第273章 夜襲の獲物――シウス、生け捕り
「……お前の言う通りだ」
フィルードは短く息を吐き、視線を森の闇へ滑らせた。
「絆馬索はあくまで予備案。相手が近場で野営するなら奇襲――距離が遠いなら、殲滅するしかない」
ブルースは黙って頷いた。
余計な言葉はいらない。今は“待つ”のが仕事だ。
外周を偵察していたライドンが、ようやく戻ってきた。
「団長閣下。シウスあの老賊は、我々の後方三十里で野営しています。……今夜はそこで一夜を過ごすつもりでしょう」
ライドンは肩で息をしながら続ける。
「カールトンから追ってきましたが、ほとんど休まず走り続けたはずです。今は人も馬も限界ですよ。
そうでなければ、あと半日でドヴァ城に着く。止まる理由がありません」
「道中、走り死んだ戦馬もかなり見ました。……本当に耐えられなくなったんです」
その報せを聞いた瞬間、フィルードの胸の奥で歯車が噛み合った。
――獲物は疲れている。しかも止まった。
――そして、俺は戦馬が足りずに悩んでいた。
今夜、食い尽くせる。
勝てば数千の戦馬。
それは“騎兵が組める”という意味だ。
これまでのように、敵の騎兵に主導権を握られ、受け身で戦う必要がなくなる。
(王国内で、数千の騎兵を持つ意味がどれほど重いか……)
(貴族を合わせても一万騎を揃えるのが難しい。なら、俺が持てば――)
フィルードは思わず笑った。
「……まさに天の助けだ」
そして即座に命令を飛ばす。
「伝令。夕暮れ時に大軍は飯を食え。
火は焚くな。音も立てるな」
「深夜、騎兵営地へ奇襲をかける。油脂の多い枯れ木を集めろ――火付け用だ」
号令が落ちると、大軍は機械のように動き始めた。
深夜。行軍開始。
静かだ。
だが、遅い。
軍中には夜盲症の兵が多い。行軍速度が上がらない。
老兵が監督しても、新兵は迷子になり、転ぶ者が続出した。
フィルードは舌打ちを飲み込み、判断を切り替える。
「夜盲でない者を前へ。道を開け。転んだ奴は引き上げろ。置いていくな」
それでも完全には防げない。
つまずき、転び、息を殺し――
ようやく敵営へ辿り着いた。
将校に確認させると、出発時一万五千だったはずの兵が一万三千まで減っていた。
二千は転倒の負傷か、迷子。
だがフィルードは眉一つ動かさない。
(戦場で重要なのは“全員揃うこと”じゃない)
(今必要なのは、刃を突き立てられる人数だ)
「前進。ゆっくりだ。影を踏め」
営地に近づくほど斥候が増えてくる。
フィルードとエレナは闇に溶け、幽霊のように哨兵を刈り取っていった。
居眠りする者から、順に。
だが――三百メートル。
ここまで来ると、哨兵の数が多すぎる。
無音で処理しきれない。
フィルードは即座に切り替えた。
「包囲。周囲から締めろ。合囲したら――一気に踏み込め」
大軍が輪を作り終えた瞬間、前進。
フィルードとエレナ、そして隊中の超凡者たちが一斉に哨兵を狙撃し始める。
だが、ついに発見された。
その瞬間だった。
フィルードが吼える。
「松明を点けろ!」
轟、と火が走る。
枯れ木は油脂を含み、火は一気に立ち上がった。
夜が白昼になる。
兵士たちは松明を掲げ、そのまま突撃を開始。
フィルードとエレナが先頭で馬を駆り、敵営へ突入した。
敵の騎兵は、長時間走り続けた直後だ。
疲弊しきっている。
大軍が突っ込んでも、なお鼾をかいて眠っている者すらいた。
――戦場で眠っている。
それだけで終わりだ。
フィルードらの突入は、まさに瓜を切るように進んだ。
混乱。
悲鳴。
松明の光。
そして、剣と槍の連続。
間もなく大営は完全に掃討された。
シウス――あの老いぼれさえ、フィルードとエレナの連携で捕らえられた。
だがフィルードは声を上げない。
「……ブルース。連れていけ。誰にも見せるな」
ブルースは無言で頷き、影のようにシウスを引きずり去った。
フィルードの視線は、別の獲物へ向いていた。
戦馬だ。
夥しい数の戦馬が、闇の中で荒く鼻を鳴らしている。
(……涎が出そうだな)
そこへライドンが駆けてきた。興奮で顔が赤い。
「団長閣下! 今回は完全に大儲けです!
