第233章 土鶏瓦狗、潰走す
フィルード軍の攻撃は、もはや「戦闘」というよりも、正確無比な解体作業に近かった。
敵の陣形における脆弱部位――鉄甲兵の密度が低く、指揮が届きにくい箇所を的確に突き刺す。
その結果、ほとんど一瞬のうちに、数百名規模の鉄甲兵が地に伏した。
後方では投槍手が一切手を止めることなく、淡々と投擲を続けている。
反撃の間を与えない。
足掛け五度にわたる連続射撃が終わる頃には、敵軍の中核をなしていた農奴兵たちの精神は、完全に限界を迎えていた。
悲鳴が上がり、逃走が始まる。
最初はほんの数人だった。
だが、それは瞬く間に増殖する。
頭を失った蝿のように、農奴兵たちは理性を失い、四方へと暴れ回った。
その無秩序な逃走は、まだ踏みとどまろうとしていた敵衛兵の陣形を、東へ、西へと押し潰し、見る影もなく崩していく。
――想定通りだ。
フィルードは、その光景を大黒の背から冷静に見下ろしていた。
戦意を失った大軍ほど、厄介な存在はない。
だが同時に、それは「最も脆い」。
彼の口元には、抑えきれぬ嘲笑が浮かんでいた。
魔力を込め、再び大音声で叫ぶ。
「将士たちよ、見ただろう!
相手は砂でできた軍隊だ!
我らはまだ本気すら出していないというのに、向こうはすでに崩壊している!
もう一押しだ――徹底的に叩き潰せ!」
命令が届いた瞬間、兵たちは再び怒号を上げた。
刀盾兵が歩調を崩さず前進し、その背後から長槍兵が正確無比に突き出す。
血の道。
そう表現する以外にない光景だった。
隊列は寸分の乱れもなく、まるで一本の巨大な刃のように、敵軍の中央を貫いていく。
行く手に立つ敵兵は、抵抗らしい抵抗もできぬまま倒れ伏し、全軍の混乱は臨界点を越えた。
千余人を踏み潰したところで、敵軍はついに完全崩壊を迎えた。
崩れた大軍を屠るのは、豚を屠るよりも容易い。
フィルードは、逃げ散る雑兵にはもはや興味を示さなかった。
彼の視線は、ただ一人――逃走を図る敵方伯爵に向けられていた。
「愛馬に乗れ!」
フィルードは近くにいた数名の超凡者に向かって叫ぶ。
「我々で伯爵を追う。
生け捕りにすれば、この反攻戦における第一の功績だ。
伯爵を生け捕り――これ以上の栄誉はない。殺せ!」
号令と同時に、フィルードは大黒に跨り、長槍を携えて正面から突撃した。
背後にはエレナが続き、超凡者たちも迷いなく追従する。
疾走しながら、彼は次の命令を飛ばす。
「軍団は百人隊単位で行動せよ!
残敵を掃討しろ!
