第272章 血の首級、そして回援
エレナはシロに跨り、獣のように――いや、風そのもののように動いた。
左へ刺し、右へ抉り、速度は跳ねるどころか、飛ぶ。
そのままフィルードとエレナは、騎兵隊列の外へと一気に抜け出した。
戦場を離れた直後、フィルードは反射的に振り返る。
大黒の突進で、敵兵がまとめて吹き飛ばされている。
――あれを見たら、誰だって怯む。
実際、交戦中の両軍兵士が一瞬だけ動きを止め、空気が凍った。
だが、フィルードは止まらない。
追撃だ。
自軍の歩兵が追いつき始めていたが、構わずエレナと共に“あの上位超凡者”を追い詰める。
敵は上等の戦馬に乗っている。
だが――中級見習い魔獣に比べれば、話にならない。
数度、呼吸をする間に距離は消える。
遠距離から、エレナが上位矢を放った。
「バンッ!」
矢は背中に突き立ち、敵は悲鳴と共に落馬した。
その瞬間、フィルードも間合いへ踏み込む。
魔力を鼓動させ、長槍へ注ぎ込む。
「プチッ」
槍が――首を貫いた。
そのままフィルードは勢いを殺さず、死体を槍に掛けたまま引きずる。
十数メートル。
ようやく、完全に息が絶えた。
フィルードはその馴染みの顔を見下ろし、長く息を吐く。
胸の奥にこびりついていた棘が、一本だけ抜け落ちた気がした。
エレナが近づき、迷いなく首を刎ねた。
「この呪われた老いぼれ……やっと、俺の手に落ちたな。ふん!」
そう言って首級を掴み、激戦中の戦場へ投げ捨てる。
フィルードは淡々と告げた。
「急げ。鎧を剥いで着替えろ。
……これは本物だ。捨てる理由がない」
エレナが短く頷く。
そしてフィルードは休む間もなく大黒へ飛び乗り、主戦場へ戻った。
主戦場では、自軍の兵士たちが息も絶え絶えのまま、休まずに突っ込んでいた。
長槍を握り、敵騎兵へ殺到する。
体力の消耗は大きい。
だが――数が違う。絶対数で押し潰せる。
さらに床弩が、兵士の手で軍陣の一側へ素早く展開されていた。
技量のある者が操作し、密集地点へ狙い撃つ。
戦場は一団となり、ぶつかり合いが“塊”になる。
歩兵は三人一組。
槍で牽制し、縄で馬上から絞り落とし、そのまま斬り殺す。
――訓練の成果が、そのまま殺しの手順になっている。
フィルードはそれを見て、満足げに頷いた。
ちょうどその時、エレナも鎧の着替えを終えて戻ってきた。
二人は迷わず魔獣で戦場へ再突入する。
シウスは、その光景に――完全に麻痺した。
味方騎兵が次々と落ちていく。
追撃のつもりが、いつの間にか“狩られる側”になっている。
彼は堪えきれず叫んだ。
「逃げろ! 外へ退け!
この歩兵どもと絡むな!」
命令を受けた騎兵は馬首を返す。
だが、もう遅い。
両軍はすでに絡み合い、悠々と離脱できる状況ではない。
さらに十数分の激闘の末――
撤退できた敵騎兵は、四千にも満たなかった。
自軍兵が追撃しようとするが、ウェリアムは今度こそ学んでいた。
即座に制止し、戦場の整理へ移る。
統計が上がる。
敵騎兵四千を殲滅。
その代償として、自軍騎兵も二千以上が戦闘不能。
歩兵も千近くが戦闘力を失っていた。
――数の優位。
――超凡者の数でも勝っていた。
それでもこの損耗比。
フィルードは冷静に結論づける。
(騎兵という兵科そのものが、戦場の法則を歪める……)
(勝っても、削られる。勝利の形が“痛い”)
戦場を手早く片付け、フィルードは六百匹の戦馬を分配される。
空はすでに黄昏へ傾きかけていた。
ウェリアムは大軍の帰還を命じ、フィルードも共に撤退する。
その頃。二十里離れたシウスの営帳。
残った四千の騎兵を見つめ、彼の胸はえぐられるように痛んでいた。
一万余りの騎兵――それが、彼の“独立”の土台だった。
今や四千。
この瞬間、彼の野望は笑い話に堕ちる。
その時、血まみれの伝令兵が転がり込むように駆けてきた。
彼の前で膝をつき、叫ぶ。
「陛下! 大変です!
国内が獣人の奇襲を受けています! 総数、四万を超えます!」
シウスの瞳が揺れる。
「騎士領は……すべて略奪され尽くしました。
男爵領も二つしか残っていません。必死に耐えています。
奴らは今、子爵領へ矛先を向けています。
子爵閣下が援軍を求めるよう、私に命じました!」
シウスは、しばらく反応できなかった。
――理解が追いつかない。
いや、理解したくない。
次の瞬間、視界が黒く染まり――
彼はその場で気絶した。
慌てて救助され、長い時間の後に意識を取り戻す。
絞り出すような声で、ただ一言。
「……退……退兵……」
腹心が小声で言う。
「陛下、すでに夕暮れです。
軽率に撤退すれば迷子が出ます。潰走兵も今、集まっている最中です。待ちませんか?」
シウスは首を振った。
「間に合わない。
騎兵の差が縮まった。相手の歩兵は強すぎる。……牛乗り貴族を侮っていた」
息を呑み、言い切る。
「この出陣は大損だ。
もういい、帰れ。獣人どもは騎兵が少ない。どうあれ――子爵領を落とさせるわけにはいかん」
その夜、敵軍は営を抜き、夜通し撤退を開始した。
敵軍撤退の報せが届いた、その最初の時間。
フィルードもまた動いた。
祝賀宴に参加する暇すらない。
理由を作り、エレナと共にブルースの方向へ急行する。
一日余りでドヴァ城近くへ到着。
探索の末、ようやくブルース一行を見つけた。
彼らは山脈の一角に駐屯していた。
街道に近く、周囲は森林。伏兵に向いた地形だ。
フィルードが近づくと、ブルースは居眠りをしていたが、顔を上げるや小走りで駆け寄ってきた。
フィルードは低い声で問う。
「準備はどうだ」
ブルースは満面の笑みで頷いた。
「この数日、夜の闇に紛れて道路に罠を仕掛けました!
大半は絆馬索です。数え切れません!
しかも縄の両端は密林へ固定してあります。
引けば、騎兵に惨重な損失を与えられます!」
フィルードは満足げに頷く。
「いい。シウスはカールトンで大敗した。
残った騎兵は多くない。ここへ逃げてくるはずだ。……一、二日で来る」
一拍置き、静かに笑う。
「――大サプライズを用意しよう」
だがブルースは、眉をひそめた。
「団長閣下、絆馬索は強い。
ただ……使えば敵は潰せますが、馬も同じく廃になります」
「そうなると、戦利品が減ります」
その言葉に、フィルードは一瞬、目を見開いた。
――この筋肉頭が、そこまで考えるようになったのか。
驚きと同時に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
フィルードは、ゆっくりと頷いた。




