第130章 裏切りを断つ者
ディオ伯爵は、険しい山腹にそびえる木寨を見上げ、低く笑った。
「しかも、この寨には人数が多い。一つの開拓領だけで駐屯しているとは思えん。……ふむ、よかろう。どうせ最後には投降する。だが、その前に互いに疑わせてやるのも悪くないな。最初に膝をついた者には、正式な騎士位に加えて“開拓男爵”の名誉も与えると伝えろ。」
数名の兵士が白旗を掲げ、慎重に山を登り始めた。
だが、彼らが山腹にたどり着いた瞬間――アンソニーの声が鋭く響いた。
「投げろ。」
次の瞬間、頭上から岩が降り注ぐ。
伝令兵のひとりは胸を直撃され、崖下へと転げ落ちた。残りの兵たちは蒼白になり、慌てて踵を返す。
ディオはその光景を遠くから見て、怒りに顔を歪めた。
「ちくしょう……!あの小僧ども、身の程を知らぬか!」
怒鳴り声と共に、彼は配下へ命じる。
「全軍に叫ばせろ!“降れば爵位をやる”と! 聞こえぬはずがない!」
地を震わせるような兵士たちの声が山に響いた。
その声は、寨の上の者たちの耳にもはっきりと届いた。
アンソニーは眉をひそめ、周囲を見渡した。
三人の開拓領主たちの顔に、動揺と逡巡が交錯している。
(……これが狙いか。敵ながら見事な言葉だ。欲望と恐怖――その二つを揺さぶるのは、最も古典的で、最も効く方法だ。)
「さて……皆の衆。この件、どう考える?」
彼は低く静かな声で問うた。
アンソニーが生粋の王党派であることを、全員が知っていた。
その問いかけが“試し”であることも理解している。
この場に残った者は、すでに覚悟を決めた強者ばかり――そうであるはずだった。
だが、一人の壮漢が力強く声を上げた。
「話し合うまでもない! あの老いぼれディオがどれほど強かろうと、王国が立ち直れば終わりだ。今さら奴の下につくなど、恥知らずの極み! 断固として拒む!」
アンソニーはわずかに微笑んで頷いた。
(いい眼をしている。だが……全員がそうであればいいがな。)
彼の視線を受けた二人の開拓領主は、互いに視線を交わした。
やがて、一人が苦い声を漏らした。
「俺は……もう限界だ。家も財も、すべてこの戦いで失った。これ以上の忠誠など、どうして示せる?」
そう言うと、彼は一歩退き、背を向ける。
振り返りざま、まだ沈黙していたもう一人に叫んだ。
「アーヴィン! 何を迷う!? 今なら俺たちが先に門を開け、功を立てられる! 二人で勝てば、爵位も確実だ!」
アーヴィンと呼ばれた男は、血の気の引いた顔で沈黙していたが――
やがて、震える手で剣を抜いた。
「……わかった。やるしかないのだな。」
二人は同時に叫んだ。
「突撃だ! 城門を開け、ディオ陛下をお迎えしろ!」
混乱が走る。
兵士たちは状況を理解できぬまま、かつての味方に剣を向け始めた。
だが彼らは奴隷――命令に逆らう権利など、ない。
山下のディオはその叫びを聞き、口角を吊り上げた。
「はははっ、見たか! 分裂したぞ! 今だ、攻め上がれ! 一挙に落とせ!」
六百を超える兵が動き出す。
大地を震わせる足音が、戦の幕を開けた。
だが――寨の上のアンソニーは、微笑を崩さなかった。
彼の瞳は冷たく、淡々としていた。
「……お前たちは、つくづく滑稽だ。」
ゆっくりと両手剣を抜きながら、彼は言葉を続ける。
「愚かと言うには、あまりに必死で。賢いと言うには、あまりに短慮だ。……気の毒にすらなる。」
彼の声は静かだったが、聞く者の胸に鋭く刺さった。
「いいか。ディオという男は、自らの祖国すら裏切った。そんな者が、裏切り者に誠実な報酬を与えると思うか? もし爵位をくれても、領地を与えず兵を奪えば、お前たちはただの抜け殻だ。」
彼は剣先を向け、静かに言い放った。
「……愚か者には、相応の結末を。」
次の瞬間、金属の閃光が走る。
裏切り者の一人が咆哮と共に斬りかかったが、アンソニーはそれを受け止め、反転した刹那、灰色の魔力が迸った。
――「超凡者!」
驚愕の声が上がる。
相手の両手剣は弾き飛ばされ、次の瞬間、アンソニーの蹴りが鳩尾にめり込んだ。
「終わりだ。」
乾いた音と共に、一閃。
刃が空を裂き、裏切り者の腕が宙を舞う。悲鳴が木々に反響した。
だが、アンソニーの動きは止まらない。もう一撃。
鮮血が弧を描き、首が地に落ちた。
沈黙。
残る一人の裏切り者は、青ざめて剣を捨て、震える声で叫んだ。
「降伏します! 命だけは……助けてください!」
アンソニーは無表情のまま見下ろした。
「命乞いか。……なら、役に立て。」
その声は、冷え切った刃のように鋭い。
「部下に命じろ。“戦いをやめろ”と。」
叫びが寨全体に響く。
そして、戦いの音は――止んだ。
山を駆け上がる敵兵の咆哮が、最後に残された音となり、風に消えた。




