第139章 北境の狐
ウェイン侯爵は一呼吸置いてから、ゆっくりと言葉を継いだ。
「――獣人による奇襲の後、我々のもとに残された“人族の兵士”は極めて貴重だ。」
その声音には、北境を背負う指揮官としての重みが宿っている。
だが次の一言で、フィルードはわずかに目を細めた。
「聞くところによれば、君の麾下には獣人の戦士が多くいるようだな。
彼らは……君の“僕従軍”、つまり私兵だろう?」
ウェインの視線は探るようでありながら、確信に近い色を帯びていた。
「もし可能ならば、彼らを攻城戦の先鋒(第一陣)として使いたい。
もちろん、只働きをしろというのではない。
――獣人戦士が一人戦死するごとに、金貨十枚を補償する。どうだ?」
一瞬、場の空気が揺れた。
フィルードは軽く口角を上げ、
“悪役商会の社長”のような顔つきで肩をすくめた。
「こ、侯爵様……」
「私は自軍を率いて先鋒を務めること自体は一向に構いません。だが……」
表情が一転し、鋭い理性の光が宿る。
「獣人だけを“盾”にするような真似は、到底できません。」
ウェインの眉がわずかに浮いた。
フィルードは冷静に続けた。
「彼らが戦闘で死ぬのなら、それは戦士としての本懐でしょう。
ですが“差別的な扱い”をすれば、私の獣人部族は数日のうちに反乱します。
ようやく彼らをまとめ上げたというのに、信用を損なえば二度と再現できません。」
ウェインは息を呑み、
(……この若造が、獣人を庇って私を拒むとは)
と一瞬だけ驚いた表情を見せた。
だがすぐに納得したように深く頷いた。
「……そうか。確かに、獣人復帰計画は私が許したものだった。」
「忘れていた。君の立場を崩すわけにはいかんな。」
手を振り、
「よし、その提案は撤回しよう。
君を先鋒にする必要もない。軍は均等に分配し、抽選で前衛を決める。」
そして本題へ移る。
「さて、この話はここまでだ。
君は“奇策”に長けていると聞いている。今回の攻城について、何か手はあるか?」
フィルードは眉間を揉みつつ、
自分が“侯爵側の参謀長”だったら――という目線で状況を再構築した。
思考を高速で巡らせ、
ついにひとつの“策”へと到達する。
「……侯爵様。降伏した四千人の歩兵を、どのように扱うおつもりですか?
本当に、約束通り“身分を一つ上げる”のですか?」
ウェインの目がわずかに細くなる。
次の瞬間、彼は豪快に笑い声を上げた。
「ははは!やはり北境はお前を“狐”と呼んでいたか!」
「モニーク城にいる私の耳にも届いていたぞ。
――北境の狐と!」
その声には、称賛と羨望すら混ざっていた。
「この策を思いつく者は少なくないだろう。
だが、この速さで反応できる者は極めて稀だ。
君は……生まれながらの陰謀家よ。」
フィルードは微妙な笑みを浮かべた。
(褒められているのか、貶されているのか……どっちだ?)
◆
数時間後、フィルードらは軍営に戻り、
ウェイン侯爵はただちに軍全体へ急行軍を命じ、ダービー城へ向かった。
行軍の途中、侯爵は降伏兵の中から“将校クラス”を呼び出し、
地位に応じて騎士爵あるいは金貨を与え、瞬く間に彼らの心を掌握した。
もちろん、“どれほど忠誠心があるか”など知れたものではない。
だが彼らの任務は単純だった。
――城内の守備兵を騙し、城門を開かせること。
より自然な状況を演出するため、
二人の子爵が後方から追撃する形で軍を動かし、
降伏兵四千人が先頭で“逃げてきた敗残兵”として走る。
二人の子爵は城の射程圏に突入し、
一度弓矢を浴びてから撤退し、城外に陣を敷いた。
敗残兵たちは城門前へ殺到し、叫びを上げる。
――全ては大芝居。
主役は、裏切り者の将校たちだ。
彼らの任務はただひとつ。
“城門を奪って内部から開くこと”。
◆
その頃のダービー城は厳戒態勢だった。
城門は固く閉ざされている。
城上の兵が矢を番えた瞬間、
若い将校が手を振って制止した。
「待て。下の連中は我々の領地の制服だ。味方のはずだ。」
ちょうどそのとき、
視界の外から六千以上の追撃軍が押し寄せてきた。
敗残兵たちが城壁下へ駆けこむと、
身分の最も高い裏切り者が大声を張り上げた。
「バウアー殿下!私はイェフ大隊長です!」
「フィルードのあの忌々しい傭兵団に待ち伏せされ、
鉄甲兵の大半が落とし穴で死にました!」
「陛下は今、騎兵に追われ、やむなく山脈へ退却されました!
我々だけが生き延び、先に逃げねばならなかったのです!」
バウアーは顔色を変えた。
数日前にも敗残兵が戻ってきており、
“フィルードの待ち伏せ”自体は事実だ。
裏切り者は続けて言う。
「何度も迂回し、フィルードに遮られて山脈へ近づけませんでした!
そしてなぜか、やつが大量の歩兵を率いて回り込み……今の有様に!」
バウアーはさらに質問を続けようとしたが、
その時――
遠方の追撃軍が城壁から百メートルの距離へ入った。
敗残兵たちは慌てて盾を構え、逃走姿勢で列を組む。
バウアーは即座に弓兵へ命じた。
「撃て!」
ヒュン、ヒュン――
矢が唸り、敗残兵の列へ降り注ぐ。
盾が激しく叩かれ、
時折、倒れる兵が出た。
距離が狭まるほど矢勢は強まり、
疲労で倒れる者も続出した。
状況を見た二人の子爵は撤退命令を下し、
兵たちは後方へ一斉に退いていく。
この一連の動きを見て、
バウアーはようやく敗残兵たちを“信用に足る存在”と認め始めていた。
――すべては、フィルードが描いた“狐の罠”の一部に過ぎないとも知らず。
PS
今章もお読みいただきありがとうございます。
“北境の狐”と呼ばれるフィルードの腹芸が本格的に動き出し、物語はいよいよ攻城戦の核心へ向かいます。
この一連の策は情報戦・心理戦が絡むため書くのが難しい部分でしたが、楽しんでいただければ嬉しいです。
次章では、ついにダービー城の戦端が開かれます。
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