件について、どう思う?
このまま和平を受け入れるか、それとも――相手が弱っている今、決定的な一撃を入れるかだ」
ローセイは眉を寄せ、しばらく沈黙した。
やがて、慎重に言葉を選びながら口を開く。
「正直に言えば……俺も、まだ深く考えきれていなかった。
だが、現時点ではまず交渉するのが最善だと思う。こちらから法外な条件を突きつけ、相手の反応を見る」
ローセイは地図を指でなぞりながら続けた。
「仮に俺たちがボア・マンを完全に滅ぼしたとしても、得られる利益は限定的だ。
広大な領土を占領・統治する兵力は、今の俺たちにはない。
結局、ケンタウロスやミノタウロスに漁夫の利を与えるだけになる」
フィルードは無言で聞き続ける。
「それに、獣人勢力は一枚岩じゃない。
ボア・マンを宗主とする勢力も多いが、他にも複数の獣王が存在する。
もし別のボア・マン獣皇が支援に入ってきたら、事態は一気に複雑化する」
ローセイは息を吐いた。
「だから今は、深入りせず、利益だけを確保して引く。
それが最も堅実だ」
フィルードは満足そうに笑い、うなずいた。
(……いい。
視野が広がっている。もう“戦えるだけの戦士”じゃないな)
「その判断は、今の状況に合っている」
フィルードは静かに言った。
「だが覚えておけ。
問題に直面したとき、まず考えるべきは“どう勝つか”じゃない。“どう利益を最大化するか”だ。
いちいち俺の判断を仰ぐな。それを癖にすると、いずれ独り立ちできなくなる」
ローセイは背筋を伸ばす。
「俺たちの勢力がさらに大きくなれば、
お前たち――最初から俺についてきた連中は、それぞれ一国一城の主になる。
その覚悟を持て」
そう言ってから、フィルードは話題を切り替えた。
「ただし……別の選択肢もある」
ローセイが顔を上げる。
「ミノタウロスと、密かに接触する。
もし両者で手を組み、ボア・マン部族を分割できれば、得られる利益は比較にならない」
ローセイは思わず息を呑んだ。
「だが、ミノタウロスは強大だ。
必ず事前に条件を詰めろ。口約束は信用するな」
フィルードの声音は淡々としている。
「彼らの勢力圏には多くのジャッカルマンがいる。
交渉の際は、可能な限り多くのジャッカルマンの青壮年を要求しろ。
それが誠意の証だ」
ローセイは内心で舌を巻いた。
(……やはり団長閣下は容赦がない。
常に相手の急所を突いてくる)
「仮に協力が成立しなくてもいい」
フィルードは続けた。
「その話自体を、ボア・マン獣皇への交渉材料に使える。
“ミノタウロスと組む”――その一言だけで、相手は譲歩せざるを得なくなる」
一拍置き、さらに付け加える。
「交渉では人口だけでなく、勢力分割の条件も提示しろ。
特に重要なのは――牛だ」
フィルードの視線が鋭くなる。
「ボア・マン部族が保有する牛の数は膨大だ。
輸送、耕作、繁殖……どれを取っても、今後の発展に直結する」
ローセイは何度も頷いた。
「もし彼らが渋るなら、王庭と直接交渉しろ。
要求は同じだ。牛、そして領内のジャッカルマンだ。
それが、お前の部族をまとめる最大の楔になる」
話し合いはさらに細部へと及び、やがてフィルードは立ち上がった。
耀獣城を振り返りながら、彼は思う。
(……伝書鳩か。
情報伝達に数日かかる状況は、そろそろ限界だな)
その後、フィルードは領地へ戻った。
小白はこの数日で上級見習い魔獣へと突破し、
今や領内最上位の存在となっていた。
速度では大黒すら追いつけない。
調子に乗った小白は、私下で大黒を執拗に挑発し、
一日中怒号を上げさせる始末だった。
フィルードは苦笑しながら、大黒に魔薬を与える。
(……急げ。
お前も、そろそろ次の段階だ)
木甲の防御性能を確認しつつ、フィルードは再びチャチャに掴まらせ、鉄鉱峡谷へ向かった。
数十分後、峡谷に降下。
巨大な水車はすでに稼働しており、鉱石を粉砕し続けている。
精錬工房に入ったフィルードは、静かに作業を開始した。
――これは戦争ではない。
だが、次の戦争を制するための準備だ。
(ボア・マンは……本当に運がないな)
そう思いながら、彼は硫黄の結晶を手に取り、目を細めた。




