第136章 戦略の咆哮――崖上の罠と逆転の一撃
そのうちの二人、上位の超凡者たちの体内で魔力が乱れ始めた。
次の瞬間、岩壁の幻影と木盾の幻影が目の前に展開する。
弩矢がそれらに命中した瞬間、光の粒となって砕け散った。
フィルードは舌打ちを飲み込み、心の中で悪態をつく。
(やはり上位超凡者か……厄介だ)
だが、いくつかの矢は防御の届かない場所にいた兵士たちへと突き刺さった。
血飛沫が舞い、陣の端が揺らぐ。
先導していた首領は即座に手を振り、騎兵に撤退を命じた。
その動きは迷いがなく、経験の深さを感じさせた。
正午を迎えるころ、フィルードたちはあらかじめ用意しておいた待ち伏せ地点へと到達した。
そこは山脈に隣接した細い街道。北側は切り立った断崖、南側は深い森――逃げ場はない。
(完璧な地形だ。敵が逃げる道も、助けに入る余地もない)
ユリアンたちは山の反対側で伐採作業を装いながら潜伏していた。
敵に悟らせないための、周到な偽装だ。
フィルードは鷹のような鋭い目で崖上を見渡す。
だが、下からでは罠の存在を見抜くことは不可能だ。
敵の超凡者が警戒しないよう、彼は兵に命じた。
「敵が半数通過するまで、崖には近づくな」
不安と緊張が空気を重くする中、敵軍が次々と断崖へと進み入る。
先頭のディオ伯爵も、一瞬の躊躇すら見せずに進軍してきた。
(来たな……)
その瞬間、フィルードの胸が強く脈打つ。
長年磨いた戦略が、いま現実として結実する瞬間だ。
敵の大軍が半分通過したとき――
山頂から、地を裂くような轟音が響いた。
ユリアンたちはすでに崖上に大量の丸太をロープで固定していた。
そのロープを一斉に切断すると、丸太は重力に引かれて転がり落ちていく。
「ドォォォンッ!!」
地鳴りのような音が辺りを震わせ、下の敵軍を押し潰した。
フィルードはその音を合図に、声が枯れるほどの咆哮を上げる。
「前進停止! 全軍回頭! 陣を組め――攻撃だ!!」
彼の号令が響くやいなや、二人の子爵も同時に声を張り上げ、兵に指示を飛ばす。
彼らは精鋭を率いて後方から援護に回っていたため、転回は迅速だった。
数マイル離れた位置でも、崖下から聞こえる悲鳴と衝撃音は鮮明に響く。
(完璧だ……予想以上の成果だ)
連合軍が陣を組み終えると同時に、逆襲の突撃が始まる。
敵との距離が1マイルを切ったその時――
フィルードは目の前の光景に息を呑んだ。
崖の下には、無数の丸太が散乱し、その下で押し潰された兵士たちの姿があった。
倒れた兵は数千。
ディオ軍団は一撃で半壊していた。
フィルードは一瞬の迷いもなく叫ぶ。
「前進せよ! 逃すな!」
対するディオは呆然とした目で戦場を見渡していた。
彼の中で現実が崩壊していく。
(……罠、だったのか? すべて、最初から……)
長年戦場を渡り歩いてきた歴戦の男ですら、思考が止まる。
その背後で兵士たちは次々と叫び、恐慌状態に陥っていく。
地には仲間の死体。血と肉片が散乱し、足元が赤く染まる。
その中で、笑い出す兵まで現れた。
狂気と絶望が入り混じる地獄。
そこへ一人の老人が駆け寄る。
「ディオ! しっかりしろ! お前はブラント家の希望だ!」
ディオは肩を叩かれ、はっと我に返る。
(……そうだ、俺はまだ終わっていない)
「叔父上、ご心配なく。大丈夫です、ほんの少し気が遠のいただけです」
彼は深く息を吸い、声を張り上げた。
「全ての隊長、部下を統制せよ! 農奴兵は前に! 衛兵は隊列を組め!」
魔力で声を増幅させ、戦場全体に響かせる。
しかし混乱は容易に収まらない。
叫び声と呻き声にかき消され、命令は半数にしか届かない。
それでもディオは馬に飛び乗り、指揮を続ける。
「騎兵は戦場を巡れ! 敵の動きを監視せよ!」
崖上からの弩矢の雨が再び降り注ぐ。
整いかけた陣形は、またも乱れた。
「撤退だ! この区域から離脱せよ!」
ディオの叫びは怒号に掻き消されたが、それでも一部の兵が彼に従い始めた。
その様子を遠くから見たフィルードは、満足げに息を吐いた。
(予想どおり、立て直せる余力はないな)
「兵たちよ! 勝利は目前だ! 一気に押し切れ!」
彼の声に応じ、軍勢が突撃する。
距離200メートル。
恐怖に震える敵兵を蹴散らし、崖下の地獄がさらに深く染まっていく。
そのとき、傭兵団の兵士たちがベッド・ヌーを担いで駆け下り、隊列に加わった。
遠く、ディオは馬上でその光景を見つめている。
(……これが、フィルードという男の戦い方か)
フィルードは崖下を見渡し、己の軍勢が4000人を下回っていることを確認した。
鉄甲兵の多くは崖崩れで潰された。
だが、得たもののほうが大きい。
「焦るな。まずは装備を確保しろ」
敵の鉄甲を回収し、味方に装備させる――
それが次の勝利への布石となる。
遠くの丘で、ディオはその様子を見つめ、苦痛に顔を歪めた。
その瞬間、マイクが息を切らして駆け寄ってくる。
「団長様! 誰を捕まえたと思いますか?」
「子爵か? それとも男爵か?」
マイクは満面の笑みで首を振った。
「以前、俺たちを追ってきたあの超凡者の女です! 木材に片足を直撃され、馬の下に埋もれていました!
いま掘り出したところです!」




