第142章 侯爵の影に潜む釘
フィルードは、ウェイン侯爵の意図をすぐに理解した。
端的に言えば――
以前の“空手形”を詫びつつ、自分へ改めて恩を売りたい、ということだ。
ウェイン侯爵は一拍置き、再び口を開いた。
「今回、君はまた大きな功績を挙げた。
だが、周辺にはもう与えられる男爵領が残っていない。
土地が欲しいなら、ハロルド子爵領の中心部に、
男爵領と同規模の土地を区画して与えよう。
必要ないなら、金貨に換えてもよい。
決めたら私の執事に伝えなさい。」
そう告げると、侯爵は会議室を後にし、
急ぐように領主府の裏庭へ向かった。
(……また何か抱えているな。
あの様子、今日だけで何件も火消しをしている顔だ)
ただ、フィルード自身は領地に興味がなかった。
彼が欲しいのは、土地ではなく“人口”と“食料”、
そして可能なら“魔法物資”。
侯爵の意図を逆算すれば、それが最も利が大きい。
夕刻、ようやく仕事を片付けたウェイン侯爵に呼ばれ、
フィルードは単独面会へ向かった。
「領地は要らず、人口だけが欲しい……と?
理由を聞こうか。」
フィルードは恭しく礼を取り、静かに答えた。
「はい、侯爵様。
私の開拓領の背後には広大な平地が広がっており、
現在は土地よりも“人”と“食料”が不足しております。
今回の功績も、男爵領も、すべて人口と食料に換えたいのです。
未開の領地を開くには、力仕事のできる青壮年の労働力が必要です。」
ウェイン侯爵はこの日、明らかに機嫌が悪かった。
その眼光は鋭く、まるでフィルードの胸中を抉るように見つめていた。
「……青壮年ばかりを欲する理由。
本当に“領地開発”だけだと思っている者はいないだろう。
私は、いずれ彼らが君の軍団に紛れ込むのではないかと見ている。
非常に野心的な若者だ。」
フィルードの心臓が一度だけ跳ねた。
(……やはり、警戒を強めてきたか)
ウェイン侯爵の目は鋭い。
自分の“増兵の速度”に疑念を抱き始めたのだろう。
ここで下手な言い訳は禁物だった。
フィルードは即座に否定し、深々と頭を下げた。
「侯爵様、誤解でございます。
彼らを正規兵として訓練するつもりはありません。
せいぜい、民兵を兼ねさせる程度です。
それに、兵士の訓練には肉食や大量の食料が必要となり、
私には維持できません。
もし王国の規定に反するようでしたら、
どうか別の褒賞をお与えください。
私は傭兵団出身ゆえ、領民が少なく、
領地運営が難しいのです。」
ウェイン侯爵は長い間フィルードを見つめ続けた。
フィルードは恭しく視線を受け止め、
少しも揺らぎを見せなかった。
やがて侯爵は深く息を吐き、頷いた。
「……若者が野心を抱くのは悪いことではない。
だが、度を越せば禍となる。
君に忠告しておこう。
“やりすぎるな、身の程を弁えよ”と。
それと、君の要求は不可能だ。
青壮年ばかりを与えれば、
残された老人や子供を誰が支えるのだ?
どうしても交換したいなら――最大六千人まで。
青壮年は三割を下回らぬようにする。
ただし、老人と子供も混ざる。」
侯爵はさらに指を折りながら続けた。
「君の領地には既に三千ほどの農奴がいるはずだ。
合計で九千人。
これが毎日消費する食料を考えたことがあるか?
私は一年分、一日一ポンドのライ麦を基準に提供できるが……
一年以内に、彼ら全員を食わせる準備ができるのか?」
(……正論、ではある。
だが、問題は食料ではない。
“王国側の意図”だ)
ウェイン侯爵は、外敵の脅威や地域の不安定さを無視している。
ドヴァ城は独立宣言し、獣人の脅威も残ったまま。
フィルードを領地経営に縛りつけ、
“勝手に独立勢力化しないよう管理したい”――
それが本音に違いなかった。
フィルードは見抜きながらも、あえて従順に振る舞った。
「侯爵様は深謀遠慮にございます。
私が浅慮でした。
どうか、今回の褒賞はすべて人口へ換算してください。」
ウェイン侯爵はすぐに柔らかく微笑んだ。
「君は戦では天才だが、経営ではまだ未熟だ。
困ったら手紙を送りなさい。
助言くらいはしてやる。」
侯爵は続けて指を立てる。
「今回の功績についてだが、
上位超凡者が君の軍にいないため、
二人の子爵と同じ区分にしてある。
そこで――条件付きだが、六千人の農奴と
二年分の食料を与える。」
そして、声を低くした。
「その代わり、王国がドヴァ城へ出兵する際は、
君は“三千人の軍団”を必ず出せ。
これは君の軍団の正式な査定人数でもある。
理由の如何を問わず拒否は認めない。
従わなければ、その三千人を王国が回収する。」
フィルードは内心で静かに毒を呑んだ。
(……なるほど。
これが“釘”か。
功績があるうちは持ち上げるが、
脅威にならぬよう枷をつける――
まさに王国貴族らしいやり方だ)
表には一切出さず、
フィルードは感情を消し、深々と頭を下げた。
「侯爵様のご寛大さに心より感謝いたします。
私はあなたに引き立てられた身。
どれほど強い敵でも、侯爵様のためなら即座に剣を取ります!」
その忠誠の言葉を聞いた瞬間、
ウェイン侯爵の表情はむしろ険しくなった。
「フィルード団長。
そのような言葉は、決して人前で言ってはならない。
君は“アモン王国の軍人”であり、
その次に私の麾下だ。
そんな発言が陛下の耳に入れば、
君も、そして私も――疑われる。」
フィルードは深く頷いた。
(了解したよ、侯爵様。
あなたが“王国の人間”である限り、
俺もまた、それを利用させてもらう)