戦馬、三千六百匹以上を鹵獲しました! 大半が戦馬級――シウスの本元です!」
フィルードは深く頷く。
「損害は?」
ライドンは手を振った。
「相手はもう軟脚蝦みたいにぐったりです。
こちらの損失は数百。ほとんど負傷で、戦死は百に満たない」
「敵の四千は、斬殺は数百だけ。残りは体力が尽きてて、全員捕虜です!」
(……理想的だ)
(夜襲は、こういう時にだけ“賭ける”価値がある)
フィルードは淡々と命じる。
「伝令。戦場を掃除しろ。痕跡は消せ。
捕虜と戦馬は、お前が率いて夜通し領地へ戻れ」
そう言い残し、フィルードは一角へ向かった。
そこではブルースが大斧を握り、数名の腹心と共に警戒していた。
フィルードが近づくと、ブルースは脇へ退き、黙って警戒を続ける。
フィルードは、縛られた男の前に立つ。
にやり、と笑った。
「シウス伯爵。お久しぶりだな」
シウスは虚ろな目でフィルードを見つめるだけで、一言も発しない。
フィルードは怒らない。
むしろ、声を落として続ける。
「お前は野心家だと思っていた。
だがまさか、人間の裏切り者になって……獣人と結託し、俺の邪魔をするとはな」
「さて。どう処分してやろうか?」
シウスがようやく口角を歪め、冷笑した。
「捕らえられた身だ。殺すも煮るも好きにしろ。
ただ侮辱だけはするな。……そうでなければ、お前と心中してやる」
そして、目の奥が妙に澄んだ。
「お前が天衣無縫だと思っているのか?
お前が獣人側でやっていることは……俺は全部知っている」
「どうやら野心は相当なものらしいな」
その一言で、フィルードの内側に冷たい殺意が立った。
(……俺の領地に内通者がいる)
(しかも“全部知っている”と言い切る。下っ端じゃない)
フィルードは目を細め、声を沈める。
「俺は人間のために、アモン王国のために領土を広げている。
最初から最後まで、問われる筋合いはない」
「お前は? ちょっとした利益で王国を売った賊が、何の資格で俺を非難する」
シウスは、そこで――大笑いした。
「お前が忠臣? 俺が王国を裏切った? ははは!」
笑いの中に、毒が混じる。
「お前の性根なら、俺の地位にいたら……俺より早く裏切っていただろう」
「王国が今お前に優しいのは、お前が有能だからだと思っているのか?
北の脅威がなければ、お前はその能力のせいで――とっくに八回は殺されていた」
フィルードは黙って聞く。
怒りで耳を塞げば、相手の狙い通りだ。
シウスは薄く笑い、言葉を続けた。
「お前が生まれたタイミングが“適切”で、やったことが“適切”で、
アモン王国の利益と“ほぼ一致”したからこそ、今生きているだけだ」
「……お前も馬鹿じゃない。俺が思ったより賢い。
生存空間を広げる術を知っている」
フィルードは、目の奥で冷たく整理する。
(口が回る。だが――情報がある)
(俺を揺さぶりながら、こちらの反応を見ている)
そして、彼は静かに息を吐いた。
PS:ここで一気に形勢が動きました。
表の戦いが終わっても、本当の勝負はここからです。
続きもぜひお付き合いください。
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