第157章 飢えの民と、帰還の地獄
フィルードは、まず全ての弓兵を高台から降ろし、奪い取った城壁へ再び登らせた。
隣を歩くエレナの気配が、わずかに緊張を帯びているのが伝わってくる。
――ここからは時間との勝負だ。消耗戦に持ち込む余裕はない。
ウェイン侯爵は戦闘を早期に終結させるため、近接戦闘に秀でた数十人の超凡者を最前線へと配置した。
彼らのほとんどは両手武器を携え、まるで処刑場に向かう殺戮神の群れのように、無音のまま前進を開始する。
すぐに敵と激突した。
一瞬、風が逆流したような圧だけが走り――次の瞬間、敵兵は肉片のように崩れ落ちる。
フィルードは、その中の一人の上級見習いが、巨大な斧を振り下ろし、盾ごと兵士を真っ二つに両断するのを見た。
(……慣性を乗せた一撃か。理屈はわかるが、それでも常人には不可能だ)
冷静に分析しながらも、思わず眉をひそめる。彼らはもはや「兵士」ではなく、「兵器」だった。
北側の城壁も陥落し、続いて南側も――陽が沈む頃には四方の城壁すべてが制圧された。
ウェイン侯爵は攻撃の停止を命じた。
兵士たちには登れる限りの胸壁を封鎖させ、外の軍勢には城門をいくつか封鎖させた。
翌朝、子爵邸への突入が始まったが――そこはすでに業火に包まれていた。
兵士たちは近づくことすらできず、火が弱まるのを待ってから踏み込んだ。
まもなく、ハロルド子爵の遺体が見つかった。
周囲には数多くの遺体が横たわり、そのすべてに剣傷があった。
火事の前に殺された痕跡……抵抗の形跡。
(家族さえ、自ら……か)
フィルードは静かに息を吐いた。
この世界で子爵まで登り詰める者は、例外なく冷酷だ。
――他者の死を踏み越え、ためらいなく同族を切り捨てる覚悟を持つ者だけが、この地位に立つ。
戦利品はほとんどなかったが、ダービー城地区全体を完全に奪還したことには違いない。
500人を駐留として残し、残りは帰路へついた。
二日後、大軍はダービー城に戻り、領地に駐屯していた王国軍も城へ戻った。
フィルードはウェインに別れを告げ、兵士と農奴を連れて領地へ戻る準備をした。
ウェインは名残惜しそうだった。
確かに、この短期間でフィルードは彼に“元帥の面白さ”を味わわせすぎたのだ。
ウェインはダービー城で軍団顧問にならないかと誘い、
上位超凡者への昇進の手助け、年俸2000金貨――破格とも言える条件を提示した。
しかしフィルードは、放浪に慣れた自分が拘束されるのは耐えられないと断った。
(自由であること。それ以上の報酬は存在しない)
それが彼の結論だった。
仕方なく、ウェインは深く惜しむ表情で彼を送り出した。
城内で慎重に6000人の農奴が選ばれた。
ウェインの執事とはすでに親しくなっていたフィルードは、そっと魔石を彼の手に握らせた。
執事は儀礼的に数度辞退したが、結局受け取り、口元には分かりやすいほどの親しみが浮かんだ。
その結果――
彼は“こっそり”2200人もの青壮年をフィルードに回した。
男1200人。
さらに、痩せた壮年を女装させて紛れ込ませるという大胆さまで見せた。
残り4000人は少年と子供。老人はほとんどいない。
(……魔石一つでこれか。安すぎた気すらするな)
フィルードは苦笑して肩をすくめた。
彼はマイクに500人の兵士を率いて農奴たちを領地まで連行し、ケビンに引き渡すよう命じた。
その後、馬車隊を率いて再び食料を運搬することも、すでにウェインと約束してある。
9000人の大軍が食べた分と自分の分――
すべてダービー城が責任を持って輸送する。
フィルードが馬車隊を呼び戻す主目的は、追加の食料調達だ。
今後のリスクを見越して、可能な限り備蓄するつもりだった。
(食料がある限り、領地は死なない)
それが彼の信条だった。
フィルード自身は、500人の兵士を率いて新しい領地――故郷ルビン鎮へ向かった。
500人といえど、一列に並べば相当な迫力だ。
なにより前方の20余名の騎兵は、堂々たる威容を放っていた。
まさに故郷への錦飾りである。
エレナとともに先頭を進む。
だが領地に入った途端、二人は愕然とした。
(……誰も、いない?)
男爵領の配下には大小8つの村があるはずだった。
だが、そのどれもが完全に無人。
町に入っても、人影はほとんどなかった。
男爵城に到達すると、帽子が曲がった王国軍小隊長が駆けてきて、敬礼した。
「団長様、お迎えにあがりました。……城内は人が多すぎます。
軽率に踏み込めば押し潰されるやもしれません。
団長様は、一部の兵を外へ残された方がよろしいかと。」
フィルードは手を振った。「分かった、報告せよ。」
そして自らも城壁に登り、中を覗いた瞬間――言葉を失った。
男爵城はぎっしりと、まるでニシン缶のように人で詰まりきっていた。
積み重なり、身動きもできない。
排泄場所もなく、悪臭が城全体を覆っていた。
エレナが横でむせて顔を背ける。
フィルードも鼻を手で覆った。
「……千人隊長、数名。中に突入し、全員を外へ出せ。前の広場 に集めるんだ。」
指名されなかったことへ安堵しつつ、彼らは苦い顔で命令に従った。
兵士がどれだけ叫んでも、怯え切った住民は動かなかった。
喉が枯れるほど呼びかけても効果はない。
そこでフィルードは一つの策を提案した。
城の近辺に粥の屋台を設置させ、
大量の軍用パンを積ませ、さらに羊を屠り火で炙らせた。
香ばしい羊肉の匂いが城内に満ちる。
痩せ細った住民たちは、次々に頭を出し、匂いへ釣られるように動き始めた。
兵士たちが叫ぶ。
「無料配布だ! 数に限りがあるぞ、早い者勝ちだ!」
その一言で、恐怖は一瞬にして吹き飛んだ。
人々は沸騰した鍋のように一斉に走り出し、
やがて全員が広場に集まった。
彼らは躊躇なく食料へ手を伸ばす。
フィルードはひどく眉をひそめ、手を振った。
「彼らを整理しろ。少し痛い目を見せる程度でいい。壊すな。」
兵士たちは頷き、手近な棒で住民たちを叩いて制御した。
横でユリアンが怒鳴りつける。
「並べッ! 奪ったやつは俺が爪をへし折ってやる!」
広場に響く怒声。
フィルードは静かに息を吐いた。
(……ここからが、本当の再建だ)
PS:ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
次回からはいよいよ――フィルードが正式に故郷へ戻り、
「領地統合編」が本格的に始まります。
ただ領地を受け継ぐだけではなく、
かつての近所の人々、残された自由民と農奴、
そして前任男爵イワンクとの“避けて通れない対面”が待っています。
温かい再会だけで終わる話ではありません。
改革、反発、そして決断。
フィルードが“領主としての最初の一歩”をどう踏み出すのか――
ぜひ見届けていただければ嬉しいです。
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