第131章 鉄の骨を持つ男 ― そして策謀の影は夜を裂く
アンソニーは、死んだ首領の農奴兵たちを城壁から撤退させ、裏切ったもう一人の開拓領主を縛り上げると、残った仲間を率いて防御態勢を整えた。
次の瞬間――上空から大量の巨石と丸太が、一斉に唸りを上げて落ちてきた。
山の斜面を転がり落ちる重物の速度は凶器そのものだった。
敵兵たちは逃げる間もなく押し潰され、叫び声が土煙に呑まれていく。丸太は耕作の鉤のように地面を抉り、人の列を裂いた。
やがて、敵軍は混乱の末に崩壊し、我先にと山腹を転げ落ちていった。
その光景を遠くで見たディオ伯爵は、怒りに任せてテーブルを叩き割り、顔を真紅に染めたという。
――だが、アンソニーは勝利に酔わなかった。
戦場で最も危険なのは、初勝利の後の慢心だ。
彼はすぐさま内部の再編を始めた。反乱兵をすべて取り込み、裏切った領主の奴隷契約書を押収して、法的にも支配下に置く。
結果、彼の配下は一気に百六十人を超え、周囲の協力領主の兵を合わせれば、二百人を超える精鋭が整った。
皆、命を投げ出す覚悟のある青壮年たちだ。
再編を終えた矢先、敵は再び襲来した。
今度のディオ軍は、明らかに戦術を変えていた。
兵を分散し、少数で繰り返し攻め上がる。狙いは丸太と巨石――資材の消耗だ。
「愚かではないな……」
アンソニーは木寨の上から、冷ややかに呟いた。
焦る兵士に、彼は静かに手を上げて制止する。
「まだだ。焦るな。彼らが――こちらの呼吸を測りに来る。」
敵が木製の梯子を立てかけ、登攀を始めた瞬間、アンソニーの声が鋭く響いた。
「――落とせ!」
重物が唸りを上げて落ち、悲鳴が一斉に響く。
打ちつけられた敵兵は即死せず、呻きながら転げ落ちる。その光景が下にいる兵士たちの心を冷やす。恐怖は、感染する。
だが、ディオ伯爵は執念深かった。
山を落とすことに固執し、潰されても次々と新兵を投入する。
攻め手が絶えず入れ替わり、息つく間もない。
一方、フィルードもその報せを受け取っていた。
しかし、兵数差は歴然。三千の寄せ集めで、八千の正規軍と正面衝突は不可能だ。
彼にできるのは、敵の補給線を切り続けることだけ。
「敵の腹を削れば、脚は止まる。」
黒馬〈ダークホーン〉にまたがり、彼は夜の谷を疾駆した。
次々と敵輸送隊を襲い、退路を断ち、焦燥を敵陣に染み渡らせる。
その動きはあまりに迅速で、ディオ伯爵が罵倒の手紙を送ってくるほどだった。
その夜、フィルードが奇襲を終えて陣に戻ると、ケビンが息を切らして駆け寄ってきた。
封蝋のついた密書を差し出し、低く告げる。
「団長様、ウェイン侯爵からの極秘文です。使者は何度も、“他言無用”と念を押していました。」
フィルードは眉をわずかに上げ、封を切った。
読み進めるにつれ、口元に淡い笑みが浮かぶ。
――ウェイン侯爵、ついに動いたか。
手紙の内容は明白だった。
“近く一万の王国精鋭を率いて反乱鎮圧に向かう。その間、ディオ伯爵を食い止めよ。成功すれば、ダービー城は再びお前のものとなる。王は報奨を惜しまぬ。”
フィルードは静かに紙を畳み、テントの中を歩いた。
胸の奥で熱が燃えたが、表情は氷のように冷たい。
――八千を三千で止める。
言葉にすれば容易いが、現実は血の海だ。
だが、それでも、これは自らの策を証明する好機でもあった。
机に向かい、彼は二通の手紙を書く。
一通はカールトン子爵へ、もう一通はフランク子爵へ。
侯爵の伝令が彼らにも届いていると踏んでのことだ。
内容は簡潔――「互いの意図を確認し、可能ならば共に動け」。
一方その頃、アンソニーの木寨では、状況が限界に達していた。
一日の戦闘で巨石と丸太の半数を失い、明日には全て使い果たす。
その後は肉弾戦しかない。地形を活かしても、持久は難しい。
眉間に皺を刻むアンソニーの目に、崖下の暗闇で閃く光が映る。
――合図だ。
彼は即座に縄を垂らし、這い上がってきた伝令兵を迎えた。
「アンソニー爵士。あなたの奮闘を、子爵様はすべてご覧になっています。子爵様はあなたの勇気を称え、この寨を守り抜くよう命じられました。支援も検討されていますが、包囲が厳しいため、少人数ずつ夜間に搬入するしかありません。五日耐え抜けば――子爵様はあなたを開拓男爵に叙任されるとのことです。失った兵の補填も、金貨で全額賄うそうです!」
アンソニーの胸に熱が走った。
だが、声を荒げず、静かに答える。
「……子爵様に伝えてくれ。私はこの命を懸けて、この山を守り抜くと。
ただし――滾木も雷石も、残りわずかだ。明日には白兵戦になる。
もし可能であれば、援兵を一人でも多く……頼む。」
伝令兵は力強く頷き、闇に消えた。
その直後、フィルードは軍中から夜目の利く兵を三百選抜。
獣人と人間が入り混じる、暗夜行動の精鋭部隊――通称「暗夜小隊」だ。
本来なら敵陣を急襲したいところだが、ディオ軍の野営地は炎々と明るく、巡回も厳重。
もはや「フィルードの奇襲」は恐怖そのものであり、敵は完全に備えていた。
それでも、支援部隊が到着したことで山上の士気は劇的に回復した。
重物による防御こそ尽きたが、上から長槍で突く戦いは痛快だった。
ただ、飛び交う矢は厄介で、盾を持つ腕がしびれ、時折負傷者も出た。
地獄のような攻防は二日続いた。
伝令はまだ戻らぬが、フィルードのもとには二通の返書が届く。
――カールトン子爵とフランク子爵からだ。
内容は同じ。
「領地で緊急動員を完了。正規兵千、農奴兵二千。ウェイン侯爵の軍と連携し、二、三日内に出陣する。」
手紙を読み終えた瞬間、フィルードの胸に去来したのは、喜びではなく一抹の不安だった。
二人の子爵が三千の兵を出す――それは、領地の守りを空にすることを意味する。
そして空いた場所に、誰が手を伸ばすかを、彼はよく知っていた。
彼の目が細く光る。
「……さて、盤面は動き始めた。次に倒れるのは――どちらだ?」
外では夜風が、冷たい鉄の匂いを運んでいた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
アンソニーの戦いは、フィルードの策の一部でありながら、彼自身の信念を示す章にもなりました。
戦略と忠義、そして命を懸けた防衛――この対比が少しでも伝わっていれば嬉しいです。
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