降伏した者は縛り上げ、生け捕りにせよ!」
命令を受けた兵たちは、蜂の群れのように散開した。
分離してなお、その動きは驚くほど整然としている。
隣で戦っていたフランクとカールトンの配下兵は、その光景を見て思わず唾を飲み込んだ。
だが、敵にとっては――それは悪夢そのものだった。
規律と殺意だけで構成された、冷酷な殺人機械。
彼らは、ただ淡々と「殺す」ことを実行しているに過ぎない。
フィルードは大黒に跨り、風を切って疾走した。
敵方にも二十名近い超凡者がいたが、大黒は中級見習い魔獣である。
瞬く間に距離を詰め、隊列から抜け出した。
――このままでは、集火される。
即座に判断し、速度を落とす。
「エレナ、すぐに大黒の背に飛び乗れ。
二人で追撃する。まずは足止めだ」
エレナは力強く頷き、二人は一気に間合いを詰めた。
中級魔獣の脚力により、敵を瞬時に百メートル圏内に捉える。
危険を察知した敵方も、矢を放って妨害を試みた。
だが、エレナのほうが一瞬早い。
「シュッ」
鋭い音とともに放たれた矢は、最後尾の高級見習い級超凡者を正確に射抜き、馬上から叩き落とした。
フィルードも魔力を込め、一人の中級見習い級超凡者を射殺する。
間を置かず、二人は再び高級見習い級の矢を番え、さらに二名を馬から引きずり落とした。
その直後――
敵方の上位超凡者三名が反撃に転じた。
鋭い殺気。
フィルードは、矢が自分たちに向かって飛来するのを即座に察知した。
上位木盾を掲げる。
「バン!」という乾いた音とともに、矢は粉々に砕け散った。
その一瞬を逃さず、エレナは一本の高級見習い級矢に、限界まで魔力を注ぎ込む。
狙いは――上位超凡者の一人。
フィルードは結果を確認することなく、大黒に回避を促した。
矢は空気を切り裂き、盾を構えた超凡者へと一直線に突き進む。
次の瞬間、長釘が木に打ち込まれるような音が響いた。
盾を貫通し、矢は下腹部に深々と突き刺さる。
悲鳴とともに、その超凡者は馬から転落した。
隣の上位超凡者は即座に馬を止め、倒れた仲間を引き上げて馬背に担ぎ、逃走を続ける。
敵方伯爵は、その光景を目にして愕然とした。
「……なんだ、あの武器は……威力が、異常すぎる……!」
助け上げた超凡者は、仲間の体に突き刺さった矢を一瞥し、眉をひそめた。
「高級見習い級素材の矢……。
しかも、あの弓も上位品だ。間違いなく、最上級の部類だ」
伯爵の顔色が、見る見るうちに険しくなる。
「この者たち……戦力が異常だ。
短時間で大軍を壊滅させ、超凡者への攻撃も鋭すぎる。
叔父上、次はどうすれば……?
あれほどの弓を相手にしては、消耗戦など不可能だ……」
老超凡者は深く眉を寄せた。
「……別々に逃げるしかない。
お前は装いを変え、一般騎兵に紛れろ。
私が囮になる」
伯爵は即座に首を横に振った。
「なりません!
あの魔獣は中級見習い魔獣です。
そうでなければ、我々に追いつけるはずがない。
そんな策では、叔父上が殺される可能性が高すぎます!」
老超凡者は、静かに首を振り返した。
「私は、もう十分に生きた。
だが、お前が捕まればすべてが終わる。
伯爵が生け捕りなど、王国にとって永遠の恥だ」
二人が言葉を交わしている間にも、フィルードたちは再び距離を詰めていた。
今度は二人だけではない。
黄牛魔獣に跨った領地の超凡者がベーカーを背負い、
フィルードは大黒に跨りボブールを、
エレナは小黄牛に跨る。
三頭の魔獣に、五人。
猛烈な勢いで迫ってくる。
フィルードは、あの魔弓を一時的にボブールに貸与していた。
弓を見た瞬間、ボブールの目は輝き、今にも涎を垂らしそうだった。
フランクは、ほとんど懇願するような口調で買い取りを申し出たが、フィルードは即座に断った。
領地五年分の租税を提示されても、首を縦には振らなかった。
今のボブールは、顔を紅潮させ、
「この弓さえあれば天下が取れる」
とでも言いたげに、強弓を抱きしめている。
敵方伯爵は、一度は気を保っていた。
だが、三頭の魔獣と、さらに三名の上位超凡者が加わったのを見て、思わず悪態をついた。
「くそっ……何なんだ、これは!
どうしてこんなに魔獣がいる!?
しかも、上位超凡者が三人も……!
叔父上、もう分散は無理だ。別れた瞬間、各個撃破される!」
長い沈黙の後、老超凡者は深いため息をついた。
「……降伏するしかない。
あの弓を見ろ。三張もある。
我々は、いずれ消耗し尽くされる」
その言葉に、伯爵は悔しさに歯噛みした。
「……本当に、もう手はないのか……?」
PS:ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この章では、数や士気ではなく、「組織と判断」が戦局をどれほど一方的に崩壊させるかを意識して描きました。
相手が崩れる理由は偶然ではなく、積み上げてきた差が一気に可視化された結果です。
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この先は、勝利の余韻よりも“代償”の話に入っていきます。




