第140章 狐が開けた城門
「――君たちは、まず城壁のそばに駐屯していろ。
夜になれば、私が城門を開けて迎え入れる。」
バウアーの声は慎重さを帯びていた。
「この時間帯に城門を開けば、外の敵に勢いで奪われる危険がある。
まだ入っていない者は、先に入らせるな。」
裏切り者のリーダー――イェフは深く頷いた。
その敗残兵の群れの片隅。
誰にも気づかれず身を縮める中年の男がひとり。
他の者とは質の違う革鎧をまとい、
気配は薄く、まるで闇に溶けているかのよう。
――それは、紛れもなくウェイン侯爵本人であった。
この「自ら敵陣に潜む」という決断に、フィルードでさえ驚愕した。
(本来、ただの“賭けの一手”にすぎん作戦なのである。
成功率は五分にも満たない。だが、この男は――自ら嵌まりに行くか)
フィルードと二人の子爵は必死に説得したが、
ウェインは一歩も引かなかった。
“成功率を無限に近づけたい”。
その理由だけで、彼は命を賭けたのだ。
(……この男。俺よりよほど腹が据わっているな)
もし城門さえ開けば、降伏兵が反乱しようと関係ない。
ウェイン侯爵なら、たった一撃の魔法で城門前の敵軍を殲滅できる。
そうなれば、城門は閉じ損ね、反乱兵と味方軍団が一気に雪崩れ込む。
◆
その夜、城壁の上は灯火で昼のように明るく照らされていた。
深夜に入ると――
バタン、と鈍い音を伴って城門が開いた。
降伏兵たちが次々と門内へ流れ込みはじめる。
暗がりからその光景を見ていたウェイン侯爵は、
静かに息を吐いた。
(……決まったな)
ディオの没落を悟り、状況を読んだ者は多い。
門を開けたこと自体が内情を物語っていた。
一方、フィルードたちは城壁の光が届かない場所に潜伏。
城門から一、二里ほど離れた暗闇で、ただ時を待つ。
――そして、城門が開いた瞬間。
(勝った)
フィルードは確信し、即座に軍へ合図を送った。
大軍の突撃音が夜空を揺るがし、
その振動はまるで大地が走る獣の群れそのもの。
城上で見張っていたバウアーも気づき、
悲鳴にも似た叫びを上げた。
「早く!城門を閉じろ!閉じるんだ!
まだ入っていない者は放置しろ、従わぬ者は斬れ!」
だが――すでに手遅れであった。
通路は敗残兵でぎっしりと埋まり、誰ひとり動けない。
しかも奇妙なことに、
入城した彼らは散開せず、城門近くに固まっていた。
そこでようやく、バウアーは“異変”に気づいた。
「イェフ!兵を散らせ!道を空けろ!
敵軍が突撃してきているのだ!」
しかし応答はない。
イェフは人混みの中で“姿を消す術”を使い、沈黙を貫いたのだ。
返事でもすれば弓兵に狙われる。
バウアーはその沈黙を裏切りだと確信した。
「イェフ……貴様、伯国を裏切ったな!
家族がまだ城内にいるのを忘れたのか?
今すぐ命令を出せ!さもなくば全員殺すぞ!」
だが、沈黙は続く。
バウアーはついに激昂した。
「弓兵、二隊に分かれよ!
一隊は城外の敵軍を射撃、
もう一隊は――この敗残兵どもを射殺しろ!」
命令と同時に矢が降り注ぎ、
敗残兵は蜂の巣を突いたように四散した。
規律を失った兵ほど危険なものはない。
事前の指示に従い、
“城壁へ上り援護する組”は即座に梯子へ走り、
偽装した千名の味方兵がそれに混じって突撃した。
残り二千の降伏兵は街へ雪崩れ込み――
彼らの目的は明らかだった。
金、食糧、そして……逃亡。
◆
すべてが一瞬で崩壊し、
バウアーが反応する暇すらない。
城壁に上った兵士たちは、
守備兵と乱戦を開始。
フィルードが大軍を率いて城壁へ突撃し、
その後ろから――
ウェイン侯爵が静かに姿を現した。
腰に手を組み、数十メートルの距離で立ち止まり、
ゆっくりと魔力を解放する。
空気が震え、熱が走る。
瞬間、巨大な火球が複数凝縮され――
「行け」
放たれた。
空を赤く裂いた範囲魔法に、
誰もが戦慄して目を見開いた。
「ひ、範囲攻撃魔法――っ!?」
バウアーは悲鳴を上げ、
転がり逃げながら必死に魔力を展開した。
だが――
階位の差は絶望的だった。
ドスン――!
炎がバウアーを包み、
彼の悲鳴が城壁に響いた。
数十秒後、そこには黒焦げの死体。
側近十数名も同じく焼死し、
残りの守備兵たちは“主将の死”を見て恐慌した。
(親玉が死んだ……!?)
(終わりだ……!)
恐怖は伝染し、城上の士気は一気に瓦解した。
◆
フィルードが城壁に駆け上がると、
農奴で構成された守備兵たちは恐怖に悲鳴をあげ――
「武器を捨てろ!投降すれば殺さない!」
「武器を捨てろ!投降すれば殺さない!」
数千人の声が街全体に響き渡る。
農奴兵は完全に心を折られ、
次々と武器を落として座り込み、震えた。
最後に残っていたのは、
バウアー直下の精鋭千名ほど。
乱戦を続けていたが、
新たな兵が次々と投入され、
超凡者も加わり――
二百が倒れた時点で、戦意は完全に崩壊した。
精鋭兵たちは武器を投げ捨て、投降を選んだ。
こうして、城壁は完全制圧された。
◆
三千人が城壁を守り、
ウェイン侯爵は残り二千を率いて内城へ突入。
内城にはもはや抵抗力はなかった。
弓兵が城下を制圧し、
刀盾兵が梯子をかけて突入。
百名の犠牲を払った後、
城壁は全面的に落ちた。
兵士たちは即座に食糧庫などの要所を確保し、
住民全員を広場へ集めた。
溢れ返る食糧の山――
ディオが長期戦を想定していた証だった。
その物資の点検が終わったのは、翌朝だった。




